日々旁午

2004


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 すいません、本日と明日、更新お休みします。やるべきことはたくさんあるのに、お誘いもイロイロありまして、お受けいたしております。ありがたいことです。
 こちらこちらをリンクしておきます。こちらなどは、自分の名前を使うのが恥かしくないのかとおもいつつリンクします。こういうページも勉強になるでしょうし、こんなのもためになります。
 先生方は、こちらへの入賞をめざしてください。では、他人のフンドシばかりで申し訳なくも、これにて失礼いたします。まあ、最後に、これで一杯やってください。(11/20)

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 富雄から平群を舞台とした奈良の事件は、ことのほか悲しい結末を迎えてしまった。ご家族の心中、いかばかりであろうか。メールに小1女子児童の写真を添付して送信していたというから鬼畜の所業である。磔程度では済まされない。
 しかし、なぜにこんなことをするのであろう。「娘はもらった」とのむごい言葉を残しただけで、身代金目的でもない。動機がわからぬ事件ほど奇怪といえる。GPSや携帯電話も無力であった。テレビで犯罪心理学の先生は、20代の若い男性の犯行である可能性が高いといっていた。
 このむごく悲しい大きな事件に隠れる形ではあるが、もう一つ、大きな事件があった。朝6時頃、ワタクシの自宅近辺での出来事である。男性が車で5人の方々を轢き逃げし、民家に車ごと突っ込んで止まった事件である。運転していた犯人が全裸であったというから不思議というほかない。なにか薬物でもやっていたのかとの推測をどうしてもしてしまう。(11/19)

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 なかなか強気な給食センターである。おそらく「食べる食べないはそちらで判断してください」との啖呵を切ったのは、センター責任者ではないだろう。他も合わせて小中18校の食事を切り盛りしているということは、かなり利益があるであろうわけで、そういう結果を残す努力をしてきた業者が、こんな迂闊な言葉を売り言葉に買い言葉でいうはずがない。福岡県犀川町立犀川中学校でのできごとなのは、共同通信が伝えるところである。
 「給食にハエとばんそうこうが混入し、調理した同県勝山町の行橋・京都学校給食第2センターが、学校からの問い合わせに『食べる食べないはそちらで判断してください』と答えていた」と報じている。何度読んでも、根性あるモノいいだなあと逆に感心してしまう。これをいった人は、ご家庭では、マグロの山芋すり潰しかけ蝿肉入りを食べているのであろう(食事中の方、すいません)。
 責任意識の欠如がこういう言葉を吐かせるわけで、中教審が栄養教諭の設置を提言、配置の増進をめざしているのもわかる理屈である。たぶんこの給食センターは、他の17校から配膳拒否され、廃業に追い込まれるのではなかろうか。考えてもみよ、我が子の給食である。ワタクシなら、バンソウコウ入りの給食を出す学校からは転校させる。学校が委託継続したら、PTAから殴り込みがあるにちがいない。それに、このセンターを継続利用する合理的理由がない。
 旁午読者よ、学校給食法のおさらいをしておいてほしい。当サイトのここをご覧になられるといい。
 人間、食いモノの恨みはオソロシイのである。(11/18)

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 いやー、忘れてました。なにがって?インターネットサイトが世界に開かれているということを。つまり、ワタクシの昨日の旁午記事は、みなさまに読んでいただけると同時に、うちの嫁も読めるのである。これで、本日の更新が遅れた原因を推測していただけると思う。
 事態は壮烈を極め、現段階では、嫁は「レトルトの乱および家事不平事件」の上申書を作成、それを訴状に副えて夢の国第一裁判所に提出したそうである。その裁きのお白洲の場に登場する方は、誰あろう、以前にも紹介したこちらの方なのである。ああ、どんな罪が待っているのか、ビクビクする年末である。
 ちなみに、嫁との闘争についての参考資料となるべきものは、人口によく膾炙したこの文書類であろう。これを読んでしまって、みなさまの勉強時間が奪われることないようワタクシはのぞむ。(11/17)

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 旁午読者のみなさま、様々な感想ありがとう。あれ以来、「第2次・レトルトの乱」は勃発しておりませんのでご安心ください。まー、しかし、こんなことをここに書いていいかどうか判断がつかないが、結婚もしているワタクシであるから、お許しを読者から勝手に得たことにして書いてみよう。
 ワタクシなどは、家事をしない奴だと、いつもいつも嫁にはクチャクチャにいわれるクチである。レトルトの乱を起こすくらいであるから、食器の正確な収納位置を憶えているわけでもなく、嫁が洗い物したあと、フキフキするのだけれど、「まーオレも、片付けくらいは少しはやらなあかんな」と、ちょいといい男ぶるときがたまにある。たまにあるというだけで多くの女性旁午読者を失うわけだが、フキたてのグラスやら皿やらを戸棚にいれるわけだ。その収納に文句を付けられる。「そこちゃう!」とホイッスルが吹かれてイエローカードとなる。これを集めてもなにかいい物をもらえるわけではないので、早々に台所を放棄するほかない。イタズラしたイヌのようである。でもね、食器をなおそうというスバラシイ気持ちをもったのを認めてほしいな。「な」だぞ、「ほしいな」の「な」だぞ!
 また、最近、洗濯物をたたむのをサボっているので、嫁の眼が厳しくなってきている。そろそろなんとかやらなあかん。と、このように飼い犬が叱られた後の心持ちなのである。毎回すぐにたたむのがいいのはわかっているのだが、なんやかんや理由をつけ、ほっぽっているわけである。
 たたまれないまま放置されて洗濯物が居間を3日間占領することもある。その占領軍放置は嫁の心理を反映しているのである。そのままあること、これはマッカーサーの怒りを買うわけである。これでも新婚ホヤホヤのときは、嫁のパンツもたたんでいたのである。ハァー。その情けなさに時折怒りが込みあげてきて、たたんだ洗濯物をガサーッと崩したこともあった。と、こう書くとまた女性旁午読者が減る。こりゃ、ズボンの乱や肌着事変が引き起こされそうな予感である。
 笑いあり喧嘩ありの平凡な日常が幸せだと感じる、人生を達観した老夫婦のようにはいかない。なんかこう、うまく調停できるところはないかな。話し合いで折り合いをつける落しどころがなかなかみつからないのである。全国男性炊事家事労働組合に加入しなければ、嫁にとりあってもらえない。
 まだある。たとえば、ある物を捨てるかどうかでガレージの役が未遂したこともある。嫁の自転車が問題なのである。これを捨てたいワタクシと置いとくねんといい張る嫁。ワタクシ「あんな自転車ほれや」、嫁「あかん。いるねん」、ワタクシ「でも、あの自転車、もう4年以上乗ってないやん、それに前輪パンク状態で3年やんか。新しい自転車あるんやし」、嫁「あかんの」。わけがわからない。
 その昔、引越しにおよんで、ワタクシの持ち物などブルドーザーで処理しやがったくせに、なにをかいわんやである。だが、そこは広い心で許そう。ただし、自転車だけはどうにかしてくれよ。
 リサイクル法の施行で、車や白物やにおいて、処分するにも金がかかる世の中である。しかし、ワタクシは、この自転車を新潟に送るつもりは毛頭ない。乗れない自転車を支援物資として送りつけてどうする。だが、いま、そういう許せないことが現実に起こっている。新潟ヘの支援物資は、送料無料だから、ゴミのやっかい払いに都合がいいということで、こうした悪行が絶えないそうである。テレビゲームを送りつけて支援になるのか。よくわからない。これにこそイエロー、いや、レッドカードである。これは集まると厳しいお仕置きがプレゼントされるよう行政に要望する。(11/16)

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 服務事故再発防止研修−えらい厳めしい名付け方だが、東京都の服務規律違反者に課した研究と修養である。この新聞の伝えるところが正しいとすれば、それはある種の踏み絵である。
 ある教員の発言、「研修では交通事故や飲酒、わいせつ行為などの服務事故についての解説があったが、日の丸や君が代の問題には一切触れなかった」というのが事実なら、まったく研修の意味はない。だいたい君が代不起立が研修義務の構成要件であったのなら、少なくとも国旗国歌法を確認するとか、学習指導要領の特別活動の章の最後の一文を読むなりしないと格好がつかない。いうなら「別件逮捕」である。
 それでなくても不当な研修なのである。思想信条の自由が認められる基本的人権を守護する立場は、公務員であろうとなかろうと心を犯すことを許さない。地方公務員法や教育公務員特例法が憲法に違反するかどうか、21世紀最初にして最大の憲法判断が期待される訴訟である。公務員の従属性はどこまで認められるのか、きわめて興味深いテーマである。
 ところで「精神的苦痛」はなにを意味するのだろう。また「精神的苦痛」と「著しい精神的苦痛」の相違はどこにあるのであろう。地裁のいう「著しい」の程度測定は、かなり主観的な結果を呼ぶ。この解釈をめぐって係争が紛糾するのは眼に見えている。心の自由に干渉しないのが国家理性の歩んできた尊い道であった。それを都ごときが踏みはずしてどうする。
 この訴訟中に不当解雇が都の強制力によって行なわれることがないことを望んでやまない。(11/15)

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 昨日は勉強会に多数参加していただき、ありがとうございました。勉強会に利用した建物が明治末年の建築ゆえ、レトロな雰囲気を感じることもできました。味のある外観と裏腹に、内部の会場は現代的でした。暖房の調子が悪かったのか、ちょっと寒かったのですけれど、それを吹きとばす熱い議論がありました。参加者は男性6名、女性6名でした。梅田の会場と違い、落着いた雰囲気がありました。
 昨日の勉強会は、3部構成をとりました。第1部は、講義スタイルの検討会です。そこでは、「教育の可能性」にかかわって、参加者の活発な報告がありました。学びんぐサポートに参加されている学生の方からの興味津々の現状報告もありました。また、保護者としても学校に関わり、講師としても学校に関わる2足の草鞋を履く立場から、冷静に学校世界を分析されたご意見もいただきました。
 配布したレジュメには、かなり文章を載せています。またゆっくり進行し、初参加の方にも気を配り、内容消化に配慮しました。その反面、消化量は減っています。しかし一方通行の講義を自己反省するこの試みは、いまのところうまくいっているのではないでしょうか。この点は、参加者にご批判いただき、常に改良していくようにいたします。
 さて、中盤は、答申の輪読です。本文を参加者に読んでいただきつつ、その意味を考えていっております。本日は、「今後の学校の管理運営の在り方について」を検討しました。中教審答申の中で、比較的最近のものです。もちろん全文を読むことはできません。まずは全体の構造を「概要」で確認し、この答申に出てくるキーワードを摘出、それを現実の学校状況と照らし合わせ討論しました。教育委員会と学校運営協議会との人事権をめぐる多角度からのご意見は興味深かったです。次回もひきつづきこれを輪読します。当サイトの「中教審キーワード」も参照してください。
 終盤の討論は、予告通り、「奉仕活動の必修化について議論してください」をテーマに設定しました。討論は静かにはじまりましたが、論理的な発言、現状と絡め合わせて実感を誘う発言、答申をベースに適確に印象に残る言葉を組み込まれた発言、など、内容豊富な時間となりました。
 昨日の旁午には、ワタクシは、戦略として、「反対」を表明しました。戦略というのはこういうことです。まず書き手であるワタクシがピシッと立場を表明する。すると、「それは違う」とか、「同意である」とか、イロイロ他者が感覚することになる。つまり論争を引き起こす意図を含めて書いているということです。是々非々主義の間には、多様な角度からの見方が捨象されており、そうした考える余地あるところが見直されることになります。あえて反対表明するということが、旁午読者の考え方を引き出すことを期待しているわけです。
 そうした意見のひとつに、討論でも提出されましたけれども、「必修化は奉仕活動を知るよいきっかけになる」というのがありました。また、提案として、「必修ではなく、選択制でできないか」というご意見もありました。それから、ワタクシが昨日の旁午で見落していた観点として、「奉仕活動の必修化に伴う評価をどうするか」という論点もでてきました。
 このほか出てきたご意見を羅列する形であげていきますと、必修化はどうかと思うが紹介はいい・教員が生徒に対し具体的経験を語れるので、大学のボランティア活動は意義がある・奉仕活動は感謝の気持ちをもらうことである・奉仕活動は数値化できない・まわりから自己の奉仕行為がどのようにみられているかによって自己評価する・奉仕活動をしてみてその楽しさを学ぶ・日々の学校生活に奉仕活動の成果をどのように生かすか・奉仕と必修との矛盾や偽善性を感じるが、やってみておもしろいと感じることも事実・評価は加点式でやる・総合学習と同じく評価は数値化しない・自分が役に立っている自覚が生れ、自分の存在意義を確認できる・自主的に社会貢献をする意欲があるかどうか、それを必修化は育てられるか・必修化は強制化でもある・自発性と無償性と継続性をどう考えるか・やらされて来る「ボランティアさん」の問題をどう考えるか・奉仕活動先が被害を受ける場合もある・ボランティア精神と必修化は相反する精神である・阪神大震災の経験から考える・就業体験とのかかわり、などなどです。
 この秋合格した方も参加いただき、討論参加者に対する客観的な評価もしていただきました。討論参加者の発言内容についてはもちろん、参加者の雰囲気についてもコメントいただきました。
 さて、次回は27日土曜に開催します。いつも書くことですけど、様々な方を受け入れる包容力をもつ会合であると自負しています。それはワタクシだけでなく、継続して参加してくださっている方々のお気持ちでもあるでしょう。今後もサイト浩の教室と、その実践版の勉強会をよろしくお願いいたします。お申し込みはこちらです。(11/14)

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 昨日予告したように、奉仕活動の必修化について書こう。だが、その前にこの問題に対するワタクシの基本的立場を示す。反対である。
 反対の根拠は、都教育庁が、「『自分の意志で行うわけではないので、ボランティアという表現は使わない』と説明」しているところに、いささか疑問があるからであるからである。もちろんそのほかにも反対の理由はある。それにしても高校において奉仕活動を単位認定する意味は、どこにあるのであろうか。それも考えなければ、制度化の意味を問うことにならない。制度化、必修化の根拠は、都教育庁によれば「進路」を深く考えることにあるらしい。
 以上の記述を前提に、思うところを示す。
 第1に、奉仕活動は進路指導の決定打になるだろうか。誤解をおそれずに喝破すれば、多様な可能性のある高校生に、年間35時間程度奉仕活動を義務付けたところで、それがなんになるのだろう。進路は大切である。だが、「約6割の高校は『学校の周辺を掃除する』程度。生徒の人生観に影響を与えるような成果が出ているかどうかは分からない」という現状が物語るように、計画倒れならぬ設置倒れになるような気がする。しかも、大学進学率が45パーセントを超えるか超えないかの数字にあって、高校が奉仕活動を担当する意味は、なんなのであろうか。
 第2に、これ以上、教科教育の授業時数を削って、どうする気なのであろうか。それでなくとも総合学習で奉仕活動とよく似た学習が行われるのをもともと期待されているのに、屋上屋を設けることになりはしないだろうか。おそらく各高校は、両者をセットにして実践するにちがいない。そうすれば都教育庁に対しても面目が立つし、教育課程編成の歪みがあらわれないで済むからである。
 ということは、はなから空洞が予想される時間であって、進学校においては「奉仕活動」=主要教科学習の時間、となりかねない。中学校の「道徳の時間」がそうであるように。ただし、少しばかり「道徳の時間」の本質的な消化率が向上していることは統計にでている。さらに週5日制の意図はなんだったのか。
 第3に、「自分の意志で行うわけではない」と都教育庁みずからいわざるをえない自主性不在の教育活動に、はたして積極的な意義が認められるであろうか。プディングの味は食ってみなければわからないの諺は真理であろうが、強引に掃除をせよと勧めたところで、生徒の自主性を育てる教育的意志を放棄しているように受け取れる都教育庁の言葉からすれば、あぶなっかしいといわざるをえない。生徒の学びへの自発性を根底におく指導でなければ意味はない。ましてそんなことで進路を考えるきっかけになるだろうか。
 国家予算の配分確定過程を模して、教育界に復活折衝があるとすれば、この35時間の配分は、各教科主任に再分配されるであろう。
 本日の勉強会、問題提起的に書いた以上のポイントについて、イロイロな刺激をくださることを期待しています。集団討論のテーマは、ズバリ「奉仕活動の必修化について」です。(11/13)

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 旁午読者のみなさま、すまない、本日はこれで勘弁してください。はまると困る事態になるけど、このサイトのせいで、本日の更新お休みになったわけではありません。
 ここ2、3日、教育系ニュースが少ないなと思っていたら、奉仕活動必修化という大きな問題が出てきて、これをどう斬るか迷っているのです。それは明日ということにします。そしてそれが13日勉強会における話題の種になることを願っています。(11/12)

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 暦の上では秋なのだが、どうも暑い。いつもなら、来たる風に寒さと冬の到来を感じ、熱燗をほしがる季節である。天候不順は野菜の価格高騰をもたらし、鍋物を控える家庭が増える。これでまた熱燗が遠のくダイニングとなろう。世のお父様方の嘆きが、寒さを感じさせない風にのって伝わってきそうである。
 だが、単車を趣味とするワタクシやワタクシの仲間たちにとっては、暖かい秋冬は歓迎である。外気に身体を晒している危険は、同時に季節を感じるメリットでもあった。しかし寒さには閉口し、冬支度する愛好家も少なくないのである。それがとりわけ足の寒さを気にせずライディングできるのであるから素晴らしい。
 冬のツーリング、ホッとする瞬間はどういうときか。それはトンネルを走っている時間なのである。車にしか乗らない方は驚かれるだろうけど、数百メートルつづくトンネルは、あったかくてよろしいのである。それにエキゾースト音がコダマして、ああ、単車に乗っているのだなと自覚させられる。トンネルの出口を抜け出すと、眩しさと寒さがまた身を襲う。もちろん法定速度は遵守である。トンネル出口はネズミ取りの格好の場所だからである。そして次のトンネルを待ち望む。
 現代、自然との一体感を感じる方法はあまりない。単車は、ワタクシにとって、その一体感を味わわせてくれるありがたい乗り物なのである。
 学校では、いまでも3ナイ運動をやっていることと思う。だが、安全教育を徹底し、正しい乗り方や扱い方を教えればいい。世にいうほど害のある乗り物ではない。頭ごなしにダメといったところで、効果はないだろう。警察主催で安全運転講習も安価に行われている。そうしたところで訓練すれば、心身ともに鍛えられる。心に響く安全教育が、ゴールド免許証を手に入れる前提となる。時速200キロを出したければ、サーキットへいけばいい。絶対にキップをきられることはない。
 さあ、残り少ない秋、どこへ出かけよう。寒くない風が呼んでいる。(11/11)

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