日々旁午

2005


日々旁午・表紙へ 浩の教室・トップページへ

ようやく明治村見学ページをまとめました。当サイトをご覧のみなさま、残念ながら、ご参加できなかったみなさまに、お届けいたします。
(11/8)

日々旁午・表紙へ 浩の教室・トップページへ

この週末は、Tsudoiに多数ご参加いただきありがとうございました。明治村見学については、別にページを用意し、その様子をお伝えいたします。

 遅れていた第56回勉強会における集団討論の模様をお伝えいたします。討論のテーマは、「児童生徒、保護者の求める教師像とはどのようなものであると考えますか。議論してください」というスタンダードなものでした。この討論に、男性3名、女性4名の方に25分間で挑戦していただきました。このテーマのミソは、いうまでもなく、「自分の考える教師像」ではなくて、「他者から見られるところの教師像」を考えるということです。教員をめざすワタクシたちが児童生徒や保護者から、どのように見られているか、客観的にそれを理解しているかあるいは客観的にそれを捉えられるような能力をもっているかどうかがポイントとなります。すなわち自分の理想の教員像を考えるだけではないということになりますね。教員はつねに自分が見られている存在であるということ、いわば「籠の中の鳥」であることを自覚しないといけません。小人閑居して不善をなしてもいけませんし、君子は独りを慎むといっても、苦しくなりすぎてはフラフラになります。

 さて、討論はAさんの発言からはじまりました。曰く、児童の求める教師像と保護者の求める教師像とはちがうので、分けてかんがえましょう、と。まず児童からどんな教員が求められているか。Aさんは、公平な先生、えこひいきしない先生、といわれました。Eさんがこれを受け、児童生徒から信頼を勝ちとるためには、ひいきをしないのはもっともであるとし、さらに、児童生徒のいっていることをよく理解する先生が求められており、私たちにはカウンセリングマインドを備えておく必要があるのではないか、と述べられました。Fさんは、一人ひとりの児童生徒がしっかりみてくれているなぁと感じるような、安心感を児童生徒にもたらす教員が求められていると発言されました。また、Dさんからは、一緒に何かをしてくれる教員が求められている。児童生徒にかまってやれる時間を作る教員が信頼を得ることもできるし、児童生徒も求めている教員なのではないかと述べられました。みなさんが、実践的な側面から発言されているのがわかります。

 一方、Bさんからは、自分に寄り添ってくれる教員、児童生徒に何かあれば、すぐに発見してくれて、「どうしたん?」と声をかけてくれる教員が理想ではないか、そういう先生に出会ってきたし、私もそうなりたいと語られました。Cさんからは、授業中でなくても、話しかけたら必ず親身に聞いてくれる教員が求められているといわれ、Gさんからは、児童生徒の一人ひとりのよさを理解してくれる先生といわれました。Cさんのいわれる像は、休み時間や給食の時間など、生徒指導圏内においても児童生徒に溶け込める教員としての資質が、児童生徒にも求められている態度であることを示してくれています。Gさんのいわれる像は、先生に「よさ」を認められたある一人の児童生徒を他の児童生徒が見て、「ああ、あの子ちゃんと先生にみられているなぁ、わたしのことも、先生は、きっとちゃんとみてくれているんや」と思わすことのできる教員、という意味の像も含んでいます。

 以上のように、参加者各自が描いている求められる教師像が表現され、次に、ではその描いている求められる教師像にどうすれば近づくことができるか、方法論を述べましょう、とAさんが発言し、ご自分の提出された「ひいきをしない先生」になるため、児童生徒からひいきをしていると誤解を受けないようにするにはどうすればいいかを具体的にいわれました。すなわち、児童生徒に対し教員の反応が違うことは間々ある、それには理由があって、児童生徒一人ひとりには個性があり、違いがあり、それに対処しているんだ、ということをしっかりいうことが大切であるといわれました。「差別」をしているのではなく、あなたたちをしっかり見ているからこそ、一人ひとりに見合った充実した指導を考えているのである、それをひいきと見做さないでほしいと学級活動の時間ではっきりさせたいと具体的に提言されました。

 Gさんは、児童生徒をしっかり見ているということを示すために、日々の学校生活において、その日あった「よかったこと」を紹介し、児童生徒のよい面を指摘することが、児童生徒から信頼を得るようになる教育的営みであるといわれ、次のような事例を述べられました。それは、ある児童が骨折していて、その子の代わりにカバンを持って運んであげているのをほめ、手伝いしている姿を紹介したことです。すると、クラスから拍手が起こったそうです。こうした小さいながらもその児童生徒にとっては必死なこと、あるいは、やさしさからしたことをピックアップし見逃さない観察や指導を、一人ひとりの児童生徒を対象に積み上げていくことは極めて大切なことでしょう。

 Eさんは高校志望の立場にあり、生徒と接する時間としては授業中にほぼ限定され、なかなかコミュニケーションがとれないと語られました。目立たない生徒と接することが難しいのをどう解消すべきか。昼休みの時間などに、できうるかぎり補ったそうです。高校における「一人ひとりを見つめる指導」が小中とちがう難しさを持っていることを小中希望者も知る必要がありますね。一貫教育を視野にいれれば、こうしたことを参加者同士で理解しあうことは重要なポイントでしょう。Dさんが、休み時間に多くの児童と話をするといった小学校における当然の指導も、高校では意味が変質してくるのでしょうね。高校における個々を知る指導は、進路と密接に関連してきますし、小中のようにいわば手取り足取りで対応するのは、自主性尊重の点から「やりすぎ」になってもいけない。準義務教育といえる高校には、それに応じた高校の指導がありますから、それを充実させる方法をまとめておくことが必要ですし、同時に、小中など他校種の方々にも期待します。その逆も是非とも必要です。特別支援教育を考えるのも重要ですね。

 Bさんからは、思春期にある中学生は内面に問題を抱えていることが多く、生徒が表になかなかあらわさないところをどう汲み取っていくべきか悩まれているようです。日記の活用や部活動の活躍を見ることによって生徒理解を深め、彼らの求める教師像に近づきたいと述べられました。Fさんは、学級通信の発行を通じて、そうした多様な児童生徒の有り様を保護者にも伝えていくと方法論について発言されました。Cさんは、どの子もしっかり評価したいという観点から、授業中、よくできる子もがんばってほしいなと思う子も平等にあてたいといわれ、さらに、評価の方法も、プリントを対象にするなど、児童の声にならない、または声にしないところをも評価したいと述べられました。どんなシートであれ、書かれたものは児童生徒からのメッセージです。そうした地道な作業が、児童生徒から信頼を得る結果になりますね。

 討論は、筋書き通りの展開がつづいているようで、次にAさんから、「それでは保護者から求められる像とはどのようなものでしょうか」と提案があり、Aさんは、学力をつけてくれる教員と述べられました。この提案に対し、それぞれの参加者の発言をあげますと、けじめのある教員、やさしいだけでなくきちんと叱れる教員、確かな学力をつけれくれる教員、礼儀作法も注視してくれる教員、しっかり教科担当してくれる専門性を備えた教員、愛情溢れ、豊かな人間性を備えた教員、授業研究を欠かさず学習面における指導力のある教員、と、多様な教員像が提出されました。

 このように各参加者から像の提案があって、そこに楔を打ち込むように、Fさんから「保護者の求める像と児童生徒の求める像とは一致するものではないのか」と、しびれる発言がありました。児童生徒が学習面で感動し、学校生活面でリラックスし、学校が楽しいと思うようになる。つまり児童生徒がよいように変わってくる。このように児童生徒がイキイキと転換していく姿から、保護者は教員を評価するのではないか。だから、児童生徒にとって「いい先生」とは、保護者にとっても「いい先生」であり、そうでなければならないのではないか。児童生徒から評価を受ける先生であれば、保護者からも「あの先生になら相談できる」と評価を受けるのではないか。しびれました。ワタクシも聞いていてしびれたのですが、進行役的なAさんも内心しびれていたのではないかと思われます。

 Cさんは、このFさんのご意見を受けつつ、保護者の話をしっかり聞く先生はたしかに求められているし、その結果、親も子も落ち着くようになると発言され、Fさんも、保護者からも児童生徒からも信頼される教員になるための個人的な努力を披露されました。環境問題を検討し、大阪のある浜辺の清掃活動に従事するなど地道な活動を学習指導に位置付け直し指導しているとのことです。

 Fさんは、先の発言を補強しつつ、目立つ子だけでなく「よってこない子」に教員の側から積極的に働きかけていくのが大切であろうと述べられ、Gさんからは、一人ひとりの「児童生徒観察ノート」を作って、声をかけられなかったり、指導が行き届いていなかったなと思われる児童生徒に、次回、何かいえるようにしたいと述べられ、教員が秘蔵する反省ノートを用意すると語られました。

 ここで25分が過ぎ、終了です。

 今回の討論は、Aさんの司会的誘導によって、聞きやすさや安心感を面接官側にアピールしていると同時に、その枠組みを超えた場合にはどういうようにすべきかがあらわれた議論でした。集団討論とは本当に難しいものですね。このテーマが出題されたとき、Aさんの頭の中では、「児童生徒の求める教師像⇒それに近づく具体的方法論⇒保護者の求める教師像⇒それに近づく具体的方法論⇒まとめ」という設計図があったはずです。この筋書きに対し、分けなくてもいいと感じられていた参加者もいたはずです。事実、あとのコーヒー会でこの点についてみなさんからお聞きしたところ、3名の方が分けられてどうすればいいかなと迷ったといっておられました。7人の討論ですから、ほぼ半数の参加者が、いわば「窮屈感」を持ちながら議論に参加していたことになります。このあたりの解消策、改善策はどうすればいいでしょうか。筋書き通りの進行は、それはそれで進めやすいし、整理された進行は、聞く側にとって予想もある程度できるし心地よいのも真理です。

 筋書き通りは、発言しやすいという最大のメリットを持つと同時に、そこから逸脱した意見をいうと、協調性がないのではないかと勘ぐられる危険性もあると認識する参加者もでてきます。

 しかも、本番当日はどんな参加者と一緒になるかわからない…。主導権の取り合いになるかもしれない…。

 この点については、次回、11月19日に開催する第57回の勉強会でちょっと議論しましょうか。ではまた。
(11/7)

日々旁午・表紙へ 浩の教室・トップページへ

本日と明日、当サイト主宰勉強会のメンバーで、明治村に見学に参ります。したがいまして、日曜日は更新お休みします。明治村の模様は、いずれ写真を交えてご紹介いたしますね。
(11/5)

日々旁午・表紙へ 浩の教室・トップページへ

昨日は当サイト主宰第56回勉強会に多数ご参加いただきありがとうございました。また、今回は、大阪市の現役の小学校教諭(女性)の方に、ご好意から来ていただき、イロイロとご指導、ご指摘をいただきました。ありがとうございます。現役の先生のお言葉は、これから先生になりたいと強く願い、この勉強会に集っているみなさんにとって、参考の上にも参考になるものです。来てくださることに金銭的なお礼もできない、こんなちっぽけな勉強会に力を貸してくださることに、感謝の気持ちでいっぱいです。さらには、勉強会終了後のコーヒー会にもつきあってくださり、現場に立つ立場から、教員としての心構えも教えてくださいました。本当にありがとうございます。また、機会がありましたら、是非とも叱咤激励お願いします。
 今回も、新たにお見えになられた参加者がいらっしゃいました。いかがだったでしょうか。主宰者として、アットホームな、楽しい雰囲気を充満させるべく努力しておりますので、今後もよろしくお願いいたしますね。
 さて、上に述べた先生も、新しくご参加いただいた方も交えて、当日は、「人権教育報告」を検討することからはじめました。前回の戦前・戦後の同和教育史の解説を経て、調査研究会議の問題意識を探り、具体的に人権教育をどのように指導していけばいいのかを議論しました。時間の関係で、ワタクシがちょっとお話しし過ぎた嫌いがありました。解説をしっかりしなければならないと焦り過ぎていたようです。もう少し、参加のみなさまからご意見をいただく空間を作るよう、次回、進め方に考慮いたします。勉強会開催時間は1回あたり4時間しかありません。この時間を休憩を挟みつつ、いかに密度濃く有効に使うか、しかし、あまり緊張しないように使うか、悩みが尽きません。今回で、「人権教育報告」は終了しました。付属の関連問題が完璧にできるようにしてくださいね。次回からは、キャリア教育の報告書を検討することにしましょう。今後は、このキャリア教育、学校組織運営、地域運営の順に解説付属資料を配布し、実施していこうと思っております。重要答申がなされれば、それをも視野に入れつつカリキュラム構成を改変してまいりますので、みなさまからもご意見くださいね。
 次に大阪府の過去問検討をいたしました。今回は、TIMSS、PISAのまとめ、そして指導要領にかかわり、15年度版ではどこをどう「充実」させているのかを確認いたしました。「2005年夏1次向け予想キーワード編」にもポイントを載せていますのでご参照ください。10年版指導要領⇒ゆとり教育⇒PISAテスト⇒知の側面の充実⇒ゆとり批判⇒15年一部改正、という近時の歴史的文脈を押さえることが先決となります。文部科学省のねじれた行政方針を読み解き、それをそれとして理解すること、そこに現場の実態を重ね合わせること、そうすれば乾いた教職教養に生気が戻るのではないでしょうか。
 最後に集団討論に挑んでいただきました。大学3年生の方も、もう数回挑戦されて、ある程度「度胸」がついてきたのではないでしょうか。新しくご参加いただいた方は、緊張されたことでしょう。でもそれでいいのです。初参加で緊張しない方なんていません。しかし、本番ではもっと緊張したことでしょう。そうした「苦しみある緊張感」を「ほどよい緊張感」に転換していくことが、来年夏に向けてのひとつの課題です。討論や面接は場数です。経験です。話し慣れること、緊張を排除してご自身をみせること、ご自身の言葉で語ること、これが大切です。今後も徐々にそうした自分自身を作っていきましょう。そうした成長に、今回来てくださった先生や、今後来てくださるルパン先生、れのん先生がサポートしてくださいます。ワタクシもちょっとはお役に立つよう努力しますね。
 討論の模様は、Tsudoiの終わった来週はじめにまとめることといたします。あす、あさっては、Tsudoiとして、愛知県犬山市にある明治村を見学いたします。日本に数あるテーマパークの中で、もっとも価値あり充実しているパークです。
(11/4)

日々旁午・表紙へ 浩の教室・トップページへ

前回更新につづき、討論の模様をお伝えいたします。集団討論は、7名の方に25分間でがんばっていただきました。仮にA〜Gさんとして議論を再現していきましょう。

 ところでテーマをどのように料理すればいいのか、かなり苦しんだというコメントを参加者の中から討論終了後いただきましたが、たしかに「テレビゲームをさせない主義の保護者についてどう考えるか」の出題意図を考えること、これの「読み替え」を行なうことが、最初の関門となります。

 果たしてこのテーマの真意はどこにあるのでしょうか。普通はテレビゲーム容認の保護者にどのように注意すべきかを、学校の教員としてどのように説明し伝えるか、このケースを考えさせるのが一般です。ところがそうではなく、テレビゲームをさせないわけですから、どちらかというと教員にとってはありがたい存在の保護者であると捉えられるのです。テレビゲームをさせない主義の保護者像を描いてみることが大切でしょう。この保護者はいわゆる「教育ママ」なのでしょうか。それとも「貧困によってゲームを買い与えることのできない保護者」なのでしょうか。ここをご覧のみなさまは、どのような像を頭に浮かべますでしょうか。

 次に、このテーマは、テレビゲームと保護者と、どちらに重きをおいて議論するべきなのでしょうか。これも問題です。テレビゲームの功罪にアクセントをおき過ぎると、テーマの本質からズレることになります。このテーマは、やはり対保護者について、教員をめざすワタクシたちの態度を問うているものでしょう。そうワタクシは判断しています。したがって、学校と家庭をつなぐパイプのなかで、テレビゲームに関する児童生徒意識をどのように考えるかであると思われます。

 さて、議論は最初、空白がつづきました。さすがに問題が難しいのか、なかなか言葉を発する参加者がいませんでした。そうした中で、Aさんが、テレビゲームをさせない保護者の態度に賛成か反対かを聞きたいと参加者に提言されました。そしてAさんは、こうした保護者の態度に賛成であり、児童生徒にはゲーム以外にもほかにたくさんすることがあるはずで、その時間を確保することをこの保護者は考えていると発言されました。と同時に、しかしテレビゲームを児童生徒がすることには否定しないし、保護者のコントロールの下でけじめをつけて遊ばせるのがポイントではないか、と付け加えられました。

 Fさんは、テレビゲームに熱中しすぎる児童生徒が増えているのが問題であるといい、それは必然的に外で遊ぶことをなくし、体力の低下を生じさせるし、児童生徒同士のコミュニケーションを減少させるといわれました。この発言の仕方は、いずれかといえば「ゲーム」にアクセントをおいたものでしょう。Gさんは、この保護者の態度に賛成の立場であり、長時間ゲームをすることが児童生徒から集中力を奪うといわれました。ここは少し説明不足で、なぜ、集中力が奪われるのか述べたほうがよかったです。また、いわゆる「ゲーム脳」の問題を指摘されつつ、テレビゲームが感情を抑えきれない児童生徒を、知らない間に作ってしまうのではないかと考察を加えられ、「キレ」る児童生徒の増加をもを心配していらっしゃいました。

 Eさんは、この保護者の態度に反対であると明確にご意見されました。問題は、テレビゲームをさせる、させないにあるのではなく、させ方にあるということです。学習、勉強と休憩とのけじめをつけ、どのようにストレスを発散させるかか問われているのではないか、と喝破されました。また、どのようなタイミングにおいて、テレビゲームでリフレッシュするかも考えないといけないと発言されました。

 一方、Dさんは、テレビゲームをすることに賛成とも反対とも思いがつかないが、しかしテレビゲームには暴力的な構成のものが多く、さらに、児童生徒における現実と仮想の世界の混同を心配するとご意見されました。Cさんも、現実と仮想の世界の垣根が崩れる事態を心配され、テレビゲームの主人公が「殺されても生き返る」ことから児童生徒の世界観にも影響を与える点、いわばリセットの思想を指摘し、なにも指導しないままであるのはよくないと発言されました。Bさんも、上のような文脈から、テレビゲームの問題は、命を大切にすることの指導=道徳指導につながっており、それを学校は日常的に指導している、だからこうした問題と絡め合わせて保護者対応しなければならないのではないかと話されました。

 こうして参加者のそれぞれの第一発言は終了し、それぞれの方の考えていらっしゃるところがおぼろげながらわかってきました。

 このあと議論はどのようにすすんだのでしょうか。Aさんは、児童生徒のコミュニケーションの世界が携帯機器に向かっている、このことを考えると、携帯電話を与えない主義とテレビゲームをさせない主義が重なり合っているのではないかといわれました。保護者像を明確にしようと懸命な様子がうかがえますし、このテーマをどう扱うか、問題点の抽出に苦労している様子がありありとうかがえます。FさんはこのAさんのご意見を受け、携帯とインターネットのつながりを指摘し、児童生徒のサイバー空間における安全面の問題を指摘されました。児童生徒の安全を保護者に自覚させることが大切であるとのことです。

 このAさんとFさんのやりとりは、テーマにどう切り込んでいくかに苦心した上でのものでした。議論の全体からいえば、この安全面のやりとりはこの瞬間だけでした。ゲームそのものを云々する議論に埋没することを怖れたゆえの発言だったのでしょう。しかし、ちょっと飛躍しすぎた感もありました。でもこうした積極性はよいことです。今後につながります。

 一方、Bさんから、ゲームをし過ぎて夜更かしさんが増えているのをどうするか、とご意見がありました。また、コンビニで夜遅くまでゲームをしているのは児童生徒の成長に悪いと言及されました。保護者の子育て思想にもかかわる発言ですね。

 Eさんから、テレビゲームについて教員が保護者に説明することも必要ではないかと発言がありました。テレビゲームをさせると、どういうことがおこるのか、メリット、デメリットの両面を保護者に話すことが重要ではないかと指摘されました。Aさんは、これを受け、テレビゲームをさせる主義の保護者もいる。その場合は、テレビゲームの攻略法についてなど、児童生徒と保護者のあいだで話がはずむのではないか、と述べられました。昔は親子でキャッチボール、今は親子でゲームということですね。いいか悪いかは別として、親子のあいだのコミュニケーション形成の方向に議論が進んでいることは、テーマを深めているといえるでしょう。また、「ゲーム脳」については児童生徒だけでなく、保護者もそれほど理解していないので、場合によっては授業や特別活動の時間に話してもいいのではないかと述べられました。

 このように学校を舞台にこのテーマを考えていこうという雰囲気がでてきて、具体的な児童生徒の様子が報告されました。すなわち、Gさんが講師の体験から、児童生徒が、朝、学校に来たとき、何時間寝たの、ゲームはどのくらいしたの、と聞いてみたそうで、ゲームに費やした時間を2時間以上と答えたケースもあったそうです。いつするの、との問には、塾に行く前にリラックスするためにテレビゲームをする、ということです。Gさんは、ゲームを2時間以上もすることに危機感を持ち、1時間程度にできないか考えられたそうです。学習意欲の低下が考えられるからです。児童生徒にゲームをする時間の自己制限ができないか本気で訴えられていました。この報告から、Fさんは、「2時間はやり過ぎやろう」との声が上がり、身体的に悪いと断言されました。こうした点で、健康管理を学校は行なうべきであると発言されました。この発言の裏には、勉強会終了後のコーヒー会で語られたように、ご自身の経験があって、「気がついたら朝だった」というようなゲームのし過ぎの自己反省が発言に真実味をたずさえさせていましたよ。自分で自分のことを律することの難しい小学校低学年であれば、スケジュール管理も視野に入れ、保護者と共同歩調をとるべきではないかと述べられました。

 ここで、重大発言がありました。それは、「保護者はテレビゲームをさせたくない、しかし、児童生徒はしたい。どうしたらいいのでしょうか」という問題提起です。Cさんからでした。この発言がなぜ重大発言であるのかは、おわかりになるでしょう。親子の意思疎通のうまくいっていない状態を指摘しているわけで、テーマの本質をえぐった提言といえるからです。テレビゲームをめぐる親子喧嘩は日常茶飯であって、どの家庭でも児童生徒が長時間ゲームをすることに対し、叱りたい気持ちがあるのではないでしょうか。そこに気付き、ここに教員の立場からなにを示唆できるか、重大な問題です。この提起を境に、議論は豊かになったと思われます。

 Cさんの発言に刺激され、Eさんから、なぜ児童生徒がゲームに夢中になるのか、ひょっとすれば学校が楽しくないのかもしれないと発言があり、それはいじめられていて、ゲームの世界にはいっているのかもしれないと予想され、児童生徒のパーソナルな教育的背景をつかむことが必要と述べられました。これも重要な指摘です。

 CさんもEさんも、テーマの背景をどのように立論すべきかということにおいて重要な視点を用意されたといえるでしょう。集団討論における効果的な発言の仕方です。

 つづいてDさんから、テレビゲームのし過ぎは運動能力の低下をもたらし、こうした遊びに時間制限を設けるべきと述べつつ、児童生徒の話にも耳を傾けることが大切であると発言されました。児童生徒と同じ目の高さに立って指導するとはよくいわれることなのですが、これはことのほか難しいものです。ワタクシは、こう書かれた論作文を何枚も見てきましたけれども、書くのと実践するのこととの間には、ものすごく深い谷があると思っています。以上の感想は、Dさんの発言を批判するわけではなく、議論を聞いていたワタクシの感想です。Dさんは、また、保護者の家庭における指導力についても言及されました。大人社会でコミュニケーションをどのようにしてとるか、保護者である大人も苦しんでいると。親のコミュニケーション能力についても、たしかに疑問を感ずるところがあるでしょう。この発言は、教員の家庭に対する一定程度の教育的指導を必要とする事態を指摘したものといえますね。

 そこで、Gさんから、保護者と連絡がとれない場合、どうするべきかと問われ、教育実践として生活習慣改善ノートを用意して、児童生徒に日常を「ふり返り」させることが大切であると指摘されました。このノートを媒介に教員と家庭と児童生徒の三角形が連携可能ということですね。

 Dさんは、テレビゲームをするのは、部活動をしていないからかもしれないと推測され、興味のあるクラブやボランティア活動に児童生徒を誘ってみるのもテレビゲームのし過ぎから離脱させる指導になるといわれました。児童生徒の時間の有効な、そして社会的に意義のある活用方法に目を向けられたと評価できます。Cさんも、Dさんの指摘を受け、地域社会と児童生徒とのかかわりを述べられました。

 Fさんか、Dさんか、ワタクシのメモが追いつかず、ちょっと発言主体がはっきりしなかったのですけれど、テレビゲームをすることが児童生徒にとって一番楽しみな時間になっていることをどう捉えるべきであるのか、そして、そうであるとして、代替案はあるのかと提言されました。おそらくDさんでしょうけれども、仲間、時間、空間の3つの「間」をどのように自己形成させるかが私たちの実践として重要であると指摘されました。

 ここでタイムアップ。

 さて、少しだけワタクシの方から箇条書き風に感想を述べますね。

 ひとつは、ゲーム脳ってなんですか、ということです。わかったようでわからないことは、しっかり概念説明がほしいところです。言葉の概念が集団で共有されないと、何をトピックにしたいのかわからなくなります。そしてそれだけでなく、聞いている採点官も不審に思うことでしょう。それは、ゲーム脳だけでなく、今後、あらゆる議論において登場が予想される「聞きなれない言葉」、「難しい言葉」に共通することです。

 それから、テレビゲームをすることは、私的領域であって、そこまで学校がなにかいうことは、いいのかどうか。学校外の時間帯をどのように活用するかまで踏み込んでいいのかどうか。ワタクシはいいと思います。いいとする場合でも、学校の先生の指導の限界や線引きをはっきりさせる発言があってもよかったと思っています。

 また、山村留学が奨励されていることや、自然体験活動の充実を期待する教育行政と、テレビゲームをさせない主義の保護者との関連性はどのようなものでしょうか。

 一番最初に家庭と学校のパイプということをいいましたが、家庭訪問でテレビゲームについて保護者と個別に議論するということも必要でしょうね。

 Cさんの問題提起を重要といいました。ここに時事的要素として、長崎の事件を絡めてもいいでしょう。

 今回のテーマのように主題の意図を見抜くのが難しい場合、あらゆる角度からなにかいってみることも必要です。そこからブレインストーミング的になにかが生まれるかもしれません。今は練習の期間ですから、思い切ってなんでもいってみましょう。

 あす、第56回の勉強会を開催いたします。多数、お申し込みありがとうございます。あすのテーマは、もっとも基本に立ち返り、「児童生徒、保護者の求める教師像とはどのようなものでしょうか、議論してください」です。今夏の大阪府の出題です。さて、どんな議論が繰り広げられるでしょうか。あすは大阪市小学校の現役の先生がお見えになります。多彩なご指摘、現場から見たご指摘がいただけるでしょう。
(11/2)

日々旁午・表紙へ 浩の教室・トップページへ