日々旁午

2005


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 ずいぶん遅れましたが、先週13日の勉強会の報告です。13日は、男性3名、女性6名の計9名の方にお集まりいただきました。前半に答申を輪読し、後半に「個人面接対策としての『個人解剖』の試み」を実施しました。

 前半の答申輪読における議論の中心テーマは、学習指導要領の基準性についてでした。基準性とはなにかの確認を答申から読みとり、その運営の仕方と現場の実際とを突き付けあわせることができました。学習指導要領は全国的な一定の教育水準を確保する観点から定められています。つまりそこには、「これだけは教えるべきですよ」とする「基準」がある。この「基準」を単に「基準」といっておけばいいのに、この「基準」を「基準性」というところに、よくわからなくなるモトがあるような気がします。

 結局、この「基準性」とはそんなに難しいことではなく、「ここまで」というラインです。ただ、こうしたラインをさだめながら、そのラインを越えて教えてもいいというからややこしくなる。しかも、個に応じた教育をしなけれえばならないということで、このラインを超える学習内容を奨励すらするのです。

 こうなってくると、「基準性」など意味をなさなくなってくるわけですね。このラインを学習指導要領は、「はどめ」として表現しています。「〜は扱わないものとする」や「〜については○種類又は△種類扱う」という表現としてあらわれています。このような教育内容の限定を学習指導要領が端的に示しながら、それを超えていいというのは、建て増し住宅的な無理がたたった結果ではないかと思われます。

 参加者のみなさんからは、たとえば中学校でルネサンスが省略されていることをあげて、こんなんで世界史の面白さがつたわるのかどうか、といったご意見がありました。ルネサンスは学習指導要領によれば教えなくていい、つまり「基準性」の外にある。しかし、近代への離陸の過程としてルネサンスを説明しなければ、歴史が成立しないと教員は考えます。ここに授業時数の短縮がマイナス条件として加わって、ルネサンスなしの世界史という、クリープをいれないコーヒーを生徒に提供することになる。

 ただこれは「基準性」を踏まえたから省略されるだけで、「各学校において、必要に応じ児童生徒の実態等を踏まえて個性を生かす教育を行う場合には、この規定にかかわらず学習指導要領に示されていない内容を指導することも可能なものである」から、学校の裁量でやってもいいということになる。

 いやよくわかる、いやよくわからない。参加者もこうした感覚をお持ちではなかったでしょうか。これなら別に「基準」を設ける必要なんかありませんから。ここまで「基準性」にこだわったのはなぜなのでしょうか。それは教育行政の「接ぎ木」的運営にあるといえるでしょう。次回は、もう少しこの答申を輪読していきます。

 後半は、「個人解剖の試み」でした。果敢に2人の方に挑戦していただきました。質問事項は右欄の「良く出るかもしれない面接質問集」からです。質問事項に対するお2人の受け答えは、パーソナルな発言が多いので、申し訳ないがら、ここでは紹介いたしません。しかし、そのうちのお1人が、ご自身のサイトで公開していらっしゃるので、それこここにリンクしておくことにいたします。こちらです。
 次回の勉強会は27日に開催いたします。応募者が増えて、4月以降の開催につきましては、キャンセル待ちの状態になっております。ご迷惑をおかけしますが、座席数は一定ですので仕方がありません。おはやいお申込みをお願いいたします。

 この連休は旁午の更新お休みいたします。
(3/20)

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 風邪じゃありませんでした。インフルでした。でもみなさん、心配しないでください、サイト経由でうつりませんから。
 どおりで熱が下がらんはず。今夕、頭痛がひどく、ものも考えられなくなって、ベントン先生のところへいったんです。そしたら鼻の奥深くに検査棒をつっこまれました。陽性反応でした。生まれてはじめてのインフルです。
 悪いことは重なるものです。
(3/17)

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 風邪が長引いて、クラクラしています。みなさんもお気を付けください。勉強会の報告を書こう書こう、たまっている論作文を添削しようと思うのですが、ほんとクラクラしてダメ。そのうえ、大変な事態が…。人間、よくあることでも、自分にはまさか起こらないとタカをくくっていることってあるでしょ。そう、ワタクシもタカをくくっていました。ワタクシの実家に空き巣が入ったのです。15日は警察の方が来て指紋採取などおおわらわでして、さすがにワタクシも人の子、年老いた両親をほっておくことはできません。スープの冷めない距離に実家があればいいのですけど、そういうわけでもないので、更新も隔日が精一杯になりそうです。ちなみに、被害金額はゼロ。でもベッドの上まで土足でぐちゃぐちゃにされているので両親は放心状態。ご事情おくみ取りください。しかし、週末の勉強会にはいきますから、ご心配なく。
(3/16)

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 ふぅ。鬼の霍乱、ワタクシも風邪のひける男でよかった。熱下がるまでちょっと更新休みます。きもち、背景変更です。
(3/14)

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 ずいぶん更新おこたりました。勉強会の報告のつづきです。第26回の終盤は、集団討論を実施いたしました。テーマは、「最近、児童生徒は集団活動ができていない。どう指導しますか」というものでした。参加者は6名(仮にA〜Fとします)、25分間です。

 まず、Bさんから集団活動といってもイロイロある、「授業の場面での集団活動」に的を絞って語りましょう、と提案がありました。授業中、なんらかの学習活動にあたって、教員の指示が貫徹しないと、勝手気ままな動きになる。だから、指示は端的に適確にしかも短い言葉でいうのが大切ではないか、との発言がありました。Dさんがこれを受け、授業のプロセスにおいて、児童生徒が「聞くべきとき」なのか、「自分で活動するとき」なのか、はっきり自覚を促すことのできるようにするのが教員の役割であると発言がありました。つまり、授業にけじめ、メリハリをつけよう、ということですね。

 Eさんからは、始業のベルが鳴っても着席していないなど、生活態度そのものを反省することが必要とご意見がありました。授業に遅れてくることが集団に対しどのような問題があるのか、すなわち遅刻が迷惑であることをはっきり認識させることから、「授業の場面での集団活動」も可能となるということを強調されました。Fさんからは、Dさん、Eさんの意見を受け、個性を尊重する教育が喧しすぎて、集団活動ができないのであろう、個性尊重と好き勝手とのはきちがいが現場に浸透しているので、その解決が前提となるのではないか、と根本的な問題に目を向けられました。

 こうしたご意見がつづく中、具体的な発言がでてきて、討論の流れが現場感覚を中心とするものに変わってきました。どのような集団活動なのか、Aさんからは長なわとび、2人3脚、Eさんからはミュージカルの実践、Bさんの「いわれてうれしい言葉集め」というように、活動の実態にもとづいての報告的発言がありました。そして、少し観点がかわって、児童生徒の居場所と集団活動の関係についての問題提起がありました。

 体育が得意な児童生徒が体育委員を担当し、集団活動の自主性を高めていくのはどうか、こうしたご意見がDさんからでたのです。クラスをまとめる行事を計画し、「がんばっていこうや」と声掛けする。その地道な積み重ねが年間を通しての成長となっていく。いわば点としての行事を重ね、児童生徒の集団活動に対する自律した意識が形成されていくことになる。規則や規律遵守の態度形成というと、「先生の命令に服従」というように聞こえますので、もっと発展的な、規則を自主的に作っていき、それをみづからが尊重していく態度とでもいうものが形成されるとすばらしいことでしょう。

 Cさんが、いわれたのも上のようなニュアンスからであると思われます。「みんながバラバラだと教室はどうなるのか」という疑問を児童生徒にぶつけてみて、その反応から考えさせてみるということは大切でしょう。そのときに、もう少し実践的に、学校生活のある場面を思い描きながら発言が脚色されれば、もっと説得力のあるいい方になったのではないでしょうか。

 このほか、みなさんの中から、クラスが仲良しグループに分割してしまったらどうするか、それが集団活動にどのように影響するかなどの論点がありました。

 25分という限られた時間の中でこれだけの論点がでてきたのは大きな収穫であったと思います。第27回は「個人解剖の試み」です。がんばりましょう。
(3/12)

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