日々旁午

2013


■昨日は、当サイト主宰勉強会に、午前中からご参加いただきまして、ありがとうございました。さすがに午後からの開催とちがい、2時間30分しか時間がありませんでしたので、結果として、集団面接の練習を割愛させていただきました。期待していたご参加の方、申し訳ありません。土曜日は、和歌山県の解答解説を1問と、自己売り込みのツボ1名、模擬授業1名の報告となりました。
 和歌山の解答解説は、まだはじまったばかりで、2問目の教育法規の問題の検討を終わったところです。地方公務員法につきましては、しられた法規であって、だれしもが解答できるものですが、いわゆる地方教育行政法の出題は、ほとんど全国的に例がなく、知らないという意味では、難しいものとなりました。また、とりわけ選択肢から正答を導き出せる理由があるわけではなく、最終的には推理と勘ということになりますね。
 つづいて、自己売り込みのツボ。3分間で自分自身を教育委員会に売り込む文面を用意し傍聴者を前にして報告するコーナーです。今回はNさんが担当されました。文面は講師の仕事について言及されたもので、字数の関係上、子どもの声も入れながら文章化したところと、抽象的な事柄が語られるところとがありました。コメントしましたように、話題を3つ入れると字数的に苦しくすなわち内容的な掘り下げが足らずに、指摘を受けることになります。2つに絞って書かれたほうがいいでしょう。ただ、削った3つめも重要なポイントを含んでいますので、それはそれでまとめ直しておくことが期待されます。
 最後に模擬授業でした。今回は算数の「割合」をテーマに、5分間、Kさんががんばってくださいました。報告後の検討では、指摘が多くあり、ワタシとしましても勉強になりました。おそらく、小学校の高学年で乗り越えなければならない難しい関門が、この「割合」でしょう。
 その指摘とは、ひとつには比べる量ともとの量と、児童がしっかり認識できる指導ができていたかどうか、もうひとつには、模擬授業という制限の中で、山場の設定と絡めて演示する内容が整頓されていたかどうか、でした。これまでの簡単な計算と違い、割合は実数的なものではなく、数値による抽象的な概念操作になります。根本的に比較考量の対象物がわかっていなければ、大きく躓くところでしょう。その点を踏まえた模擬授業を5分間でできるかどうかですね。それは、どのような練習問題を選択するかと密接に関わってきますね。30分くらい、この「割合」のテーマについて議論が白熱したのも、それだけ算数分野において大切な単元だからでしょう。もう一度、検討したいテーマです。
Feb10,2013
■3連休ですね。2日間は勉強会。本日のご参加、よろしくお願いいたします。きょうは変則的で、朝からはじまります。参加者にはすでにメールにて注意喚起しています。まちがえないでね。
 人生は長いようで短いから、必死こいて勉強するのもいいんじゃないでしょうか。またあした。
Feb.9,2013
■きょうからすでに「春のロード」のための原稿作成にとりかかっている。昨年よりはやく着手している。つまり香川や広島の教員採用試験解答解説集の作成である。思ったよりも難易度があがっている。すばやく、かつ、じっくりと、とりかかろう。こちらはしかし、解答解説なので、「答え」がある。
 原稿作成と同時に、春からの大学講義ノートを今年もマイナーチェンジする予定である。こちらには「答え」がない。これまで、ワタシは教育の「原理」を探そうと遮二無二検討してきた。そして、講義では、ことさらに「原理」という言葉を使ってきた。どうやらやはり無理があるように思えてならないので、現代における教育的関心を戦後史の層からもう一度洗い直ししてみようと思っているのである。ひょっとすれば、「教育に原理などない」との結論になるやもしれない。
 考察にはずせないのは、短期的な「文部科学省の飲酒運転」と「ゲロ教育」である。どうも、戦後教育の思想はこの2つの絡まりにあると捉えている。そう、「飲酒運転」と「ゲロ教育」。符号が一致している!
 プロットは、これに決まった。これを実証するのに6ヶ月間かけるわけだが、あらかじめこれを数行でまとめてみる。以下のようになる。
 「文部科学省は学習指導要領をAC電流の波長のようなかたちで改定し、60年間飲酒運転をしてきた。その車に乗せられた児童生徒は車酔いにあい、その時々にゲロを吐く。しかもそのゲロは、腹の中にある知識を吐き出す行為でもある。ゲロの吐き方は10年周期で変わる」。
 これである。これを証明するのにつきあっていただく学生には、表現が汚くて申し訳ないかもしれないが、この仮説は批判に耐えうるものであると秘かに思っている。
 ただここに、ゲロ教育を批判した教育思想がある。それが「生きる力」である。これをどう位置付けるか。ゲロ教育に真っ向から勝負をかけた「生きる力」は、酔い止め薬にすぎない。根本的な治療ではないというのか、ワタシの目下の評価である。
 さらになお、ここに教育外からの教育要求の分析を加えれば、関数が3になって立体的になる。それは、実証的に時間がかかるのでまだ先の課題だけれども、パースペクティブとしては、“経済”である。経済界の教育要求は、近代においても相当な圧力を教育にかけてきた。戦後も然りである。経団連の教育思想を分析して、文部科学省の主張と重ね合わせると、相当のシンクロを確認することができるであろう。さらに中央の動向と地方の動向はタイムラグが生じるから、これも測定の道具として活用すれば、さらに戦後教育史はおもしろくなると考えている。
Feb.8,2013
■「ツッパリ生徒と泣き虫先生」。 これ、是非、みてくださいね。もうすぐ着任される新人教員に贈りたい。

 スクールウォーズとしてテレビドラマにもなりました。上のプロジェクトXに登場する山口先生を真似などしなくていいし、真似などできない。しかし、みておくことは、思った以上に大切です。どこまで児童生徒と真摯に向き合えるかを示しています。祇園の・・・が、教員になられている事実が、ここにあります。そして、先生が泣いているところがフィナーレ。いつ泣くのかと思っていたら、ワンカットだけ。それがまた絶妙なシーンだし、まさにフィナーレで、最後を飾っています。でも、「体罰」しているような…
Feb.7,2013
■最後に集団面接の練習でした。土曜は5名の方で20分程度。日曜も同じく5名でしたが30分近くがんばっていただきました。
 土曜はどちらかといえば基本的な質問を、日曜は同じく基本的な質問もしましたが、時間を10分長くいたしましたので、少し深い質問もいたしました。
 土曜日には新しく参加された方が、果敢にチャレンジしてくださいました。その積極性を高く買いたいと思います。質問事項は、最近の気になるニュース、なぜ教員になろうとしたのか、友人からどのように見られているか、座右の銘はありますか、学級崩壊はなぜ起こると思いますか、なぜ勉強するのですかと児童生徒にいわれたときの応答、最後にひとこと、でした。すべてポピュラーですが、他の受験生より印象に残る応答が難しいといえるでしょう。しかし、こうした質問が定番的なものです。ですので、差別化あるいは区別化するには、自己経験を組み込むなどの工夫が必要となります。
 日曜は、10項目と多めです。こちらも新しく参加された方が挑戦。意欲的でとても結構です。現在凝っていること、教員のやりがいはどのようなところにありますか、教員に必要な資質をひとことで、自分が児童生徒であったころといまの児童生徒ではどのようなところが違いますか。怖い先生と優しい先生とどちらをめざしますか、児童生徒にとってされたらいやなことはなんでしょう、ある児童生徒からあの子は嘘つきやねんといわれたとしてどのように対応するか、交流教育は何をしますか、学校と塾の違いはなんですか、最後にひとこと、でした。
 日曜日の方が多少難しいでしょう。しかし、土曜日も、なぜ勉強するのかの応答など、しっかり表現しなければ記憶に残らない問いもあります。今回は、秋から参加している方の成長に翳りが見えてきておりましたので、活を入れました。がんばりなさい。
Feb.6,2013
■自己売り込みのツボのあとは、模擬授業の実践です。この時期まだはやいと思われますが、「なくて七癖」を修正するためには有効であることも、参加者には理解できたでしょう。土日でひとりづつの挑戦でした。模擬授業の実践者には、指導案の提出(A4版1枚)をお願いしています。
 最初に、中学国語のMさん。漢文の授業でした。一、二点やレ点についてです。内容的には、基本のキですし、どなたがやったとしても、ほとんど差がでないでしょう。とすれば、演示者の形式的な側面が評価に大きく影響を与えるでしょう。批判的指摘として、アクの強い大阪弁であったことや威圧的な話し方など、厳しいものいいがつきました。あと、細かい、しかし、的確な指摘としましては、生徒がいると仮定して話す場合に、その生徒を指でさすのもやめたほうがいいでしょう。
 次に、Mさん。Mさんは高校数学。円の方程式についての授業でした。「数学劣等性」のワタシでは、なかなか内容理解がおよばず、数学専攻のお2人に頼りながらのコメントとなりました。3平方の定理と円の方程式との関連性をはっきり示してくださるとよかったのですけれど、それは既知とのことで省略されました。現実の高校生にあっては当然のことなのでしょう。グラフを書いて説明されたのは基本のキでしょうが、メモリが正確でなかったのが気になりました。形式的な側面は、これでいいでしょう。Mさんは、「ほんとうに数学が好きなんだなあ」といったオーラが伝わるように、もう少しだけ楽しく、なごやかにすすめるといかがでしょうか。
 つづきは次回更新。
Feb.5,2013
■昨日、一昨日は、当サイト主宰勉強会に多数ご参加いただきまして、ありがとうございました。満席のご参加でした。新しくご参加いただいた方は、土日で7名いらっしゃいました。昨日も少し書きましたけれども、休日の貴重な時間を浪費するような勉強会でなかったことを祈るばかりです。
 さて、基本的に土日ともに同様のメニューですけれども、土曜日に奈良の1次マークシート解答解説を終了しまして、日曜から和歌山の1次マークシートの解答解説にはいりました。
 土曜の奈良の問題は、教育心理学の問題と一般教養の問題、そして道徳の問題の解答解説となりました。教育心理学は性格検査、道徳の問題は学習指導要領からの出題であって、基本事項でしょう。大阪圏では教育心理学の出題がここ数年ありませんが、いつ復活するかわかりません。ですので、この奈良で出題された問題程度の知識は修得しておくとよいでしょう。小問7つで構成された時事問題がハイライト。ここでいきなり一般教養といっていい時事問題が登場し、本番で面喰った方も多かったのではないでしょうか。難問です。
 トキやアラブの春などはまだしも、ES細胞、COP17は難しいですし、なかでもプーチンの大統領就任に関する任期の問題は、お手上げですね。ここまで準備しようとすれば、それこそ「時事の鬼」にならないと正解できないでしょう。ロシア大統領の連続任期について知っているレベルで勉強しようとすれば、時事関連の書籍を4,5冊は憶えこまないとなりません。これは、ちょっと非効率的。勉強会でも申し上げましたが、この時事問題7つは、4つ正解するのがやっとではないでしょうか。そしてそれでいいのではないでしょうか。なお、時事問題対策としては、『朝日キーワード就職2013』を推薦いたします。(追記:オバマ大統領は、民主党。プーチンの連続任期については、2期の憲法規定を笑って、3期連続でもOKではないかとの見解を示したようである)
 自己売り込みのツボの報告は、HさんとTさん。土曜に報告されたHさんとは、もう少し議論したかったです。しっくり来なかった点が「学級経営」についての部分であるということのみ、記述しておきます。個人情報満載の報告ですので、ここではこれ以上、触れません。
 Tさんは、2回目の挑戦でした。前回とはうって変わって、とてもよくなっています。かなり時間を費やして考慮されてきたことが確認できました。前の報告は、ダメ出しの嵐でしたが、今回は、夕凪のようでした。ただ一点、議論の的になるところがありましたが、個人情報にかかわりますので、こちらも割愛します。みなさんからのコメントや批判を参考に、今一度、完全版を作成するよう努力してください。
 以下、次回更新。
Feb.4,2013
■本日の勉強会にご参加いただいた方、オツカレさまでした。きょうは、新しくご参加いただいた方が4名いらっしゃいました。いかがでしたでしょうか。今後もよろしくお願いいたします。
 本日はペーパー配布に手間取り、ご迷惑おかけしました。
 あすも、勉強会を開催いたします。キャンセルがあり、2座席空いています。みなさまからのお申し込み、お待ちしています。
Feb.3,2013
■人間の生きる世界は、多様な領域に区分けされており、それぞれの領域が自己主張をし、人間に理想と展望を与えている。ひとによって社会的ポジションが異なるので、将来社会が明るいか暗いか捉え方が違うであろうが、それでも個人事情はさておいて、この「多様な領域」は、社会の前進を前提として営みをつづけている。つまり、社会的理想の追求とその実現である。
 この「多様な領域」とは、政治であり、経済であり、法律であり、哲学であり、文学であり、物理であり、化学であり、情報であり、その他のニッチな領域、たとえばファッションや芸能においてすら、自己の領域を躍進させようとして自己主張を繰り広げている。もちろん、その一つに、教育という領域が数えられるわけである。
 この「多様な領域」というのは、諸文化固有の領域と呼ばれており、それぞれの領域は密接に結びついている。この結びつきを解明することによって、その変数関係が理解され、どうすれば社会改良に役立つかの調整性にかかわる処方箋が描かれることになる。すなわち、社会はこうした諸文化固有の領域が渾然一体としているから、逆に社会をパーティションして、その独立した領域を検討するのである。但し書きをしておけば、政治のみは、そもそも調整を仕事としているので、領域分けのひとつと見なすのは不適当かもしれない。だが、ここでは、政治も領域編成の一つとしてカウントしておく。
 政治や経済やその他上に挙げた領域は、それぞれ文化的個性を持ち、自立している。そして、それぞれの文化領域は独自の理論を持ち、社会改革に努めるよう運転されている。それぞれの領域が刺激を受け合い、また妥協して、未来社会をよりよく形成しようと努力しているのである。
 「社会とは何か」という大き過ぎるテーマは簡単に述べられないので、社会は諸文化固有の領域というディメンジョンで語られる。その一角の教育は、本来、自立した理論と運転のためのエンジンを備えているはずなのである。それを探ろうとする努力はつづけられてきたが、解答が出てこなかったのではないだろうか。
 マルクスのいわゆる上部構造、下部構造でいえば、下部構造は経済にあたり、社会を基礎から支えている、または、社会を基礎付けているとされる。この考え方に習えば、それこそ教育こそ、社会を支える下部構造に妥当する。教育という文化領域に自立性がないというのは、教育が何か自己主張をしたことが歴史的にないからであり、むしろ、自己主張をしないばかりか、ご主人様を求めて戦後は一貫して文化領域間を徘徊していたからである。その時々の政治や経済、あるいはファッションに従属し、それぞれの領域が示す人間像を実現する道具として教育は存在していた。教育は下僕なのである。時々の政権担当者は、どのような人間がほしいかを教育に示す。時々の経済を支配するものは、どのような人間がほしいかを教育に示す。教育はそれを「お上の声」として受け止め、自分の存在価値を社会に示すために汲々として指示された人間の形成に動く。つまり教育は下請けである。
 もうそろそろ、21世紀にもなったことであるし、政治や経済の召使にならずに、教育は自立した目標を示し、政治や経済その他に対して、自己の要求を突きつけるべきではないのか。そう考えたいし、そのように教育は生きるべきである。だが、そうした自己主張の声は、独り教育研究の成果、つまり教育という固有の領域において最先端の学問世界の成果を社会に向けて発表するほかは、大したことはできていない。それが、最近の大阪の体罰事件に象徴されている。入試中止の手厳しい処置は、まさに教育への政治の介入であって、依然として従属はつづいている。結局、教育は方向性を誰かに示してもらわなければ機能しない存在にすぎないのか。
 ここにその担い手の問題がある。政治の領域は、党派が違えど政治家が担当し、経済の領域は対立した存在ではあるけれども代表でいえば経団連と連合がある。では、教育の担い手は誰かといえば、不在ではないけれども、主役は児童生徒といったり、教員だといったり、保護者も教育を考える立場であるといったり、まちまちである。古くは、ここから、国民の教育権や学習権というテーマが議論されたのであった。その総括がどのようになったのか、まだ確認していないけれども、70年代の中盤あたりに幕が閉じたようである。
 文化領域としての教育の担い手の不在という事態が、あるいはイニシアティブをとるべくせめぎあったり、あるいは責任をなすりつけあったりし、教育の自立性獲得を放棄してしまった。戦後60年間において、教育が自分自身のことを考えてこなかったがゆえにこうした事態を迎えてしまった。日教組と文部省との対決といった華々しい運動も、教育の政治化を招いたし、教育そのものをどうしていこうかという原初的な問題意識に手が届かなかったのではないであろうか。
 現代では、一人ひとりが教育の担い手であるという意識がさらに強まり、誰か任せでなくなっているのはよいことであるけれども、70年代や80年代の教育の在り方をさらにセクト化したような展開にみえて、結束した力によって教育の自立に向けて音頭をとる存在がない。それぞれは大切な解決課題であるけれども、いじめや、体罰といった矮小化された問題にしきりにアプローチし、根本的な「文化領域としての教育の在り方」に目を伏せてしまっているような気がするのである。
Feb.2,2013
■ゆったりしたフォルム、さわやかなロード。

Feb.1,2013

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