日々旁午

2006


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学年末は、いうまでもなく、みなさんもワタクシもいそがしくて、更新が滞っております。「浩」も人間なんだな、ということで、ご寛恕乞います。
 あす、4月初日は、高松へ参ります。学習会にご参加のみなさま、よろしくお願いいたします。前回配布のレジュメも忘れずご持参下さい。
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今回の集団討論のテーマは、「自尊感情を高めるためには、児童生徒にどう教えるか」でした。このテーマを、今回は少し短かったのですけれど、20分7名の方に実践していただきました。当日発表のテーマながら、みなさん語りやすかったのか、傍聴者からかなりの高評価を得られた討論でした。A〜Gさんとして、再現してみます。
 まずGさんが、自尊感情を育てるとはどういうことなのか、参加者全員の共通理解を求める舵取り的な発言をされました。これに答え、Eさんが、児童生徒に自信を持たせてやることであるとされ、Gさんもすぐさま返答し、いいところを気付かせてやることだと述べられました。Cさんも、自尊感情を育てるのは大切なことで、よく「〜できない」といわれすぎ、児童生徒が萎縮し自信をなくしてしまっている場合があるので、ほめて支えるのが重要と発言されました。Fさんは、ここに付け加えられ、児童生徒一人ひとりは学校でも家庭でもかけがえのない存在であるということを自覚させることが大切であるといわれました。
 そしてAさんは、Fさんのご意見を踏まえ、家庭の中でも継続的になにか「仕事」をやってみることで自尊感情が養われると提案されました。一瞬、この「仕事」とはなんのことであるのかわかりづらかったのですけれど、Fさんが後に「家庭でお手伝いすること」と具体的に提起されたことによってAさんの発言が生きました。
 一方、Bさんからは、他の人と比較してではなく、自分しかできないことを発見するのが自尊感情を高めることにつながると述べられました。Dさんは、学校現場では絶対評価が実施されているように、児童生徒一人ひとりをよく理解する方向にある。だから彼らの個性をみぬいて、自尊感情を育んでいかねばならないと提案されました。
 こうして全員ご意見を述べられ一巡し、Gさんがまとめて、児童生徒のプラス面を高めていくことであると発言され、参加者全員がこれを了承しました。
 Cさんは、学習面において、低い段階にある児童生徒であっても、ジワッと成長することを期待し、自尊感情を学力の面で伸長させていくようご意見されました。
 ここでEさんから提案があり、教員対児童の1対1の関係で自尊感情を高める方法とともに、教員対児童生徒の集団の関係において自尊感情を高める方法を考えるべきではないかと述べられました。Fさんは、Eさんの提案を受けつつ、自尊感情を高めるためには他者を認める態度が養成されていなければならないといわれ、「手つなぎ大会」などを催すことも一計であろうと発言されました。そして、先程の、Aさんのご意見に関連し、「家庭の仕事」=お手伝い、と具体的に表現され、どれだけできたかを評価する肯定的な姿勢で接し、自尊感情を高めるようもっていくべきであると述べられました。Dさんも、児童生徒同士において自尊感情が高まるよう配慮するべきで、お互いに認め合うよう指導したいと発言されました。
 司会進行役的役割を買って出たGさんが、ここでEさんの教員対児童生徒の視点をどう考えるべきでしょうかと振られて、Bさんも同意し、Eさんからは叱られると自信をなくすので教員はほめることに徹する指導をする方がいいと付け加えられました。Bさんは、ほめる指導を具体的に語られました。つまり、終りの会などでいいことをした児童生徒をクラス全員の前で名前を挙げてほめる、ほめるのは結果だけでなく、どのようなことでもがんばっている過程を認めほめるようにしたいということです。Cさんも「クラスのピカイチくん」、「ピカピカイチくん」を選出する、認めた証にシールを貼って具体的に自尊感情を高める手法について言及され、児童生徒の輝いている瞬間を捉えるといわれました。そして、輝いている瞬間を捉えるのこそ、教育の義務ではないかと強調されました。
 Aさんも、これまでの議論をお聞きの上で、教員対児童生徒、児童生徒の集団の中で見出せる自尊感情について諒とされ、ピカイチくんもそうだとし、まわりの子がいるからそうしたことが可能であると指摘し、クラス作りの第一歩になると述べられました。
 これまでの議論は、児童生徒をほめることによる自尊感情の養成を主にしてきました。Dさんは、こうした全体の論調に棹差すように、叱るのも大切ではないかと矢を放ちました。行為を叱って人格を否定したり叱るのではないと忘れず付け加えながら。Fさんは、叱る行為について、この日叱って、次の日叱らずではダメで、叱るにあたっての線引き、そして何のために叱るのかをはっきりさせる必要があると対応され、たとえば、「命を大切にしない場合に叱る」と具体的に叱る際の例示をされました。わかりやすい表現であったと思います。Gさんは、それでも生徒のプラスの面を伸ばしたいといわれ、極力第三者からみたよいところの発見に努めるご意見を述べられました。Eさんは、叱ってからあと、フォローすることが大切でしょうといい、Cさんも叱ってその後ニッコリ笑う、ある先生の具体例を語られました。Bさんも、テニス部の怖い女性の先生について具体的に語られました。その先生は叱り方が変わるそうです。だらだらしているときっぱり叱られるが、一生懸命の末のミスに対しては「ナイスファイト」の声掛けをいただいたそうです。叱る対象をよく知ったうえで叱るのが大切であるとお話しを結ばれました。
 Gさんは、叱るにせよ、ほめるにせよ、児童生徒の心の動き、現象を知るのが大切で、叱られたのか、見捨てられたのか、そうした判断が児童生徒の方で判断がつかないと自信喪失につながると指摘されました。Eさんのいう、教師の愛情をいかに伝えるかということでしょう。
 ここで討論は終了しました。自尊感情を高めるには、ほめることが大切なのは、誰しも否定しないでしょう。ただ「ほめる」という意見の一致の下、ぐるぐる同じような意見が登場するばかりでは、議論が深められずおもしろくなかったところでしたが、Dさんがあえて叱ることについて話題提供されたので、集団としては助かったのではないかと思います。こうした180度違う意見が出されたときの反応の仕方が難しい。Gさんは、ほめることに力点をおいた発言でしたが、ここは、どうだったでしょうか。阿る必要はありませんが、どう発言に対応するか、いわば「やりとりのあわい」を観察してみましょう。
 このテーマでは、どうも認める事柄が生徒指導関係やクラブ関係になってしまい、授業と結びつくものが少なかったように感じました。ピカイチくんも、印象的にいうと、掃除をしっかりしたとか、給食のときに配膳をがんばってくれただとか、学校生活面のよろしい点を評価する手法のようですよね。ワタクシは、「得意」という言葉が出たように、ある教科で抜群の成績を挙げている場合など、教科的側面から自尊感情を高めることもできると思っていました。
 そして、ワタクシが聞き取れなかったのか、それとも発言そのものがなかったのか、うろ覚えなんですけれども、今回、「個性」についてはほとんど語られなかったのではないでしょうか。自尊感情は個性尊重の教育の上で成立するとすれば、議論の俎上に載せるべきではなかったでしょうか。
 今回、更新遅れました。実は、自分でアップロードしていたつもりが、更新されていなかったようです。どうも初歩的ミスで更新楽しみにしていた方々にご迷惑をおかけしました。
 もう春ですね。残り少ない日々を有効に使いましょう。5月7日の「自己売り込みのツボ1分ヴァージョン」は参加のみなさま全員に報告していただきますので、十分かつ慎重にイイタイコトを練ってきてくださいね。では〜
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昨日は、当サイト主宰勉強会にご参加いただきありがとうございました。満席でした。キャンセル待ちの方々にはご迷惑おかけしました。昨日のキャンセル待ちも5名あり、また、4月8日の勉強会のキャンセル待ちも、ただいま4名ほどいらっしゃいます。そうしたわけですので、お申し込みは、是非、お早めにお願い申し上げます。ウェブ上におけます5月のお申し込み受付は、4月1日からとなります。
 さて、昨日は、昨年度の卒業生にきていただきました。昨年大阪府に合格されたI先生です。I先生のエントリーシートを何度も何度も添削したことを微笑みを持って思いかえされます。I先生にも、先々週のT先生につづき、合格体験を臨場感もってお伝えしていただきました。「合格したものはすべて努力している」というのが、正直な印象です。こうして、合格した先生にきていただくことができ、お話を後輩であるご参加のみなさんにしていただくことができ、ほんと、このささやかではありますが勉強会を開いていてよかったと思える瞬間です。また、合格するまで2年、さぞ大変だったと思います。でも、赴任先校区も決定され、いまは安堵されているご様子で、I先生が幸せな状態にあることを、これまたウレシク感じています。お話いただいた内容は、さすがにここでは述べることができません(個人的な突込みを含む面接質問についても、惜しみなく報告いただいたため)が、昨年の試験情報をいただいておりますので、そろそろアップしようかと考えております。
 さて今週から、新しく「初等中等教育における国際教育推進検討会報告」を読みはじめました。現在まだサワリの解説部分です。次回までに少し読んでおいてくださいね。
 それから、シート式の問題解答解説集A4版47枚は、自主的に学習できるように組んでおりますので、これはご自宅で繰り返しやってみてください。教職教養の多様な分野から代表的な問題を作成し解説しておりますので、少しはお役に立つと思います。こちらもコピー代だけはいただきますが、是非ご活用いただくことを願っております。今後も、徳島の過去問を題材に、問題演習を集中的にしようかと検討中です。
 さて、次に自己売り込みのツボを報告していただきました。Hさん、お疲れさまでした。みなさんからイロイロな問題点を指摘されたところを構成しなおし、次回5月7日の報告会で再度披露してくださいね。期待しております。
 最後に集団討論と集団面接をいたしました。こちらは例によって次回の更新にまわさせていただきます。
 今回、なぜか時間が少なく感じられ、集団面接の時間が少なく、コメントの量が減少してしまいました。スイマセン。もうちょっと、構成考えます。みなさんからこの勉強会の進め方について、ご遠慮なく、ご意見お待ちしています。常に最善をめざすものの、やはり不満はあるものですから。全体のバランスを考えつつ、作っていきたい。今後、大雑把な方針としましては、答申や報告書類の読み合わせは、次にお届けしようとしている「子ども読書活動推進計画」を最後にし、人物対策の時間を多めにとりたいと考えております。
(3/26)

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いったい何が…」なんて、三流週刊誌みたような表題になっていることに苦笑する。でも、人権救済を申し立てるまでに大変な状況というのだから、相当なものだろう。なかなか教員が弁護士会に救済申し立てなどするものではないからである。
 「限界」といわれた民間人校長は、なんらの説明もせず、静かに高津高校を去ったようにみえる。「いったい何が」の真相は、どこにあるのだろう。この校長は、民間の厳しいやり方を学校に採り入れようとしたが、その短期に結果を求める企業的業績主義が、学校風土たる諄々思想に合わなかったということなのだろう。しかしもう一つ、報道されたところをみれば、「教職員の1人は『(校長は)生徒の目の前、あるいは教員の目の前でどう喝したり、「お前」と怒鳴ったりするんです』という記述がある。厳しいやり方をワタクシもしてきたから、よくわかる。ただし「お前」はいけない。企業では普通の呼び方かもしれないが、たとえばこの校長は、家でも妻を「お前」と呼んでいるのだろう。「お前」というのは、個を無視するいい方なのである。これだけは許されない。
 こっぴどく怒ったって、ワタクシは一度も「お前」なんてことはいったことがない。あらゆる人間関係においてそうである。
 みなさんも、教員になる前もなってからも、「お前」だけはやめよう。
 あすは第71回当サイト主宰勉強会を開催いたします。新しい資料と希望者分のシート式問題集を持参します。討論のテーマは、ナイショですね。
(3/24)

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昨日、徳島県教職員組合主宰学習会にご参加されたみなさま、お疲れさまでした。こちらがかなりしゃべってしまった感じで、申し訳ございませんでした。6時間の講義で40枚を越えるレジュメと集団討論の解説では、あのようにならざるを得ず、ほんと、失礼しました。これに懲りず、また、いっしょに勉強していきたいものです。

 でも、ひそかに充実感も感じていたのは事実です。徳島に呼んでいただき、一生懸命聞いてくださったみなさまにお礼申し上げます。討論のコメントでは厳しいことも申し上げましたが、それを反省し、コメントを吟味し、次に生かすことが何より大切です。是非、今後開かれる週1回の勉強会で研鑽を積まれてください。そして、成長された姿をワタクシにみせつけてくださいね。

 今回、お世話になりました、徳島県教職員組合の先生方にお礼申し上げます。ありがとうございました。
(3/22)

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ずいぶん更新すべき内容が山積してまいりました。ますは、第70回勉強会・討論の模様を再現いたします。

 集団討論のテーマは、「社会では、教育に大きな関心を寄せています。中には、子どもの教育も大事だが、保護者の教育もしなければならない、といった声もあがっています。この声の意味を考えつつ、教員はどのように児童生徒および家庭との信頼関係を形成していけばいいでしょうか。具体的に語ってください」でした。このテーマを、A〜Gさんまでの7名の方が、25分間でとりくまれました。

 第一発言者は、Gさんでした。Gさんは、この討論の進行をどのようにしようかと考えられ、トピックを提出することからはじめられました。それは、まずテーマ前半部分の「声」をどう考えるかということでした。Dさんが、この提案に続いて発言されたのですけれど、Gさんの述べたことを振り返ることなく、ご自分の主張をまずいうような態度に出られたので、集団として討論がどうなっていくのか、不安な出発となりました。これはいきなりのことだったので、他の討論参加者もなんともしようがない状態となりました。

 Dさんの発言内容は、家庭の教育力が低下しているということをニュースソースを示しながら述べ、家庭の9割は過保護や過干渉など子どもに甘く、また親が育児や養育に自信を持てず、教師をめざす私たちは親に対してもカウンセラー的な役割を持つべきであるというもので、間違った発言ではありませんでした。ただ、Gさんを無視する形で述べられたので、協調性がないとみなされても致し方ないような感じであったのです。他の参加者の発言を聞く姿勢を身に付けましょう。

 Cさんは、課程の教育力について、なにを教育するのかが定まっていない状態であると指摘しつつ、家庭が児童生徒をほったらかしにしている状態であり、駄目なことは駄目であるとしっかり我が子に反省を求めていない点が問題であると述べられました。Cさんが、ここですばやく討論の方向性を軌道修正してもよかったでしょう。

 つづいてGさんが、Cさんに同意しつつ、家庭が担当すべき教育を学校がすべてできないということを指摘されました。ここでもGさんは、第一発言者としての役割を自覚して討論の方向性の指示を再説してもよかったのではないでしょうか。Dさんには申し訳ないのですが、本番でも他者の意見を参考にしないで、ご自身のご意見を通す方がいます。しかし、そうした方も、一度ご自身の意見を言い切ってしまうと、あとは余りしゃべらず沈黙しているのが一般なのです。すなわち、とにかく発言をしなければならないという強迫観念にも似た感じで、発言するとホッとしてしまう、そんないわばトランス状態にあるのです。そうしたわけで、討論参加者に、どなたであってもこうした状況を打破する期待が寄せられているわけです。

 さて、Aさんがここでご発言。家庭の教育は、なにも道徳面でのことやしつけの面のことばかりではありませんね。勉強させようとする意志の有無が家庭にあるかどうか、ここにも差があると指摘されました。こうした家庭環境の違いによる、学習に対する意欲の差を埋めるアプローチはないものかといわれました。Eさんは、格家庭の問題もあるし、保護者同士の意思疎通や情報交換の必要があると述べられました。Aさんは、Gさんの質問やC、Dさんの問題意識に関連しつつ、私たち教員は生徒には日常的に会えるけれども、保護者とはあまり会えない。だから、保護者のカウンセラー的役割を果たすといっても、どういうように「教育」していくかは難解であると指摘されました。このご意見に対し、Cさんは、学校と家庭では教育内容がそもそも違う、家庭で大切なのはしつけであり、たとえば挨拶がしっかりできるといったようなものである、こうしたことは学校と保護者が緊密に連絡をし、家庭に支援を仰ぐのが一つの方法であると述べられました。

 Fさんからは、上の問題に関連し、家庭の教育が学校に反映されるものといわれ、たとえば連絡帳を活用して担任(学校)と保護者との連携を強化するなど方法はあると指摘されました。Bさんも、小学校でも学級通信はあるし、そこに教員の教育姿勢も表現されるし、教育に対する学校自身の考え方もあらわれているはずであるから、それを保護者と共有できるように家庭との関係を作っていきたいと述べられました。そして、このほか、最近のIT社会では、学校はホームページを用意できるし、掲示板の活用も可能でありそうした方面における連携も可能であると付け加えられました。

 ここで、保護者に教育する力がないとするならば、学校と保護者と児童生徒との間を円滑にしていくのが教員の役割ではないのかとGさんから指摘がありました。そして、Fさんのいう連絡帳について、そこに教員がしんどくてもコメントを付すことが、3者の信頼関係を深めるし、「この先生はちゃんとモノをいわしてくれる先生だ」といった評価も受けられると付け加えられました。これを受け、Eさんから、児童生徒も保護者もいっしょに入学するのだということを強調されました。すなわち、児童生徒が1年生になったら、保護者も1年生になる、2年になれば保護者も2年になるというように、児童生徒と保護者は同時に成長していく存在であるとうまく説明されました。Cさんは、Aさんの議論やGさんのご意見を受け、会えば会うほど人のイメージは深まるものである、Gさんの指摘する3者を円滑にするのは、児童生徒をいっしょに育てていくという意識から出発するのではないかと発言され、それを指導するのが教員の姿勢ではないのかと述べられました。すなわち教員と保護者の一体化ということです。

 Dさんは、ここまでの議論を静観し、学校の教育方針を家庭にどのようにして理解を求めるかが問題であると述べられ、その貫徹を考えれば、各家庭の環境も視野に入れ考えていかなければならないと強調されました。たとえば母子家庭で連絡がなかなかつかないケースの場合、どのようにして学校自身の考えを伝えるべきか難しいと指摘されました。

 一方、Aさんは、テーマの「教員はどのように児童生徒および家庭との信頼関係を形成していけばいい」における児童生徒との信頼関係形成にスポットをあて、児童生徒が互いに認め合うことによって、教員が生徒からも信頼を得るきっかけになるのではないかと述べられました。

 Cさんは、先に話題になった学級通信に関し、通信は、保護者にみられていない場合もある、保護者からのフィードバックを求めてもいいのではないかと発言されました。Gさんは、だからこそ児童生徒を介し、保護者を含めたコミュニケーションを深めることが必要であり、保護者との直接のコミュニケーションを形成するためにも教育について教員や保護者が今一度考える勉強会を開催してもいいのではないかと提起されました。Dさんも、これに関連し、どこまで学校が家庭に踏み込めるのか、関係形成が難しく、また、保護者同士の意思疎通といっても、保護者が他の保護者に育児の悩みを打ち明けることはこれまた難しいだろう、だからこそGさんの提案する勉強会は意義あるものになると同意されました。Bさんからも、保護者同士の横のつながりが持てるかもしれないと、Gさんの提案に期待を寄せられました。Aさんも、保護者には年配の方がいるので押し付けはいけないけれども、期待できると語られ、Fさんは、教員と保護者が、また保護者同士が時間の都合をつけるのも実際はたいへんであろう、なかなか参加できない保護者も出てくるに違いないと指摘され、そこは連帯意識の強さに訴えるほかないと指摘されました。

 Cさんは以上の議論を踏まえ、保護者ネットワークの形成は大切で、そこから教員と児童生徒との信頼関係形成にどう結び付けていくべきかと問題提起されました。児童生徒の変化に目配りし、そこに気付くきっかけがネットワークにあるのなら児童生徒と教員、保護者の信頼形成もうまくいくとまとめられました。AさんがCさんのこうしたご意見に同意する声をあげられたあと、Dさんから、ようやく児童との信頼関係がトピックになってきたのをみて、授業力向上が児童生徒との信頼関係形成の鍵になり、かつ学級集団を経営する源泉にもなると述べることができました。

 このあと、Gさんからまとめの発言があり、討論は終了しました。

 今回の討論は、出鼻がくじかれたような印象で、傍聴側も心配していたのですが、議論の中身としては最低ラインの内容が登場していたと思います。議論の構成をしっかり作り、順序良く進めばよかったと悔やまれる集団討論ではなかったでしょうか。

 まあしかし、本番の集団討論もそうそううまくいくものでないものですから、さほど心配することもないのかもしれません。今回の反省点は、議論の建て直しにどのようにして貢献するかということでしょう。そして、協調性を面接官に印象付けるために、どのような発言をするべきかということでしょう。

 今回、B、E、Fさんの発言が2回づつと、かなり少なかったのが心配です。あまり気圧されず、堂々と語り主張してください。発言がないのは、それはそれで聞く姿勢を持っているともいえますけれども、なんの意見もないのかと評価されると困りますので。集団討論の技法として、集団を支配する、支配されるという考え方や見方があります。支配というと言葉は悪いのですけれど、討論の参加者を引っ張っていく姿勢をみせることもこれまた面接官に高評価を得られるポイントでもあります。協調性とリーダーシップ、この相反する技量の習得とその絶妙な表現を演出できた方に、合格はあるのかなと強く思う次第です。
(3/21)

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