日々旁午

2007


集団討論のテーマは、「新しい教育基本法では、伝統と文化の尊重などを教育の目標として定めていますが、現場ではどのように実践していきますか。議論してください」でした。このテーマに果敢に挑戦してくださったのは、6人の方々です。時間は20分。延長を少し認めました。いつものように、仮にA〜Fさんとして、発言の論旨を追っていきましょう。

 まず、Cさんがテーマを読み上げられ、伝統や文化の尊重が掲げられているのは新教育基本法の第2条の目的規定であることを指摘し、そこでは郷土を愛し国を愛することが述べられてあり、同時に国際社会に貢献する態度の育成も掲げられていると説明されました。そして、自分の国を知ることは大切なことであると話されました。Eさんも、国際社会との兼ね合いは大切な視点であり、自分の愛するところの文化を学ぶべきと発言、これを総合学習でやりたいとのことです。

 Aさんは、外国体験から、他国にいって自分の国の文化を深く知りたくなったことを述べられます。しかし、自国の文化だけの勉強ではなく、他の文化を理解し、尊重することが大切な態度であることを述べられました。Fさんは、音楽志望の立場から、文化を理解する点で音楽は有効であることを力説し、現在、西洋音楽を教えることから日本の音楽を教えることにシフトしているとし、和楽器について触れられました。

 Bさんは、これまでの議論を総合して、伝統文化と国際理解のバランスのよい勉強が学校に要請されているとし、自国の文化を語れないなら国際理解はできないだろうといわれます。そして、自国の文化といったとき、生活文化を学ぶのはどうかと提起され、歳時記の話題を提供されました。歳時記に沿い、それぞれの季節の場面を体験できること、地域における作法が学べること、形式美にも触れられると、歳時記のよい点を挙げられます。

 Eさんは、Bさんの意見を引き継ぎ、地域の人びととの交流に話題を展開し、子ども祭りで竹細工を作ったが、その作り方を教えてもらうために学校に招待したことや、卒業証書を和紙で作るなど、地域に根差した文化を学ぶ方法を論じられました。Cさんは、地域に学ぶということから、家庭での文化の伝承という話題に変え、祖父祖母から聞いたところの、かまどの神さまの話や、山や川の神さまのことを紹介し、それぞれに感謝の気持ちがあるから、こうした「神話」になっていると説明されました。文化を学ぶことは感謝の気持ちを学ぶことであるということです。

 Dさんは、日本について愛することのひとつに、国語を学ぶことがあるとされ、日本語はどのような構造の言語なのか、たとえば心の動きを表す言葉には何があるのかを外国との比較の上で検討するといいのではないかと提案されました。ヨーロッパ言語と日本語との違い、そこに潜む日本人の独特の考え方が理解できれば、児童生徒の学びが進むのではないかと、社会科教員を目指す立場からご意見されました。

 Aさんは、人びとのなにげない行動にも伝統があるとします。たとえば挨拶の言葉にも伝統が息づいているといわれます。Dさんは、たしかに学校生活の中で、なにげないことは多いとし、面白いエピソードを紹介されました。それは、日本ではよくいわれる「他人に迷惑をかけるな」が、外国ではあまりいわれないという具体例でした。日常の規律の中に、日本では日本独特の教えがあるのであり、こうしたものは、伝統文化の中で育まれてきたものであると述べられました。

 Eさんは、こうした伝統や文化は、教育課程では道徳の時間で学ばれるとし、社会や国語でもそうであるといわれます。このほか、理科でも日本の日本の動植物を学ぶことから育まれるのではないかと発言されました。

 Fさんは、和楽器の実際を紹介されます。琴を習いにいったとき、入り口でコートを脱いで挨拶し、さらに、入室前に挨拶する。礼儀、作法が備わっている。このような文化を実感したが、今の若者たちに、そうした文化に触れる機会を多くすることが求められているだろうとしつつ、日本のアイデンティティの問題に踏み込まれました。

 Bさんは、日本の文化に息づく「礼にはじまり礼に終わる」を取り上げられ、Aさんのいわれた挨拶の重要性や言葉使いの濃やかさをも指摘されます。Bさんによれば、ひらがな、仮名文化には、やわらかさがあり、韻を踏むような使い方もあると述べられました。そこから、百人一首の学習についても議論されます。耳に心地よくはいるその和歌は意味を理解していなくとも覚えるものであり、後からその意味を尋ねてくる児童生徒もいるといわれます。

 習わぬ経を唱える坊主がいますが、これなどは、現代の教育を批判するひとつの考え方ではあります。なんでもかんでも簡単なことの修得からむつかしいものへの理解へと進むよう教育課程を構成するのが学校です。意味がわからないものを教えることはありません。素読とか、暗誦とか、古い教育方法も見直されてくるのでしょうか。

 Cさんは、礼儀の重要性から部活動のことを話題にされ、ご自身が所属したクラブでも先輩後輩関係における挨拶、OB、OGに対する感謝の気持ち、広くいって目上の人を尊重する態度の育成が伝統文化の学習の延長にあるとまとめられました。Eさんも、よみきかせに言及し、日本古典、昔話をよみきかせすれば、伝統に触れることになると指摘されます。Cさんは、Eさんの発言を受け、朝読書でおとぎ話や民話を語るのもよいとご意見されました。

 Fさんは、このほかに、季節の行事と学校行事を関連させ、正月の書道、如月の節分というように組み込み、文化の体験学習とでもいうべきことの推進を述べられ、生活学習を強調されました。Dさんは、これを受け、行事だけでなく、祝日の意味を考える時間も面白いといい、勤労感謝の休日はもともとなんであったのかとか、新嘗祭のことなど話され、伝統に即した休日の意義ということも話題提供されました。

 ここでEさんは、他国を尊重する態度に話題を転換、アングロサクソンの文化、韓国などアジア文化と日本の文化と比較検討について述べられ、その対比から自国をみつめなおす学習にも効果があると期待されます。Cさんは、国の枠組みの文化を超え、気候、風土、四季の移り変わりのもたらす文化の様相にまでテーマを広げられます。そして、留学生との交流を通して、宗教的な問題にも言及されたのですが、ここで時間が来まして、議論が終了しました。

 ハラハラしながらも、密度の濃い「よい討論」、もうちょっといえば、いまの文科省の喜びそうな議論となりました。ハラハラというのは、神さまの話題や勤労感謝、新嘗祭の話題が登場したときに、天皇制にも議論が及ぶかなと思ったからです。「皇室の伝統が日本の伝統」とは全くいいませんけれど、議論の進み具合から、天皇制や皇室の話題が飛び出てもおかしくありませんでしたね。これを議論していいかどうか。教員採用の集団討論ですから、あまり深みにはまっていく必要もないでしょう。もしまた天皇制の話題がでたとすれば、これは慎重に避けるのもひとつのテクニックといえます。

 被差別部落の人びとが歴史的に担ってきた芸能、能、狂言についても話題化してもいいかもしれませんね。

 今回、更新が遅れまして失礼いたしました。次回はもう3月ですね。
(2/28)

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昨日は、第109回当サイト主宰勉強会に多数ご参加いただきありがとうございました。

 昨日は、教育再生会議の第1次報告、7つの提言の6つ目まで検討することができました。このほか、教育3法案についてや、一般行政と教育行政の関係性、また教育行政の独立性の意味などを考えました。ご自宅で資料を再読してくださいね。

 次に集団討論を実施しました。今回は、評価高かったですね。傍聴者の評価もよく、充実した討論であったと思います。この模様の再現は、また次回更新で。

 集団面接は、4人の方が挑戦してくださいましたが、是非、質問項目を文章化するクセをつけてください。自分の考えをまとめるのは、文字にしてみれば客観性も保たれます。イイタイコトをまとめるのが、自己の応答を的確にします。はじめて尋ねられる質問にも対応の幅が広がります。今回の質問は、以下のようなものでした。

 「教員志望動機」、「教員は社会人でもあり、社会との接点を持たなければなりません。社会のことを知らないとなりません。きょうの新聞は読んだと思いますが、どのようなことに関心を持ちましたか」、「講師としてがんばっていますね。あなたは学校で失敗して叱られたこともあるでしょう。どういうふうにそれを受けとめ、反省しましたか」、「だれでも他人に助けられたことはあります。あなたは、一番困って、他者から助けられた経験はどのようなことですか」、「思いやりを育てるために、どんなことをしますか」、「豊かな専門性を備えた先生というのは、どんな先生でしょうか」、「ゆとり教育と学力重視の教育とどちらを推進したいですか。イエス、ノーで答えてください」、「(前承)その理由を教えてください」、「100マス計算が流行っています。これにはどんな効果が認められるのでしょうか」、「児童虐待について考えていることを述べてください」、「土曜補習についてどのような考えをお持ちですか」、「NEET対策には、どのような方法があるでしょうか」。以上の質問でした。参加者の答えはアップいたしません。個人情報に属するものがあるからです。みなさんも、ご自身ならどう答えるか、文章にしてくださいね。

 最後に、自己売り込みのツボでした。担当いただいたTさん、お疲れさま。笑顔いっぱい、よかったです。また、時間のあるときに、珈琲会でワタクシからコメントしますね。Nさん、きょうは、体調がすぐれず不参加でしたが、また、担当できる日を設定しましょう。勉強会は休んでも、学校は休まないよう、体調を整えることが先決です。

 もう、2月も終わり、はやい!3月も、がんばりましょう。あ、教育法規は憶えてよ。スコープがバラバラなるまでがんばって。一般教養も手を抜かないように。やることはいっぱいでしょう。でも、討論や面接は、ここでできます。それ以外のことを日々充実させてくださいね。
(2/26)

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昨日は、高松市において開催された香川県教員採用対策学習会にご参加いただきありがとうございました。主宰の日教組香川の先生方、ご手配、ありがとうございました。

 いつもと場所を変えての開催ではありましたが、滞りなく実施できましてお礼申し上げます。来月3月24日(土)の開催もよろしくお願いいたします。

 あすの勉強会は、JR大阪近辺での開催です。ご出席のみなさま、よろしくお願いします。また、自己売り込みのツボ担当Tさん、Nさん、がんばってくださいね。

 こちらをリンクしておきます。
(2/25)

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当連載書評「『世界』2007年2月号を読んで」も、今回の第9回目で、ようやく最終回を迎える。『世界』の特集の最後をしめくくるのは、熊谷伸一郎(くまがいしんいちろう)氏の力作、「ルポ 一部自治体がすすめる『師範』養成 『教え子を再び戦場に送る』教員の育て方」である。

 新聞の報道や雑誌(註1)では、教員養成塾のよい面ばかりがチラチラ綴られているが、その出生のいかがわしさや、そこに潜む教員養成の姿勢を根本的に批判する記事は、ほとんどみない。もっといえば、チョーチン記事すらもほとんどメジャーに登場せず、出たとしても、「へー、なんで『師範』なんて言葉使うんやろ、いい先生を育てるために、まあ、行政はがんばっているんやな」と感覚する程度の認知を国民に与えるばかりである。

 それに対し、熊谷氏の迫力あるこのルポは、教育の中立性(註2)を忘却した自治体首長の発言や態度にメスを入れ、その実働部隊を批判し、教育行政の一般行政に対する独立性を守護する提言として、最近のマスコミが意図的に無視する教育界の裏面を報道してくれる価値の高い文章である(註3)。

 誰でも知っている三重野康氏、中條高徳氏などは別として、ルポに登場する人物を挙げれば、上甲晃氏、三ッ角直正氏といったように、右翼団体関係者あるいは右翼的な人物である。熊谷氏は彼らにも言及するのであって、それだけ衝撃度が強く、隠れた「教育構造」を丹念に洗い出しているといえる。点と点を結び、偏向的教員養成塾の全貌をなんとか表現しようとする熊谷氏の構想は見事というほかないが、ものすごく慎重な態度も同居していて、それだけ取材対象に対する緊張感が伝わってくる(註4)。

 副題の「『戦場に再び教え子を送る』教員の作り方」についていえば、これが現代の思想的状況を教育の断面から喝破する刺激的なキャッチであるのはよくわかる一方、このように熊谷氏がネーミングしたことを、よくぞ『世界』編集部は許可したなと、ワタクシには感ぜられた。そして、このキャッチを笑い飛ばせる社会的に健全な気候下にあらざることが、思想状況の深刻な振幅を物語る。このキャッチは、深刻な社会情勢から自然とネーミングされて世に出てきた、つまり「出るべくして出た」といえるのではないか。すなわち、国民が薄々おかしいぞと感覚しているなにか得体の知れないものを、誰かが表現してくれないかという「声なき声」が、熊谷氏の筆に集中したということである。もうひとつ、このキャッチには問題性があるのであるが、それは、東京教師養成塾に関連するところで述べたい。

 ところで、師範塾をめぐる大きな問題としては、「同じ土俵に載せていいのかどうか」ということがあるだろう。これはどういう意味かというと、こうである。

 当代一流の総合雑誌『世界』に、体制側の養成塾の存在を詳細に報告すれば、当然ながら、ワタクシも含めて、その存在を深く知る人びとが多くなる。タクティックとして、こうしたまがいものの塾は、本来、無視して朽ち果てるのをみておくにかぎるのであるが、それが許されなくなってきている。首長が音頭をとって件の塾の設立ラッシュにあり、市民派議員や共産党議員が、それぞれの自治体議会でこの動向について質問する現状、つまり、公けの場で、養成塾問題そのものを取り上げざるを得なくなっているからである。こうして触れるべきでない塾どもを『世界』に取り上げるという「同じ土俵」に登らせざるを得ない「くわばら、くわばら」状況なのである。社会が、そこまで右側に追いつめられているということを、この事態は、客観的に、意味するだろう。

 こうした観点からは、大新聞が取り上げないのは、それはそれで逆に一定の意義があるのかもしれない。だが、首長による「行政行為」であるとほとんどみなしていい塾設立とその右翼活動家への委託的運営なので、監視がやはり必要になってくるという「報道したいがしたらしたで焼け太りする」といった、なんとも複雑な相貌に陥っているのである。ワタクシなどの運営するこの弱小サイトで、こうした話題を取り上げることなどは、状況に無関係ではあると思っているのであるが、下手するとそうでないのかもしれない。

 ひょっとすれば、戦前のある一時期も、このようなジレンマがあったのかもしれない。そうだとすれば、ワタクシたちは、「いつか来た道」にもう迷い込んでいるといわなければならない。

 さて、ルポ自体をみていきたい。ここでは、2、3点の指摘をしておこう。

 第1。特攻隊員の遺書を新成人に「よみきかせ」する杉並区長山田宏氏の思想的解剖の記述からルポははじまる。そうした人物が意地でもやりたい杉並師範館は、「戦前のわが国の教育を現在の教育にどのように生かすかの内容」を憂国意識から用意し、それをそこに集う教員志望者に植え付けようとしている事実が指摘される。師範館の性格がはっきり示されているといえる。

 山田氏と杉並区教育委員会の思想的癒着が進行し、教育委員会の独立性はない。しかも、教育委員会メンバーを桟敷席に案内し、教育委員会事務局の人びとを手足のように使いたいといった思惑が山田氏にはあるのだろうと思われる。なんとも嘆かわしい。事務局の人びとを使って、今後も師範館が運営されていくとすれば、これは行政の私物化しかも越権的私物化といってもよく、熊谷氏の指摘するように、「実質的には区の事業であるにもかかわらず、任意団体とされているために、議会や市民の監視やコントロールが行き届かない」。こうした目の届きにくい、グレーゾーンで事態が進行しているところに、独り歩きする行政の危険性を確認できるのである。行政は、歩きやすい道を歩く。

 第2。教育行政の独立性を無視する首長の行政態度は、埼玉県知事上田清司氏も共有するところである。埼玉師範塾と杉並師範館では、前者が現職教員の資質向上、後者が教員のタマゴの育成というような違いはあるが、両者の「師範」育成思想に大差はない。そして埼玉師範塾で育成担当するのが、あの、高橋史朗氏であるという構図を熊谷氏は紹介している。こうした体制側の塾の連帯構造をどうすれば遮断できるのだろうか。

 第3。都の「東京教師養成塾」についても触れられている。この塾には、都下の15大学から学生を集めているそうだが、この塾に入塾推薦する学長がいるということに、もっと注目するべきではないか。もうすでに、同塾出身の教員が170人も教壇に立ち指導している事実は、「『戦場に再び教え子を送る』教員」がそれだけ増えたということを意味するのであろうか。熊谷氏は、このようなレッテルを貼りつけている可能性がないとはいえない。

 同塾出身であることを、170人ほどの教員は、どのように捉えているのだろう。名誉を感じているのか、それとも、十字架を背負ったのか。熊谷氏が同塾出身者のコメントを掲載するにあたり、匿名を懇願するコメント提供者の描写が、このルポにはある。これをみても、自分の立場に苛まれている教員がいるのは否定できない。

 師範館や養成塾は、そんなことは考えないだろう。考えていても、知らん振りをするにちがいない。そういう点では、今後入塾する学生や教員も、かなりの覚悟を持たなければならない。

 この熊谷氏の力作を出発点とし、官製の師範養成塾の動向と、その出身者の追跡調査を継続的に行なうという気の重い作業が、教育関係者に突きつけられている。
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(註1) たとえば、『世界』2007年2月号と、ほぼ時を同じくして出版された『週刊 東洋経済』2007年1月27日号を参照。こちらの雑誌も、教育現場を批判的に検証する立場をとっているといえる。足立区や文京区ほか、問題点を抉る東京都下の教育長インタヴューが掲載されている。

(註2) 教育行政の中立性について、広島県教育長の見解を、あえてリンクしておく。また、「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」(昭和31年6月30日法律第162号)の第4条の3や4を参照。下記に引用する。
「委員は、当該地方公共団体の長の被選挙権を有する者で、人格が高潔で、教育、学術及び文化(以下単に「教育」という。)に関し識見を有するもののうちから、地方公共団体の長が、議会の同意を得て、任命する」。
「3 委員の任命については、そのうち3人以上(前条ただし書の規定により委員の数を3人とする町村にあつては、2人以上)が同一の政党に所属することとなつてはならない」。
「4 地方公共団体の長は、第1項の規定による委員の任命に当たつては、委員の年齢、性別、職業等に著しい偏りが生じないように配慮するとともに、委員のうちに保護者である者が含まれるように努めなければならない」。

(註3) ただ、熊谷氏は、このルポを、池添徳明氏の指摘を紹介して閉じているが、もうちょっと自説を展開してほしかった。

(註4) たとえば、君が代を「あらん限りの声で、心の叫びのように歌」い、「この人達さえ生き残っていれば必ずこの国は蘇るだろう」と語る中條氏への評価として、「やや『愛国心』過剰なこの老人」と書いている。ここに「やや」は、必要なのだろうか。八木秀次氏の「教育再生民間タウンミーティング」を「冗談」と切り捨てているのとの対比が、ワタクシにはおかしかった。
(2/24・『世界』2007年2月号を読んで<9>)

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あすは、高松市(サンポート高松)にまいります。香川県教員採用試験対策学習会のためです。日教組香川の先生方、お世話になります。よろしくお願いいたします。ご参加のみなさま、前回のレジュメの解説がだいぶん残っておりますので、ご持参ください。また、個人面接の練習をいたします。

 あさっては、当サイト主宰第109回勉強会を開催いたします。お申し込みいただいたみなさま、よろしくお願いします。教育再生会議の資料をお忘れにならないようご持参ください。また、時折『教職教養スコープ』を使用しますので、できれば持ってきてくださいね。

 いつもとかわらないカリキュラムですが、教育再生会議報告の検討、集団討論、集団面接、そして、自己売り込みのツボの構成です。報告検討では、例の「個」と「公」について、みなさんからのコメントお待ちしています。こちらの野依氏+河合氏の対談をリンクしておきます

 集団討論のテーマは、「新しい教育基本法では、伝統と文化の尊重などを教育の目標として定めていますが、現場ではどのように実践していきますか。議論してください」といたします。がんばってくださいね。
 ツボは、Tさん、Nさん、がんばってください。コピーを20枚ご用意くださいね。

 それから、少し古いですが、こちら「なぜ教員は忙しいのか?」も勉強になりますから、目を通してみてください。
(2/23)

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月末に原稿の締め切りをいただいたので、きのうはそちらに注力しておりました。その関係で、昨日は更新できず、討論再現模様のつづきをタノシミにページを開いてくださった方々、失礼いたしました。

 もう少し、どのようなご意見が出てきたのか、記していきましょう。「なぜ、勉強するのか」に対する応答です。

 勉強は、自分の可能性を広げるもので、各教科を勉強するのはシンドイけれど、自分の道を発見するための地図のようなものである、とのご意見がありました。「地図」は、印象に残る言葉でした。このように面接官の心に響き残る言葉を活用するのはよいですね。

 この質問が浴びせられることを反省し、教員としての魅力、授業力を高めるという発想のご意見もありました。また、将来ぶつかるであろう壁をクリアする練習として勉強するというのもありました。いわゆる問題解決のための手段を身につけるため、という答え方です。理科の実験をするのも、知的思考を深めるためであり、「児童生徒がひとりの科学者として参加」するのが大切ではないかと述べられた方もいらっしゃいました。

 このほか、すべての勉強において「楽しめる」ということを前面に出したいというご意見、「なりたい自分になるための手段」との考え方、論理的思考を身につけるために勉強する、などなどが出てきた回答です。

 「なぜ勉強するか」に答える必要は、ないのかもしれません。いままで出てきたことからして、他者から何かいわれて理解できることではないのかもしれません。児童生徒一人ひとりが、自分の人生に目覚め、自分の道を発見し、いきいきと生きていくためには、自ずから勉強が欠かせなくなるのですから。

 先生が嫌いだから勉強しない、との答え方もあると思います。これはマズイですね。教えてくれる先生のせいで、その科目、教科そのもののおもしろさそのものに気付かず卒業していくことほど悲しいことはないでしょう。たとえその先生が嫌いでも、数学なら数学で、歴史なら歴史で、楽しく学ぶ価値あるものだから、いわば学問そのものに対する興味を失わせるのは罪といえるでしょう。ワタクシたちは、そうした意味では、児童生徒を学びの入り口まで案内するだけの存在だといえるでしょう。

 「なぜ、勉強するの」、この永遠の質問にどう答えるか、夢中になっていればこんな疑問がでないとすれば、では、なぜ夢中になれるのか、それを考えることでしょう。そして、「せんせ、なんでそんな一所懸命なん」と声をかけられれば、それはワタクシたちが身体で勉強のおもしろさを知らず識らず伝えているのかもしれません。

  「会ったこともないのに電話番号書くのはちょっととか、参加したいけど自信がないとか、私は女性で一人で参加はちょっと恐いとか、いろいろな理由から『足踏み』されている方もいらっしゃることでしょう。気軽に一度のぞかれてみませんか。真剣に教員を目指す方々が集まってきています。ご自分が『どのくらいの温度のお風呂に入っているか』わかりますよ」。

 みなさまのご参加をお待ちしています。参加は1回ごとに1000円、ここにちょっと資料のコピー代をいただきます。いまは教育再生会議の資料を20枚配布してますので、200円程度オンされるのみです。参加できないときの分まで払う必要ありません。是非、一緒に勉強しましょう!
(2/22)

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