日々旁午

2006


日々旁午・表紙へ 浩の教室・トップページへ

生徒がいじめられて自殺したり、教員がいじめを深めたとかそうでないとか(まとめて記事紹介されてます)、教育長が辞任したり、教員が自殺したり、教員が脅迫事件を起こしたり、なんなんだろう。教育は、再生できるのだろうか。

 弓削先生ご逝去、網干先生ご逝去、ご冥福をお祈りいたします。
(10/17)

日々旁午・表紙へ 浩の教室・トップページへ

勉強会の報告のつづきです。

 勉強会では、必ず参加者が主体的に参加できるように、集団討論を必ず組み込んでいます。これは、ややもすれば受動的になる「講義」ばかりでは、昨日述べた「自分なりの教育観を表現できるかどうか」が実現しにくいからです。表現する場を設け、そこに自発的に参加してはじめて、教採を突破する実力が養成されます。

 今回の集団討論のテーマは、「学校では、児童生徒たちで話し合いをすることが多々ありますが、それはなぜでしょうか。また、その効果はどのようなものでしょうか。議論してください」でした。ちょっと難しいようでしたが、討論はどのように進んだでしょうか。討論参加者は6名、25分間でチャレンジしていただきました。仮にAFさんとして、発言の趣旨を追っていきますが、その前に…

 討論参加者は、このテーマを分析し、どのように討論するべきか、一人ひとり検討しないといけませんね。「学校では、児童生徒たちで話し合いをすることが多々ありますが、それはなぜでしょうか。また、その効果はどのようなものでしょうか。議論してください」は2つのことが聞かれています。「なぜ」と「効果」です。なぜ「話し合い」の場が学校には多いのでしょうか。これに対する自分なりの解答を2、3点即座に用意する必要があります。そして、「話し合い」をする効果についても同様です。児童生徒が「話し合い」をすることによって、どんなメリットがあるのでしょうか。また、どのような観点の成長が見込めるのでしょうか。この2点をめぐって討論が進行していくのが理想です。ただ、理想はどこまでも「理想」であって、はじめてであった受験生同士がそうそう簡単にこうした構想を共有できるかどうかといえば、無理です。だからこそ、こうした討論の構想を提示する「誰か」が必要となるわけです。そうした「ひとつ上をいく受験生」であることを、ここに集ってくるみなさんに求めたいわけなんです。これは、「仕切り役」のようで「仕切り役」との印象を持たせないように演じる繊細さも要求される(とりわけ司会を立てるなとの「お達し」がある自治体ではそうです)ので、難しい。

 ところで、司会は、ホントに司会で、Aさんどうぞ、とか、Bさんどうぞ、というように、まったくの司会進行役で自分の意見をいわないで他者の引き立て役になるのが司会です。結婚式の司会を思い浮かべればいいでしょう。そういうふうな討論の「ガイド」は必要ありませんよ、と自治体はいいたいわけです。上のような簡単な討論の方向性を提示することも「司会だ」といわれてしまえば、討論を成立させることなどできませんから。

 最初にFさんがテーマを確認し、「話し合い」の意義は社会性を養うためであるといい、また自分の考えを伝える力を養成するため、多様な取り決めに協力する姿勢を形成するためにも「話し合い」の場が設けられていると述べられました。Dさんはこのご意見を肯定しつつ、このほかにコミュニケーション能力を向上させるため「話し合い」が活用されるべきだし、「話し合い」を通して問題解決能力も高まると述べられました。Aさんは、生徒間の相互理解のためにも「話し合い」の場は必要といわれ、たとえば問題行動が発生しそれを議題に取り上げるなど、トラブルの自主的解決のためにも必要であるとご意見されました。「話し合い」の効果について主張されました。

 Bさんは上に出された根拠からする「話し合い」の必要性を認められ、それを「生きる力」の育成とまとめられました。さらに、それに付け加えて、相手の話を聞いて、相手の立場を尊重する、広くいって「人権」の視点を提出されました。Eさんは、Bさんのいわれる「人権」の視点は、相手を思いやることであり、それは児童生徒の社会性の養成に含まれるだろうとのご意見をお持ちでした。

 Cさんは、こうした意見を踏まえつつ、「話し合い」におけるルールを身につけることが大切であると主張され、「話し合い」の場では、「攻撃しない、なじらない、キツくいわない」のが前提となるとお考えです。そうしたルールを踏まえ、自分の意見が伝わるように述べるのが、「話し合い」における個人の態度であるとまとめられました。Bさんはこのご意見に対し、意見が違う他者がいたとして、平行線になった場合であっても、「そうした意見もあるのだな」と認め合う寛容の態度を養うことが児童生徒の成長に欠かせないとみておられます。これは価値観の違いを認め合うという議論に発展し、Cさんが、小学生や中学生の段階では、自分の価値観が一番であると思っている、だがそうではないことも理解しなければならない、それが他者理解であると述べられました。これは、相互尊重であり、もっといえば他者に対する愛情でしょう。

 相互尊重はすなわちDさんいわれるように、他者を認めること、受け容れることでしょう。これは大切で、Dさんはそこから友情や信頼関係もクラスの中で醸成されると捉えていらっしゃいました。Fさんは、ここでインターネットの話題を出され、長崎のカッターナイフ刺殺事件にも触れつつ、今の児童生徒の攻撃性を問題にされました。つまりいきなり手を出す児童生徒の存在です。だからこそ、ルールに則ったCさんの「話し合い」の手法に同意され、クラス全員が参加できる具体的なルール作りの必要性を強調されるご意見となります。Eさんは具体的に、たとえばケンカがあったとして、その2人の当事者が何を思って、何が原因でケンカをしたのか振り返らせるのが「話し合い」の効果となるだろうといわれ、つまり「冷静さ」がルールに加わるとのニュアンスで述べておられました。

 BさんがEさんのご意見をはっきり「冷静さ」の必要性と指摘されたのはよかったです。そして「冷静さ」を児童生徒に求めるには、「話し合い」の内容をメモにとること、すなわち書くことによって振り返りが定着すると述べられました。Dさんもこのご意見に呼応され、今後どうしていったらいいかなどの展望を書かせてみれば、落ち着きも出て、クラスもまとまるだろうと話されました。

 ここでFさんが話題転換されました。児童生徒一人ひとりには個性がある。「話し合い」に積極的に参加でき、発言できる児童生徒はいいが、心の中でイロイロ思っていてもそれを「話し合い」における意見として表現しない児童生徒もいる。こうした児童生徒をどのように指導すればいいか、と。Cさんは、国語教員を志望する立場から、これに対し、クラス全体で「話し合い」の仕方を勉強するべきであると述べられました。具体的なその「仕方」は、残念ながらディベートの方法論として、ごく簡単にしか討論の最中にご意見としてCさんは提出されませんでしたが、討論終了後、その手法を語ってもらいました。Cさんは、遠慮することなく、こうしたご意見を討論の中で述べるべきですよ。そして、こうした「話し合い」の仕方において自分自身を成長させるべく自分の意見をいいっ放しにせず他者の意見を取り入れるのが大切だとAさんが指摘されました。

 Fさんは、それではどんなときに「話し合い」を実践しますかと問われ、理科志望のFさんは実験の前にその予想の「話し合い」をさせ意見交換を行なわせたいといわれました。Dさんは国語の授業において、物語の解釈や登場人物の気持ち、登場人物のとった行為の理由など、正しい日本語で「話し合い」させたいと抱負を述べられ、また、Eさんは、福祉科の立場から、「傾聴」を「話し合い」に取り入れたいと述べられました。Bさんは図画工作の時間に、お友達同士の作品評価をさせてみたいと述べられ、班にわけて作品のよいところの指摘をしているうちに、新しいアイデアに出会うこともあるだろうと主張されました。

 Fさんは、こうした参加者のそれぞれのご意見を受け、教員として「話し合い」をどのように見守るか難しく、たとえばいじめの問題や不登校の問題で話し合うとき、「勇気ある意見」がクラスの誰かから出たとき、どのように指導すればいいだろうかと提言されました。Dさんも、少数意見が正しい場合、どうすればいいかと投げかけられ、Cさんはこのお2人の投げかけに対し、学級はひとつの社会を形成しており、やはり相互尊重と自己主張のバランスをとることが重要になってくると述べられました。

 Eさんはここで、インターネットの話題に討論の方向を戻され、メールでしか会話できない現状があると指摘されました。だから意図的に話し合う場を提供することが教員に求められているのではないかとのご意見です。方法論としてブレーンストーミングはどうだろうかと述べられました。Fさんはこのほかに「話し合い」の方法論はありませんかと集団に投げかけられ、ロールプレイングの話がBさんから出たところで議論は終了しました。

 さて、このように文字にすると流れがあってうまく進んでいるようにみえます。討論終了後、聞き手に回っていた勉強会メンバーはどのような指摘をしてくださったのでしょうか。

 最初に出たのはやはり討論テーマを2つにわけて議論した方がよかったという指摘です。そして、「話し合い」をどんなときにするかについて各教科で発表するのではなく、係活動や委員会の決め事など、参加者全員がなにがしかいえる話題の方がよかったのではないかということが指摘されました。このほか、討論全体が進んだり戻ったり、討論をみていて「しんどそうだなあ」と思ったとのご意見もありました。メールの話に関しても同じ話が繰り返し登場していたし、少数意見の尊重についても何度も同じ意見がでていたと指摘がありました。

 このテーマは、難しい部類にはいるものでしょう。最初に粗方、答えが出てしまったのも、討論を深めていくことができなかった理由かもしれません。「社会性の養成」、「相互尊重」、「伝える力の育成」、どれも大切です。それが討論のはじめの部分で登場してしまったわけです。でもこれは致し方ありません。大事だと思っていることは自然とでるものだし、集団討論で「いい意味で目立つ」には、テーマの本質にタッチする意見をいいたいと誰しもが考えるものです。とすれば、なぜそれが大事なのかを煮詰めていく作業が次に求められます。「社会性の育成」にせよ、「相互尊重」にせよ、日常の学校生活でなぜ必要なのか、具体的な学校の場面場面をもっとだされてもよかったのではないでしょうか。

 また、「話し合い」は民主主義の基本です。「社会性の育成」に民主的な態度の育成があるわけで、大袈裟にいえば市民としての政治態度の育成につながるものです。そのための自主的な活動としての生徒会活動や児童会活動があります。

 討論を聞いていて思ったこともうひとつ、最後に指摘しておきます。それは、「教員が『話し合い』をどう支援するか」についてのご意見が圧倒的に少なかったということです。先生の立場に立った指摘を、もっともっとするべきでしょう。

 さて、ちょっと厳しいことも書きましたが、まだ10月。経験を積んでいけば、どんどんどんどんよくなります。今週末、またがんばりましょう。
(10/16)

日々旁午・表紙へ 浩の教室・トップページへ

昨日は、当サイト主宰勉強会に多数ご参加いただき、ありがとうございました。昨日は、男性5名、女性7名のご参加をえて、2次受験報告、大阪府過去問解説、集団討論を実施いたしました。

 2次受験報告は、YさんとHさんにお話いただきました。Yさんは三重を合格されたのですが、過去、大阪をお受けになった経験も持っていらっしゃり、大阪の面接と三重の面接の違いについて感じ取られたことを述べてくださり、その上で、大阪の面接の特徴を整理して示してくださいました。一言でいいますと、三重は協調性を中心に合否を判断しているようであり、大阪は教員として何ができるかをメインに判断しているようである、ということでした。

 Yさんはつづけてどんなことをどんなふうに勉強してきたか、語ってくださいました。結論として「マークシートの試験よりも面接の方が重視されているので、とにもかくにも面接対策に力を入れた」ということでした。たとえ、マークも100点満点、面接も100点満点であっても、面接の点数が高い方が、合格できると実感持ってお話していらっしゃいました。この見解は正しいとワタクシも思います。

 討論、個人面接にかかわらず、なにが大切かというと、「語れる何かがある」ということです。Yさんは「いつでも教育のことについて考えていたし、論作文をたくさん書いた」、それによって「考えが整理され、とっさの質問、想定していないことを聞かれても対応できた」とおっしゃります。つまり、しっかりした自分なりの教育観を表現できるかどうか、ということです。これが一番大事。

 教員をめざすかぎり、すべての方が自分自身の教育観を持っています。しかし、それが正しいかどうかはわかりません。その指針となるのが答申であり、教育学の学習でしょう。それに照らし合わせて自分なりの教育観を作っていく必要がある。イロイロなものを吸収し、それを作っていく。

 次の問題は、その「自分なりの教育観」を表現できるかどうか、です。これができてはじめて、面接をクリアできます。おそらく、多くの方は、言葉として表現できなくても内言として教育観を形成しています。ところがそれを外言にできない。彼女のおっしゃるのは、その作業をせよ、ということでしょう。イイタイコトを言葉にできるように訓練するわけですね。そのためには、彼女のように何枚も論作文を書くほかありませんね。

 Yさん、おめでとう!三重教育に貢献してください。この教室から、Yさんを三重に届けられて誇りに思います。三重はいい人材を獲得しました。

 もうひとり、東京に合格したHさんから報告いただきました。Hさんは苦労人。6回のチャレンジで、合格を勝ち取られました。さぞ苦しかったでしょう。Hさんとはこの教室を通してもう3年のツキアイになりますが、本人が喜ぶよりも、ワタクシの方が彼の合格を喜んでいる!毎回、「あかんかった」とHさんから報告されては胸を痛めていたワタクシです、今年、東京に送り込めて大きな、大きな肩の荷が下りました。

 Hさんの報告を圧縮していえば、「苦手を作らない」ということでした。ペーパー試験でも、一般教養、教職教養、2次の専門科目と得手不得手はあるものです。しかし、Hさんはそれを満遍なくすることが大切であるのいわれます。また、面接や討論も、苦手を作らないようにするのが第一であると語ってくださいました。Hさんは、ペーパー試験については数年の勉強の財産があり、1冊の問題集を数回繰り返しすにとどめ、苦手であった人物重視対策に力点をおかれました。当勉強会に毎週のように参加され、とにかく場数を踏まれました。

 討論練習の後、参加者やワタクシからかなり厳しいことをいわれたHさんです。発言するとき目が泳いでいる、首が動く、声が小さい、手が勝手に動いている、ホント、いろんなことを注意しました。

 2次試験前、苦手なピアノを毎日5時間やったというHさん、その努力が実りました。できないからできるまでする、その意欲は尊いものです。

 「とにかく挫けない、卑屈にならない、あきらめない」。5回もだめだったHさんのおっしゃる言葉です。重みがあります。心の底からよかったと思います。東京は、「不屈の精神を持った男」を獲得できたといっていいでしょう。

 お2人の合格報告の後、大阪府の過去問解説をいたしました。生徒指導に関する問題です。児童生徒の暴力行為、児童虐待、地域子ども教室、自立支援教室、適応指導教室などについて確認していきました。

 第93回以降も、この過去問解説をひとつづつ実施していきます。そして、みなさんから了解を取ったのですけれども、次回から、7、8回連続で、教育原理の講義をしてまいります。これは、ワタクシが大学で講義しているノートを基礎に、教採合格に必要なポイントをちりばめ、上の「教育観」を作る支援にしていただきたいと考えているものです。レジュメを配布しながら、毎回1時間程度みなさんにお話させていただきます。

 次に集団討論を実践していただきました。この模様は、次回の更新時にいたします。

 このように、勉強会は、勉強の仕方を含めた合格者の報告、過去問をベースとした学習、参加者が主体的に学ぶ討論、という構成になっています。いまは、実力を貯める時期、ゆっくりでいいんです、しかし確実に足元を固めていきましょう。

 みなさまのご参加をお待ちしております。

 今週末の土曜日は、香川・高松へまいります。香川教採対策学習会にご参加ご希望の方は、JTU日教組香川まで、お申し込みください。直前でも受け付けています。こちらのレジュメをご覧ください。
(10/15)

日々旁午・表紙へ 浩の教室・トップページへ

あすは、当サイト主宰勉強会を開催いたします。ご参加のみなさま、よろしくお願いいたします。

 まず、三重2次に合格されたYさん、東京合格のHさんから報告していただき、勉強の方法などについてもアドヴァイスいただきます。そして、大阪府の過去問の解説をいたします。最後に、集団討論を実施いたします。討論のテーマは、「学校では、児童生徒たちで話し合いをすることが多々ありますが、それはなぜでしょうか。また、その効果はどのようなものでしょうか。議論してください」といたします。

 それでは、お昼に、淀屋橋近辺でお会いしましょう!
(10/13)

日々旁午・表紙へ 浩の教室・トップページへ