日々旁午

2008



おしらせ今後、当サイト主宰勉強会にキャンセルがありましたら、この「旁午」欄においてアナウンスし、再募集をさせていただきます。再募集はの記号を用いまして表示いたします。開催日程はこちらです。ただし、キャンセルのあった当日朝にご連絡いただいても、連絡がとれません。ご了承ください。その意味では、極力キャンセルされる方は早めのご申告お願いします。
当サイト勉強会で使用している問題集や参考書ほかを、大阪駅前第2ビル地下2階で、いつでも購入することができるようになりました。地下2階にレンタルボックス・キャビン(06-6344-0509:営業時間/平日11:00〜19:30/土日祝11:00〜18:00)というお店に陳列しています。問題集のほか、しょうもない小物も置いていますのでご覧ください。合格お守りのキティちゃんも!
現在、「シート式B」、「シート式C」、「平成19年夏実施大阪府過去問解答解説集(教職教養部分のみです)」、「新しい答申『幼稚園、小学校、中学校、高等学校及び特別支援学校の学習指導要領等の改善について』の解説付資料集(答申そのものをワタクシの判断で精選し、縮減したものに解説を少しだけつけたもの)」、をおいています。
 なお、今年1月17日付の答申「子どもの心身の健康を守り、安全・安心を確保するために学校全体としての取組を進めるための方策について」もおいています。こちらは、解説2枚と「ふろく」を含め、30枚ほどに仕上げました。安価にて提供します。
レンタルボックス・キャビン店内に連絡掲示板が設置されています。連絡掲示板にご要望を記入いただければ対応しますので、必要な資料あるいは問題集について簡単にコメントくださいませ。たとえば、現在、「平成17年夏実施大阪府過去問解答解説集」、「平成18年夏実施大阪府過去問解答解説集」、「シート式A」はおいていませんが、コメントがあれば、おきたいと思っています。そのほかは、こちらのページ(日程の下に資料の一覧表があります)、および、こちらのページを、どうぞご覧ください。よろしくお願いします。

各種資料ほかをご購入いただいた方々、ありがとうございました。お礼申し上げます。

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「大教室」という「小さな箱」から飛び出して、学校現場に積極的に進出することが、教員をめざすものの実践的な指導力を高めることになる。そうだとすれば、教室で展開される大学における教職の学びなどは無意味なのであろうか。
 それがそうではないということを昨日の駄文で立証しようと必死こいていたのであるが、旗色は依然として悪い。どうやら、大学における学びは「心構え論」に過ぎない感がある。というのは、教育実習に行ってはじめて教員志望が確立するなどといった、いささか「遅い時期」の決断は、それまでの机上の教育学的な勉強が刺激を与えていなかったということの裏返しであるからである。実習を大学3回生時に経験できればまだしも、4回生の夏前などといった採用試験まであと1ヶ月という切羽詰った時期に実習し、先生になるぞと意欲的になり、意気込んでも遅い。さすがに準備期間が1ヵ月ではどうにもならないのである。
 こうした計画性なきプログラムを提供してきたのが大学であるとすれば、大学は猛省しなければならないが、さりとて手取り足取りそこまで学生に甘い態度を持ち、自覚を促す必要があるのか、との思いもあるだろう。少なくとも教職に関するプログラムを周知していないわけではないのであるから。しかも、こうした無計画性の指摘と教職課程の連携性の強化が現状の教員批判をバネに期待され、大学の教職課程改革が最近一瀉千里にすすんでいるのである。とりわけ、もう、看板の挿げ替えといった事態にまでなっている。すなわち「教育学部」と表示していても将来教職に就く割合が半分以下である場合、学生の就職期待性をくすぐることができず、「学校教師学部」といったように実践性を刷り込み、ここを卒業すれば教員になれるという実現性を売りにして学生募集をするにいたっている。看板のかけかえが悪いわけではない。現場における指導力の育成こそが教職に就くものの是非とも不可欠な能力であるのは間違いないからである。
 教育職員養成審議会が10年前に、いつの時代も求められる資質能力として、教育者としての使命感をあげたが、これこそ「心構え論」に過ぎない。使命感をいくら議論しても、それは1回の授業実践の力の育成に直接的に結びつかない。また、「使命感ありますか」、「ありますよ」で済む話であろう。それよりは、教科等に関する専門的知識をはぐくむ方が、学生のニーズにも妥当するだろう。そうであれば使命感にせよ、児童生徒に対する教育的愛情というようなある意味では議論にならない空疎な「資質能力」を学生に学べといっても愚ということになる。そもそもこうした資質を備えていない学生は教職をめざさないからである。教職への愛着や誇りや一体感などもその類のものであろう。そうした言葉だけが踊って内容に疑問符のつくことどもの周知よりも、どうすれば児童生徒の心を的確にキャッチできるのかに回答を与える方が学生にとってはメリットがある。一例をいえば、それはカウンセリングマインドに関する手法を「教育実践心理学」(これは造語である)的に大学で学ぶ方がよい。
 これと関連していえば、大学で生徒指導の実践力を身に付けるために、文書を読んで研究するということに、どれほどの効果があるのであろうか。担当するものには申し訳ないことだが、心もとないものと感ずる。理屈よりも児童生徒と直に接することの方が数倍の効果があるからである。
 話がここに至れば、大学の教職課程は死に体といえるのかもしれない。では、将来の大学における教職教養課程はどうであるべきなのであろうか。それをこれまでの分析から一言でいえば「ハウツー」となるのであろう。教職大学院でも、教師経験者が学び直しに学内留学しているのは、プラトー化した「資質能力」をブラッシュアップするためであろう。それは実践力を点検・充実あるいは新しい教育理論を提供する内容となろう。この意味ではリカレントである。現場と大学院を架橋する仕組みがつくられたことは、単に専修免許状取得の道の敷設という意味よりも重いといわなければならない。
 この議論はもう少しつづけようと思う。以下、あす、あさっての勉強会のご案内です。
 あす、あさっては、当サイト主宰勉強会を開催します。ご参加のみなさま、よろしくお願いします。最近は本当に遠くからのご参加をいただき、なんともありがたい気持ちです。北陸や中部からもご参加いただけるのに耐えうる時間を提供できるよう、努力しますね。
 さて両日とも、答申の講読、自己売り込みのツボ、集団討論となります。討論のテーマは、12月に実施したヴァリエーションとして、「学習指導要領の改訂によって授業時数が増加されるとのことです。その増えた時間をどのように使いますか。具体的に議論してください」といたします。
 では、教室で。
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教員としての資質能力には、理論的な面と実践的な面があるといえる。理論的な面とは、大雑把にいえば、教育の思想の理解や教育の方法論などを学ぶことである。だから、たとえばコメニウスやペスタロッチなど過去の偉大な教育思想家がその当時の子どもたちのために何をどう教えるべきかについて考えたことを遺産として検証し現代に役立てることがその学びとなる。西洋教育の史的展開は哲学思想と宗教思想に導かれ、近代に向って哲学や宗教から離陸していき、教育学として自立していくと捉えるのが一般的見解である。そうした思想のリンクを解きほぐし、それぞれの関連性を探るのは興味が尽きないし、あるものにとっては醍醐味すら感ぜられる。
 だが、それが現実の教育にどう役に立つのかといえば、途端に語れなくなる。なぜなのであろうか。過去を語ることは無意味なのだろうか。ある歴史的地点から次の歴史的地点へとすすむとき、どのような思想的変化があるのか、方法論的な変化があるのかを探るのが教育史の役割であって、本来、そうした変化の最終地点に現代があるはずである。だから、「すべての歴史は現代からはじまる」とのカーの言葉は正しいし、現代をみつめる目つまり批判的検証の目を養うためにこそ、教育思想研究に代表される理論的な面をワタクシたちは養い、教員としての資質の一端にこれを加湿する。そうした過去の偉大な遺産の継承的理解があって現代の児童生徒をみつめるまなざしが回復されると思われる。
 しかしこうした世紀を超えた歴史的、思想的理解を大教室の若い学生に訴えたとしても、ある面では暖簾に腕押し的なときもある。学生時代のワタクシもこのジレンマには直面したからよく理解できる。直言すれば、コメニウスの思想を学んでいじめ問題が解決できるのかという質問ないしは刃に、上のような息長い学問的態度で立ち向かったとしても、あまりに歴史的な断層が深く、離れ過ぎていて、その背景的知識を身に付ける能力ではなくて時間が及ばず、若い方々の想像力が追いつかないのかもしれない。毛細血管のようにかぼそくほぼ省みられない思想が現代につながっていることをいっても頭ではわかっていても現実関心からは同意が得られないのである。ところが、毛細血管のように1本の血管ではなく、はりめぐらされて過去と現代がつながっているということは理解できるのではないか。すなわち毛細血管のはりめぐらされた本数は1本や2本ではなく、1本は細いがそれが束になって現代につながっているとすれば、その網的な接続関係を紹介することによって現代の教育思想が進歩するにちがいない。なぜなら、そう考えて新教育の論者たちも自分たちの生きていた時代に新風を吹き込んだからである。そうでも思わないと、大教室でペスタロッチやヘルバルトや森有礼を語っても語り甲斐がない。
 一方で、教育の実践的な面において教育方法論はかなり役に立つと認識され、現実の教育的営為と直線的に捉えられる。デューイの問題解決学習は、戦後すぐの教育に、また、現代における総合的な学習の時間の在り方に多様な影響を与えているといえる。とすればデューイがペスタロッチに学んで直感教授から経験主義を導いたその思想構造を学ぶことには意義がやはりあるのであり、総合学習に生かすべきPDCAもじつはPDSに由来することからしても常に立ち返ってよいであろう。
 頭でこのようにわかったとしても、しかし、現実の教室からいじめがなくならない理由を捜し求めてコメニウスやデューイ立ち返ったとして、どのような果実が得られるのだろうか。いじめの根絶方法を「発見」するには他の毛細血管を探すほかないのであろう。それはひょっとすれば軍隊における私的制裁の文化にあるのかもしれない。また、ナショナリティーの問題を子ども言葉に無理やり翻訳して「みんなといっしょじゃないといじめられる」思想というように意味付けて考えてみるのもヒントとしては悪くはないと思われる。授業論における序論、本論、結論の構造や単元学習も、19世紀から20世紀の産出した教育方法論的英知である。
 「だからそれがどう教室に生かせるの?」。この一言がやはりワタクシの身体を呪縛する。教育思想は教育実践を静かに支える唐木のような硬さと柔軟さを持ったものだと思うのだが。
 ところで児童生徒とのよき思い出となりやすい特別活動学校行事にしても、これがなぜスタートしたのかといえば、偏った人間形成を阻止する発想に胚胎している。いわゆる教科課程といわれた時代には、淡々と伝統的な知識を子どもたちに伝達するだけであったが、これでは青春の豊かで広がりのある人間性や躍動感ある肉体的美を育成しないままになるほか、信じあう人間愛の尊さを実感できないままになる可能性もある。これを批判し、教育課程では人間の能力をあらゆる方向から高めるべく、ということは人格の完成なのであるが、日本の戦後教育史だけを切り取っても、そのために自由研究から特別教育活動、さらには特別活動へと進化した形でその意義を攪拌しながら成果を出している。宿泊的行事や健康安全・体育的行事が敢行されるのは、ペスタロッチのシュタンツの実践があるいは毛細血管的に関連するのかもしれないではないか。
 問題はこういうようにワタクシの妄想を文章化したところで、主体的なAとBとCと…とを連絡させる主体的な学びの意識を教員を目指すものが持てるかどうかであろう。ややもすると短絡的に「大阪府の教員採用試験にまったく出題されないから勉強しなくてよい」とするならば、何年後かに必ずしっぺ返しを喰らうことになる。たとえば集団討論をやってみて、個々の発言の背後に、これまでの学習の油がノッテイル場合がある。そうした多様多彩な勉強が搾り出す発言にこそ、そのひとの教育的信念を確認できると思われるのである。
 教育の実践の面でいま重視されているのがインターンシップ経験である。キャリア教育といってもいい学生の現場体験は、みずからに教師への自覚を醗酵させるに余りある。学ぶべき対象が現実に目の前に存在するのであり、その子どもが「なぜ?」と聞けばそれに応える義務が発生する。こうしたリアルな学びに学生がトリコになるのは当然であろう。いままでの教えられる立場から教える立場への華やかな転換を経験するからである。しかもそこでは自分が指導しなければすすまないとの恐れをはじめて実感するからである。大教室で理論を聴講し「寝ながら」単位修得した学生(ワタクシを含む)も、今次は単位をとるとらないにまったく関係なく、学んでいく。そこに若人の真剣さと意識新たに教員になりたい!との是非ない心の声が毛細血管まで駆け巡る。
 いっしょに勉強しようじゃないか、諸君。理論も、実践も。
(2/28)

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3月2日の日曜日、勉強会にキャンセルありました。JR大阪近辺にて開催です。先着1名の募集となります。右上のフォームからのご応募お待ちしております。ドコモほか携帯からのお申し込みはご遠慮ください。ブロックされて返信のメールが届かない可能性が高いからです(2月27日07時19分、受付終了しました。ご応募ありがとうございました。お申し込みされた方にはご返信しています。ご確認ください)。

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(承前)つづいてBさんが発言されます。Bさんは児童生徒の生活時間の使い方について言及され、たとえば保護者の厳しい勤務環境の場合どうなるのだろうかと疑問を呈しつつ、それでも保護者とやり取りし、児童生徒の生活習慣の確立の方策を協力して模索したいと語られます。生活時間を律するには、三度の食事が時間を区切るわけですが、食育とも関連させてFさんが外食や中食のことに触れられました。生活習慣は健康維持のためであって児童生徒の栄養状態を把握することが個々の児童生徒の健康状態を知ることになり、ひいては精神状態にも波及し学力とも関係する議論になるとのことです。この点、Dさんは、学校行事で夕食の作り方などを主宰するといいのではないかとご意見されます。その際、栄養教諭の指導を仰ぐとさらによい学校と家庭との連携行事になると考えておられます。Cさんは、保護者と一緒に弁当を作っているテレビをみたという話をされつつ、議論を継承し、食育のひとつの重要な分野として児童生徒自身による食管理の問題を取り上げられました。Cさんは、食のマネージメントという言葉を用いて紹介されました。
 保護者と一緒に作るお弁当や夕食との話題から、Aさんは児童生徒の家事分担という話題に延伸させます。児童生徒が家庭の一員であるという認識をしっかり持つことが基本的な生活習慣の確立につながると発言され、家庭において家族が喜ぶようなことをしようと児童生徒に指導すると述べられました。ただ、Bさんがいわれるように、また次にCさんがいわれたように、家庭にも限界があります。Cさんは学校で生活習慣を確立するのにどうすればいいかということを考えておられて、長崎における生活指導が充実した学校の取り組みを紹介されながら、宿泊研修を提案されました。学校の規律がどのようなものかまだわかっていないうちに宿泊研修を実施し、学校のルールをしっかり守る意識付けをしたいということです。これは社会的な規範意識の形成にもつながるものですね。チャイムや指示を守るなどは、いわゆるヒデュンカリキュラムといわれるもので、学校生活がおのずと児童生徒に染みこませていく指導内容です。
 つまり、学校生活にメリハリを付けさせたいというのがCさんのご意見だったわけですが、Fさんも時間配分をちゃんとすることによってだらだらしない生活リズムが生まれると発言されました。Bさんは学校でできる生活習慣の確立とは、たとえば早起きにしても、学校が朝早く来ることでこんなにいいことがあるよといったいわゆるアメを用意するのもいいかもしれないと指摘されます。朝にドッジボールをするだとか、朝読書をするとか、そうした児童生徒の興味を引く行事を組み入れることが、朝早くから学校へと向わせる根拠になるとのことです。Eさんは、このご意見に関連し、朝早くから体を動かすことの意義を述べられ、仲間意識も育つような指導をすると抱負を語り、Dさんは、体力を使わないからなかなか寝付けない児童生徒が増えている現状を憂え、両者ともに規律ある生活ということを主張されました。また、朝読書に関しては、Fさんが、朝のグッドスタートによいとされ、頭のフル回転ということを述べられました。
 Eさんは、ひょっとすれば保護者も我が子の生活スタイル確立にどのように助言したらいいのかわからないのではないかといわれ、理想的なタイムスケジュールを提示するのもいいかもしれないと発言されます。夏休みの前に、どのような生活リズムを保つのかと言う観点から、児童生徒自身にスケジュールを書かせてみるというのは、今も昔も大切なことですね。
 最後にDさんが、地域の力も借りて児童生徒の生活スタイルを確立するのがいいと指摘され、学校保健委員会などが舵取り役をすればいいのではないかと提言され、討論は終了しました。
 さて、いかがだったでしょうか。今回の討論は再現しやすかったです。なぜなら、堂々巡りの討論ではないこと、前の発言者の意見を踏まえて次の発言があったこと、発言の広がりがあったこと、こうした要因があったからです。討論傍聴者から出たご意見では、家庭学習として宿題の話題が出なかったのは残念、チャイムの意図、給食の意義ももっと語って欲しかった、生活習慣の確立ということを家庭に丸投げではいけないということ、部活動の話題が出なかったの残念、というところです。いわれてみればそうですね。
 それでもしかし、討論全体として、合格点を与えられる討論ではなかったかと、ワタクシは評価しています。
 次は3月ですね。うっふっふ〜
(2/27)

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先日実施した集団討論の模様を再現し、お伝えします。今回のテーマは、「基本的な生活習慣が確立している児童生徒の成績は高いそうです。学力向上と生活指導との関連性について思うところを自由に出し合い、議論してください」というものでした。このテーマに、20分間で6名の方が挑戦してくださいました。いかがだったでしょうか。今回、全体として、ご意見があまり途切れることなく提示されていたのがよかったですね。昨秋合格のYさんが、かなりダメ出ししてくださいましたが、的を射たご指摘でよかったです。仮にA〜Fさんとして再現してまいりましょう。
 さて、口火を切ったのはFさん。Fさんはテーマを確認され、生活習慣の確立に関し一番問題となるのは睡眠不足と食事の問題ではないかと提起されます。それは「早寝早起き朝ごはん」との標語にあらわれている問題性であって、睡眠をよく摂り朝飯を食べてくれば、朝から脳も活性化すると述べられました。つづいてCさんは、児童生徒は学校・家庭・地域社会の中で生活しているので、この3者が連携協力しあって児童生徒の生活スタイルを適切化するのが常道とされつつ、Fさんの食事の話題に言及して、保護者がどのような生活環境にあったかが児童生徒の食事のあり方を左右するとご意見されました。保護者の生活的バックグラウンドが食事をも決定するので、そこに食育的観点からなにが私たちにできるだろうかと問題提起されたわけです。
 Eさんは、規則正しい生活によって、頭が冴えた状態になるとまず指摘されます。この点、Fさんの睡眠不足の問題とリンクされたご意見の切り出し方でした。規則正しい生活は朝の時間を児童生徒に設け、テレビをみたり新聞を読んだりできるので、学校生活においても話題を提供することも可能となってよいのではないかと発言されます。テレビ・新聞をみる余裕を持つメリットを訴えられました。ここでいいたいのは、「余裕」ということですね。学校生活で会話がはずむよう「余裕」が生かされるといいことです。Aさんは、テーマの「基本的な生活習慣が確立している児童生徒の成績は高い」は、全国学力調査結果でも実証されているとまず説明されました。そして、朝ごはんをちゃんと摂る児童生徒は正答率も高いことを追加説明されます。Eさんのご意見に対してAさんは、朝の準備も落ち着いてできると朝の時間的余裕について関連事項を述べられました。たしかに急いでいると、忘れ物もしてしまうでしょうしね。
 Dさんは健康を維持するために生活習慣の確立は重要であり、それが乱れているがゆえに学力も低下するといわれます。ここから、自律した生活を送ることが学力面でも有効であると指摘されます。Bさんも、生活習慣が確立している児童生徒の学力が高いとの見方は、すでに常識とみなしていいと発言されます。ではどのようにして児童生徒の生活を安定させるかということになるわけですが、これはCさんもいわれたように、DさんBさんも児童生徒の生活は保護者の生活と切っても切れないので、家庭との連携をどうすすめていくかがポイントになると指摘されます。Fさんは学校と家庭は児童生徒の生活習慣を確立する車の両輪であるとDさん、Bさんの指摘を踏まえて述べられ、教員として児童生徒観察と家庭訪問を遂行し、家庭事情を把握することが学校としてできることではないかと発言されました。
 こうした児童生徒の生活把握の問題に関し、Aさんは児童生徒自体の忙しさということを話題にされました。よい視点ですね。早く寝ることができないのはなぜか。なぜなら、塾に通う児童生徒は、塾から帰ってようやく学校の宿題をこなすこともあり、生活時間が夜型にどうしてもなってしまい、生活時間がスライドしてしまうと考察されます。Aさんとしては、生活リズムを修正する指導を、家庭科で行ないたいと提案されました。衣食住を扱う家庭科の「住」のところで実施したいと抱負を語られました。
 生活時間と関連し、Cさんは、それでは児童生徒は学校から帰って塾に行くほか何をしているのであろうかと議論の種を提出されます。Cさんは、テレビをみたり、テレビゲームをしたりと児童生徒の放課後生活を推測されるわけです。こうであれば、これは家庭教育の範疇であってどのように児童生徒=我が子に生活確立の指導をしてもらうかという話になると発言されます。
 次にEさんは、中学生も2、3年になると受験がちらちらし、生活指導も神経質になると現状報告的に述べられ、のびのびとした指導が貫徹しない危惧があるとご意見されます。そこから、たまには一日外でストレス発散するような行事をすることが、児童生徒の生活習慣によい影響を与えるのではないかと述べられました。これは、外遊びの効用としてよいご意見でありました。
(つづく)
(2/26)

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昨日は、当サイト主宰勉強会に多数ご参加いただき、ありがとうございました。答申を精読する時間が1時間少し、「自己売り込みのツボ」において、報告者に対する「忌憚のないご意見ご批判」の時間が1時間弱、最後に集団討論でした。
 答申は、いま、核心的部分を読んでいるところです。ここは、しっかり理解したうえで文章に味わいを感じてください。大阪府のマークシートは、こうした文章に取材し、正誤問題を作成するからです。ワタクシも、6月に向け、問題作成しますね。是非チャレンジしてください。
 「自己売り込みのツボ」は、一人の報告者が面接官に3分間で自己を語り売込みするコーナーです。今回の的は、Fさんでした。Fさんは受かろう受かろうとする意欲がありつつも、それが打算的な思考を生んでしまい、自分自身をみせつけることにいささか躊躇したような売込みになってしまいました。いわゆる考え過ぎです。まー、それも致し方ない気もするのですけど、やはりどこまでいっても自分の本音で勝負しないと面接官には見透かされてしまいます。いくら疲れている面接官であっても、やはりよくみているものですよ。面接官に対し迎合的にならず、自分の教育的姿勢をしっかり印象付けることが正道ではないでしょうか。
 じぶんがなにで勝負するのかを定め、そこからぶれるとよくありません。面接官の当たり外れに左右されるような自己売り込み文では、結局、本番で動揺します。そうならないような教育観や教育思想をはぐくむ必要があるといえるでしょう。「甲子園の土を持って帰るようなこと」と同じ事態にならないよう、是非、Fさんには一皮剥けて欲しいです。
 最後に集団討論でした。この模様は、次回更新時にいたしますが、なかなかよかったですよ。討論参加者として発言する立場の経験だけでなく、討論を傍聴する立場も、自分自身を高めます。聞くだけでも勉強になるのです。「ああ、こういうようにいうんだな」とか、「こんな考え方があるのか」とか、さらには、「ひゃー、すごい」という発言もあるでしょう。
 みなさん、3、4、5、6、7とあと5ヶ月、充実した時間を過ごすようにしてくださいね。なお、「自己売り込みのツボ」は3月いっぱいで終了しますね。
 昨日は、当サイト主宰勉強会の4月期受付開始日でした。多数のお申し込み、ありがとうございました。すでにご返信しております。ご確認いただきたく、よろしくお願いします。
 「水曜会」は、さすがに平日昼間開催ですので、まだ空席あります。みなさまからのお申し込み、お待ちしております。  
(2/25)

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ようやく、論作文道場の更新をいたしました。よくみれば、半年以上前から放置しておりました。申し訳ないことでした。
 道場の方、なかなか添削ができないので、閉鎖しようかとも思っています。有料の方はすぐにでもみるのですが、無料の方はそのままにしてしまっていますから。なんとも情けない人間性です。最初の崇高な理念はどこへやら、自己批判しなければなりません。論作文道場については、その存続も含め、検討課題といたします。あるいは、長い目でみていただけるなら、細々とやっていってみるつもりです。
 ところで、教育再生会議の最終報告が1月末に出ました。これについては少しここで書きましたが、ワタクシはちょっと社説を全部コピーする芸当はできませんでしたので、こちらのページをリンクしておきます。
 ついでに、参考になるページをご紹介、こちら(これからの日本の教育を考える 〜PISA2006の結果公表を受けて〜)と、こちら(学習指導要領改訂で、「確かな学力」育成を)です。
(2/24)

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あすは、第162回当サイト主宰勉強会を開催いたします。ご参加のみなさま、よろしくお願いします。あすは、答申の講読、自己売り込みのツボ、集団討論の3本立てとなります。
 集団討論のテーマは、「基本的な生活習慣が確立している児童生徒の成績は高いそうです。学力向上と生活指導との関連性について思うところを自由に出し合い、議論してください」といたします。
 みなさま、がんばってくださいね。
 なお、新しい答申「子どもの心身の健康を守り、安全・安心を確保するために学校全体としての取組を進めるための方策について」のまとめ解説がようやくできあがりました。これを勉強会で配布しますので、また、いっしょに検討してまいりましょう。
 この資料、すでにレンタルボックスにはおいています。当サイトをご覧の方で必要な方は、そちらにてお求めくださいませ。よろしくお願いします。
 論作文道場のほう、放置状態で大変申し訳ないです。お叱りのメールいただきました。もっともなことです。言い訳いたしません。
 あすの夜22時から、4月期の勉強会受付を開始いたします。みなさま、ふるってご応募ください。
(2/23)

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どうにも立て続けに答申されると、それを追跡するのも大変なんですが、この19日にまた新たに中教審が答申しましたね。「新しい時代を切り拓く生涯学習の振興方策について〜知の循環型社会の構築を目指して〜」という表題です。またこれをまとめて、採用試験出題予想に組み入れなければなりません。しかし、だいたい答申が語っていることは想定内です。いままでの議論から、大きくはみ出すものではありませんから。
 レンタルボックス・キャビンにも、この資料を数部おきたく思っています。少しお時間くださいね。現在は、下に紹介しています2つの答申がまだあると思います。売り切れていればスイマセン。また補充します。
 「時間をください」といいますのは、すでにメールにて勉強会のメンバーにはご連絡いたしましたけれど、3月半ばにのっぴきならない仕事があるからです。「にも」というのは、香川県教員採用試験対策レジュメの作成も同時平行だからです。それゆえ、3月15日の勉強会開催を予定変更しなければならず、勉強会メンバーにご連絡したのですが、ほんとにワタクシ、勝手申し上げてごめんなさい。いま、善後策を考えているのですが、どうにももがいています。
 この件につきましてメール差し上げた方々で、ご返信いただいた方、ありがとうございました。ご意向をお聞きしたいので、メール差し上げた方、是非、ご連絡くださいませ。すいません。
(2/22)

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(承前)つづいてGさんが発言されました。Gさんは、表現力を身に付けさせるための実践ということに関連し、体験学習の効果を指摘されます。日常の学校生活、家庭での生活において感動した体験を必ず児童生徒は経験しているといわれます。こうした体験を書いたり話したりすることによって、表現力を養いたいとのご意見でした。この構想をもう少しふくらまし、たとえば学校生活の一断面を切り取って発言されると具体性が出てさらによくなります。また、ご自身の経験として、たとえば「文化祭のあのシーンを作文に書きたかった」などと説明して現実的な構想であることを面接官に訴えるのもいいでしょう。
 Cさんは、話すことにおける表現力の問題は、児童生徒の学習到達段階に即して指導するのがよく、段階に応じて働きかけに変化を設けるとのご趣旨の発言をされました。絵画の場合でも、同様の指導方法をとるのが、特別支援ではよい方策になると考えておられます。
 最後にFさんが表現力を集団の中で発揮する方法論について議論があったけれども、グループ学習における報告会のような場面で表現力を高めるべく児童生徒に自発的な発表機会を提供するということを提案され、今回の討論は終了しました。
 今回の集団討論は、本番ではあらわれない問題点つまり多様な校種の方が参加された場合の交通の仕方がありました。これは小学校志望の場合など、ほとんどの方は心配されないでよい問題ではありますが、間々、校種が混じったときにどう対応するかのケースとなりました。美術や音楽など芸術系教科受験者や特別支援志望者、場合によっては受験番号によって、他校種の者同士が集団形成するときがあります。そうした場合に役に立つのではないかと思っています。
 表現力は、国語的能力でも養われますし、芸術的要請からも必要な能力です。また、体育学習から必要とされるものでもあります。Fさんが述べていたように、社会に出てからも役に立つ表現力を身に付けさせたいものであります。ワタクシなどは、表現力といえば、文章作成能力をどうしても思い浮かべてしまうわけでありますが、これは反省しなければなりませんね。身体的な表現、器具を活用した美的表現、さまざまに表現はあるわけですからね。国語的能力に関しても、散文的、韻文的の大きく2つの表現力育成が期待されるわけですしね。中原中也賞の話もでました。
 個人が必死になって自己表現する姿勢を支援し、かつ、力のあるものに導くことができれば、なんと素晴らしいことでしょうか。生活綴り方運動の中にも、こうしたエッセンスがありました。日々の自分の行為行動をみつめ直し、客観化することによって、新しい自分を発見しようとする生活を作文に表す運動です。議論に登場した「せんせいあのねノート」も綴り方運動に源流を持っている指導法といっていいでしょう。ワタクシたちには、こうした遺産を引き継ぎ、それを総合学習に、キャリア教育に染み込ませていくような実践が期待されるといっていいのかもしれません。
 また、討論終了後に議論が出た、大村はまさんの実践についても国語教育の貴重な実践として振り返り、その批判的摂取をすべきでありましょう。教科書を辞書的に使うはまさんの実践は、まさに「10円玉を横からみれば長方形」という目を覚まさせられる指導でしょう。
 芸術系教科や社会科、理科、算数においても、表現力とはなんなのか、各教科担当者は煮詰めていく必要があると思われます。社会科における統計処理を文書化する表現力、理科の実験の成果から一定の法則を発見する表現力など、継続的な努力の末に結果される表現力はウツクシイものです。Kさんがいわれたように、数式はそれだけでウツクシイ形を持っています。E=mc2でしたっけ、簡単な数式がすべてをあらわしているのですから、表現もここに極まれり、なのでしょう。
 表現力は最終的に自己の形を持ち、個性的な創造力に昇華していくものでしょう。ワタクシたちの教え子に、ノーベル文学賞を受賞する児童生徒が出れば、なんとウレシイことでしょうか。
 自分の考えを相手に伝える能力としての表現力は、生徒指導の前提となる生徒理解のためには、欠かせないものでしょう。イイタイコトに形を与える指導こそが、教室の雰囲気をよくし、児童生徒の青春の一時期を豊かなフィルムに焼きあげるために是非ない指導です。ひょっとすれば、いじめの根絶は、児童生徒の表現力の向上にかかっているのではないでしょうか。
 ワタクシたちも、集団討論における表現力を、もっと、もっと高めてまいりましょう。
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