日々旁午

2006


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更新が大幅に遅れました。お詫びいたします。

 集団討論の模様を再現しますね。今回のテーマは、「思い通りにならないと暴力をふるったり、物を投げたりする児童生徒がいる。担任としてどのように取り組んでいくか議論してください」でした。6名の方に25分間でチャレンジしていただきました。仮にA〜Fさんとして、検討していきましょう。

 討論の先陣を切ったのは、Dさんです。最近、Dさんは、討論に参加されるときはいつも第1発言者になっています。この第1発言者ということについて、前にも触れましたけれども、ここでもまた少し触れておきましょう。討論において、第1発言者は、大変重要な位置を占めます。それは、最初に話題を切り出すという勇気がなければつとまりません。その意味では話題豊富な方、問題提起的発言ができなければなりません。そして、第1発言者は、自分の発言が討論の方向性を決定するということを自覚しなければなりません。だから、第1発言者が突拍子もないことを切り出すと、それだけで場がしらけるし、討論全体の印象が悪くなります。用心した、それでいて参加者が話題に入っていきやすい前振りをしなければなりません。しかも、第1発言者は、司会的存在となる場合が多いですので、そうした切り盛り役を必然的に引き受けることになっても躊躇してはいけません。

 こうした役割であることを第1発言者は自覚しつつ、討論に参加する必要があります。あえて第1発言者を買って出る必要はありませんが、それで成功した場合はいい結果を得られるでしょう。だれしも第1発言者は避ける傾向にある中で、評価は高くなるものです。このあたりは採点官も考慮してくれます。

 Dさんは、このテーマの「担任としてどのように取り組んでいくか」というところに目を付け、2つの観点を提供されました。ひとつは、暴力をふるうということは友達(他人)に危害を加えることである。これは傷害事件に発展する可能性も否定できない。だからまず「やってはいけないよ」という当該児童生徒の気持ちを落ち着かせる指導をする、ということでした。もうひとつは、感情が行動に直接するわけで、それをなんとかできないか。そうすると「我慢する指導」となる。暴力をふるう行動に出る前に10秒我慢する指導、ということを述べられました。

 このDさんの2つの観点は、担任として、直接的に何ができるかということと、その善後策としてどんな指導ができるかということを提起されたものといえるでしょう。具体的な話を挙げながら、どのようなトピックをこのテーマの凝集点にするかというところでは、よい発言であったと思います。しかし、次の発言者に話しやすいよう持っていこうとしているかどうか、批判的にいうとするなら疑問はあります。なぜなら、第1発言者の提供した話題は、次の発言者に同意されつつ展開していくのが理想だからです。それができれば、第1発言者たることのひとつの壁をクリアできるでしょう。さて議論はどうなっていったのでしょうか。

 Dさんの発言につづき、Aさんが、なぜ当該児童生徒が暴力をふるようになったのか、その原因を推測することが大切であるとご意見されました。じつはAさんが、第1発言者的な存在でありました。テーマの切り口がDさんとは違いますが、後々の議論をみますと、このAさんの発言をめぐって討論が動いていたことがわかるのです。Aさんの原因推測は3つの観点から語られました。ひとつは、児童生徒が落ち着かない教室環境にあるのではないか。もうひとつは、ADHDの問題に関連するのではないか。最後に、日常的に手を出してしまう環境に慣れているのではないか、ということです。あとでBさんから指摘がありましたように1番目と3番目は似通っているかもしれません。直接議論の場で話されたわけではないのですけれど、なぜ、原因究明が大切な観点になるのかは、「思い通りにならなければ」というテーマの前半部分にその理由があるわけです。

 ここまでで、いわば2人の第1発言者が登場したとワタクシは感じました。担任として暴力に訴える児童生徒を短期にも長期にも指導していかなければなりません。まず、暴力を止めるというDさんの主張は正しい。即時的な当然の行為です。ただこれは必ずそうするものであり、ということは他の討論参加者から反論はないし、うえから重ねる議論もないので討論の発展性はない。そして我慢させる指導は、原因を探索しないと単に「がまん、がまん」になってしまう。話題提供者として、呼び水になるような発言であったかどうか、これは難しいですけど、Dさんに注文を付けたいところです。ただしこうした注文は、相当高度な要求であることを付け加えます。

 したがって、Dさんの第1発言はAさんにかき消された形になってしまいました。「討論を支配する」というわけではありませんが、第1発言者の話題が消えてしまってはちょっと寂しいものがありました。

 DさんとAさんの発言を受け、Bさんはもちろん暴力をふるった児童生徒は叱らなければならないが、なぜ暴力をふるったのか背景を知るべきであると発言されました。担任として、当該児童生徒の家庭環境把握の視点を持つべきであると主張されました。これは忘れてはならない視点で、討論の最初のところで、この種のご意見が出たのは幸いでした。家庭とのつながりがこの後まったくでなかったのは、集団全体としてはポイントを低くしたと感じます。

 Fさんがつぎに発言し、Aさんの3点を基本的に承認し、暴力を抑える指導は厳しくしなければならないといわれ、しかし、訓戒的なことばかりでは児童生徒にストレスがたまるので、いいことをしたら細かなことでもほめる指導が功を奏すのではないかと指摘されました。指導のバランス感覚を大切にしようとするご意見です。

 Cさんは、暴力をふるう、物を投げる児童生徒の周辺に存在する「はやしたてる児童生徒」をどうするか、とのトピックを提供されました。いわゆる傍観者をどうするかという視点です。暴力をふるう児童生徒はなんらかの闇を抱えているもので、他の児童生徒にも協力して解決に導くといわれました。

 Eさんは、今までの議論を聞きながら納得するところが多いと承認し、そのうえでまだ指摘されていないことをいおうと必死でした。そしてそれは、暴力をふるわれる方の立場を暴力をふるった児童生徒にどのようにわからせるか、ということでした。暴力をふるう児童生徒には他人の立場に立つという客観性がないわけであり、つまり自己中心的であるので、道徳的指導になるという見解でした。

 ここで参加者6名のご意見が出揃いました。一端、Dさんに発言が返りました。Dさんは、中学を志望する立場から、14歳という壁を強く認識されています。ここが小学志望の視点とちがうところです。少年法が適用される年齢からしても14歳で、被害届けが出されるとすればいわゆる触法少年になってしまう。そうした「社会的立場」に生徒を追いやるわけには行かない。たしかに自分が勤める学校から犯罪者が出ることは「恥」なわけで、そこからDさんが表面上の暴力を厳しくとがめ、指導しないといけないのは理解できるところです。

 今回DさんとAさんのテーマに対するアプローチが異なるのは、中学志望と小学志望の違いということがありますね。小学志望の方は、「触法」は考えないと思いますから。中学生は極めて難しい年代です。大人であり子どもである。子どもであり大人である。そうした立場を理解した指導の在り方を提起しようとしているのがDさんであるといえます。

 中学生を諭すのと、小学生を諭すのとは、どうちがうのでしょうか。校種の垣根を越えて議論がお聞きしたかったです。ただ、いずれにせよ、パニックになっている児童生徒を叱ってもすぐにとまるかどうか、冷静にする方法に議論が進みそうでした。このとき、Eさんが、パニック状態については、児童生徒の個々のケースによるけれども、すぐに指導を入れないと忘れてしまうこともありうる、と指摘されました。つまり、暴力がふるわれたその瞬間に指導せず、あとで「したらあかん」といっても「事件」そのものを忘れていて指導の効果が薄れてしまうのではないかということです。ここはDさんの議論につながっているところです。Bさんは、教室で事件が発生するとして、落ち着くまで教員が着くべきで、長期的にはカウンセリングも実施するべきであろうとまとめられました。

 Aさんは、その場で指導するといってもどうするのかと問われ、周りに人がいないところで指導するべきではないかと語られました。つまり個別指導ということであり、これに触発され、Fさんから全体としての取り組みもするべきで、集団生活の在り方を見つめ直す道徳指導を展開するべきであると話題が広がりました。

 Dさんは、暴力をふるう児童生徒が教室にいれば、周りの児童生徒が怯えてしまうし、そうであれば周りの児童生徒が止められないので、「まず先生にいうんだよ」と予防的措置をとるべきであるとご意見されました。これと関連し、Bさんは、孤立しがちな暴力をふるう児童生徒をどうするかといわれ、そこが教員の包容力の問題であろうとされました。Cさんからは、予防的措置を中学ではどうするかという観点から、教科担任制を生かした連携を考えておられました。Aさんは、嫌な子だから友人になるのを避けるという状況にしたくないといわれ、その子のよいところを引き出す指導を心掛けると発言されました。Eさんは、信頼関係を高める指導としてクラブ活動での絆の育成を指摘し、中学ではそれが武器になると述べられました。教員と生徒との信頼関係が成立しないと、暴力をふるう生徒を指導できないわけで、生徒が何でも話せる先生を学校で一人は作るべきであると提起されました。これは生徒の希望でもあり、教員の仕事でもありますね。

 Dさんの教室の一員としての取り組みとして、暴力をパッと制止できる関係作りを提唱し、暴力をふるう子については気持ちのコントロールの仕方を教えたいと抱負を語られました。そして、他人に迷惑をかける生徒は「最後まで指導する」といわれました。Dさんはこのほかに予防的措置はないかどうか、討論参加者に質問を投げかけました。それに答え、Cさんが孤立解消のためのペアワーク、Aさんが、学級が互いを認め合って考え合える雰囲気の醸成、Bさんが自分の気持ちを紙に書いて示すペアカードをあげられました。

 ここで25分間が終了です。

 今回の討論は、うまくいったようで、家庭と担任の問題が抜け落ちた点、中学と小学志望の違いから論点が整理できなかった、あるいは暴力に対するアプローチの発想が異なっていたのを整理できなかった点が挙げられます。本番とは違い、校種を超えた討論参加の場合の、他校種への視野を増やしてほしいと思っております。広く、教育的な観点を培ってくださいね。
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昨日は、当サイト主宰勉強会にご参加いただきありがとうございました。今回も満席の状況で、みなさんエネルギッシュに議論してくださり、ウレシク思います。今回、ご参加いただいたお2人の現役の先生方、ありがとうございました。

 昨日は、まず、「義務教育創造答申」を講読しました。「教育内容の改善」のところは、出題されやすいところですので、何度も読み返してくださいね。それから、その次のところの「学習指導要領の見直し」の節は、これまたどういうふうに学習指導要領を変更しようとしてるのか、また、どこを変えないまま引きずっていくのか、確認をしてください。今回と次回がこの答申の佳境部分でしょう。

 なお、2007年度に指導要領が変わるといわれてますけれども、これは、文部科学省の正式アナウンスではないので、その辺はご注意ください。ただし、「特殊教育」から「特別支援教育」に名称変更することも手伝って、必ず学習指導要領は近いうちに改訂されます。あるいは平成15年につづいて、「第2次一部改正」かもしれませんね。この答申はやはりもうちょっとしっかり読み進めていきます。ただし、参加者が問題意識をもって「一緒に読むこと」をしないとあまり効果はありません。自分で答申のダイジェスト版を作成する意気込みでがんばってくださるよう期待します。

 つぎに、「自己売り込みのツボ」をいたしました。今回登場のKさん、お疲れさまでした。3分間に自己を売り込むのは大変であることがわかったと思いますし、みなさんから寄せられたコメントに、多くの反省ポイントを見出したのではないでしょうか。何をいわれてもへこたれず、吸収するべきは取り入れて、自分なりの「売り込み文」を完成させてください。具体性と一貫性がKさんの大きく指摘されたところでした。

 みなさんから集中的にイロイロご意見いただける場はそうそうないので、厳しいけれども有益だったと信じています。今後の集団討論や面接の練習に生かしてください。ところで、「自己売り込みのツボ」は、かなり苦しい作業でしょう。まず、3分というのが長い。長いけれどもこれくらい話し切れると、ずいぶん楽になりますよ。最近、ちょっと文句をつけたり、批判したりすると引っ込んでしまう学生が多い中、「自己売り込みのツボ」チャレンジャーは、なかなかどうして、がんばっています。次回は3人目、たたかれるよう、たたかれないようにツボを考えてきてください。ところで、3分は長いので、ゆっくりしゃべっていいですよ。早口に詰まったものより、「聞いていただく」3分間をめざして原稿を作ってください。それから、前回と今回と、30分ぐらいかかりましたので、もうちょっと短めにおさまらないか、ご意見を伺う時間をもう少しだけ狭めたいと思っております。

 第3タームは、神戸市の1次試験の解答解説です。神戸市の試験解説は今回で終了しました。大阪と神戸市と併せ、かなりの分量とバランスよく問題を一望することができました。どういうように選択式の問題が提出されるのか、おわかりになったのではないでしょうか。教育学の領域的にも、この府と市の問題の出題傾向で尽きていると思います。あとは、ご自身で、他の都道府県の問題をスパン、スパンと料理していくことが肝要です。ワタクシもそうなのですが、けっこう覚えているといっても、うろ覚えがあるものです。そうしてうろ覚えは実力ではありません。ワタクシたちは5択で最後に残った2つのうち、正しい方を選択しなければなりません。そのときにうろ覚えでは、けっきょく運になっちゃって、勉強した、準備した、とはいえません。苦しいですが教職教養は得点源ですから、満点を取るべく準備するべきでしょう。今回、みなさんと確認した知能検査の人物名や不登校の定義およびどの学年が一番多いか、その原因など、今期も高い確率で登場するでしょう。ゆめゆめ怠るなかれ、です。今回で問題の解答解説は終了しましたので、次回からは基礎をしっかり押さえているか、単発的な「質問攻め」をいたします。参考書が手垢に染まるくらいやってくださいね。

 神戸市の解答解説のつぎに集団討論と集団面接をいたしました。集団討論は、6名の方に25分で、集団面接は、府の本番さながら10分以内で行ないました。ただし、集団面接は4名でしていただきました。討論の模様はあす、アップいたします。

 集団面接は、今回は、挙手でしていただきました。面接官役のワタクシが質問を投げかけ、考えがまとまった方から報告してもらうというオーソドックスな方法です。これが大阪府の場合、定番のやり方です。まあ、イロイロな質問の投げかけ方に慣れておく必要があるので、今後も様々なパターンで実施しますね。今回も、「良く出る…」から4、5問答えていただきました。必ず「ロールプレイング」をひとついれることにしています。今回、微妙におもしろかったのですけれど、現場感覚、臨場感が伝わるような演技をめざしてください。

 はじめて体験された大学3年生にあっては、心臓バクバクと感想いただきましたけれども、ここで「心臓」を鍛えて、本番では毛が生えるくらいになってくださいね。いや、これは冗談ではなく、そうでないと本当に困るからです。

 ところで、質問事項も、2年たちますと基本的なものは別として、時事的な問いは古くなってきています。たとえばもう「週5日制の意義や是非」など、質問としては古くて出題されないでしょう。それゆえ、、「良く出る…」も見直しを迫られています。時事的な質問事項を中心に、新しいページを立ち上げるようにいたします。ちょこちょこ数を増やすようにしてまいりますので、サイトチェックお願いいたします。

 兵庫のこくばんマスターが変わりました。とりこさん、長らくありがとうございました。これからはこげさんにバトンタッチされます。こげさん、よろしくお願いいたします。こげさんのコメントは、こちらをどうぞ。
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あすは第65回当サイト主宰教育学勉強会を開催いたします。ご参加のみなさま、よろしくお願いいたします。あすは、ひきつづき答申の講読、神戸市1次試験の解答解説、自己売り込みのツボ、そして集団討論をいたします。

 集団討論のテーマは、「思い通りにならないと暴力をふるったり、物を投げたりする児童生徒がいる。担任としてどのように取り組んでいくか議論してください」です。

 当勉強会に多数お申し込みありがとうございます。申し訳ないながら、直前のお申し込みでは、勉強会の座席が埋まっているケースがあり、キャンセルを待っていただくこともあります。今回のように、キャンセル待ちが多い場合、なかなか席はまわってこないのです。すいません。ぜひ、お早目のお申し込みをお願いします。空席状況は、常にサイトでお知らせしております。「お知らせ」ページをご参照ください。なお、ご参加の方はご存知ですが、キャンセル待ちでご参加の場合、資料代のほかは、いただきません。
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ごく普通のアルバイト、たとえばウエイター、ウエイトレスでもいい、その時給はいくらくらいだろう。600円なら文句が出るし人は集まらない。700円なら、まあいいかもと考え、800円ならよろこんでやる。そんなところではないだろうか。

 これに比べ、教員の時給は安すぎる。375円であった。無論これは教科指導などの本業につくものではない。教員の仕事は多岐にわたるが、ワタクシもみなさんもお世話になったように、土日もクラブの指導をしてもらえた。これはほとんど手弁当なのである。その時給換算が375円だった。「クラブの指導なんておまけの仕事だから、こんくらいでもいいだろ」とはいわないでいただきたい。正面切っていえば、本来公務外の土日を、なにも児童生徒のために消費するいわれはないのである。教員だって、土日はストレス解消のため、自分の趣味を楽しみたいし、デートだってしたいのである。

 世の中にはイロイロな仕事があって、残業手当で労使闘争に発展しているケースは多い。マクドナルドもそうで、店長が苦しみぬいている実態がある。前に紹介したロイヤルホストも、残業手当問題でそろそろ団体交渉や提訴が現実になるであろう。

 さて、教員のクラブ指導は健気な先生方の児童生徒を慈しむこころでもっていた。だが限界もある。クラブ指導も正規の給与に計上されるべきである。それが実現した。なんと素晴らしいことではないか。

 『産経新聞』は、このクラブ指導手当に関する記事を書いている。「少子化や指導者不足などで休・廃部が相次ぐ部活を活性化しようと、大阪府教委は二日、土日などに部活動を指導する教員の手当を、現行の一日千五百円(四時間以上)から全国で最高額の二千五百円(六時間以上)に引き上げる方針を決めた。『生徒のために汗を流す先生の努力に報いたい』と府教委。新年度予算案に必要経費を盛り込むとともに、関係条例の改正案を二月府議会に提出し、新年度からの実施を目指す』」のである。このように、375円から416円に時給が上がったのである。

 もちろんここにカラクリがあることは、賢明な旁午読者ならご存知であろう。「四時間以上」の「以上」がクセモノで、クラブ指導など引率から帰宅まで勘定に入れれば4時間で終了するはずもない。改正の「六時間」は、ひょっとすればその時間内にクラブ指導が終了することがあるかもしれないが、それでもそんなに短時間で済むのは何度もないだろう。結局は、「いちにち仕事」なのが実態なのである。それでも教員にあってはウレシイ。なぜか。「これまで校外で活動を行う場合には教員が交通費などを自己負担するケースもあったが、公務扱いになることで、出張旅費が支給されることになる」(『同上』)からである。一般企業で自腹の交通費なんてのはないだろう。これこそ、「教員の常識は社会の非常識」であった。

 「時給四百円以下ですからね。生徒のためというボランティア精神がなければやってられませんよ」(『同上』)。

 「土曜か日曜どちらかは必ず“出勤”。時には二日とも休日返上することがある。家族からは冷たい目で見られてますよ」(同上)。

 ヤッテランネーとか、ツメテーとか、言葉のうえでは居酒屋でクダを巻いている安月給のサラリーマン諸氏と同じようにみえるが、しかし、この言葉はよろこびながら語られてることに注意しなければならない。クラブ指導は実にしんどい。たしかに休日返上なんだけれど、このようにいった先生方はなんと慈愛に満ちている眼を持つ方だろうと想像する。

 府教委は、しみったれたことをいわず、4時間以上3000円くらいにできないか。今期の法人税収は好調なんだし、そろそろ教育部門に対する財政措置を再考してもらいたいと強く願う。これは先生方の「代返」である。

 「額の多少ではなく、自分たちの努力をわかってくれたということはありがたい」(『同上』)。本来ならもっと要求して然るべきところをこのようにいう先生方に頭が上がらない。
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ここ数日における各裁判所の判決は、イロイロな意味で考えさせるものがある。判決は社会をよりよい方向に導く羅針盤のようなものであるはずだが、そうした機能がちゃんと働いているかどうか、行く道を少し休憩して吟味しないといけないだろう。羅針盤が狂っていれば、未来への道がどこにつづいているのかわからないからである。社会的弱者に関する判決と知的財産に関する判決と、懲役16年の判決についてごく簡単に触れてみたいと思う。

 まずは、大阪地裁の西川判決である。公園内に生活実体があれば、そこに住民基本台帳法でいうところの住所を認めた件である。不受理処分撤回を喰らった大阪市北区長村田氏は、控訴した。こんなもの、高裁で必ず勝てると思っているに違いない。

 『朝日新聞』の伝えるところ、「判決は、まず住民基本台帳法が定める『住所』について『生活に最も関係の深い全生活の中心を指す』とした。その上で、山内さん(原告、朝日は実名表記−浩の註)のテントの所在地が住所にあたるかどうかを検討」したそうである。ホームレスの生活実体とは何を指すのか。それは、「テントが、食事の場所や居間として利用され、日雇い労働などの仕事に出かけている▽角材やベニヤ板で組み立てられ、四隅にくいが打ち込まれて地面に固定された構造物にあたる」(『同上』)ということを総合してのことらしい。おそらくこうした諸条件が、一定期間以上、継続されているということを前提とした「実体」でなければならないだろう。

 JRの車窓からみる風景に溶け込んでいるかのようにみえるかれらのブルーテントは、かれらにとっては「終の棲家」なのかもしれない。しっかり打ち込まれたクイは、ヒューザーの姉歯物件より強度があるかもしれない。ブルーテントにはしかし、鍵がないだろう。開けっぴろげの家である。そういうのも、家というべきなのであろうか。オープンハウスでいいのかもしれない。そう、すべては「かもしれない」としか表現できないのである。

 公園に住んでいるかぎり、公共施設を占拠している事実は否定できない。だから判決は、占有権を否定した。これは当たり前である。本来、公園の主人公は、子どもである。しかしこの子どもも占有権は持たない。これまた当たり前である。

 「住民基本台帳は住民の居住の事実を正確に記録するのが目的であり、占有権と生活の本拠として実体があるかどうかは無関係。占有権を有していないことを理由に転居届を受理しないのは許されない」(『同上』)というように、「占有権」のない居住地を住所認定するよう判断し、上のように「無関係」といったのは、かなり踏み込んだ下級審判例となるのではなかろうか。さらに、この住所登録が、山内さんにとって「生存」がかかっていることも、西川裁判官は重くみたのではないか。健康保険の加入はかれら高齢ホームレスにとって、極めて大きな死活の問題だからである。

 一見、山内さんに有利な判決ではある。この判決はしかし、逆にいえば、占有権を持たないものに対して、常に「でていけ」といいつづけるよう、行政を叱咤したともいえる。今度は「占有権なし」をタテにホームレス一掃作戦に行政が手を染める危険性がある。ここでこの住所問題と例の行政代執行の問題とがリンクする。

 すなわち、公園は誰のものか、という議論が起こり、それが管理者にもあるとなれば、大阪市は大手を振ってウツボやオオサカジョウを清掃するだろう(オオサンショウウオではないので注意)。植物や何かの品評会があるからといった理由付けなどまったくいらない。公園が地域住民のものだとすれば、「地域の声」すなわち「安全確保」を大義名分に、ブルーテントをシャットアウトするだろう。一方、公園は使うもののためにある、とすれば、そこにはホームレスも含まれて然るべきである。子どもとホームレスの違いは、公園の利用頻度の違いに過ぎないとも、いうならいえるのである。

 街の空き地に柵が張られて「管理者」の看板があり、「ここに無断ではいるな」と記されているのをみたことがある人は多かろう。そういうふうなことに近い所業を行政がするようになるのかも。ホームレスの救済策を考えてこなかった行政経費使用率突出自治体大阪市が、さらにカネを使って、各公園に警備員を設けるようになるのか。

 ホームレスの「自助努力」を最大限生かす方向で、彼らの雇用を確保できれば、自らブルーテントを後にするようになる。そこをなんとかしないと、例の行政代執行は、何度も何度も繰り返される。だが、半年しか利用できないとか、壁が薄いとかいって自立支援施設に入居拒否するのも、ホームレスの勝手な言草といわざるを得ない。

 いまひとつ問題となるのは、住民の景観権をどう考えるのかということであろう。ブルーテントが街を汚しているかどうか、これは主観的判断である。ホームレスの立場に立てば、「なにもハイソな茶屋町の一角にテントを張っているんじゃない、地域の人びとにご迷惑にならないように、しかし自分の生存権をかけて、ウツボに住まわしてもらっているんだ」というなら、論が論になる。先に述べたように、生存権は景観権を上回る社会権だからである。

 さて、もうひとつの考えされられる判決は、知財高裁の篠原判決である。この判決はインクカートリッジのリサイクルをめぐっての判決であるが、内田さんはホッと胸をなでおろしたことであろう。幸先のよい社長業の船出である。この事件のように地裁と高裁が180度違う判決を出すのはまれではない。だがこの問題も、「あれか、これか」で決着をつけていい問題でもあるまい。

 リサイクルは人類の使命である。一企業の利益優先態度は、環境思想の前では微塵となる。政府は環境問題も踏まえて3つのRを推進してきた。リユース(reuse)、リデュース(reduce)、リサイクル(recycle)である。使い捨て文化は猛省を迫られている。エネロープというのも売り出されている現実がある。

 だが企業は人を抱えている。つまり労働者がいる。その労働者を路頭に迷わす経営者ほど罪なものはない。そうした点では特許権侵害が認められ、労働者にそこから得た金銭も使用して給与を支払うことができるようになったのは(もちろんそこからだけではないけれど)、キャノンの勝利といえよう。横ではエプソンも、ブラザーも、安堵している。

 「特許発明の本質的部分を構成する部材について加工、交換されており、キヤノンの特許権行使は認められる」は、これまた重い言葉である。特許の妥当範囲が広がる可能性を示しているからである。こうなるとアフターメーカーは、なんにも「『新しい生産』」(『朝日新聞』)をすることができなくなるかもしれない。

 この事案は最高裁までいくだろう。3転がありうる。

 まだまだ考えさせる判決は多数あるが、林田福岡地裁判決は厳しいか、それともまだまだ甘いか。児童連続殺傷事件に対する求刑未満の懲役年限をどうみるかである。ワタクシは、求刑通り18年でも、国民感情を納得させきることは難しいと思っていただけに、寛大な判決であったと感じている。

 ほんとはここに許の悪行についても書こうと思ったが、判決理由を聞いているうちに失神するくらいだから、もういいだろう。きょうは、こんなところです。
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