日々旁午

2006


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真実。

 これはなにか。何が、本当のことで、何が、まやかしなのか。ワタクシたちの国で、「本当のこと」というヤツが、きちっと国民に公開され、共有されているのか。

 第1、たとえば、タウンミーティング。

 「やらせ質問」が約半数を占めるという報道がある。世論操作、情報操作である。市民が主催者と胸襟開いて議論をしようとするところに、タウンミーティングの意義が認められるのにもかかわらず、質問者をあらかじめ決定しておいて、政府の都合のいいように議論の方向性を誘導する。

 内閣官房長官塩崎氏は、「信頼感を損ないかねないことが起き、大変遺憾だ」(『毎日新聞』2006年11月8日付)とコメントしたが、小泉首相在任時から、教育に関するミーティング議論も含めて、まやかしが横行していた告白である。

 国民は、何を信頼すればいいのか。「明らかに行き過ぎがあった。工夫して国民の率直な意見が出やすい仕組みをすでに考え始めている」(『同上』)といっても、誰がこの言葉を信頼するだろうか。卒直な意見を聞くために開催したのがタウンミーティングだったはず。本気になって「仕組み」を作る気などないであろう。その「仕組み」を作ってからいうべき言葉である。

 おかしいのは、参事官もである。「内閣府タウンミーティング担当室の幸田徳之参事官は7日、記者団に『174回のすべてで行われているわけではない。半分も行われていない感じだ』と語った。同担当室は同日夜、この発言について『何の根拠もなく申し上げたものであるため、訂正いたします』との文書を出した」(『同上』)わけで、自分のいったことにまったく責任を持たない官僚体質には、あらためて驚かされる。

 教育基本法改正に向かっての世論操作が現実に行なわれている姑息である。ここまでしなければならない政府の焦りは、どのような支配を権力が遂行しようとしているのか、よく理解できる。

 この『毎日新聞』の報道(2006年11月7日付)をみよ、「政府が教育改革に関するタウンミーティングで教育基本法改正に賛成する質問などを参加者に依頼していた問題で、内閣府は9日、青森県八戸市以外でも4回のタウンミーティングで、政府が「やらせ質問」に関与していたと認める調査結果を衆院教育基本法特別委員会に提出した。教育関連のタウンミーティングは八戸市を含め計8回開いたが、半数以上の5カ所で『やらせ質問』が行われたことになる」。

 「文部科学省か内閣府が事前に県教育委員会に質問者の推薦を依頼し、質問案や質問のために必要な資料を渡していた。質問を依頼されたのは20人に上り、実際に要請通り質問したのは13人」(『同上』)ということであるから、教育委員会の骨抜きさ加減にも恐れ入る。御用質問請負人がミーティングに紛れ込んで、片棒担ぐ様相といっていいかもしれない。こんなミーティングに民主主義の欠片もないのは、いうまでもなかろう。教育委員会そのもの存在意義に関わる。

 中央から独立し、一般行政から教育行政の独立を体現し、地域に密着した特色ある教育行政を指導するのが教育委員会である。ところが現実にはそんな理念はどこ吹く風、中央の圧力に屈し、中央のいいように扱われる組織というほかない。この組織には、「矜持」というのがないのだろう。

 「議論する」ことは、それが誠実な議論なら、尊い。「教育改革ミーティング」だけでなく、「核ミーティング」もすればいい。核議論をすることは、核保持をいっているのではないし、議論そのものもしない、できないというのは、民主主義の窒息ではないか、というのが、政府支配層の軍事関連主張であり、外相麻生氏の考え方だろう。いうまでもなく首相安倍氏の考え方でもある。

 片や、「やらせ」をさせておき、片や、「まっとうな議論を!」というのだから、権力者とは御都合主義の塊である。核議論でも、やらせをするのだろう。

 第2、たとえば、耐震偽装。

 これは、マスコミが報道しない裏側で、沸々と意見が流れている。インターネットを介してである。

 耐震偽装はヒューザーの一件や姉歯氏の断罪だけで終了したようにみえるが、まったくそんなことはない。藤田氏もスケープゴートにされている。

 いま、真実をめぐって、この国が試されているのではないか。ジャーナリストの江川氏がこのように語るとおりであろう。

 You Tubeの一連の「表現」が、窒息しそうになっている我が国の「報道の自由」に風穴を開けている。

 この主張を客観的にみてみるのもいいのではないか。

 藤田氏の罪については、ここでは問題にしていないし、司法の場で判決が下りたので、それを受けとめればよい。

 ドンキホーテのようにつっぱしる彼は、いつ「暗殺」の危機に逢着するか自覚していながら、いわば第5の権力としての「インターネット」にすべてを賭けて闘っている。以下、彼の主張である。

 「私が、何を意図し、何を優先順位と考えているのか?」

1)いつ訪れるか分らない「大地震」によって、今現在、耐震性能が意図的かつ制度的に「隠蔽」されてきた、「数百万棟の偽装建築物」に住みor利用している人が、不作為の建物倒壊によって、失われてしまう命の数を出来る限り少なくしたいのです。
 同時に、この耐震偽装事件で、既に被害にあっているマンション住民や、善意のホテルオーナーを、国家が全額負担を行い早期に救済を図ること。また、既に発生した「阪神淡路/新潟中越他の大地震」によって、従前の住環境が失われ、今も困窮にいる方たちの早期救済を図ること。
2)今、耐震に対する関心が高い、この機会を積極的に利用して、徹底的な既存建築物の耐震性能の調査を行い、必要な補修改修又は建て替えを実現できる臨時的かつ弾力的な制度制定につなげたいこと。当社で認識しているだけでも、鞄c村水落が構造設計で関与した全物件の調査は必要です。これも氷山の一角ですから、国内建築物の早期全棟検査を実施して、国民の命の確保につなげたいと提言致します。
3)私は、耐震偽装事件とは、国民の僕(しもべ)であるべき公務員(官僚、地方公務員、政治家)が、自らの利権を死守する為に、癒着する民間業者を利用して、公権力を用いて隠蔽してきた「耐震偽装隠蔽事件」であると断言します。これは「日本国憲法違反」です。
 よって、私が直接的に知る者だけでなく、この事件を助長した全ての偽者の公僕を弾劾し、公職から追放したいのです。私が直接的に知る、国家に巣食う者には次の者がいます。私はこの者達を弾劾する証拠を持ち、生き証人として出廷致しますので、早期に、弾劾の手続きを行なって頂きたいと思います。
・前総理大臣小泉純一郎、前法務大臣杉浦正健、前国土交通大臣北側一雄、前国土交通事務次官佐藤信秋、国土交通省住宅局長山本繁太郎、同建築指導課課長小川富吉、同課長補佐田中政幸、同安全技術調査官高見真二、元建設省住宅局長/現(財)日本建築センター立石真、川崎市まちづくり局指導部建築審査課課長/建築主事、その他
4)マスメディアを用いて、国民に不要な混乱を招き、国策操作を後押しした者達を同じく弾劾したいと思います。
5)憲法14条に基づき、法の衡平な実施を期待し、この事件を契機に、日本国民に真の適正な法意識(コンプライアンス)が身に付くようにして頂きたいです。

 以上、引用である。彼の主張が真実なのか、真実でないのか、それはわからない。だが、わからないからこそ、それを解明するのが、「責任」ではないのか。

 この「責任」を誰が負うのか。

 それは、国民全体だと思う。権力者も、マスコミも、一般市民もである。この問題に関し、当事者主義はあてはまらないように思われる。

 この問題は、アパグループをも巻き込んでいる。

 また、安晋会と建築関係との「関係」も問われる端緒となるかもしれない。

 第3、たとえば、いじめの問題。

 インターネットの世界は、真実を伝えうるか。

 「アングラ」という言葉を死語にさせる力が、ネットにはある。いままで隠蔽状態にあったことを白日にする。あるいは、小さすぎてメディア媒体にはほとんど無視される(または記事化されない)「事件」が情報公開される。

 小さな小さな呼吸口だけれども、息をしている。

 あるサイトによれば、「札幌白陵高等学校の生徒(既に退学している者を含む)が、高校名を公表して運営していたHP上でいじめシーンと思われるような2つの動画を自ら公開していたそうである。そのHP内の掲示板・日記の書き込みではその様子を『狩り』と称している。 被害者の男子生徒はいじめている側から『もぐ』と呼ばれている。 白陵高校はこの動画の存在を4ヶ月以上前から知っていたが、動画削除依頼などの対応をせず静観していただけという」。

 この件に対して感ずるのは、いじめていた生徒の写真が本名とともにネット上にアップされているのはやりすぎだということである。しかし、いじめられている生徒がこの「運動」でその責め苦から解放され、充実した学校生活を送っているとすれば、「よかった」と感想を書くほかない。

 現在、2通目の「自殺予告文」が文科省に届いている。こうした訴えが流行になることは、よろしくない。だが、この届いた2通の手紙は、日本全国で現在いじめにあっている児童生徒の声を代弁しているものであるのはまちがいない。とすれば、本当なら、2000通も2万通も、届いたと推測していいだろう。

 真実とは何なのか。都合の悪いことにフタをしたままにしておくと、腐敗し腐臭が漂う。

 情報教育をちゃんとしないと、社会を見抜く目が養われないのではないか。そういうことを、3つの問題を提示して、考えてみた。
(11/10)

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あさっての土曜日に、第95回当サイト主催勉強会を大阪市内にて開催いたします。ご参加のみなさま、よろしくお願いいたします。今回、満席となり、ご参加申し込みいただきながらお断りした方々、大変スイマセンでした。またのお申し込み、よろしくお願いいたします。

 さて、あさっては、2次試験合格者報告、議論のたたき台としての教育学講義、大阪府過去問解答解説、集団討論です。2次合格報告には、大阪府と愛知県に合格されたIさんが、簡単に体験をお話くださいます。よろしくお願いします。

 討論のテーマは、「公立学校に求められるもの」です。このテーマは、この夏の大阪府出題テーマです。みなさん、がんばってくださいね。

 勉強会に多数お申し込みいただきありがとうございます。12月の開催分にもお申し込みいただいております。20名ばかりしか座席がありません。年内分を受け付けておりますので、メールにてお問い合わせお願いいたします。
(11/9)

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必修教科未履修問題について、本家本元のメッセージをリンクするのを忘れておりました。こちら、「平成18年度に高等学校の最終年次に在学する必履修科目未履修の生徒の卒業認定等について」です。

 そして、日教組「高校必修科目の未履修問題にかかわる日教組書記長談話」もどうぞ。

 遅すぎて失礼いたしました。論作文道場に2つコメントをアップいたしました。また、新規投稿もアップしております。また、「合格した君へ−−贈る言葉」をアップしています。ご覧ください。
(11/8)

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『毎日新聞』(2006年11月7日付)に掲載されたこの手紙(「いじめが原因の自殺証明書」)。

 悲壮である。突き動かされる。何度も読んだ。痛烈な大人社会への批判である。大人は無力なのか。

 この訴えが「狂言」であることを、「愉快犯」であることを、祈らずにはいられない。その方が、ましだから。
(11/7)

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衆院特別委員会における文科相の答弁によれば、「必修科目の履修漏れがある高校は、国公立・私立合わせて5408校中5406校まで調べた時点で、計540校、8万3743人になった」(『朝日新聞』11月1日付)らしい。伊吹文科相が、「高校がすべて良心に従って答えているという前提だ」といわなければならなかった数字である。情けない。

 事実、この後も、徳島市の徳島文理高校の校長が、「教員に、生徒へ『単位不足はない』とうその説明をするよう指示していた」(『産経新聞』11月3日付)そうだし、「富山県で未履修問題が発覚した翌日の10月25日朝、『土曜日も授業をしているので、単位数の多い授業の中で関連科目の項目を選択し、単位として認定している』という説明文を用意。職員室で読み上げ、生徒に説明するよう求めた」(『同上』)というのだから、心臓に毛がはえているといわざるをえない。私学では、学習指導要領逸脱など、スピード違反くらいの責めに思っているのかもしれない。

 翻って、良心に耐えかねて自殺された茨城県立佐竹高(常陸太田市)校長、高久裕一郎先生は、この全国的な隠蔽問題の犠牲者といえるし、ワタクシ個人としては、「なにもそこまで思いつめられることなく、教委に相談され、よい方向に持っていかれたらよかったのに」と感じている。相談にのってくれる教委の方々もいただろうに。「赤信号、みんなで渡れば怖くない」は、間違った考え方ではあるが、高久先生はまじめ過ぎる方だったのだろう、悲しい結末である。

 伊吹答弁以外の調査によると、『毎日新聞』(2006年11月4日付)の独自集計で、「熊本県を除く46都道府県で592校(公立336、私立256校)」との数字がでた。これで未履修校は、ほぼカウントされたようであるが600校近い。

 ちなみに、大阪府では、「未履修が判明した私立高校は23校、生徒数は3205人」(『毎日新聞』11月3日付)ということだそうである。そこに以前教委と癒着していた上宮高校があるかどうかはわからない。

 以上のように、必修科目未履修問題は、時事通信社の第一報が10月24日であったから、ほぼ2週間かけて「集計作業」が終わった様子である。

 そのカウントが拡大につぐ拡大をみせ、10月終わりには、政府は救済策を出さざるを得なくなった。そこには、「文部行政のルールを重視する文部科学省」(『毎日新聞』10月28日付)と自民党の鬩ぎ合いがあった。そこに政治的思惑が絡んでいたのは容易に想像できる。

 森などは、「追試や授業の必要はない。世界史の本を読んで論文でも出してもらえばよい」(『同上』)と簡単にいっていたのだから、ああ、この人はこんぐらいしか考えてないんだなとため息が出た。全部の調査が終わっていない27日に、こういうのだから。「木を見て森を見ず」とは、こういう発言をする人のことを指すのだろう。

 教育再生会議でも、「公明党の北側一雄幹事長が(1)生徒の負担軽減(2)原因究明(3)学習指導要領の見直し――の3点を検討課題に挙げ」、優等生的発言をしているが、その裏には、教育基本法改正案審議が遅滞することを恐れる政治的思惑があるばかりである。同会議が、「『一刻も早い是正措置が必要』との認識で一致」(『同上』)したのも頷ける。自民党だけでなく、与党の一部たる公明党に対する配慮である。

 救済策の正式決定は、『朝日新聞』(2006年11月2日付)によれば、「高校の必修科目の履修漏れ問題で、文部科学省は2日、未履修科目の補習時間を軽減する救済策である「処理方針」を決めた。(1)70コマ(2単位分)までは、校長の裁量で50コマに削減して補習することができる(2)70コマを超える場合(3単位以上)は、70コマ補習し、残りのコマ数はリポート提出などで補う」となった。

 自民党と公明党の政治的妥協で未履修問題にケリがついたといえる。文部行政の自律性は、政治の前に潰えた。だが、このような超法規的、特例措置でいいのだろうか。これなら文科省不必要論が出てきてもいいぐらいである。また、公明党の「今回だけ」というのは、政治の常套言い訳である。政府はすべての生徒が犠牲者というが、インタヴューを受けていた大阪府立天王寺高校のある生徒は、ちゃんと履修していたし、犠牲者でもなんでもない。他の高校生より「受験に要らない科目」を学習指導要領の定めによって強制された、それこそ「犠牲者」と評することもできる。法は法、ルールはルール、そのけじめがないところに、腐敗が発生するのではないか。

 全国一律で50だの、70だの、それ以上はレポートだの、校長裁量で未履修を履修済にするのもおかしい。減単制度を適用するといっても農政じゃあるまいし。「卒業要件を満たせない生徒には、行政事件訴訟法の『事情裁決』と呼ばれる例外的な規定を適用し救済を図る方針」(『産経新聞』11月1日付)が、すべての学校に同一適用されるというのもおかしい。税制だって収入に応じた課税を処すのである。50足りない学校も350足りない学校も同一措置では、不公平感だけが残る。ちなみに、『産経新聞』(11月1日付)の説明を借りれば、「『事情裁決』は行政判断自体が違法でも、それを取り消すと公益に著しい障害が生じる場合には、取り消さなくて良いという考え方」である。

 したがって、パーセンテージで補習を課すのがよいと考える。問題は、それでも消化できない時間数を抱える岩手のある学校であるが、その350時間を基準に「事情裁決」の数字を出せばいい。50までは全部補習、それ以降20パーセントとすれば、100足りないなら60だし、200足りないなら80、300足りないなら100、そして350なら110となる。最高で110なら、卒業までに履修可能といえるだろう。

 これはたとえ受験前で切羽詰っているとしても、学習可能な数字ではないか。ほかにも妙案があるかもしれないが、不公平感も削ぐことができる。

 いくら「一刻を争う是正措置」が必要でも、安易な決定には同意できない。
(11/6)

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一体、この事態はなんなんだろう?
(11/3)

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上のように、平成18年夏実施大阪府教員採用1次試験過去問解答解説集がようやくできあがり、頒布可能となりました。料金はかかりますが、お申し込みお待ちしております。今月12日より発送可能(郵送に限ります)となります。みなさま、よろしくおねがいします。
(11/1)

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