日々旁午

2008



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当サイト勉強会で使用している問題集や参考書ほかを、大阪駅前第2ビル地下2階で、いつでも購入することができるようになりました。地下2階のレンタルボックス・キャビン(06-6344-0509:営業時間/平日11:00〜19:30/土日祝11:00〜18:00)というお店に陳列しています。下の写真、ロボットが目印です。問題集のほか、しょうもない小物も置いていますのでご覧ください。

現在、「シート式C」、「シート式D」、「平成19年夏実施大阪府過去問解答解説集(教職教養部分のみです)」、「平成18年夏実施大阪府過去問解答解説集(教職教養部分のみです)」、などを陳列しています。

レンタルボックス・キャビン店内に連絡掲示板が設置されています。連絡掲示板にご要望を記入いただければ対応しますので、必要な資料あるいは問題集について簡単にコメントくださいませ。コメントがあれば、おきたいと思っています。そのほかは、こちらのページ(日程の下に資料の一覧表があります)、および、こちらのページを、どうぞご覧ください。よろしくお願いします。

各種資料ほかをご購入いただいた方々、ありがとうございました。お礼申し上げます。

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県別教採対策まぐプレ

−講読についてのお知らせ−
『会員登録ページ』はこちらです。
1ヵ月目は講読無料。こちらに案内があります。
現在発行の「まぐプレ」の簡単な説明については、以下のバナーをクリックしてください。なお、講読解除も以下のサイトから簡単にできますのでご安心ください。
まぐプレバナー(←広島教採対策)

■ながらくご愛顧いただいておりましたマグプレ広島教採対策ですが、今冬を持ちまして、発刊終了することにいたしました。ご講読いただいたみなさま、まことにありがとうございました。今後も広島対策は継続いたしますが、当サイトにおきまして、直接の扱いといたします。また、2009年も、広島におきまして対策講座を実施いたします。日程につきましては、また、当サイトにて広報いたします。よろしくお願いします。

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1巡して第1発言者のEさんに戻ってまいりまして、Eさんは、教育の専門家としてコミュニケーション能力は是非必要な能力であるとのご意見に同意され、教員が地域社会との結びつきをもっと強めるべきであるとの立場に立つ方法を話されます。それは授業内容についてであり、地域の文化施設を調べさせる授業を展開し、児童生徒と地域社会との接触や交流を深めることを通して、教員もコミュニケーション能力を高めていくことができるとの発言です。その際、教員は飽くまで支援者ですから、文化施設たとえばお寺でもなんでもいいわけですが、児童生徒にじかに連絡をとらせて児童生徒自身のコミュニケーション能力を育成すると述べられました。その際、Cさんが提案されるように、班単位での話し合いの手法をとることも有効ですね。Cさんはそれだけでなく、コミュニケーション能力の育成は挨拶に出発するとの自説を主張、おはようやさようならをちゃんといえる人格形成に力を入れるとのことです。学校が児童生徒を元気よく迎え送り出すことが、コミュニケーション能力育成の前提となるとのスタンスです。コミュニケーション能力は学校からの文字の発信でも可能です。Dさんは各種通信の活用を図りたいと述べられます。こうすれば保護者とのコミュニケーションもとることができます。
 ここで「必要なもの」として、授業についての議論に戻り、Fさんが好き嫌いのある音楽などの芸術系教科についてどのように指導するべきか語られました。楽器でも好き嫌いがある現状、児童生徒の個性に応じ、好きな楽器を担当させることを極力実施し、楽しめる授業を提供することこそ、教員としてなさなければならない「必要なこと」であると確認されました。Aさんはこれを一般化し、伝えあう力や理解しあう力、ひいては表現する力が現在の児童生徒にいささか欠けている点を指摘し、授業中でどうにかして、手を挙げて意見をいう機会を増やそうと抱負を語られました。その実現は教員と児童生徒とのよい関係ができているかどうかにかかっているとEさんは述べられます。それは児童生徒理解と関わってくる議論ですが、教員がいわゆる気づきの目をどれほど持っているかによりますね。そうした児童生徒をどう理解するかにおいて教育実習の経験を語られたのがDさんでした。
 Dさんは、クラスノートが用意されていたのを報告されます。生徒とコミュニケーションをとる時間がなかなか見出せない高校にあっては、日記風でよいのでこのノートに生徒がなにがしかを書き、それに対して担任の先生がコメントを常によせられていたようで、こうした「うまい手」をもっと作り出していくことができないかと考えておられました。こうしたノートからは、児童生徒の生活もみえてくるでしょう。それをFさんが指摘されます。Fさんも実習体験から、班の交換ノートに触れられ、夜2時まで起きてしまって遅刻したとの記述を紹介されました。もちろんそれに対するコメントが生活リズムを修正するひとつの方策になっているわけです。
 Eさんは再度、授業の議論に話題を戻されて、高校志望の立場からは、彼らの自主性を育むために、ぐっといいたいことをこらえてスタンバイしておく態度が教員に必要なのではないかと提案されました。理解は教員がするのではなく、生徒がしなければならないことです。なんでも教員が答えをいってしまうのではなく、また、辛気臭くて教員がたまらず指導してしまうのではなく、待つ姿勢が大切であるとのご意見です。これは一般論として、なかなかできないことだけに重要なご意見ですね。いわば教員が児童生徒を突き放す姿勢です。自分で考えるきっかけは、面倒見のよさと相反する姿勢ですが、この両者相俟って指導が貫徹するのでしょう。
(以下、次回更新)
 みなさま、今年ももう大晦日ですね。いかがお過ごしでしょうか。今年も「浩の教室」にお付き合いいただき、ありがとうございました。来年もよろしくお願いします。でも、みなさん、この教室からはやく旅立っていってくださいね。そして、新しい関係をこのサイトと結んでくださることを祈念しています。
 充実した1年になること、体調を崩されないこと、この2つをともに実現しましょう。
(12/31)

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無事に名古屋から新名神経由で帰ったのも束の間、昨日から今日にかけては、友人宅を来訪し自慢の火鉢をみせてもらい、さらには親族宅にて昔ながらの臼と杵を使っての餅つきと、ハードな日々を過ごしておりました。年末年始の雰囲気です。ああ、年賀状をなんとか印刷し、宛名を書き込むシゴトも残っています。なんとかしなくちゃね。うっしっし。
 さて、集団討論の模様を再現いたします。今年は師走もかなり押し詰まった27日にも、「勉強してから正月を迎えましょう」という意図の下、開催しました。テーマは、「教育の専門家として、教員に必要なことは何か、議論してください」と基礎的なものでありました。今年を締めるこのテーマに、6名の方が20分間議論してくださいました。
 Eさんからまず提案がありまして、テーマに即して一人づつ「必要なこと」を述べてみましょうと切り出されました。Eさんは高校志望の立場から、学力の問題をとりあげられます。これは学力向上のための授業力を教員が身に付けることが必須であるとのご意見です。それは、よくわかる授業、ためになる授業の実践力を意味します。つづいてCさんは、「必要なこと」は、コミュニケーションの力であると述べられます。これは、単に児童生徒とのコミュニケーションの能力ではなく、保護者や教員間におけるそれも含めて必要性を語っていらっしゃいました。Fさんは、音楽科志望の立場から歌を歌う力、楽器の演奏能力が是非とも必要であると述べられ、教科の特性としてこのような能力を教員個々人が高めることによって、児童生徒に自然と学ばせることができると話されます。Dさんは、一人ひとりのことを理解する能力、つまり生徒理解を挙げられます。児童生徒との信頼関係を作り上げ、彼らを理解することが、授業の実践を左右すると述べられました。
 次にAさんは、児童・生徒理解の議論から、理解の前提となる深い愛情を彼らに注ぐことが必要と述べられました。そして最後にBさんが「必要なこと」は、児童生徒の人生を豊かにする業であるとご意見されました。オーストラリアでワーキングホリデーの経験を持つAさんは、様々な体験が心を豊かにするとの自論をお持ちです。
 このように参加者めいめいの「必要なこと」の提案が出されて、これ以降、どのように議論を深めていくか苦心することになります。
(以下、次回更新)

(12/30)

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先日は、当サイト主宰勉強会に多数ご参加いただき、ありがとうございました。また、勉強会終了後の麦酒会にも大勢の方に集っていただきました。久しぶりに駆けつけてくださった東京の先生、遠く愛知からもご参加いただきました。ありがとうございました。
 さて、この28、29日は旧交を温めるために名古屋の方に行っておりまして更新が遅れました。すいません。今年最後の勉強会は27日の土曜日に実施し、生涯学習に関する過去問の検討、Yさんの自己売り込みのツボ、最後に集団討論を実施いたしました。
 過去問の検討では、いささか長くなりましたけれども、生涯学習についての議論をすすめました。生涯学習の提唱から日本における展開、生涯学習振興行政についてです。また社会教育行政のことについても簡単に触れました。問題としてはむつかしくはないものの、選択肢に使われている言葉からむつかしさを感じるようです。しかし、しっかり読めばよいですね。選択肢に関連する答申の部分を引用および説明しつつ、知の循環型社会とはどのようなものであるのかについてもみなさまからご意見をいただきながらすすめました。
 次に、講義をするか、自己売り込みのツボをするか若干迷ったのですけど、せっかくYさんが用意してきてくださっていたので、お願いすることにしました。プライベートなところにもかかわりますので、ここではYさんに対するコメントは差し控えます。しかし、みなさんや先生方からいただいたコメントを十分生かし、原稿作成がんばってください。
 最後に集団討論です。「教育の専門家として、教員に必要なことは何か、議論してください」がテーマでした。どのような議論がなされたのか、次回の更新であきらかにしてまいります。
 ただいま新名神土山インターを出たところです。車の中の更新は揺れて大変です!
(12/29)

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さらに、Bさんの議論では、府民と保護者と児童生徒の教育要求に学校がどのように対応するか、学力向上について掘り下げるご意見がありました。それは、保護者にあっては学力を評価する場合に一刀両断的なテストの点数を挙げるのに対して、学校は多様な評価スケールを用意しており、その差異にBさんは悩まれています。Bさんご自身の表現を書きますと、「学校で評価するポイントは別のところにある」とのことです。この「別のところ」とは具体的にはどのような断面なのかはっきりさせることが期待されます。ニュアンス的にはわかったのですが、ピシッと表現してほしかったところなのです。こうした理由からかどうかわかりませんが、Bさんの発言を深めようとするような後続のご意見があまり出ませんでした。
 つづいてAさんが適切な言語活動を保護者は要望しているのではないかと述べられて、新しい視点を提供し、議論をつなごうとしました。これは児童生徒の道徳観育成とも関わりを持ち、荒々しい言葉遣いを是正する指導を実践していくと語られます。このご意見も討論の中では単発的な感じで受けとめられました。集団討論の難しさがすごくあらわれているといえます。前の方の議論につながらないと、前の方の発言を無視したことになるし、煮詰めていくことになりません。しかも、煮詰める素材としてのご意見が煮詰めるに値するものであるかの判断を瞬時に行ない、同意あるいは批判でも意見を紡ぎ出す困難さを伴います。自分自身のご意見が討論の中でどのように評価されるのかに常に注意を払うべきなのでしょう。
 他者の意見に「同意する」発言は、「〜さんがいわれたように」の形で切り出すことが多いわけですけど、Dさんの安心について言及されたEさんは、集団登下校について話を進められました。地域の防犯意識を高める問題意識を発言の背後におきつつ、下校ルートの見守りの議論やイヌの散歩をしているときでもそこはかとなく見守り意識を発揮してもらいたい旨、主張されました。ここで地域の防犯意識が地域と学校の関係に議論転換し、Cさんから公開授業の提案が出まして、学校をどのように地域に開放していくかといった発言となりました。Dさんは公開授業から一歩すすめてオープンスクールの話題を提供し、児童生徒の普段の様子をできるかぎり公開しようとする意欲をみせられます。これは、Dさんがつづいて述べられたように、3者連携の議論を導き、学校の情報発信の議論にまで発展させられます。しかし、それはテーマを大幅に逸脱したものでもあります。
 Eさんは、学校の公開という視点でCさんやDさんと関連させながら、地域の方を招いたキャリア教育の推進についてご意見されました。児童生徒が進路を決定する際の参考になるご意見を招待した地域の方々から聞けるメリットを重く考えておられます。このご意見にAさんは進路先の希望と合致しないケースもあることを断りつつ、進路の方向性の示唆というスタンスで招待授業は実施するべきとのご意見がつづきました。進路ということでは、Bさんがいわれたように、アイマイなことが多いものです。進学であれば、保護者は偏差値一辺倒で考えてしまうワケですけど、それでは従来型のスケールと同じであり、教育評価上の発展がないとBさんは捉えられているようです。とすれば、なにが求められるべきなのか。これは、保護者の教育要求というよりもむしろ、教育に課されるべき本質的要求というべきものでしょう。しかし、これにはある程度解答が与えられています。それは、Bさんがいわれているように生徒が主体的に判断する能力なわけでして、例の生きる力になります。自らの道を自らが切り拓いていく尊い力なわけです。これは、Cさんの表現を借りれば、「社会に出たときに通用する力」であるのはいうまでもありません。ただし、Cさんにあってはその内容が変質させられています。これを社会に出てから恥ずかしくない態度をとることと実践的になり、基礎的なルールやマナーの定着を保護者が求めておりそれを学校が指導するということになっています。挨拶や遅刻の指導ということですね。このあたりの議論はかなりの温度差があって、噛み合い具合が微妙になっていました。
 社会で通用する力については、Eさんもその両方の意味で承認されていまして、ただそれだけでなく、児童生徒の可能性を伸ばす指導をたとえば自由研究などで実施していくと抱負を語られました。
 このあたりでだいたい20分を過ぎ、最後にBさんが、Eさんの可能性の議論を深めて、これを教科教育の力でどのように育てていくか、専門教育の意図とも絡ませての発言がありました。
 これで今回の集団討論の再現とそれに対してのコメントは終了です。行論中に散発的にワタクシからの個別的なコメントはいたしましたので、参考にしてください。あす土曜日の勉強会ですが、年内最終ですね。勉強会終了後にはゲストを交えて麦酒会といたします。気になる集団討論のテーマは、「教育の専門家として、教員に必要なことは何か、議論してください」という、これも今年度出題されたテーマです。ワタクシたちの過去の勉強会でも、経験したテーマだと思います。検索してみてくださいね。
(12/26)

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いや、もう、クリスマスですよ、みなさん。ということは、もう今年も暮れるということですよ。はあ。はやいものです。
 昨日のNEWS23が特集を組んだように、経済対策、それを象徴する非正規雇用問題の解決が年末年始の政治課題となっています。よく漢字を読み間違いする麻生氏は、この政治課題を解決するべく補正予算に言及し、生活を守る予算だと大見栄切っていましたが、政治に頼ることの虚しさを表現したに過ぎないようです。世界で最初に不況から脱出できるかどうか。
 景気回復を前提にすると約束しても、消費税法改正を遮二無二実現しそうです。すでに公明党を説き伏せています。こうした消費税アップがアジェンダになっている財政状況は、日本経済の死に体を国内外にいいふらしているようなものです。それで「脱出」をいえる心臓は、さすがは茂の孫という貴族性の臓器でしょう。自民党は下野という形で国民に謝罪し、歴史的に反省しなければなりません。いつもいっている「解党的出直し」を本気でやるべきでしょう。
 こうした政治状況の窒息をさらに埋葬にまで先導するのが、皮肉にも日銀でした。日銀短観はアナウンス効果の恐怖を知りつつも、「景気は悪化している」といわざるをえませんでした。
 トヨタショックやソニーショックが日本に暗雲をもたらし、太平洋の向こうでは、フォード・モーター、ゼネラル・モーターズ、クライスラーのビッグ3がガケップチに立っているからです。自然の摂理に逆らい、東からの低気圧となって押し寄せているといえるでしょう。これはすぐに台風に変質します。この超強力凶悪な台風は、オズの魔法使いのように、最終的にメルヘンをキャリーしてくれる保証はまったくありません。
 さらには銀行の銀行の立場を守るべき日銀が、コマーシャルペーパーを買い取る動きもみせています。これは間接金融の禁じ手を実行するに等しく、その破綻は日本を超不況に陥れることでしょう。アイスランドやジンバブエは対岸の火事ではありません。
 日銀のこうした2つの作業は、やむをえないものかもしれません。前者はアナウンスですからまだしも、後者は悲惨です。グリーンスパンが謝罪したような議会演劇が、数年後の国会で再現されることは、聴衆の立場として面白いのでしょうか。議会が国民の日常生活に浅いところでも深いところでもつながっているかぎり、自分で自分を笑うという、笑えない聴衆を、聴衆そのものが演じなければならないということになります。オーディエンスにアクターを要求する政治です。その時給が定額給付金とすれば、作り笑いも極まるということです。だが、それこそが、国民主権ということなのでしょう。
 「おい、地獄さ行ぐんだで!」ではじまり、「そして、彼等は、立ち上がった――もう一度!」で終了する小説が大層売れているようです。雇用情勢は悪化し、ニート60万人、フリーター180万人を数える現実は、ひょっとすれば「ホームレス予備軍」の生産を意味するかもしれません。彼らが多数となり、都会を彷徨うあるいは漂うほかなくなるのかもしれません。ワタクシは、実際、水谷氏とは目的が違いますけれども、大阪はミナミの街を夜回りします。PCを抱えて、あるいはマクドナルドに、あるいは隠れ家的居酒屋にと。マクドナルドはイロイロな人間模様があって、若い方から初老の夫婦まで吸収しています。始発を待つわけでもない行き場のない人びとが、数百円で席を占領しています。ワタクシもその一人としてPCボードをたたきまくっているわけです。煙と体臭と入り混じった空間は「地獄」的環境です。深夜4時にたたきだされるあの人たちは、その後、何処へいくのでしょうか。わかりません。しかしまた、この空間に舞い戻ってきます。
 ちょっと前までは、「プータロー」と笑って済ませて自己の将来に多少の希望と期待を寄せていた若い人たちは、100年に一度の「地獄」に遭遇し、その未来が濁ってきています。革命的伝統のない我が国ではありますが、西洋18世紀後半に匹敵するアクションを、合法的支配の下で実現できないものでしょうか。みながあきらめかけている政治に再び魂を入れるのは、投票用紙という武器しかいまのところありません。武器を武器と認識できる正気を保てているのかどうか、これをマクドナルドの住人に確かめる選挙が、春までに告知されることを願っています。
 日銀からマクドナルドまでつながる切れない蜘蛛の糸は、芥川でさえ描けないものです。切れるから蜘蛛の糸なのに、切れない蜘蛛の糸。しかも現代の蜘蛛の糸にはバラのような棘があり、縄化しています。では、1億2千万人がつかまっても切れない現代の縄は、一体、どこから垂れ下がってくるのでしょうか。それは神仏が製造・用意してはくれません。自ら紡ぎだすほかありません。しかしそれは自己責任の紐とは別の紐をあざなっていなければならないものと思うのです。すなわち、あざなえる縄は自己責任の紐とライフラインの紐と、さらにもう1本の「知恵の紐」とであざなわれなければならないと思われるのです。この「知恵の紐」をどう作るかが問題なわけです。そしてそれが、「知恵の輪」なので、なかなか解けないというわけです。
 討論再現は、またあしたに。
(12/25)

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つづいて発言されたのは、Cさんのご意見に同意されているEさんでした。基本的生活習慣の確立に関し学校はどのような支援ができるのか。Eさんが提出されたのは、食育でした。小学校には給食があります。生活習慣の確立は、3度の食事をちゃんとした時間に、しっかりととることだと述べられます。そうすれば、食事を軸にした生活リズムの習慣化が可能となるとのご意見です。
 なるほど、のご意見です。Eさんはさらに、「嫌いなものは食べさせないでほしい」とのモンスターペアレント的要望があることもご自身の講師経験から披露され、これに対しては児童生徒に給食センターに見学にいかせることによって解決すると具体的です。一所懸命に調理しているところを見学させて、児童生徒に好き嫌いをするべきではないことを理解させ、ひいては保護者にもそれが伝わるように広報していくと発言されました。
 ここでDさんが、Aさんの家庭との連携に関して保育士経験を踏まえたご意見を述べられました。そこでは、「上の2つのうちの1つ」つまり「友達とうまくやっているかということ」に関する具体的な保護者からの要望が多々あったそうで、保護者は我が子がちゃんと遊んでいるか、お友達とちゃんと保育園生活を送っているかが焦点になっていたということです。我が子の人間関係に悩みを持っている保護者像が浮き彫りになりました。このDさんの発言は、今回の集団討論において一番長い発言時間をとっていたものでした。3分近く話されたでしょうか、これでは面接官の印象は悪いでしょう。精々、1分にとどめてほしいですね。あまりながくしゃべっていると、自分自身でも何をいっているのか途中でわからなくなるケースもあるのです。本番は極度に緊張しますし、短い発言を繰り出す「手数を出す」との作戦の方が、あらぬ失敗をせずにすみます。
 Cさんは、基本的生活習慣にこだわりをみせる発言をつづけられました。早く起きて朝食をとるということがその主張の核心です。体育志望らしく、朝に炭水化物を摂れば脳が活性化すると解説され、こうした情報を家庭に配布する通信などに載せたいと意欲的です。
 ここで、Bさんがこれまたこだわりのある発言をされました。先ほども、保護者と学校・教員との間にズレを見出されたBさんですが、ここでは、大阪府民の教育的ニーズと学校に通う児童生徒とその保護者の教育的ニーズにちがいがあると分析されます。そのちがいは具体的にどのようなものであるのか、いまひとつはっきりしなかったのですけど、たしかに府民と保護者は、ベン図的にいえば位置的にも教育要求的にも重なり合う存在でありつつも、その教育要求はどこかで異なるでしょう。これはしかしむつかしい議論です。府民の要求は一体どのようなものを想定されているのか、ワタクシなどは重なり合う部分がすぐに浮かびます。府民も保護者も、やはり「上の2つ」を要求しているでしょう。学力でいえば、学力テストの順位上昇を府民も気にかけていると思われます。児童生徒の人間関係も円滑であるに越したことはないからです。このあたり、もう少しBさんの自論をお尋ねしたいところですが、20分間の集団討論で踏み込んでいい内容であるかどうかも反省的に捉えないといけないかもしれません。
(以下、次回更新)
(12/24)

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それでは集団討論の模様を再現していきましょう。今回のテーマは、「保護者が最も学校に求めていることは何か」でした。このテーマに5名の方が挑戦されました。時間は20分+αです。端的な解答を先に示せば、「保護者が最も学校に求めているもの」=「学力をつけること」と「友達とうまくやっているかということ」となります。集団面接では、こうした解答がパッと出てくればいいのですが、討論ではそれだけでは困ります。どうしてそうなのか、どうすればそうした要求に応えられるのか、が語られなければなりません。さらに、なぜそうした保護者の要求が出てくるのかの分析的発言があれば、さらによいですね。とすれば、討論の構成は、「テーマ確認」⇒「どういうことを議論するかの問題提起」⇒「学力をつけること」と「友達とうまくやっているかということ」⇒「なぜそうした要求があるのか」⇒「どのようにそれぞれの要求を実現するか」となるでしょう。
 20分間の討論で、多面的に議論するには、この2つの軸以外にもまだ議論するポイントはあります。一体、なにが登場したのでしょうか。議論をご覧ください。
 まず発言されたのはBさんで、テーマを確認された後、イロイロな保護者からの学校に対するニーズを出し合いましょうと討論参加者に呼びかけました。Bさんご自身は、ノッケからテーマに対する厳しい切込みをされまして、それが難解さを討論自体に与えてしまいました。すなわち、保護者のニーズをどのように実現するかや保護者の要望と学校の方策との間にズレがあること、そのズレを確認する必要とどう解消していくかが学校をめぐる課題となっていること、を提示されたのです。もちろんこうした問題を学校をめぐって存在するのはわかります。しかし、ここは第1発言ですし、この問題意識はもう少し後で提起された方がよかったように思われます。最初にむつかしい問題を提出されますと、討論参加者が萎縮するからです。
 この厳しい切り込みを省いて、Bさんが最初に示された保護者の要求のみを述べられた方がベターでしょう。すなわちそれは上の2つのうちの1つである学力を身に付けること、です。さらにBさんは学力テストにも触れられ、それが討論全体に影響を与えることになりました。
 つづいてEさんが入学当時や小学校であれば3年生時にクラス替えを児童が経験することに触れ、保護者はクラスに適応できるか心配するとみておられます。それゆえにクラスにしっくりなじめるような要望が出されるだろうと述べられました。これは、上の2つのうちの1つである「友達とうまくやっているかということ」を解答としてあげているといえます。そこにクラス替えを含めた変化球的な発言といえるでしょう。Cさんは、保護者は基本的な生活習慣の確立を求めていると述べられました。これも要望のひとつにはちがいありません。はやくも「2つの軸以外にもまだ議論するポイント」が登場したわけですけど、基本的な生活習慣の確立は、保護者の本質的な要求ではないような気がしますし、本来、保護者自身が、つまり家庭が責任持って実現すべき項目でしょう。ただそれでも、モンスターペアレント的な要求がワンサカある現実において、まだしも許容範囲にある保護者からの要求であると位置付けられますね。
 Dさんは、印象的な発言の仕方で、保護者の求めているものは安心であると述べられました。保護者にあっては、「先生は我が子をちゃんとみてくれているか」不安であるとDさんは解釈されているわけで、それを安心という言葉として表現されました。この安心という言葉は多様な想像をワタクシたちに抱かせます。あるいは、いじめられていないか、あるいは、ちゃんと勉強についていっているか、あるいは、登下校中、安全であるか、などなど、精神的安全から物理的安全まで含みこみますね。
 Aさんは、Bさんと同意見であり、学力向上が保護者の最大の要求であろうと発言されます。ややもすると暗記教科であるがゆえに、はなっから興味がないと捉えられる節のある歴史であるが、なんとか興味を引くよう授業に工夫を凝らしていきたいと抱負を語られます。さらに、キャリア教育にかかわる議論も提供されました。
 Bさんは、Aさんと意見の一致をみたわけですが、もうひとひねり、各家庭の生活と学力との関係にまで議論を発展させられます。また、Eさんのご意見にも賛同され、児童生徒間の信頼関係の形成についても言及されました。つづいてAさんが各家庭の生活と学力との関係性に応じられ発言されました。各家庭の生活とは、具体的には経済生活を意味しているわけですけれども、こうした濃厚なポイントは議論するのに骨が折れますね。各家庭の経済状況まで学校がなんとかできるかといえばできるはずもありません。けれども、各家庭の経済状況が学力と相関関係にあるのは明らかです。どうしても客観的な意見を述べるにとどまる議論です。
 Aさんは、学校と家庭とが連携して、地道な努力を重ねるべきであるとの立場で、たとえば勉強時間の確保などは家庭との連絡を密にすることによって担保されるとお考えのようです。ここから、家庭との連絡を具体的に電話やノートでするとのご意見が出てくるわけです。ただし、Aさんは高校志望ですから、生徒の主体性が発揮される方向で議論を進めるべきでしょう。連携は大切ですが、高校生ともなれば連絡帳でもないでしょうしね。自らの道を開拓していく主体的精神の兆しを高校生には期待するわけでして、そのあたりが小学校志望の方と捉え方が異なってくる点でしょう。
(以下、次回更新)

(12/23)

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昨日は師走のお忙しい中、当サイト主宰第12回勉強会に多数ご参加いただきありがとうございました。久しぶりにご参加いただいた方、また、新しくご参加いただいた方いかがだったでしょうか。
 さて、当日は、いささかカリキュラムを変更いたしまして、今季初の「自己売り込みのツボ」を組み込みました。その代わりに、講義はお休みしました。あっという間に4時間は過ぎるものですから、なんとか他の項目と折り合いをつけつつ今後も実施してまいりたいと思っています。
 まずは、過去問の検討です。学力テスト関連の解説をいたしました。問題そのものは、それほど難しいものではありません。ただ選択肢が正答である根拠について資料を示しつつみなさんと議論しましたので、レジュメも10数枚、時間も1時間以上とることになりました。基本的生活習慣が定着している児童生徒の、国語や算数・数学の正答率が高いなどは既知の部類にはいりますね。「5ポイント」云々のところなどは、ある程度の類推が必要となります。選択肢に即しての考え方の前提に、そもそも学力テストを実施するべきか否かの議論に力点をおき、みなさんのご意見を賜りました。8対2くらいで学力テスト実施賛成派が多いですね。さまざまな思惑がありつつも、教員をめざすものでこの割合は、意外でした。現職の方だともう少し反対派が上回るでしょう。世論一般ではどうなんでしょうかね。
 つづいて、本来は講義をワタクシの方からするのですが、昨日はお休みし、代わりにNさんの報告となりました。「自己売り込みのツボ」です。「自己売り込みのツボ」とは、一人の報告者が面接官に3分間で自己を語り売込みするコーナーです。これは個人情報を含む報告になりますので、サイトでの公表は控えます。Nさん、みなさんからいただいたご意見やご批判を基に再構成してくださいね。具体的に書くこと、本当にイイタイコトを書くこと、情熱があふれるように書くことが肝要です。
 最後に集団討論でした。この模様については、次回、再現してみます。みなさんもっと参加意欲を高めてくださいね。やってナンボです。
(12/21)

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