日々旁午

2004


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 師走の忙しない中、第19回勉強会に参加されたみなさま、お疲れさまでした。勉強しようというモチベーションを保ちつづけることに一役買っているとすれば幸いです。今回も資料を多く配りましたが、こちらの要領悪く、ご迷惑をおかけいたしました。
 さて、序盤の講義では、ワタクシの拙い話から様々な「つっこみ」が生れ、幅がある時間となりました。子ども論といっていいかどうかわかりませんが、みなさんの目からみえる子ども像を提供いただき、現代の子どもの有様が実感できました。
 それぞれの参加者に意識されている子ども観を整合することによって、大学2年生の参加者も、また、社会人の参加者も、現場感覚といいますか、教育現場の臨場感をつかめてよかったのではないでしょうか。参加者が守秘義務を果たしながらギリギリの話題提供していただけますことに、感謝しています。
 次に、答申輪読は、今回の勉強会では「食に関する指導体制答申」を読みました。前回の討論を反芻しながら答申を読んでいただけると、こうしたテーマの集団討論に参加する意欲も増しますし、発言内容に深みもでます。答申の内容そのものを憶えることも、1次試験に向けて大切ですけど、そこからご自分がどのように考えていくかが求められます。とりわけ、特別活動やHR、総合学習において、栄養士の資格をもつ栄養教諭とどのようにタイアップすべきか、計画を立てておいてくださいね。
 年明けからは、「懇談会大臣発表」を読みましょう。そして、「高等教育答申」と指導要領の改正を指示した答申を読んでいこうと思います。しかし、先のOECD調査が教育行政にいささか改革刺激を与えていますので、答申理念はオミットされるかもしれませんから、教材として適確かどうか難しいところです。それよりも男女共同参画社会に関する答申類を読むべきでしょうか。みなさんのご意見を募りますね。
 さて、終盤は集団討論をしていただきました。今回は現役の先生を遠方から迎え、いいコメントをいただきましたし、すでに今秋合格を勝ち得たメンバーからも適切なコメントをいただきました。ありがとうございました。
 テーマは、予告していましたように、「児童生徒の学力低下がOECDの調査によってあきらかになりました。授業時数を増加するようです。学力低下の改善方策について議論してください」というものでした。ワタクシの方から最初にOECDの調査結果として、前回の調査と較べ、読解力が8位から14位に、数学(科学的リテラシー)が1位から6位に低落したことを伝え、それから討論がはじまりました。
 まずある討論参加者から、読解力と数学の改善方策を分けて考える立場に立ち、討論の骨組みを提示していただけました。かつ、授業時数の増加がそのまま学力向上に結び付くのかどうか疑問を出していただきました。これを受け、学力が低下する子どもの生活背景を探ろうというご意見が出まして、読書の欠如、ゲームのし過ぎに言及があり、文字理解から映像理解に児童生徒の「脳」が転換しているのではないかというご意見がありました。頭をいかに使うか、そのことが学力低下を食い止める方策になるでしょう。
 この話題を次ぎ、小学校で電卓を使って算数をするのは、疑問であるとの声があり、「楽ちん」な方に向かう授業のあり方が批判されました。計算力も低下します。この発言は、科学や数学を実生活に生かせるよう指導したいとの提案を受けたものと捉えることもできるでしょう。
 それから、読解力の低下に関し、「朝の読書」の時間の実施に触れられました。想像力の育成のためにも、朝読書はいいことですし、幼児期や小学校低学年においては「よみきかせ」も有効であるという意見がでていました。読解力向上の方策は、国語教員だけでなく、すべての教員が進めるべきで、英語教員の立場から何ができるか具体例があがりました。ストーリーテラー、ブックトークということです。しかし、朝の読書だけで読解力が増すかどうか疑問であるとの指摘もありました。国語の時間においても、物語を読んで情緒を養う側面は剥ぎ取られ、評論文や論説文を要求することばかりになっていいのか、とのご意見もだされました。うなずけるところです。また、基礎基本の確実な定着のために、授業時数の増加は逆に必要であるという、指導要領の精神をいわば「逆転」した考え方も登場しました。
 他方、地域の教育力を借り、図書館、公民館の活用、紙芝居やそのほかの催しを実践し、児童生徒の知的好奇心を高める運動をしていくべきであるとのご意見もでました。また、読解力については「書写」を見直そうとの提案もあり、話題が広がっていきました。
 討論の終盤では、講師経験から感じたことについても発言があり、算数の文章題の理解すらおぼつかない子どもの現状をどのように解消すればいいか投げかけられました。口に出して読む、3回文章を読むなどがその応答です。
 こうして瞬く間に25分は過ぎ、討論を聞いている側からコメントを付けていただきました。朝読書のことが話題にあったが、その意義をしっかり伝えないといけないのではないか。45分を集中できない児童生徒にどうやって読書を奨励できるか。そもそも参加者のみなさんは読書が好きなのか。最近読んだ本をあげてみてください、とつっこまれると、本の題名があがらない…。読書が好きでなければあげられないわけでありまして、こうした質問は討論終了後面接官から聞かれるかもしれませんね。
 そして、読書の楽しさを語れるかどうかにも直結しますので、注意が必要とのコメントがつきました。話題の豊富な先生は、たくさん本を読んでいたのであろうとの回想も飛び出しました。そのほか、教員の自己啓発、司書教諭にも触れるべきとのご意見がありました。討論参加者に理系の方が少なかったので、科学の話題がなかったのが、物足りないところです。
 外面的なところも指摘がありました。自信がなさそうに発言しているのはマズイ。もっと堂々と。キビキビと。しっかり自分の発言を伝えきれるように。長々話すのではなく、短く端的に発言をまとめてほしいなどです。さすがに現役の先生からや合格された方々からの指摘は厳しいものがあります。しかしそこにはまた、お互いに高めあっていこうとする「愛情」がありました。
 ワタクシの方からは、討論終了後、ご自宅に帰って、討論において自分の発言した内容を文字にしておくことを注文しました。書かずば忘る、書かずば向上せず、です。がんばってください。それから、討論における意見のキャッチボールの仕方について少し述べさせていただきました。はじめてあったもの同士、なかなかに討論することは難しいものです。しかし、ご自分の意見が直前の発言者のご意見と関係なくとも、それをまったく無視するのではなく、簡単にでも触れつつ主張をされたほうが、協調性があるよう評価されるのではないでしょうか、ということです。
 年内の勉強会はこれで終了です。次回は年明け15日に開催いたします。今回もまた新しく申し込んでいただいた方がいらっしゃり、ありがとうございました。いかがでしたでしょうか。ところで教室がいっぱいになってきました。継続参加者が増えるようであれば、少しキャパの大きな教室を用意しようと考えております。来年も、旁午読者のみなさまからの参加をお待ちしています。(12/20)

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 昨日、勉強会に参加された方々、ありがとうございました。報告書をすぐさまアップしたいところですが、現在風邪で38℃以上あり、これを書くだけで精一杯なのです。明日の更新も苦しいかもしれませんが、ガンバリマス。(12/19)

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 本日は、年内最後の勉強会になります。新規申し込みの方も、また、遠く関東からご参加の方もいらっしゃり、ありがたいかぎりです。いままでの蓄積の上に立って、さらにどのようなことができるか、暗中模索ながら、小人数の利点をいかし、密度の濃い学びができるよう構成してまいります。
 面接対策としての「個人解剖の試み」も、そのひとつです。自分がどのように他者からみられているか、参加者全員で「解剖」する試みは、かなりに「怖い」ものではありながら、試験を「要領をかましてクリアする」のではなく、自己を陶冶し王道を進むよう実施したいと思っております。これは、来年からの試みです。詳しい日程は、「勉強会のお知らせ」をご覧ください。
 本日の討論は、前々日にお知らせした通りです。多様なご意見が出ることを期待しています。あと7ヵ月、がんばってまいりましょう。(12/18)

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 スーツを新調し、高級なフランス料理を満喫して豪華なホテルで泊まる。これは社会的成功者にしか許されぬ行動であろう。少なくともその豪遊を可能とする稼ぎのある者だけの栄誉である。それが、年端もいかぬ高校生がやるのであるから、澆季末世といわねばなんだろう。
 ワタクシと同世代の方ならご理解いただけると思われるが、放課後はサッカーあるいはラグビー、そのほか運動系クラブに入って汗を流し、同時に女の子にもてようとするのが一般であった。あるいはギターを片手にバンド活動をするのも音楽性を高める美名の下、もてたくて仕方がない青春が頭をもたげていた。でも、それは健全であった。そういう気持ちがなければ、なにもしない方が、上の例よりマシである。
 運動も音楽も両方ともできないワタクシは、もてる手段がなかった。さらに勉強もできなかった。そう、暗い青春である。しかし、ひとをだましてまで豪遊するほどワルでもないし、そんなことを思いつくわけもない。それはそれでそれなりに、日々を過ごしていたものである。
 滾る若い血をどこに向けるか。もともとクラブ活動は青少年の治安対策なのである。学校が終わって、力の有り余った坊主たちが、繁華街をたむろしてもらっては困る。だから、練習に明け暮れるラグビー部やサッカー部にいれるわけである。さらにいえば自発的な入部を促すわけである。
 「田舎のお年寄りが金をため込んで使わないからバブルがはじけた。だまし取って使えば景気は良くなる」(『讀賣新聞』)といったり、「パチンコやゲーム、旅行代などに9月末までに全額使った」(『讀賣新聞』)といって盗んだ金庫の金1億1000万円を使い切ったりする神経は、人知の外にある。これを少し前はオレオレ詐欺、いまは「振り込め詐欺」というらしい。詐欺に遭うお年寄りこそがインターネットを活用し、このページを見なければならないのにもかかわらず、みている高齢者は皆無だろう。こちらのページも同断である。
 夕方4時頃、自宅に帰った小学高学年のワタクシは、「飛び出せ!青春」をみるのが日課だった。たしか、毎週日曜夜放送の番組の再放送であったと記憶している。
 それがなんだ!いまでは「振り込め!青春」ではないか。なんとも情けない事件じゃないか。金庫事件を起した高校生たちは、自分の稼ぐ一生分の金額をわずか3ヵ月の間に使い果たしてしまった。ということは、その償いに、一生かかる。
 なんだか顔をしかめたくなる暮れの青少年事情である。(12/17)

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 年末なので検問が多い。だが、文科省は天下御免であり、その検問を何食わぬ顔で突破する。例の学習指導要領の変遷における飲酒運転は、さらに続くようである。詳しくは右の「簡単な学習指導要領解説」をご覧いただきたい。
 そして、この讀賣新聞の記事を読んで、その感を強くした。
 「ゆとり」なんていっている場合ではない、時間を増やしてゴーゴー。計画性まったくなしのこの約30年間の教育の歩みをなんら反省することなく、いままた舵をとり直そうとしている。結局、文科省の教育行政に国民は信頼をおけないのであろうか。なにしろ現場の混乱を招いているくせに口ばっかり達者だからである。
 「2つの国際調査で相次いで学力低下の傾向が示されたことについて、中山文科相は『学校週5日制や学習指導要領の削減が、必ずしも望ましい結果になっていないと思う。その点を率直に認め、対策を講じる必要がある』と述べた」。この調子である。
 日本の内閣は責任をとらないことで有名だが、文科大臣もくるくる代わる。しかも御役御免の後は、教育についてなにか発言をしているかといえば、官僚出身、政党出身を問わず、なにもない。感想すらない。ときおり学者出身がお愛想をいうくらいである。現外相の町村氏だって、文科大臣だったのである。ひとこと何かあってもバチはあたるまい。縦割り行政が個人の発言まで遮断することはないからである。まあちょっと例は異なるが、武部氏のように、解散発言をする幹事長もいるにはいるが。彼は少なくとも大臣ではない。
 しかもこうした運転を許可してきた中教審の責任は重い。くるくる代わる政府の教育行政方針に一定の指針を与えようとするのが審議会の役割であるのに、中教審すら大臣のいいなりになっている現状では、番人としての意味もない。なぜ「これからの教育を語る懇談会」に座長は名を連ねるのか。恥かしくないのか。中教審は威信を捨て、大臣にひざまづいた。もっと堂々と「懇談会」の外に屹立していればいいのである。
 国民の教育要求を吸い上げる機関はもうないのか。立法にあたって教育的刺激を与えられる存在がみえない。
 次の勉強会で、こうしたことについて議論してもらおうと思っている。(12/16)

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 ダイオキシンによる大統領候補暗殺説が強まっている、あるいは確定しているウクライナの現況は、民主主義がいかに根付きにくいかを物語っている。知らぬ間に大統領候補がダイオキシンをもられるとは、なんたることであろうか。脇が甘すぎる。
 摂取前後の比較写真をTV(朝日新聞の写真はこちら)でみたけれども、全然違う。ユシチェンコ氏の顔がいわゆる吹き出物で覆われたふうであった。専門家によれば、あれほど皮膚が変質するには数ヶ月ダイオキシンを摂取しなければならないらしい。
 ダイオキシンが暗殺の薬物になったのは、今回がはじめてであろうか。エジプトの太古以来、毒殺はヒ素と相場が決まっている。ヒ素による毒殺は、証拠が出にくいといわれているからである。ダイオキシンを毒物として使用しているところに、現代の暗殺事情があらわれている。ふつうダイオキシンといえば、産業廃棄物の燃焼後に排出されるものなのではないのか。それを集めておいたわけなのであろうか。それともダイオキシンは精製しやすい毒物なのであろうか。よくわからない。
 わかっていることは、選挙のやり直しどころではないということである。ウクライナといえば、旧ソ連のなかでも先進地域であるだけに世界に与えたショックも極めて大きい。ヤヌコビッチ氏の関与は不明だが、無関係だとしても後味が悪い。
 少なくとも民主主義の枠内で遂行すべきなのが政治権力闘争である。こうした暗殺未遂が未だ民主主義の脆弱な国々に飛び火することを恐れざるをえない。(12/15)

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 組織率の大幅低下はどのような根拠からなのか。あらゆる意味でがんばってほしい日本教職員組合の組合員数が31万人となったようである。
 讀賣新聞が報じるところの、30パーセントを割り込む組織率は、政治的無関心層が増加すれば増加するほど低落していく現実を反映しているのではなかろうか。日教組の闘争理念が旧文部省との歴史的和解以来、微妙に穏やかになったし、今度の義務教育費国庫負担の問題でも文科省と距離が近くなったし、どこをどうつつけばいいのか、組合員においても問題意識が分裂し、思想的結束が難しいのかもしれない。
 外側からみているワタクシとしても、日教組の大綱的理念をここで確固たるものにしないと、組織の存続にかかわる一大事だと感じている。日の丸君が代をめぐる極限的な政治的闘争に終始するだけでなく、具体的な、なにか現場の感覚を組織運営理念の柱にしていくことが、組織率低下の「はどめ」となるのではなかろうか。
 2004年度の教員採用試験の結果がでて、合格者数が飛躍的に伸びている現況が報告されたいま、上のような方針から新人を引き付ける手だてを考えられたい。総合学習推進の研修のほか、保護者とのやりとりの研修、地域との連携の研修など、政治色をブリーチすることが、その一方策であろう。そのとき、教育委員会の定番的研修と違う内容を用意できるかどうかが鍵となる。
 そのような計画は、すでに日教組の方でいくどとなく話し合われていると思われるが、危機感が牽引となった小手先の運動理念の提示や焼き直し的なものでは、いまの若い教員の心をつかめないと恐れながら述べておきたい。
 100万教員そのものの年齢構成が逆ピラミッドになっているのにしたがって、日教組の構成員も相似形をとっている。指導部の意識改革に必要な30代、40代の教員がもともと少ないけれども、思想的結束力を増すには度肝を抜く世代交代を教員界に示すことが、あるいは組織強化の原動力になるかもしれない。(12/14)

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 謹告…勉強会の申し込みページが機能不全をおこしていました。お申し込みいただいた方、お手数ですが、再度よろしくお願いたします。本日は、結果的に更新お休みとなりました。ごめんなさい。(12/13)

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 昨日は忙しい師走の土曜日にもかかわらず、勉強会に参加していただき、ありがとうございました。昨日は男性4名、女性6名の方にお集まりいただきました。
 序盤の講義では、こちらからの問題提起に対し、様々なご意見をいただき、少し難しいながらも盛りあがりました。「西洋で身分制はどうして打破されたのか」ということを、ルソーの教育とかかわらせて議論いたしました。議論は日本の身分制社会から近代社会への転換についてもおよびました。
 中盤の答申輪読では、「地域運営学校答申」をようやく読み終えました。今回は公立学校の包括的委託についてのところ、教育資源の活用のところに議論のポイントがありました。どうやら民間委託は、学校法人に委託することで決まりという論調でありまして、厳しい条件をつけてまでなぜ民間に委託するのか、厳しい条件を呑む委託先はあるのかどうか、疑問をもってしまいました。次回は新しい答申の輪読に取り組みます。
 最後は集団討論です。序盤、中盤で時間をとってしまったので、討論時間はコメントも含めて50分となってしまいましたが、議論すべき視点が参加者全員から提出され、有意義であったと思います。
本番の試験で、話す内容が思い浮かばないことくらい怖いことはありません。この旁午にイロイロな話すべきポイントを書いたとして、それを読んですぐに身に付くものでもありません。やはり討論は場数でして、テーマと参加者とによっても出来具合が変化してきます。それゆえ、ここに書いていることを記憶しても、何らかの助けにはなりますが、地力が付くかは別問題です。
 テーマは、「食の安全について話題になっています。児童生徒の健康という観点から議論してください」というものでした。まずはこのテーマの解釈ですが、一文目と二文目のどちらに重点があるか、つまり「安全」と「健康」のどちらに比重をおいて討論するか、これを定めなければなりません。テーマの意図は、「児童生徒の健康という観点から」話し合えというところにあります。だから、BSEや添加物、遺伝子組換食品のことばかり話題に出しても意味がありません。問題は「ばかり」のところです。なにもまったく話題にするな、ではないのです。たしかに、今回の討論でも、海外輸入品と国産品の比較、ポテトチップの成分表から保存料について考える、なども提出されています。しかしそれが討論のメインになっていなかったのが、テーマを踏まえている集団であるとみなされる所以となります。このようにテーマの本質を見抜くことがまずなによりも大切です。それはテーマに即して議論できるかどうかに直結しています。
 討論の口火は、ある参加者の提案によって切られました。栄養教諭の導入の背景を考えよう、そして次に栄養教諭を導入することによって、学校はなにをしたいのかを見極めよう、というものです。導入の背景には、食生活の乱れがキレやすい児童生徒を生むからとのご意見がありました。栄養教諭と教科担任とのタイアップによって、なんらかの授業ができないかとのご意見もありました。
 このほか、生活指導の問題関心から、遅刻指導で校門を通る児童生徒がしんどそうにしている実態から、朝だけでなく、昼も抜く子たちがいることを指摘したり、学習指導の面からは、安全な食品の選択能力を養う授業が提案されたりしました。このときの授業は総合学習を意味しているのでしょう。特別活動で展開することもできますね。
 また、食を考えることは、学校現場では、給食や弁当を考えることでもあります。そこで、栄養の偏りが発生する原因論が愛情問題と絡め合わせて討論されていきます。弁当を作る代わりにお金を手渡し、コンビニ弁当を買う児童生徒。物を買って食べる社会のあり方に慣れてしまう児童生徒。そこにはコンビニ食が栄養バランス的にあまりよいものではなく、それを摂取する問題性と、弁当を作る保護者の愛を感じなくなる児童生徒が浮かび上がってきます。コンビニ弁当ならまだしも、お菓子ばかりになってはどうなるのでしょう。
 一方、給食については、特別支援教育に従事されている討論参加者から次のようなお話がありました。実物を取り上げ、給食材料が児童生徒自身の栄養になっていることを説き、なかでもにんじんの栄養価を考えさせた結果、給食の残り物がなくなった事例を報告していただきました。そういえば、牛、馬を見る機会や畑栽培を具体的に知らない児童生徒をどう指導するかというご意見もでていました。食べることは人を受け入れることであり、食べ物を作ってくださる方、給食を作ってくださる方への感謝の気持ちも忘れてはならない指導です。ただしかし、こうした議論は「健康」とどう結びつけて展開させるかは問題となります。
 ファーストフードとスローフードの関係、食事をする楽しみ、食生活の中心となる家庭ではどのように食事を考えているか、学校の教員として保護者へ食に関する啓発活動をどのように進めていくか、食事をしっかり摂るため身体を動かすこと、などが討論者から発信され、討論を聞いている側からは、生活習慣と食事の関係、3食規則正しく摂ることが生活リズムを作るということ、摂食障害をどう解消すべきかなどのご意見がありました。最初に示した落し穴にはまることなく、「健康」、児童生徒の健やかな成長を願う立場から討論されていたので、概ね良好な討論となりました。思春期、成長期である児童生徒と食事の関連性や、体格的に何年生がどれくらいの身長と体重であるかを押さえておけば、実感をもって討論できるでしょう。
 来週土曜日の勉強会で、年内の開催は終了します。18日には、現役の先生に来ていただけそうです。みなさま、「学校」を意識するチャンスです、ふるってご参加くださいね。(12/12)

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 本日は、定期勉強会開催日です。師走のお忙しい中、参加表明いただきありがとうございます。「勉強会のお知らせ」ページに「計画」を載せていますように、「個人面接対策としての『個人解剖』の試み」を来年から行ないたいと思っています。
 1次向け問題集は、とりこさんからお借りしている教材を検討中でして、もう少し時間がかかります。
大阪府用と神戸市用を作りたいと意欲するものの、どこまでできるかどうか。両方兼ね合せられるといいのですが、それは傾向的に難しい処理になるかもです。そのうちメルマガにしたいです。
 本日は「食」についての討論を予定しています。とすればアレですね。事前にご検討のほどを。(12/11)

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