日々旁午

2006


みなさま、更新ご無沙汰で失礼しておりました。スイマセン。

 18日土曜日は、「浩の教室■TSUDOI」の日でした。お集まりくださった25名のみなさま、ありがとうございました。こうして、当サイト主宰勉強会で出会い、切磋琢磨してきたみなさんが、一堂に会してくださって、シミジミよかったなと思っております。非常に楽しい2時間の宴となりましたね。みなさん一人ひとりから、勉強会の思い出や4月以降の抱負も聞くことができました。富山、東京、大阪、兵庫、滋賀、三重、名古屋、愛知、それぞれの地で、学びの種を蒔いてくださいね。

 お忙しい中、現役の先生方にもご参加いただき、この4月から新規採用されるみなさんに「お言葉」をかけてくださいました。K先生、Y先生、ありがとうございました。きっと合格者たちは、そのいただいた言葉を胸に、それぞれの配属先で、がんばってくれることでしょう。また、司会をかって出てくださったTさん、Hさん、ありがとう。でも、集団討論よりラクだったでしょ。

 今回、あかんかった方も3名ご参加くださり、合格者から、その方々にエールをおくりました。一緒に勉強していても、あかん場合があります。それが現実で、「試験」というものでしょう。苦しい中、めげずによく参加してくださいました。

 今年度の合格者には、新卒採用の方もいますが、何度も落ちて今年とおった方もいます。その中には、13回目のチャレンジであったとか、5回目であったとか、それぞれ苦しみぬいて、ようやく採用となった方がいます。あかんかった気持ちを十分理解していると思います。その、苦しみを知っている合格者から、今年あかんかった方にエールをおくっていただきました。「他人より10パーセント多く勉強しよう」、「あきらめないで努力すれば必ず実る」、いい言葉でした。何度も悔し涙を流して、ようやく合格した方からの言葉だけに実感があります。

 合格し勉強会を卒業するみなさん、来年を目指してがんばっている方に、どうか力をかしてやってください。すでに、2次合格報告のために勉強会にご参加いただいている方もいらっしゃいまして、ありがたく思っています。またちょくちょく来ていただいて、集団討論や個人面接にコメント付けていただくようお願いいたします。ワタクシの言葉よりも、あるいは合格した方からのコメントのほうが、価値があると思われるからです。

 合格したみなさんのために、TSUDOIの席上で、少しばかりお話させていただきましたが、「合格した君へ」も用意しております。読んでくださいね。今年、勉強会出身者の8割が合格しましたが、それを来年度も実現したい。すでに来年を目指して新しく参加してくださっている方が多数いらっしゃいます。

 合格したみなさんは、今後忙しくなるでしょう。しかし、ワタクシが示したボランティア精神を理解してくださるなら、その忙しい時間の数パーセントを、みなさんにつづく後輩たちに割いてくださいね。25日は満席になりました。その方々に、今後もアドヴァイスをお願いします。

 TSUDOIにつづいて19日は、第96回勉強会の開催日でした。2次合格報告と、議論のたたき台となる教育学講義、大阪府過去問解答解説、集団討論を内容としました。その模様は明日と明後日の更新にいたします。

 なお、来年1月からの勉強会の参加受け付けは、12月半ばくらいから開始します。「ご案内のページ」をご覧ください。「受付まだです」が「受け付け中」に変ります。しばらくお待ちくださいね。
(11/20)

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あす18日は、「浩の教室■TSUDOI」の日です。今年度合格されたみなさま、おめでとう。みんなで祝いましょう。そして、来年に向けてがんばっている方に、エールを送りましょう。よろしくお願いします。

 そして、あさって19日は、当サイト主宰、第96回教育学勉強会を開催いたします。ご参加のみなさま、よろしくお願いします。当日は、議論のたたき台となる教育学講義、大阪府今夏1次問題の解答解説、集団討論です。集団討論のテーマは、「『教育は人なり』とはどういう意味か、議論せよ」です。哲学的な掘り下げが期待されますが、そんなに難しく考えなくてもいいという、不思議なテーマですね。ちょっと考えてきてくださいね。
(11/17)

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衆議院において、教育基本法全部改正法案が強行採決された。きょうは、いわば、「政府自公を祭る日」である。

 政府主導というよりも、むしろ総理安倍氏主導で決定された感のある教育基本法の改正強行採決である。国民不在といっていいい蛮行である。なぜなら、審議が尽くされていない上に、やらせタウンミーティングで国民支持があったようにみせかけた上での衆院特別委員会可決だからである。

 政府はやりたい放題している。塩崎氏は「やらせ質問を問題視しない」といっている。こうしたことを平然といえることに無責任と民主主義の死亡が確認できる。

 衆院を通ったのだから、教育基本法改正は確実である。参議院に回っても、否決権がないので意味がない。

 現行教育基本法の崇高な理念のどこに問題があるのか。この改正は、憲法改正への布石である。本丸の憲法改正をにらんで、変えやすいところから変える手法である。第2章9条ももう余命幾許か。

 国民は、本当にこの問題に関心がないのだろうか。日々の経済生活を向上させるためだけに齷齪していると、権力はその放恣な姿勢をさらに大きくする。

 ワタクシたちの先輩が、そして、ワタクシたち自身が60年近く守ってきた教育基本法が崩れていく。もう日本は死に体といっていいだろう。

 日教組の抗議声明をリンクしておこう。
(11/16)

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まあちょっと、これをみてくれ。勉強してね。

 で、このページなんだが、これがほとんど「やらせ」だったんだから、「感動した」。ところで、「教育改革 タウンミーティング イン 八戸 [議事要旨]」などは、「なお、速報版のため、修正の可能性あり」とまで書かれていて、ナミダを誘う。もうすぐまた捏造するかもしれない(あるいはしたあとか)ので、保存しておこう。

 ちなみに、「やらせ質問」の例かもしれないものを掲げておこう。この発言をすれば、5000円もらえるわけである。以下、引用。

 「教育基本法案の教育目標の中に『我が国と郷土を愛し』とあるが、愛するのは当然であり、さらに『我が国、そして故郷を誇る』ような心を育てる施策を講じてほしい。幼児期の教育は大切であるが、幼稚園の教育はどのように変わるのだろうか。また、幼稚園の先生や保育園の保育士の力量を向上させるため、どのような研修が検討されているのか」。(主婦)

 これなどは、やらせの典型かもしれない。石原都知事なら、「こんな意見、主婦がいうわけない」とコメントするかもしれない。

 「私の出身地の学校では、郷土芸能や郷土料理を学ぶなど、地元に根付いたカリキュラムが行われているにも関わらず、若年層の人口流出や、農業従事者の後継者不足が問題となっている。地元産業を活性化して、人口流出を止めるためにはどうすればよいか。こういったことも視野に入れた教育改革をしてほしい」。(学生)
 なかなかよいことをいっている。これは、五島市特区の布石か。

 「教育の原点は家庭教育だと思うが、家庭の教育力は低下している。教育を安心と温もりある場にすることを国民全員が願い、知恵を出し合っていくべきだが、国の体制はどのようになっているのか。教育基本法案には、家庭教育の規定が追加されており、大変期待している。教育は、学校、家庭、地域がその役割を明確にし、いろいろな取り組みをしていかなければいけないが、詳しい政策があればお伺いしたい」。(主婦)

 うーむ、これもやらせ臭い。

 「いじめによる自殺や他殺など、少年犯罪が増えているが、これは命を軽視しすぎているからではないか。学力だけではなく、心や命の教育が大切だ。担任が一人では少ないので、『クラスカウンセラー』というような心を許せる先生が必要だと思う」。(学生)

 これはなかなかよい意見であるが、これがやらせだとしたらキツイ。

 「現行の教育基本法では『人格の完成』を教育の目的としており、国際社会の人権宣言に取り入れられており、素晴らしいと思うので守っていくべきだ。国連から、過度な競争を社会現場に持ち込まないよう勧告を受けたが、政府のフォローができていない。昭和41年の人権宣言では、全世界は教育費の無償化に向けて努力することを掲げているが、日本は背を向けていると思う」。(無職)

 この意見は、もっともで、サクラばかりでは気が引けたのか、「配慮」が感ぜられる。

 ―――茶番。オペラもいいが、タウンミーティングも楽しめる。
(11/15)

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この「恵さんの遺書」と題されたブログの記事は本当なんだろうか。本当だとしたら、驚きである。親族からの告発なので、信憑性が高い。この事件そのものは、下のように報道されていたので知ってはいたが、親族の悲しみを知って、事件の多面性を知ることになった。

 やがてこの事件も、解明されるであろうが、彼女の残した遺書を読むと、ここまで先生に対するいじめがあるのかと思わされる。

 最近、遺書とか自殺予告文とか、そうしたものばかり読まざるを得なくなっている。

 この事件のだいたいのところは、『毎日新聞』11月1日付に掲載されている。以下、その紹介。「鹿児島県曽於市の市立中学の女性教諭(32)が、上司からのパワーハラスメント(地位を利用した嫌がらせ)を訴える内容の遺書とみられる文書を残して自殺していたことが31日、分かった。遺族によると、教諭の車から見つかったパソコンに上司からのパワーハラスメントを訴える内容の文書が保存されていた。文書のあて名は、学校の上司、市教育長と母親だった。教諭は02年、音楽教諭として赴任。04年からは専門外の国語や家庭科も教えるように指示されたという。通信教育や家庭教師をつけて勉強したが、今年10月からは『指導力不足教員』として、半年間の予定で研修を受けていた」。

 文中の「専門外の国語や家庭科も教えるように指示された」のが本当なら、無茶苦茶である。
(11/14)

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学校におけるいじめがいかに陰湿であるか、自殺の多さが如実に示している。訴えるところなく、小さな命がひとつづつ削られていく。なんともいえない。虚しくなる。

 連鎖自殺現象とでもいうべきだろうか。文科省が自殺予告文を公開してから、同様のものが同省に9通も届き、大阪や埼玉で現に亡くなっている。この件に関しては報道規制もしかれているだろう。文科省の公開は、逆効果だったかもしれない。

 だが、文科省の公表した態度を責めるわけにはいかないとワタクシは思っている。このような、とても大人が書いたとは思えない手紙が届いたのだから。こちらの文科省の「いじめを原因とする自殺予告の手紙の公表及びお願いについて」も確認されたい。

 生徒だけではない。未履修問題で2人の校長先生を亡くし、さらに、北九州の校長先生も亡くなられた。

 命の大切さ、これをどうして教えていけばいいのか。教える方も、教えられる方も自殺するなんて。

 なんだか、何を書いても、すべての言葉に力がないような気がする。だが、こんなことではいけない。しかし、どうすればいいんだろう。わからない。
(11/13)

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集団討論の模様をお伝えします。今回のテーマは、今夏大阪府で出題された、「公立の小中高等学校に求められているものについて議論してください」でした。このテーマに、7名の方が25分間議論してくださいました。A〜Gさんとして、その発言の主旨を追っていきましょう。

 まずテーマの確認をされ、なにをこのテーマのトピックにするか示されたのがDさんでした。ここ数回先頭バッターを担っているDさん、意欲的な姿勢です。Dさんは、「公立学校」の「公立」に着眼され、地域との「連携」を議論しましょうと問題提起されました。なぜなら、私立でも「連携」は大切であるが、公立は校区との関係から重要な議論のトピックになるからです、と理由付けされました。こうした理由の説明によって、、なぜ、「連携」が公立校に関連あるかが明確になります。つづけてCさんが、公立校に求められているのは、保護者からの期待に応える教育を提供することであり、その具体的内容は、社会性を身に付させること、たとえば学校外でもマナーをもって振舞うこと、社会活動することであると述べられました。

 Eさあんは、「地域」との連携によって、学校教育において足りないことを補うとし、具体的に語られます。すなわち、中学校1年生の部活を指導する機会を持ったとき、彼らがあらゆることに不平不満を感じていること、メンドイという言葉を乱発することに気付かれたそうです。しかも、現状の生活を当たり前とし、感謝の心がないとみなされています。だからEさんは、自分のおかれている環境がいかに恵まれているかを知る必要があるとされ、他の国の生活現状を知ってみるといいと述べられました。そのためには、本を読むことになり、図書館の活用が必然となると説明されました。

 Fさんは、このEさんの発言に関連し、教育を受けられるありがたみということを問題にされました。教育は人生を豊かにするものとの立場から、学びの大切さを強調されます。教育は一面的な見方を是正してくれ、事柄を複眼的にみるヒントをくれると話されました。このご意見が、公立校に必要なものであることを立証するよう述べられると、もっとよい発言になります。Gさんは、多様な角度から物事をみることは、「生きる力」を養成することになるし、社会性を育むことにもなると付け加えられました。

 Aさんは、ここでテーマに立ち返り、公立校には地元の児童生徒が進学するので、地域との「連携」が重要になると見解を示され、私立に対して公立で求められるものの中身を議論に取り上げようとがんばっていました。公立校にはいろんな「幅」の児童生徒が進学する。「公立の高校なら、卒業さえできればいいと考える生徒もいれば、進学したい生徒もいる」と就職、進学といった進路の多様性に触れられました。ここでは、だから「求められるもの」はなんなのか、もう一歩掘り下げて意見が聞きたいところです。いい問題提起に、ご自身が解答を与えてこそ、集団討論の名手になれるものです。

 Bさんは、多様な家庭環境の児童生徒が公立校には集まってくることを承認し、そこでの教員が持つべき資質として、人権感覚を取り上げられました。Bさんは、この1回しか発言がなかったので、もう少し集団に絡むようにしてほしいですね。次回期待しています。Dさんは、多様な背景を持つ児童生徒が通う公立校において、Bさんのいわれる人権感覚を磨くのは理解できるところであると述べられ、児童生徒一人ひとりを大切にする姿勢が公立校に問われているとご意見されました。テーマから離れていないことをアピールするため、このように「公立」云々と発言の中に付け加えることは、ひとつのテクニックであるし、有効ですね。このことをいいかえてCさんが、教員の力量として個性に応じた教育ができるかどうかが求められていると述べられました。

 Fさんは、以上の議論を受けて、様々な児童生徒が出会う場所が学校であるとし、そうした学校で「しめつけ」がきついことに危惧されています。これは何のことかというと、これをしてはダメという戒告的な「評価」が多いということらしく、児童生徒を伸ばす方向で「評価」をしなければならないとご意見されました。はじめて討論に参加されたFさんにありましては、まずは発言をしてみることが肝要で、その意味では努力が認められます。今後は、その上に、ご自身の発言とテーマとの関連性を常に念頭において議論参加されることを期待しましょう。Cさんは、Fさんのこうした問題意識を「積極性」を評価すると捉えなおし、Cさんの先ほどの発言つまり社会性と関わらせて、挨拶の励行を主張されました。通学路に立って小学生に挨拶の声を掛けるボランティア活動をしている地域の人びとの姿をみて、いい光景であると感じられたそうです。地域との協力体制が必要であると実感した一駒でしょうね。

 Gさんもこのご意見に同意され、挨拶がコミュニケーション能力を高め、地域との「連携」を高める根拠でもあると発言されました。Gさんの発言は、すっきりまとまっており、手短でいいのですが、他の方のご意見の焼き直しでしたので、ちょっとインパクトに欠けます。ですから、もっとご自身が問題提起するように、すなわち集団に貢献するような内容を持った発言を心掛けてくださいね。

 ここでAさんは、どんな児童生徒でも受け容れるのが義務教育(高校も準義務教育といっていいでしょう)としての公立校の宿命であるとし、それに対して私立は「選ぶ」姿勢があると述べられました。そして、公立校がそうであるなら、保護者が学校に期待し確実に求めるものがなんなのか、これを分析し、提供するように考えることが、公立校に求められているのではないかとご意見されました。Aさんはこのテーマを議論する前提に、公立と私立との違いを鮮明にしたいとの思いがあったようですね。これは確かに正しい。しかし、そこに拘泥していても議論は進まない。すごく悩まれているようでした。公立と私立との違いつまりカラーの違いをはっきりさせるだけでも、20分はかかるでしょう。ちなみに、私立は独立校です。それに対して公立はいわばネットワーク校です。私立には建学の理念ほか、独自性が強く求められます。講義のときに申し上げたように、進学校というカラー、中退者を「救済する」カラー、いじめが絶対にない安全性カラーといったように、独自の「ウリ」を備えて、学校運営をしていく。これに対し、公立はそうした独自色があまりみえない。たしかに公立校にも各学校に目標があります。ただそれが、公立と一括りにされていることでボンヤリしてしまうのではないでしょうか。先にネットワークといったのは、公立校はそのすべての校が教育委員会と連携しています。だから、横一線意識が抜けないのかもしれませんね。そのあたりを民間人校長の登用によって変化させようとの試みがあるわけですが、まだ結果が出ているとはいえません。こうした意味からは、公立校には、一校一校のカラーを見せ付けることが求められているのではないでしょうか。ではどこに見せ付けるのか。それこそ「地域」にでしょう。

 Aさんの発言につづき、Eさんは、「人として大切なことを教える」ことが公立校には求められているとされました。たとえば食べ物のありがたみ。自然学校に参加した経験から、残飯の多い現状を知り憤慨したことをお話されました。また、Eさんは、同じく自然学校で鴨を捕まえて食べた経験を語られ、命の大切さに触れられました。一言でいえば、人間教育が公立校に求められているということができるでしょう。ただこれは、先に私学と公立との違い云々のあとの発言であるので、だれでも気がつくのですけれど、命の大切さを教えること、人間教育は、私立でも公立でも要求されます。公立の小中高等学校に求められるものと限定されないわけですね。こう考えてくると、ほんとに難しいテーマであることがわかります。

 いま、上で鴨を食べたということを書きましたが、そのことと関連し、Dさんから発言がありました。朝食を摂らない児童生徒が増えていることに鑑み、食育を指導することが求められているのではないか、そうしたご意見です。Dさんは、農業体験を具体的には求めるわけですが、1年かけて米作をする困難さに触れさせることの提唱、それから先の命の大切さにかかわり、ニワトリの解体ということも総合でやるべきではないかと発言されました。Fさんは、魚も切り身で売っていて、捌いて食べるものではなくなっているといわれ、ご自身のバングラディシュ体験から、牛を一頭捌くバングラディシュの風習を話してくださり、そうした生活と結びつく事柄つまり体験学習を学校教育で提供するべきであるとご意見されました。また、命の大切さを実感することで、いじめ問題の解消にもつながると考えられているようでした。

 Dさんは、Fさんの発言を受け、いじめのない学級作りも求められていると述べられました。最近のいじめに関する報道にも触れられ、これが切迫した教育問題であることを強調し、イキイキ勉強できる学校、一人ひとりを大切にする学校、レッテルを貼らない学校、ということを挙げられました。Gさんもこれに同意される発言をされました。

 Fさんは、議論を振り返りながら、多様な環境の児童生徒が集まる公立校は、多様な環境で育った人びとが集まって構成されている社会そのものとみなされ、そうした多様な人びとが協力して何事かに取り組み仕事を達成していくものである。その練習の場が学校ではないのかと述べられました。

 Cさんは、公立校は地域に密着している。卒業してからも地元に住む。だから地域の特徴を知った「連携」を推進するべきであると述べられ、ここで25分間が終了しました。

 このテーマは、「議論の間口が広い」テーマです。今回は地域との「連携」が「求められるもの」に想定されました。この議論を見守っていた他の勉強会参加者のコメントを紹介しましょう。まず、地域連携を議論するのはいいが、どうも議論があっちへいったりこっちへ来たりで、一貫性がないようにみえた。公立とは何かの定義がなかった。小中連携も視野に入れて多様な「求められるもの」を最初に提出してもよかったのではないか。命の大切さを議論するあまり、「公立」がどこかにいってしまったように感じる。地域との連携をトピックにするなら、自治会など具体的な話をするべきではないか。公立校に求められることとして、学力確保の問題が、まったく出なかったのはなぜか。「新しい時代の義務教育を創造する」答申が生かされていない。などなど。です。

 ワタクシの感想は、討論再現の行間に挿入していますが、「テーマ」から離脱するのが一番集団討論において問題になるということです。自分の発言がテーマとどう関連するのか、それを片時も忘れないこと、これを今回の討論の反省、教訓としましょう。でも、はじめて参加された方や討論をしたことがない方が参加される勉強会です。こうした失敗から学ぶことが、なによりも大切です。挫けない、次はがんばる、これで参りましょう!

 ではまた〜
(11/12)

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本日は、第95回当サイト主宰勉強会に多数ご参加いただきありがとうございました。Iさんには、この夏の教採試験までの勉強のやり方、どのように過ごしたのかを具体的に語っていただきました。ありがとうございました。新しくご参加いただいたお2人の方、いかがだったでしょうか。また、よろしくお願いします。この勉強会は、入学金もなければ、授業料もありません。参加できないときのご負担は当然ながら不必要です。こうして経済的負担を最小限度にしつつ運営していますので、時間があえば、またご参加ください。

 2次合格のツボは、やはり、継続的に学習を進めることにありそうです。それと同時に、Iさんは学校ボランティアで現場感覚を磨かれていました。このことについては、後で質問がありましたように、教員を目指すワタクシたちにとっては重要なことですね。講師として経験を積むことが様々な条件からできなかったとしても、ボランティア活動を通して学校現場を知ることができますね。大学生の方も、社会人の方も、是非、学校世界に近づくような行動をしてください。

 次に、「議論のたたき台としての教育学講義」をいたしました。今回は、結構進んで、レジュメ4枚をようやく消化できました。教育の理想主義と現実主義を、現在の教育問題と関わらせながら講義しました。教育時事的な関心を絡めつつ、みなさんに聞いてみたり、質問したり、1時間ばかりですがお話させてもらいました。次回また、レジュメを配りますので、一緒に学びましょう。みなさんからの活発なご意見をお待ちしております。

 そして、大阪府の過去問解答解説です。今回は、心理学の問題でした。スタンダードな出題で、ここは1対1対応で解答が導き出せるものでしたが、キーワードをご確認ください。ネズミ、ネコ、アカゲザルと動物がたくさんでました。そして、同化、調節、代理、最近接領域、スモールステップ、CAIなどの内容をご確認くださいね。次回もまた1題やりましょう。

 最後に集団討論でした。討論の模様は、あすの更新にいたしますが、みなさん緊張しながら参加している様子がよくわかりました。

 こうして勉強会を進めている最中も、例の自殺予告の問題がどうなっているのか、気にかかっていました。「自分の担当している児童生徒がひとりでも自殺したら、ワタクシたち担任は、それを一生背負っていかなければならない」。予防策も大切です。

 都知事のように、「いじめだとみるか、どのようにも取れる」(『スポーツニッポン』2006年11月11日付、以下、カッコ内は同じ)と、ワタクシにはいえません。軽率です。また、森氏が、「ボールを投げ付け練習させることがいじめだとみるか、その子を育てようとしたある種の強化だったのか。これはどのようにも取れる」とか、「われわれも学生時代スポーツして、グラウンドを10周回ってこいとか、いろいろやられた。それも、もし今のお母さんや社会が見るといじめとなるのだろう」、「いじめだと言えばいじめだけど、おれを鍛えるためだ(と)、自分で反省しながら回っているわけだからありがたいことだと思う」なんて、他人のことを一切考えないようなことをいう無神経にも驚かされます。こんな人が総理大臣をやっていたなんて、残念です。

 本日申し上げていた「教育時事メール配信」はやってみようと思います。勉強会参加者で必要な方は、メールくださいね。
(11/11)

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