日々旁午

2004


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本日は第14回勉強会を開催いたします。ご参加のみなさま、よろしくお願いいたします。前回のTsudoiも盛況の内にお開きになったのが、遠い昔のように思えます。勉強会は、また、来年をめざす新しいメンバーを中心に、議論をしていく所存です。先生という職業に就くものは、ほんとに、いろんなことを知っていなくてはなりませんね。採用試験の広範な出題範囲がそれを証明しています。しかし、深くも知っていなければなりません。1次試験では広く、2次試験では深く、というところなのでしょうか。時事的なことについては、なぜそのような発言や行為が行なわれるのか、どのような思想から提起されるのか、そうした根底からの理解が本来必要でしょう。表面的に、これこれという事実があった、というだけでは、面白くもなんともないからです。それは、一問一答式に過ぎず、考え方を学ぶ形式陶冶にはならないでしょう。世のあらゆる予備校が、そういう知識伝達に終始しているかぎり、教員養成の意義はないといわざるをえません。合格すれば終わりという発想に立った学校では、自己変革への進展はないのです。それが「学び」があるかどうかの違いなのでしょう。そう強く感じます。学歴社会の鬼っ子たる教育機関の問題点はそこにあると思われます。しかしこうした問題は、義務教育をも蝕んでいるように思えます。果たして、詰め込み教育になれたワタクシなどが、そうでない教育の在り方を追求するのは無理があるのでしょうか。さて、ではどういうふうにそうした真剣な学びができるのか、そういうことが問題になるでしょう。受験技術論はそれはそれで大切なのは認めた上で、その上をいく在り方、そんなものが構築できないか、頭を悩ましているところです(10/31)

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体を風が吹き抜けた、か。う〜ん、一度は女性にそういわれたいものである。風だからサワヤカということなのだろう。たしかに松坂選手の速球は、なにものをも巻き込む風をおこしそうである。この世知辛い世の中、吉報といえば、そのほとんどがスポーツ界からである。イチロー然り、松井然り、そして松坂選手も。5つ年上の女房ということらしいが、スポーツ界は、年上の女性と結婚するのが流行のようである。なかなか日本シリーズで勝てなかった彼だが、ここ一番、2勝3敗の後がない試合で抑えた勝利はすごかった。大量得点が見込まれる中日打線を1点に留めたあの投球こそが、シリーズ奪回を実現したものであろう。一度目の対戦では逆転勝利したオレ竜もまいったといえる。まだなぜかあどけなさが残っている顔の松坂選手、これからも風をおこしてほしい。しかし3年前からサインを出し合っていたとは。いいバッテリーになりそうである/昨日、立命館大学における水谷修先生講演会に参加されたみなさま、お疲れさまでした(10/30)

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「自分探しの旅」という言葉が、こんなところで使われるとは、よもや思わなかった。香田証生さんのイラク旅行が、「不可解な行動」であると批判され、こうした審議会答申の形容語句を各新聞社が冠して記事化しているのである。最初に断っておくが、ワタクシは香田さんの立場に反対するのでもなければ、擁護するのでもない。そうした価値判断は一切ここではしない。ただ、「君子危うきに近寄らず」という箴言を思い出すだけである。彼はアルカイーダに拘束され、明日にも首をはねられようとしている。これに対し、純ちゃんは「自衛隊は撤退しない」考えである。このことからする帰結は、彼の命は助からないといわざるを得ない。人道の観点と国際秩序回復の国家的立場とがせめぎあっているといえよう。政府に解決策の見通しが立たないのであるから、なんともこちらもいえない。静観−この言葉ほどきらいなものはないが、現状致し方ないという感想である(10/29)

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昨日、募集停止と書きましたが、お一人返信なく、キャンセル待ちを募らせていただきます(28日00:43現在)/難しいことを平易に説明することほど難しいことはない。政治学や社会学、経済学など、大学の教養課程で講義するのはまさにその能力が教員に問われている。その点、ワタクシなどは落第かもしれない。なにしろ、専門的な術語を使わないと議論できないのだから。それを簡単な言葉に置き換えることは大層困難である。昔、日本法制史かなにかで、第2次大戦の陸海軍の動きを説明するのに、巨人軍の話をもじって解説したことがあるが、そんなものかな。だが、そうした置き換えをしていいものかどうかも悩む。なぜなら、1つひとつの術語を分かり易く言い換えること自体が、なんだか学生の能力を疑ってかかるような気がして申し訳なくなるからである。学生に対する信頼をもつと、言い換え不要論となり、信頼しないと言い換え必要論となる。ワタクシの先生など、お構いなしにあらゆる言葉を使うから、そのわからない言葉を憶えておいて(メモしておいて)、あとで調べたものである。そういうことを繰り返してくうちに、馴染みがでてきて「日本語なのに外国語」という奇妙な具合から脱することができた。それがうれしかった。また、マイナス面として、なんだが学問の世界に一歩踏み込んだ気がして、専門書の言葉を必死で書いたり使ったりする衒学性もかなり身に付けてしまった。そうした灰汁をすくうことに、30代前半は苦労した。こうしたことが科学分野であるなら、もっとシンドイのではなかろうか。理系の研究成果を、ワタクシを含めた庶民に説くとして、まあわからんだろう。そういうサイエンスライターを養成しようとする試みを科学技術・学術審議会部会がやろうとしている。「納税者である一般の国民に対しても、各家庭レベルでその価値と研究の重要性を分かりやすく説明することが重要」(『朝日新聞』)との立場から、「難解な研究の成果を国民に分かりやすく解説」するためだそうである。たしかにジャポニウムだかニッポニウムだかわからないが、その元素発見の意義だとかその働きだとか、知りたくないわけではない。ただどうもそれを説明されたとして、ピンとこないだろう。テレビのつけ方しか知らないワタクシたちに、テレビがどんなふうな回路をもっておって、どんなふうにブラウン管に映像を映し出すのかを平易に教えてくれるような文章に出会ったことがないのであるから、そうした生活に密着した科学的成果からはじめてもらいたい希望がある。若者の理科離れを防ぐ一手段としては、この文科省提言は有効性をもつだろう。ライター養成がうまくいくことを願ってやまない(10/28)

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第14回勉強会への申し込みありがとうございました。さきほど定員に達しましたので、募集を停止いたします。なお、第15回以降の募集をしております。みなさま、よろしくお願いします/出張から先ほど帰ってきたところでして、メールチェックと返信、および「こくばん」への書き込みを終え、ちょっと疲れちゃいました。明日からまたがんばりますので、旁午連休いただきます。勉強会への参加メール、ありがとうございます。募集人数は、教室収容人数なのですが、現時点で、あとお一人となりました。参加確認のため、返信メールお願いいたします(10/27)

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奈良の構想は恐れ入る。高校から教員養成コースを作るらしい。朝日新聞によると、「奈良県教委は、06年度から、県立高校2校に『教員養成コース』を新設する方針を決めた。『団塊の世代』の退職に伴って教員が大幅に不足し、自治体間の人材獲得合戦が激しくなるのを見越し、『質の高い先生を自分たちで育てよう』との狙いだ。県教委や文部科学省によると、公私立とも高校でのこうした取り組みは初めてという」とのことである。自治体が自分の手で良質教員を育成しようとするスタンスは評価できる一方、長く講師をされ、奈良教育に尽力してきた現在20代、30代の方々はどうなるのであろうか。できれば、彼らをこそ「優遇」する措置をお願いしたいものである。いやはや採用制度はなんにせよ難しい。奈良教育に尽してきた講師=「人材」を「優遇」していただきたいが、しかし、それでは公平な採用という理念が崩れるからである。そして、教員養成コースがそもそも例外であるから、そのコースに入学する選抜された80人は、「優遇」以外のなんでもない。これも「公平な採用」を無視する採用方策である。このように考えると、奈良は独自養成コースを設置する裏側に、「非常勤講師⇒正規教員コース」も設けるべきであろう。これでも不自然ではある。しかも、こうした「正規教員コース」を設けることは、雇用の在り方を激変する要素をもっている。そのうち採用試験なんかなくなり、奈良で先生になるには養成コースを経なければなれないという限定がつくことにもなりかねない。その限定は奈良教育の純血主義を生み出し、いずれ新しい血を求める県教育行政に転換する時期がまたしてもくるに違いない。こうした様子見採用形態は私学の採用においてすでに現実化している。何年か奉公して、そのうち採用、というやつである。3年講師をしてダメならば、去っていただくという不思議な採用制度が私学では常態になっている。ここに株式会社からの派遣教員が流入するから事態はさらに厄介になってきているのである。ところで果たして高校教員養成コースの卒業生が大学に進学しなければどうなるのだろうか/明日、月曜日は、出張のため、旁午更新お休みします。ごめんなさい(10/25)

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甲信越地方の方々、とりわけ新潟長岡、十日町、小千谷など、大きな揺れが続いているようです。大変だと思われます。被害が最小限で済むことをお祈りいたします。長岡は、ライフラインがすべて止まっているとの報道に接しています。国道寸断の状況もテレビが生々しく伝えています。県外からの電話連絡は回線パンクを引き起こすかもしれません。こちらをご覧のみなさま、極力連絡を待つ姿勢にし、こちらからは控えましょう/義務教育費国庫負担金の削減は許されるものではないことを、旁午でもつねづね論じてきたが、ノーベル賞学者が揃って削減反対意見を細田官房長官に訴えたのには、百万の援軍を得たような気がする。義務教育の精神を再確認すれば、そして「教育は金がかかるもの」ということを自覚すれば、この度の削減という蛮勇行政がいかに国民の期待を裏切るものかわかるだろう。いかな金がないといっても、軍事に割く金はあるのである。国家百年の計たる教育の基礎の基礎の義務教育の金を切り捨てるとは、自民党の「この国を想い、この国を創る」宣言が、ウソっぽいことを証しているのではないか。キレる武部氏や二転三転の南野氏を党と内閣に抱え、切り盛り大変そうな純ちゃんだが、防衛省構想はちょっと横において、足元である文部行政を検討してほしい。丸投げしない行政をそろそろしてほしいのである。こう書いていてハタと気がついた。純ちゃんって、専門分野はなんなのだろう。厚生?郵政?外交じゃないか。議員時代の委員会所属はなんだったっけ(10/24)

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来年の採用試験に向けて、勉強の仕方を教えてほしいという声に答え、サイトのkou君にもいわせてますけれど、10月31日の勉強会では、個別に勉強方法の相談を受けようと思っています。勉強会の終了後、いままで勉強した資料などをお持ちになってそれを叩き台に、何か助言ができればいいと考えています。効果的な勉強法は、やることとやらんでいいこととを弁別することではありません。しかし、あのだだっ広い出題範囲をどう束ねるかは、どの受験生も苦しんでいるところでありますから、いままでのワタクシの経験からなにがしかのことがいえたらいいな、と思っております。なお、今後の勉強会には、合格された方の合格体験、およびその勉強方法を語っていただくことを予定していますので、多様な角度からの「試験の乗り越え方」をうかがうことができるのではないでしょうか。ご興味のある方は、申し込んでくださいね(10/23)

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なんといっていいかわからん。大阪府の合格発表があって、多数の方からメールやこくばんへの書き込み、さらには電話もいただいたさ。でも、ほんとになんといっていいかわからん。おめでとうとか、残念だったなあとか、生半可にはいえないもんがあるさ。みんながみんな一生懸命取り組んでいたわけで、人生かかっているわけで、ワタクシの心情、喜びもひとしおであれば、悲しみも海より深いもんがある。ただ、いえることがある。それは、確かにこのサイトで大阪府教委を叩くときがあったけれど、そして、それはいい得ているところも多いから、ワタクシは書いたことを覆したり、反省したりしないけれども、受験生の立場からすれば、どの受験生も何らかの不公平を乗り越えて合格しているということ。ひどい面接だったといっていた彼も受かったし、最高の集団討論だったという彼女も落ちているのである。そういう意味では、評価基準なんてアテにはならんし、そんなものを気にして受験しても栓ないことなんだろうと思う。結局は、委員会を相手にするんじゃなくて、いかに己を知るかにあるんじゃないか。ぐいぐい押す相手は教委じゃないってことさ。自分を磨くことに精進するほかないのとちがうかな。それは受かった人にも、そうでなかった人にも共通していえることだと思ってる。受かった人の中には4年、6年、10年と長き投獄にも似たセミの幼虫期間を経験している奴もいるのよ。そんなさ、平坦な、王道を歩いている奴ばかりじゃない。あかんかった人の中には心血注いで討ち死にした奴もいるだろう。でも、ヤンキースだって3連勝4連敗なんよ。なんかが足りなかったんよ。台風よりもひどい渦巻きが心にあるだろうよ。ワタクシなんか、そんなのを3つも4つも飼い慣らしてるんよ。あかんかった人も、その心の中の渦巻きに呑みこまれて藻屑になることなく、己の心から渦巻きを追い出して、ナルトにしてラーメンにでも入れて食べてしまえ。ある先生がTsudoiでいってたじゃないか。「あきらめないこと」って。そういうふうに自分を変えていくところに、のちのち自分の成長を認めることができるッてもんだよ。まあ、そんなところさ、じゃあまた、明日な(10/22)

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共同通信によると、「中山成彬文部科学相は16日、中央教育審議会(鳥居泰彦会長)に対し、教員の適格性を確保するため、教員免許制度の抜本的な見直しについて近く諮問することを決めた。免許に有効期限を設けて更新時に適格性を審査する『免許更新制』導入のほか、大学教職課程で免許授与する際にも適格性を考慮するなど、制度全体を検討対象とする」ようである。教員免許の更新制は他の公務員一般との整合性をどのようにとるかという点で議論が煮詰まらず、見送られた経緯があった。役所にお勤めの方々に更新性がないのに、教育公務員にだけハードルを追加するのはいかがなものか、ということである。だが、教育公務員特例法の存在が、他の公務員一般とをすでに隔てているわけであるから、更新性導入に関し、法的にはそれほどギスギスした問題はないであろう。当然、地方公務員法の縛りを教員も受ける。問題は、更新を誰がどのような基準を参照し許可するかということである。大阪府や市でも教員評価制度がすでに導入され、「先生の技量」を数値化している。あの人はS、あの人はA、あれはEだな、てな具合である。Eの人は早期退職制度を利用し学校を去るという、はっきりいえば、「あんたはもういらんよ、あんたの能力では教委にも席はない、お金を上乗せしてあげるから、自発的に辞めてくれ」ということになる。この評価制度が給与に反映される。昔、勤務評定闘争があったが、あれの再来と捉えてほぼよいのではないか。採点する校長と採点される教員という構図が数十年振りに甦るのである。民間であっても、親方日の丸であっても、どこの世界も「人事評価」は存在する。しかしこの校長⇒教員の評価が正当、誠実なものかどうかが、大問題となる。教員世界はなにかにつけイデオロギーに左右されるケースも間々あるので、さらに難解になるのである。一方、「大学教職課程の段階から適格性を考慮する」というのも、これまた困難な話である。教職教養科目の優良可の平均で、それを測ろうとするのであろうか。それもちょっとヒドイ話である。ワタクシは学生を安易に評価、採点してきたつもりは全くないが、やはり4年生には優しくなるのが大学教員一般の共通理解なだけに、なんらかのガイドラインがなければ、現場は混乱するだろう。どんなふうなものが、文科省から示されるか、学生も先生もビクビクものであるといえよう(10/21)

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