日々旁午

2004


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昨日は関西地方からギリギリ台風が去っていく中、Tsudoiに多数参加してくださり、誠にありがとうございました。遠くは和歌山や三重からもかけつけてくださり、30名近くの参加者をえて、たのしく会を進めることができました。また、現役の先生方にもご足労いただきました。先生からいただいた「決してあきらめない」という言葉に、共感あるいは実感されている参加者が多かったことだと思います。また、ワタクシもそう感じております。Tsudoiは、阪急梅田界隈のお店を予約し、いままでの勉強会の思い出を肴に、たのしい語らいとなりました。さらには、今年度厳しい結果に終わりつつも、来年をめざす決意表明をしていただいた方もいらっしゃいました。ちらほら合格の報知を受け取っている参加者もいる中で、そうした決意を述べていただいたことは、苦しい立場ではありながら、すぐさまご自分を見つめ直そうとする姿勢であり感服しました。本日初参加の方もいらっしゃり、これを契機に心機を転じていただければ幸いです。ところで、本日10日、当サイトは3周年を無事迎えることができました。25万ヒットもいただきました。これは、勉強会のメンバーもさることながら、このサイトになにがしかの価値を見出してくださり、活用してくださった全国のみなさまからの応援の賜物にほかなりません。1周年、そして2周年の際に述べたその精神を忘れず、4年目に突入いたします。勉強会の開催、プレまぐの発行、こくばんマスターの設置、などが3年目の大きな目玉となりました。こうした3年間の積み上げを基礎に、さらに内容を深める方向での運営をめざします。継続は力なりといいますが、ホントにそれは難しいことです。10数チャンネルしかないTVと違い、何万何十万とあるサイトの中で生き残っていくことは、ほそぼそとでも糸をつないでいくことにあると自覚しています。4年目はその糸を是非とも綱にしたいと思っております。堅固な綱にできるかどうか、それはやはりこちらをご覧の方からの期待や希望にいかほど応えられるか、それから、こちらの運営がみなさまの希望にマッチしているかどうか、というところにあるのでしょう。太い綱になれるよう、本日からもがんばりたいと思います。今後も「浩の教室」をよろしくお願いいたします(10/10)

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本日は、台風の迫る中ではありますが、勉強会の打ち上げとして、Tsudoiを開催する運びとなりました。大阪府下は小康状態ですが、嵐の前の静けさなのかもしれません。関東地方ほか中部の方でも、空の便、海の便とも運休があるようです。警報発令地域が大事にならないことを祈ります。秋にこんなに台風が来るのは過去ありませんね。やはり地球規模で気候変動があるのでしょうか。来年再来年もこうした台風列島になるとすれば、農業被害や水害、塩害も発生し日本の農林水産業の生産構造も変質を余儀なくされるのでしょう。受験に「落ちないリンゴ」は、豊作でない裏返しであって、それを目的に耕作してるわけではありませんし、深刻な被害を予想の上で従来の繰り返しの農作をするとは考えられないからです。一方、プランクトンの大量発生も厳しい暑さとともに高潮にのって襲ってくるやもしれません。自然畏るべしです。さてそうした中、Tsudoiを開催できるのは幸せなのかもしれません。9日14時現在、静岡沖にいるようです。今後、北北東に進路をとり、東北に抜けるようですが、参加のみなさまにあっては、「完全装備」のうえお越しください(10/9)

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ようやく「浩の教室―教員採用試験広島篇」のメルマガを創刊する運びとなりました。来年度、広島を受験される方のお役に立つことを願っております。ただ、「プレミアムまぐまぐ」なので、恐縮ですが1ヵ月630円かかります。サンプルとこのサイトの「コラムとしての過去問研究」をご覧になって、講読のご判断をしていただければ幸いです。一ヶ月分は無料です。創刊号の「後記」にかいているのですけれど、姉妹篇として、いずれは「大阪篇」や「神戸市篇」を発行していきたいと考えております。ただその実現には、いまでさえイロイロなことに手を出しすぎて一杯一杯ですので、もう少し後にならざるをえません。しかし、やはりアンケートをみても関西圏の方が多いですので、照準のあて方を考えなければなりません。ただ、大阪は問題が簡単過ぎて、分母は多いのですけどそれほど需要がないと予想してます。それにくらべ神戸市はてこずる問いが多いので、こちらから手を着けようかとも思っています。そのほか、WEBを通し、有料論作文添削を実施しております。ほそぼそながら申し込みあり、助かっております。ありがとうございます。年間数万円かかっている当サイトの運営費にあてるつもりです/昨日、知恵熱が出たと書きまして、メールいただきありがとうございました。もう大丈夫です。返信させていただきますね(10/8)

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本日は旁午お休みさせていただきます。知恵熱がでて、ほってりしています。こうした記事とか、こうした記事、さらにこのような措置について論じようと思っていたのですけれど、そのまえにテンカウントが鳴り響いてしまいました。明日にいたします。ごめんなさい(10/7)

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いまちょっと「歴史論考」のコーナーに1篇を加えるべく草稿を整理している。書けば書くほど粗がでて、てこずっている。テーマは幕末の秩序意識を対象として現在の政府の秩序構想を問おうというものである。つまり「公共」とはなにかを歴史や思想にたずねようとするものである。こうした問題意識は、ワタクシが若いころからもっていた意識で、幕末の一思想家の思想構造を分析することから論証しようとしている。保守的思想家の近代性をみるという考察も含み、かなり苦しい。原稿用紙換算で120枚は越えるので、どこをどう省いてまとめようかと必死なのである。それでも長篇になるのは致し方ないだろう。書くことは恥をかくことであるから怖い気もする。しかし、書かないと恥もかけない。「歴史論考」にすでにアップしている3篇は、漱石の短編を除いて昔に書いた論考に手を入れた小品であるが、これらも元をいえば、森のは80枚、西村のは150枚の草稿を圧縮したものである。そのほか、少し書いたものと合わせて全体的にまとめ直そうと決意している秋である。10年以上前に東京の古本屋から取り寄せた高価な本を、いままた読み直している。昼飯を抜いて購入した5冊12万の本だから、金箔張りのいい装丁で、いま手にしてもグッとくる。10年も経てば、昔に書いたものが相対化、客観化されるかと思いつつ資料を紐解いているのだけれど、そういう箇所がある反面、やっぱり変わらないところもある。新たなディメンジョンの下に斬新な視角を求めたい。だがまたそう簡単にはいかないことも熟知している秋である。読書の秋は、はじまっている(10/6)

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日々、ウレシイ知らせのメールと苦しい内容のメールをいただいています。後者の方にはどのように書くべきか、すんごく悩みながら返信しています。教採合格だけが云々などとは書けません。一生懸命やってきたのだから。しかし気の効いたことも書けません。でもね、つらい気持ちはワタクシも他人の倍以上経験しているだけに、よくわかるのです。このように書いても自己満足のように捉えられるかもしれませんが、実際の告白です。こくばんにも報告してくださっている方がいます。マスターの方々も、ワタクシの気持ちを共有していただけると思います。以前、「どこのサイトも合格の報告でいっぱいで、ダメだった人の気持ちも考えてほしい」という書き込みがありました。いまでも憶えています。昨年の今頃です。その方が、今年、合格していることを願ってやみません。そして、そうした忠告に、あまり身を縮ませることなく、しかしあまりに喜びを棒大に表現することなく、みなさんと接していきたいと思っています。2、3年前の方が合格し、これまた2、3年ぶりにご連絡いただくこともあります。うれしいですね。そうして下積みしつつもワタクシのことを心のどこかで憶えていてくださるのですから。さあ、再出発しましょう。あなたからのいい知らせを聞けるように、気の効いた喜びの言葉を用意して待っています(10/5)

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ある児童生徒がLDかADHDかを決定するガイドラインは、文部科学省のサイトでみることができる。だがその判定基準に、いささか主観的な要素があることは否めない。日々児童生徒と接する教員の目の方が確かであることが多いだろう。そこで選択制が議論されることになる。こうした試みの第一番手は埼玉県であった。県教育局は「学習障害(LD)や注意欠陥・多動性障害(ADHD)のある小中学校の児童・生徒が、教科ごとに通常学級で学ぶか、養護学級や養護学校で学ぶかを選択できる制度を、今年度中にも実施する方針を固めた」(『讀賣新聞』)ようである。特別支援教育の方向性は、埼玉の例をみても分裂していることがわかる。かたやノーマライゼーションの思想推進から児童生徒を分け隔てなく指導すべきとの方針があり、かたや個性尊重が区別尊重に鞍替えし、「その子に応じた」という根拠から保護者に選別体制を押しつける。これは難しい議論である。どちらもそれなりに理屈が通っているからである。障害をもつ子どもたちは、長い人生を生きていかねばならない。一般社会の中で生活していかなければならない。コロニーが財政支援打ちきりの余波を受け潰されつつある昨今、自立への道をどうにかして切り拓かなければならない。グループホームががんばっているけれどもまだまだアテにならない以上、公教育の現場では少なくとも将来の自立への訓練を積まないとならないであろう。交流教育の多彩化が求められているといえよう。LDやADHDが特別支援教育の枠組で捉えられ、かつ、「障害も個性」といいくるめられれば、選別体制を許可する正当な理由になる。LD児が規定によって「軽度知的障害」の範疇に組み込まれれば、規定=法なのであるから四の五のいうひまなく制度化がすすむであろう。上野氏の「できる子もできない子も一緒に勉強するのは、あしき平等主義で、子どもの特徴に合った教え方が必要。ただ、学級経営を円滑にするために障害のある子どもを安易に排除するような方向に向かってはならない」という苦渋の言葉はこのジレンマを鮮やかに示している。日本LD学会会長の氏にしてこういうほかないのであるから、結局は他律的に行政の手法を指を咥えてみているほかないのか。特殊教育諸学校志望の旁午読者よ、如何(10/4)

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昨日は多数のご参加ありがとうございました。連絡の行き違いか、お一人の方が欠席されましたが、次回のご参加をお待ちしております。昨日の4時間は、下に書いていますように、何らかの議論の叩き台になるような教育学の講義をし、少しづつ立ち止まって参加者の問題意識から発する論点を出し合ってもらう形式をとりました。そこでは、ちょっとここでは書けない参加者のお勤めの学校における「おはなし」や、障害児教育に関する露骨な、ギリギリの判断を求められるイシューにまで、敢然とメスをいれるということもありました。こうした勉強会の前半部分は、ワタクシとしてもはじめての試みで、有益な刺激を受けました。ややもすると一方通行になりがちな講義スタイルに鉄槌を加えようとし、このような形式で実施したのですけれど、大きな収穫がありました。なによりワタクシの提出した叩き台が叩き台として機能したことが、もっとも喜ばしいことでした。個別的なことでいいますと、とりわけ、「理想と現実」をテーマに、教職教養の授業の在り方に対するご批判は、的を射ていると思われます。大学でも、そのほかの学校でも教職教養、たとえば教育原理などは、現実と乖離しすぎていると思いませんか。これはワタクシもかねがね反省しているところなのですが、昨日それがはっきりしました。だいたい美辞麗句の並んだ答申が、果たして厳しい現実に直面している児童生徒そのものになんの意義があるのか。現実を切り盛りしているのは教員そのものであって、そこにどれほどの答申知識が影響を与え学校教育が成立しているのか。そんなのは、現場では机上の空論、答申を考えて授業をするなんてことはまったくないといっていい。さらに、教育原理そのものが、ほんとに「原理」たりえるのか。教室の児童生徒を置き去りにした「原理」は机上の弄びにすぎないのではないか。だからこそ、現実=学校世界と理想=教職教養との距離を縮める工夫が是非とも必要になります。原理のテキストなど一字一句に現場の息吹を吹き込む作業は、みなさまの仕事であると断定してしまえば、これほど楽なことはない。しかしいわば息吹の吹き込み方、これをなんとかしようとするのが、教職教養の使命だと思われるのです。迂遠なようで初歩から教育に関することを学ぼうとすれば、なんらかのテキストにいざなわれ、そのテキストを乗り越えていく、あるいは自分なりの現実に照らしてテキストクリティクしていく作業が欠かせない、そう思われます。昨日の議論でいえば、学習権の議論は60年代、70年代の議論であって、それをそのまま今日に当て嵌めて議論するのは面白くない。それを21世紀の教育社会に適応する形に鋳直してはじめて、学習権の意義が確認できるでしょう。それにしても現代日本は恵まれすぎていて、義務教育は当然、教育を受ける権利は当然なんだと考えている人びとが多いかもしれません。その背後から、公教育を廃止する魔手が迫っているのかもしれません。これはわかりませんが、しかしそうしたことに想像を致すことがややもすると忘れられているとすれば、看過できない点を含んでいるといえるでしょう。ただワタクシの問題提起の仕方が古臭いのかもしれません。これを反省材料として、教育原理のあるべき在り方を捉えなおそうと思っています。後半は、討論をしていただきました。「あなた方の理想の教師像を語りあってください」というテーマでした。タイミングよくといいますか、叩き台(講義)にマッチしたテーマになりました。討論は初参加の方々のフレッシュな議論になりました。理想の教師像が個別に提出され、それをいかに実現していくか、実践論が話し合われました。今後の勉強会では、答申輪読もいたします。批判的な目をもって読む、実現可能な視角から答申を再度教員を目指すものの立場からあぶりだす、そんなふうな方向で、精読していこうと思っています。さて来週の土曜日はTsudoiを開催いたします。ご案内を送付させていただいた方々、ふるってご参加お願申し上げます。Tsudoiはいわゆる「勉強会」での由無し事を肴とした「呑み会」だと思っていただければ結構です(10/3)

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本日の勉強会に備えて、現在01:50なのですけど、寝ることにいたします。最近は時間もあって、好きな本やらなんやらを読むことができ、いろんな仕事がすすんでいます。昨日今日と、合格の連絡をいただいております。合格された方、本当におめでとう。苦節10年というこくばんへの書き込みもありました。先生になるのって、強い意志が必要なのですね。2年ぶりに電話で合格の報告をいただいた方もいらっしゃいました。ほんとよかったです(10/2)

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明日は第13回勉強会の開催日です。講義用のレジュメを数枚用意し挑みます。レジュメには講義の概要を記しつつ、ノートの抜書きをしてあります。その一つひとつについて吟味するため話しては立ち止まり、立ち止まっては話します。参加者の教育的思考を深める叩き台になることを願っております。主に教育原理系のお話になりますが、教育答申の輪読もあわせて実施し、理論と現実、行政の思想が切り結ぶところを撃ちたいと考えています。しかし、大事なことは、そうした作業を通し、参加されるみなさまが、ご自分なりの教育的な考え方、つまり学校現場で通用する思考の基底になるところを養う点にあります。机上で学ぶ教育原理なり、教育心理なりは、どこまでも「言葉」に過ぎず、それを現実に生かせるパワーに高めてはじめて「勉強した」となるのではないかと考えます。一見迂遠なテキスト類も、それを現実に照らし合わせたとき、意味がある。ただ単に教採合格のためだけに暗記するというのは、結局、膂力になりません。素通りしてしまう知識など、意味がないのです。ただこうしたことは言うに易く行なうに難しです。今後、1年かけてそうした地に足ついた勉強をしていくことがのぞましいのではないでしょうか。だから、講義ではあるが講義ではない、そんな新しいタイプの時間を作ってみたいのです。どこまで参加者のみなさんからの批判に耐えうるか、それが主宰者には問われているといえます。教えたことをそのままとりいれても、桶で風呂の湯をくんだに過ぎません。身体を流したその湯は、排水口に吸いこまれてオワです。そして、講義だけで終わりません。4時間もあるのですから。後半は、討論の時間にあてたいと思います。そこでのテーマは、講義と関連し提案する予定ですが、これについてはまたサイトに報告書としてアップいたします。しかし、レジュメはアップいたしません。それから、今年度の受験者がくださった、サイトにアップしていない2次試験情報のペーパーを持参いたします。さあ、どんなワールドが広がるか、実は主宰者であるワタクシの方がワクワクしているのです。では明日、JR難波近辺でお会いしましょう(10/1)

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