日々旁午

2008



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当サイト勉強会で使用している問題集や参考書ほかを、大阪駅前第2ビル地下2階で、いつでも購入することができるようになりました。地下2階のレンタルボックス・キャビン(06-6344-0509:営業時間/平日11:00〜19:30/土日祝11:00〜18:00)というお店に陳列しています。下の写真、ロボットが目印です。問題集のほか、しょうもない小物も置いていますのでご覧ください。

現在、「シート式C」、「シート式D」、「平成19年夏実施大阪府過去問解答解説集(教職教養部分のみです)」、「平成18年夏実施大阪府過去問解答解説集(教職教養部分のみです)」、などを陳列しています。

レンタルボックス・キャビン店内に連絡掲示板が設置されています。連絡掲示板にご要望を記入いただければ対応しますので、必要な資料あるいは問題集について簡単にコメントくださいませ。コメントがあれば、おきたいと思っています。そのほかは、こちらのページ(日程の下に資料の一覧表があります)、および、こちらのページを、どうぞご覧ください。よろしくお願いします。

各種資料ほかをご購入いただいた方々、ありがとうございました。お礼申し上げます。

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Dさんは、実習体験をテーマに即して語られました。一度、叱りすぎた、といってもDさんご自身はそれが通常の指導と思われていたようですが、児童に逆上されたことがあって、自宅に迎えにいくことにもなったそうです。これは飛び出した子どもではなく、自閉症のある児童のケースだったのですけれども、このことからDさんは、日頃の意思疎通を強固にしておく必要性を実感されました。ワタクシたちからも、一人ひとりに声をかけることは大切であると、よく討論ではご意見が出ますが、これを本当に実践しなければならないことを痛感されたようです。また、児童生徒との信頼関係をはぐくむためにも、心の教育は重要であり、ふだんの児童生徒の姿の確認とともに、道徳の授業でどのような内容かは述べられておられませんでしたが心の教育を取り上げて、教室を飛び出す事例のほかの生徒指導一般にも通用する児童生徒の意識改革をすすめていくと述べられました。
 Bさんは、ご自身が中学時代に、実際、教室から出ていった生徒がいたそうで、その理由はお腹が痛かったとの正当な理由がありました。先生は勝手な教室からの退出を咎めて叱られ、それが契機となって該当の生徒は、授業を受ける態度も変わってしまったそうです。頭ごなしに怒るのはいけないわけでして、教員の方にもいき過ぎた言葉があったかもしれません。しかし、こうした発言は、あるいは教員批判に取られる可能性もありますので、ちょっと控える方がいいでしょう。内容的に語ってよい価値のあるものでも、いい方一つと申します。今後、ご注意を。Aさんは、養護教諭や専門家とも、さらには保護者とも連携して、発達障害のある児童生徒の行為を是正していかなければならないと述べつつ、Bさんのケースについては、先入観を持たずに児童生徒と向き合い、信頼関係を形成していくことを基本的なことながら指摘されました。Bさんの発言では腹痛が理由ということですが、このほかにも喫煙のために出ていったり、水を飲むためにでていったりと、その理由は様々であるから、それを見極める目を養うことが教員に求められているとAさんは追加的に発言されました。
 その一方、あまりはっきりした理由なく、プイッと出ていく児童生徒もいます。Cさんはそうした児童生徒に出会ってきて、「トイレや」との一言とともに出ていくのを何度も経験したそうです。この「トイレや」の一言は、実はCさんの指導の成果であって、なぜ出ていったのかその理由を求め常に声かけする指導姿勢の賜物であったと客観的には評価できます。こうした勝手に出ていくことがつづくとよくないことはいうまでもないですが、Cさんのいわれた「4月に決めたルールの確認」を再度行なうという指導も大切ですね。こうしたCさんの議論をFさんは、「先生にどこに行くのかいわないままでていく」環境こそが問題であると反発されました。何もいわずに出ていってしまう児童生徒がいないように最初から努力する必要があるとのご意見です。Fさんは、すなわちこれを、「その子一人が欠けても成立しないクラス」作りと表現されました。上に述べられている一体感を別の言葉で述べたものでありますが、力強さを感じる主張でした。
(以下、次回更新)
(12/10)

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それでは、集団討論の模様を再現します。今回のテーマは、「授業中に教室を飛び出してしまう子どもがいる。あなた方はどのように対応するか、議論してください」でした。いわゆる生徒指導の分野のテーマです。討論参加者は、6名の方、20分間でチャレンジしていただきました。まず、Aさんから発言がありました。討論の入り方はイロイロありますけれども、一番無難な入り方として、「テーマを確認するため読み上げ、何を議論するべきかトピックを立てる発言」というのがあります。ワタクシは、勉強会ではこうした第1発言をすることを奨めています。無難でもありますし、スムースに後の議論に入っていけるからです。
 Aさんも、そのように口火を切ってくださいました。そして、教室を飛び出してしまう理由は多様ではあるが、勉強がわからないことが第一に考えられるので、教員としてわかる授業を展開することによって、児童生徒の予期せぬ外出を食い止めたいと発言されました。ここで問題になるのは、「わかる授業」です。「わかる授業」といってしまうと、必ず面接官は、「その内容はなんだろう」と疑問を持ちます。これが個人面接なら、必ずつっこまれます。ですので、それなりに「わかる授業」の内容を示さなければなりません。ただ、これを述べようとすると、かなり時間をとりますので、そのあたりがむつかしいところとなります。コンパクトにまとめる力量をつけてくださいね。つづいてEさんは、教室を飛び出した理由をたずねることからはじめたいと具体的な指導手順について言及されました。まずは対象の児童生徒を落ち着かせることに取り組む主張であり、その後、担任教諭と連携をとると述べられます。養護教諭志望らしい発言といえるでしょう。Cさんは、Aさんのご意見を引き継ぎ、魅力的な授業を展開すれば、飛び出しがなくなるので、逆にいえば教材研究に力を入れることが私たち教員をめざすものに求められていると主張されました。Dさんは、クラスの雰囲気を問題にされました。いじめなど問題を抱えているクラスの場合に教室から出ていくような児童生徒がいると述べ、これはクラスの児童生徒に団結であるとか一体感であるとか、そうした精神的なところが欠けているからであると根拠付けられました。したがって必要な働きかけは、一体感をクラスにもたらすものとなります。Bさんは、この一体感ということに関連して、飛び出していく児童生徒にクラスの中から声をかける児童生徒が存在するようにするとご意見されます。こうした積み重ねが一体感の醸成に不可欠ですね。
 小学校において補助をしているFさんは、実際に教室を飛び出す児童生徒がいたと、経験談を語られました。ふいに出て行ってしまうその児童生徒は、ADHD児だったそうです。それゆえ、飛び出していく児童生徒に、「9時10分になったら戻ってくるんだよ」というような指示を出し、むやみに指導を厳しくしないで対応したと報告されました。こうした個々のニーズにあった指導が、よいクラス環境作りに役立つとお考えのようです。
 いま、ADHD児の対応の話題が出たところで、Cさんから自閉症児童のことについて話題提供がありました。幼児保育ボランティアをされた経験のあるCさんは、折り紙の授業での学習過程を披露されました。そこでは、作業の行程たとえば折ること、糊付け、と段階があります。その一つひとつの段階を経るごとにいわば「逃げ場」としての「遊びにいっていいよ」の声かけをするようです。Eさんは、こうしたADHD児や自閉症の児童生徒のことを正確に発達障害を抱える児童生徒と位置付けた上で議論をつづけられます。これは文部科学省の通達を考慮した発言であり、勉強の成果が出ていましたね。Eさんも実際に飛び出しがあった現場をみていらっしゃいました。高校での経験だそうです。なにか悩んでいることでもあったのでしょう、該当の生徒は、偶然、イライラしている状態にあったそうで、それを咎められ、バッと教室を飛び出してしまったそうです。こうしたことはよくあることですが、思春期の成長段階では、自分の気持ちをコントロールできないときがありますね。そこに、「一呼吸おいて考えましょう」といえる柔らかさが必要であるとのご意見でした。
(12/9)

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昨日は、当サイト主宰勉強会に多数ご参加いただき、ありがとうございました。新規にご参加いただいた方々、また、久しぶりにご参加いただいた方、いかがだったでしょうか。今後も勉強会の内容は、みなさまからの要望を反映させつつ実施してまいります。前回以来、反省している点は、集団討論終了後の検討が時間的に苦しい点です。勉強会で実施しているのは、「20分間の討論」⇒「傍聴者一人ひとりからの批判的コメントとそれに対するワタクシからのコメント」⇒「ワタクシからの総合的なコメントと討論参加者個々人に対するコメント」というような構成です。ところが、これが最後まで達成できず、ご迷惑をかけております。
 いつも、15時45分くらいから17時まで、集団討論の時間にあてているのですが、どうにも短くなってしまいます。もう少し、前半の過去問検討や講義の時間をダイエットするべきかもしれません。ワタクシからしょうもないことをいい過ぎているのが、問題でしょう。ただ、昨日では、NHKで特集があったこともあって、また、過去問が指導改善研修のことについてであったので、裁判員制度のことについていささか長く話してしまいました。しかも参加者の中に、裁判員に「当たった」方がおられましたので、一層ワタクシの方から、「いわないでもいいこと」を述べてしまいました。
 いずれにせよ、集団討論は15時30分からなにがあっても実施した方がよいようです。4時間を有効に活用するべく、今後もがんばってまいります。よろしくお願いします。
 さて、上にも述べましたが、昨日の過去問検討は、教育公務員特例法の独立問題でした。今回は3つの種類の研修に関しまして確認しました。初任者研修、10年経験者研修、指導改善研修です。レジュメ数枚を復習し、キーワードを押えてくださいね。
 講義では、これまた1ページしかすすまなかったのですが、教育課程とその分け方、中高一貫教育のメリット・デメリットについて、議論しました。こちらの方も、もう少しスピードアップいたします。
 集団討論の模様は、また、次回更新といたします。
 みなさん、Fine!!で参りましょう!
(12/8)

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連携という言葉は、魔力を持っています。みなさんは、連携と聞いて、なにを議論しようとすぐ思い立ちますか。おそらく3者連携でしょう。Bさんが他の教員との連携を養護教諭の立場から問題にし、Eさんが学校の一貫した指導体制の確立について問題提起したまではいいのですが、この「連携」という言葉が独り歩きしてしまいました。教員間の連携は重要であって、情報交換が児童生徒の指導を豊かにすることは間違いありません。Cさんがそのようにいわれるのはもっともなことです。しかし、それをいわば転移させ、地域や保護者との情報交換や連携も重要であると述べられ、face to faceで保護者とともに指導していくと述べられたのが、魔力に誘われた最初の一言でした。
 実は、このご意見の後、ほぼ最後まで、3者連携の方策を討論参加者は議論していくことになりました。Aさんの担任として児童生徒の生徒指導上の変化を保護者に支援をいただいて実践するという意見がそうでしょう。ただそのあとにつづけられた、学力補助のための補充授業を行ない、一人ひとりに応じた指導を行なうというのはギリギリ土俵際のご意見ではありました。Eさんの、学力の捉え方から高校になれば保護者と生徒が一緒に勉強するのはあまりないことであるが、なにをいま学習しているのかを伝え連携を強めていくとの発言、つづいて、保健便りは一方的な情報伝達の嫌いがあるので保護者との連携のためには電話や連絡帳を活用するとのBさんの発言、保護者や地域と連携し、児童生徒の夢の実現のために大人がどうするべきかを考えるとのCさんのご意見などは、「連携」から導き出されたものにほかなりません。Cさんのすぐ前の発言には、清掃活動や高齢者訪問を総合的な学習で行なうとのご意見もありましたが、どうも3者連携の実践説明に終始している感があります。だから、Cさんの発言に触発されて、Eさんがどんな仕事が世の中にあって、知を身に付けてどう生かしていくか、旋盤工がいないと車が作れない、ねじ一個作るのも、立派な仕事、というようにいわれるのも、職業と学校との関係性を3者の中でも地域産業とのかかわりで議論されているように捉えられてしまうのではないでしょうか。
 面接官は、イロイロな議論が出てくることを期待してはいますが、テーマに即している意見を期待しています。ここでは、生きる力の育成なのです。だから、上で羅列的に書いた各討論参加者のご意見が、3者連携の視角からまとめ述べるようにするのではなく、生きる力育成と関連する視角から述べるべきなのです。たとえば、車作り、ねじ一個の議論でも、基礎技術の向上がそれを支えているわけであって、それは学校における基礎学力に依拠していること、その基礎学力を身に付けるための教育課程こそ、生きる力育成のプログラムになると述べた方が効果的にテーマに迫っていると判断されるのではないでしょうか。
 さて、議論はまだ継続します。Eさんの発言につづいて、Bさんが学校に保健所の方を招待し、健康について述べてもらうとのご意見が出されました。Dさんからは、保護者と児童生徒が一緒に授業体験をするのはどうか、具体的に外国料理を食べるような授業時間を家庭科でできないかとの発言がありました。これも、「連携」の具体的内容の発表といえるでしょう。
 ようやくAさんに発言がまわってきたとき、もう20分を過ぎるか過ぎないかくらいでした。Aさんは、豊かな人間性をはぐくむために幼稚園訪問や老人ホーム訪問を実施し、自分たちの通学している学校の特色を伝えることが、学校という存在を自分なりに考えるいい機会になるといわれました。これは、豊かな人間性が生きる力の一角をなしているので、ようやく軸足がテーマにもどってきたような感じがします。そして最後に、Bさんが、様々な仕事を知ることによって社会をみつめていくことがキャリア教育につながり、進路に悩む児童生徒に将来どのような道を歩むかを考えさせる契機になると発言されて、議論は終了しました。
 前半は評価すべき討論内容がつづいていただけに、3者連携に偏った議論になった後半はいささか残念な展開でした。後半はテーマに即していると判断しがたいだけで、内容的に問題があるものではないということは、付け加えておきます。3者連携は、話しやすいテーマなんでしょうかね。
 では、次回は日曜、週末ですね。もう、師走ですな。テーマは、これですね、これ、「授業中に教室を飛び出してしまう子どもがいる。あなた方はどのように対応するか、議論してください」。
(12/5)

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つづいて発言されたのは、Cさんでした。Cさんは、対話力の増進を提案されたEさんに同意しつつ、知的能力を伸ばすには、教員のわかりやすい指導が不可欠であるが、その前提に教員と児童生徒との間に信頼関係が成立していなくてはならないと主張されます。基本的な学校における授業運営姿勢の確認ではありますが、大切なことでしょう。こうして児童生徒との対話が成立すれば、児童生徒に対して自己目標の設定を求めることもできますし、それゆえに児童生徒が、いま、どの位置に自分自身が立っているのかも理解される。そうして身に付けた成果を将来どう活用していくのかについても展望を持たせると述べられました。こうした教育の過程において、Aさんがいわれるように教員はカウンセリングマインドを持っていなくてはなりません。同じ目の高さに立って指導をすれば、勉強をする力を養わせることにもなります。このように考えるAさんは、勉強する力=継続して取り組む力と捉えられているようです。
 対話力に関して、Eさんは「児童生徒に発言させる力」について議論しようとされました。授業で黒板を写してそれで終了ということに高校段階ではなりがちであるが、それでは考えるということそれ自体が希薄であって、言葉のやり取りをすることによって、物事を考えていく力が養成されるわけですね。児童生徒が主体的に発言していく力を身に付けさせるには、何が必要なのでしょうか。「君、話なさい」というだけでは、発言するわけはないのであって、やはり、口をつく何かがなければなりません。その何かは、授業内容に関する興味であり、自分なりの勉強上の発見なのかもしれません。Dさんは、この点、板書を写すことだけだと児童生徒との距離が遠のくので、その距離をどう縮めるかとの問題としてはっきり提起されました。Dさんは、「君と勉強しているのだ」との自覚を教員自身が示すことに、距離を近づけるヒントがあると解答を与えました。
 こうした議論についていこうとBさんは、養護教諭の立場から切り込まれます。養護教諭は保健指導の領域に入ることもあるとし、生活習慣についての振り返りを指導する際に、危険回避の力、飲酒の問題、薬物の問題についてわかりやすく伝えたいと述べられます。これはAさんの提出されたカウンセリングマインドが必要なわけで、Cさんがそれを指摘し、生徒の抱えている問題の発見には、つまり、Bさんのいわれたような課題の発見にはカウンセリングマインドが必要であると指摘されたわけです。そしてそうした指導を通して、生きる力が養われると述べられました。それは、生きる力の徳や体の課題解決につながっていくものでしょう。
 ここでEさんは、話題を転換するご意見を出されました。ひとことでいえば、一貫性ある学校指導体制の確立ということです。様々な、個性的な教員の存在する学校で、先生方の連携協力はいうまでもないことでしょう。しかしそれが機能しているのかどうかといえば、100パーセントとはいえないでしょう。一貫した指導は、Bさんのいわれた多様な、徳・体の分野の生きる力を育成するにあたって欠かせず、その場合に一番忘れてならないのは、Eさんが指摘された基準の明確化です。生徒指導の課題でもあるBさんの提出された問題は、ここの教員の間にあって指導の強弱があっては崩壊します。Dさんが指導体制の混乱と崩壊を心配するのもわかるところです。Bさんがこれまでの議論を聞いていて、養護教諭と教科担当、学級担当の先生方と連携していく意思を強く述べられたのも、一貫性の課題とかかわるものであり、保健室を出て連携を求めていくことが、生きる力の育成に一役買うものであることは、確かなことです。是非、将来、こうした実践をしていってほしいものです。
(以下、次回更新)
(12/4)

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それでは、集団討論の再現をアップしてまいりましょう。今回は、テーマがサイトにおける周知とちがいましたので、びっくりされた方も多かったようです。これはひとえにワタクシの勘違いでした。すいません。しかし、このまま、「生きる力をどうやって身につけさせるか、議論してください」にいたしました。「教室を飛び出す〜」については、今週末の課題といたしますね。「生きる力」のテーマに、今回は5名の方が20分間奮闘してくださいました。どのような流れであったでしょうか。
 最初にEさんがテーマを確認され、生きる力というのは基本的な教育の指導理念であるけれども、抽象的に使われているので、私たちが考えているところの生きる力とはどういうものであるのか、意見を出し合いましょうと提起されました。たとえばEさんご自身は、きちんとごはんを食べられる力というように述べられ、そうした力が生かせる社会を実現していかなければならないとむすびました。このEさんの提言である「生きる力をどのように捉えているか」を発言することは大変重要です。面接官は、生きる力に飽きあきしているからです。生きる力は耳にタコができるくらい聞いている彼らですから、もうちょっと上の議論がほしいわけです。
 このEさんの提起に対して、他の方々が参戦してまいります。たとえばCさんは、生きる力とは、問題解決能力であると述べられました。これだとあまり面白くない。なぜなら、問題解決能力も、いい古された語彙だからです。ただCさんは、これに付け加え、社会で生きていくうえで不可欠な能力である旨を語られ、さらに、問題解決能力を児童生徒に身に付けさせるためには、児童生徒に夢を育ませることが必要であると教育的な展望を示されました。ここは評価できる表現でした。また、Dさんは、英語科志望の立場から、英会話能力の養成について触れつつ、コミュニケーションの能力それ自体を高めていくことが生きる力を高めることであると述べられまして、そこに、目をみて話すことやゆっくりイイタイコトが伝えられるように話すことなど、会話技術とでもいうのでしょうか、そうした社会に出てから必要となる力の一端としての生きる力を議論されました。Aさんは、生きる力を分析したご意見を披露されます。答申でも述べられているように、生きる力は、知・徳・体に分けられます。あるいはこの三位一体が生きる力の正体ですね。この中でも、Aさんは国語科志望の立場から、言葉の問題に言及されました。こうした指摘はDさんの議論とも通底しますので、拡大させてみるのも面白いでしょう。言葉の問題は、言語感覚を研ぎすますということであり、Aさんの主張はもっともですね。ただ、残りの徳と体についてはお話されなかったので、そうした「断り書き」を述べればよかったでしょう。
 Bさんは、むつかしい立場ながらなんとかAさんの発言についていこうとされていました。というのは、Aさんは養護教諭志望であり、「生きる力を知の立場から捉えた確かな学力」とどうかかわっていくべきであるのか、具体的に述べにくいからです。そうでありながら、保健室を訪れた児童生徒にどんな声をかけるか、徳や体に関連させて言葉を選びたいと述べられます。
 Eさんは、Aさんの提出された知・徳・体をバランスよく育成し、いわゆる自ら学び自ら考え問題を解決する資質能力、判断力などを養うべきとの主張をされ、それは教員と児童生徒との対話の中から生まれるものではないかとシビレル発言をされました。こうした主体的能力は、人間と人間の語り合いの中から生まれるわけで、そうした生きた学びを実践しようという意欲をEさんに見出したワタクシです。この発言につづき、Bさんは、保健室にきた児童生徒への具体的な指導について述べられました。
 それは1回目のBさんご自身の発言に継続するものであり、ふざけて怪我(「かいが」ではありません)をしたケースなど、外科的な治療を要するケースでは、なぜそうした傷を負ったのかを自分の言葉で語らせるといわれまして、さらに、自分でできる処置に何があるのかを考えさせると述べられました。傷を自分で洗浄するほか、イロイロなことが考えられますね。
(以下、次回更新)
 きょうは、勉強会参加者と水谷修講演会の傍聴にまいりました。この模様は勉強会で少し触れますね。
(12/2)

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先日の土曜日は、当サイト主宰勉強会を開催いたしました。ご参加いただいたみなさま、ありがとうございました。また、祝挑会には40名もの方々にご参加いただき、これまたありがとうございました。まず、勉強会のご報告から。当日は体調悪くされ欠席された方もいらっしゃいましたが、予定通りにプログラムを実施いたしました。まずは、過去問の検討です。今回は、教育法規の問題です。教育基本法と学校教育法という基本的法規の正誤問題でしたので、それほど難しいものではありませんでしたが、しかし、条文の理解を含めて周辺的知識にまでおよび、解説を深めていきました。
 次に講義をワタクシの方からいたしました。生物学的な人間の存在について考えてまいりまして、学齢との関係性を述べました。この議論はもう少しつづきます。配布のレジュメをお忘れにならないよう、よろしくお願いします。
 最後に集団討論です。忙しさに自分で書いたことを忘れてしまい、いきなり「生きる力」についてのテーマを提示され、申し訳ありませんでした。まあ、それでもチャレンジしてくださってありがたく思っています。本番もそのときにテーマを渡されるわけですから、これもご愛嬌と捉えてください。討論の模様は次の更新にいたします。
 夜は祝挑会でした。毎年開催している、合格者祝賀と来年度受験者、および勉強会を卒業された現職の先生方のつどいです。一人ひとりコメントをもらいつつ、この1年間の思い出を楽しく語らいました。合格者のみなさん、現職の先生からいただいた言葉を忘れず、春からがんばってください。祝挑会では、来年のチャレンジャーに対するエールをお送りしました。今年厳しい結果でありながら参加いただいて本当にありがとう。みなさんからいただいた言葉を胸に、先輩たちにつづいてください。
 ご参加いただいた現職の先生方8名には、お礼の言葉もありません。M先生、T先生、H先生、N先生、H先生、M先生、M先生、K先生。大変忙しい中、後輩たちのために駆けつけてくださり、まことにありがとうございました。また、先生方も、一緒に1年間勉強し、同時期に教員になった(M先生はワタクシの大先輩であり、貴重な餞のお言葉をいただきました)わけで、ひさしぶりにお顔をあわされたことと思います。当勉強会を卒業されてから、それぞれの道を歩かれていらっしゃり、その奮闘の軌跡をも語り合われていたことでしょう。勉強会での切磋琢磨よりも、教職に就いてからのシゴトの方が何十倍も大変だということがよくわかったと思います。
 珈琲会には、「祝挑会に参加できず、残念だから来たよ」とお顔をみせに来てくださった、Y先生、M先生、ありがとうございました。
 40名の宴会ですので、ワタクシの方からは少ししかお話できなかった方もいらっしゃいます。申し訳ない。じっくりお話しするつもりで来られた方、すいません。
 それから、お願いなのですが、先輩方がどのように勉強されてきたのか、そのノートを是非、みせてくださるよう、お願いします。すでに、2、3の方にはお願いしているのですが、メールいただけると幸いです。
(12/1)

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