日々旁午

2015


■斬新。

Oct.20.2015
■この週末は、長崎県教職員組合主催の学習会の担当として、長崎に参りました。先生方には、たいへんお世話になりました。ありがとうございました。また、風邪で聞き取りにくい声であったにもかかわらず、最後まで粘り強くワタシなどの講義を受けていただいた受講生のみなさま、ありがとう。
 講義では、教育法規の説明に思った以上に時間をかけ、その意味では丁寧に講義したのですが、お渡しした50ページのうち、ほんの最初の部分しか進めませんでした。このつづきを、次回、師走に参りますときにいたしますので、今回お渡しした資料をご持参ください。よろしくお願いします。
 学習会前日には、先生方の歓待を受け、たいへん楽しいひとときを過ごすことができました。いささか酔っ払ってしまいまして、そこで申し上げたことを、ここに記しておきたいと思います。それは2つの問題でして、これを先生方にお示ししたわけです。
@人権教育に関わり、ワタシたちは60年代、70年代の議論にとどまり、思想的展開がないのではないか。つまり、人権を支える規定部分として教育が存在するのは理解できるものの、たとえば、「文字を読めなければ、文字を書けなければ、人権が侵されるケースがある」ということにとどまり、人権解放の新しい理念が構築されないまま、21世紀を迎えたのではないか。もちろん、日の出の識字教室を代表としてすばらしい実践があるのを承知した上で、運動の理念が未発見で、運動継続のための運動、に陥ってしまっていないか、理念未発見のために過去の理念にすがりついているのではないか、ということを申し上げました。
 人権擁護の立場にもちろんワタシは立っています。だが、どうも人権擁護運動の新しい基本理念が樹立されていないのではないかということです。そこにつけこまれて、たとえば、小泉元総理に「人権問題は解消した」と宣言されてしまったのではないか、と思っています。
A教育の議論に市場主義原理の視線をいれ、教育者と被教育者の関係性が、教育の提供者と教育の消費者の関係性になっているとすれば、それをどう評価するにせよ、多様な課題がみえてきます。
 ワタシは、教育と経済の関わりでの議論の落としどころに、「結局、貧困家庭に経済的援助をしなければ、子どもを学校へやることはできない」という考え方から、教育財政の問題に還元するだけでなく、一般財政に教育の側から支援をこうような形では、教育の自立性を放棄することになるのではないか、と申し上げました。冷徹な経済主義は人間関係のほぼすべてを金銭的関係に置き換え、商取引としての教育を形成していきます。それは、本来的な、これまで培ってきた20世紀の教育の在り方とはまったく異なる像を提示しています。株式会社立の学校はその最たるものでしょう。
 豊かな人間形成をゆがめる形で教育の制度が変容していくのに対しての反論は多々ありますし、たしかに行政に押し切られているところもあるのでしょう。また、逆に、カルチャーコンビニエンスストアが、図書館経営に乗り出すのを不審に思う人びとも出てきました。
 教育と経済と行政。その中で、教育の側がどのような問題意識を持つべきなのか。経済の安定さえすれば、薔薇色の21世紀後半の教育の制度や内容が達成されるのか、そうした疑問です。
 師走に、また、先生方と議論できたらうれしいですね。
 今週末は、大阪で勉強会を開催いたします。参加のお申し込みをされた方々には、水曜にご案内をBCCメールいたします。
Oct.19,2015

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