日々旁午

2009



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当サイト勉強会で使用している問題集や参考書ほかを、大阪駅前第2ビル地下2階で、いつでも購入することができるようになりました。地下2階のレンタルボックス・キャビン(06-6344-0509:営業時間/平日11:00〜19:30/土日祝11:00〜18:00)というお店に陳列しています。下の写真、ロボットが目印です。問題集のほか、しょうもない小物も置いていますのでご覧ください。

現在、「シート式C」、「シート式D」、「平成19年夏実施大阪府過去問解答解説集(教職教養部分のみです)」、「平成18年夏実施大阪府過去問解答解説集(教職教養部分のみです)」、などを陳列しています。

レンタルボックス・キャビン店内に連絡掲示板が設置されています。連絡掲示板にご要望を記入いただければ対応しますので、必要な資料あるいは問題集について簡単にコメントくださいませ。コメントがあれば、おきたいと思っています。そのほかは、こちらのページ(日程の下に資料の一覧表があります)、および、こちらのページを、どうぞご覧ください。よろしくお願いします。

各種資料ほかをご購入いただいた方々、ありがとうございました。お礼申し上げます。

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先ほどの「ほめる場面」という話題についてFさんが主張されたところは、学年のちがいによってどのように児童生徒がほめる指導を受けとめるかということでした。そして、DさんおよびEさんのいわれていた「タイミング」について、ほめる指導をする際に、児童生徒に孤独感や疎外感(ボクだけほめられない)を感じさせないようにしなければならないと発言されました。そのためには、児童生徒同士がほめあう機会を持つのがいいと提案されます。それは、Aさんがいわれるような「きょうのキラキラさん」を設けて、毎日まいにち、他者を認める場面を経験させるのがいいでしょうね。具体的な発言でよくわかります。Eさんも、ほめる指導が個々の児童生徒で偏らないよう公平性を意識して指導することが大切であるといい、その上で、学習能力を高めるためにほめる指導が有効であると主張されます。しかも、個々人をほめる指導だけでなく、グループをほめる単位としてもいいのではないかとつづけられます。
 というのは、本読みを例にとられて、男子が読んでいる間、女子が静かに聞き入って、評価している場面や、女子が感情を込めて読んでいるとき、男子がそれに感動し、評価する場面をだされて、それぞれのグループがお互いに認め合い、ということは、ほめあい、本読みがうまくなっていく、と説明されたわけです。こうした具体的場面をいささか時間をとりながらも述べ切れるところに、Eさんの実力がうかがえます。
 Cさんからは、新しい角度からのご意見がありました。ほめる指導はいじめをなくしていくとの発言です。こうした視点が登場するのは、議論を深める上でポイントになりますね。議論し尽くしたと思ったら、また新たにトピックが出てくる。ほめることによって、自己を認め、他者を認め、お互いが尊重される。それがクラスの雰囲気をよりよくしていきます。先に述べられていた、偏りのあるほめる指導が克服され、グループ単位でほめる指導が貫徹し、相互尊重意識がクラスにはぐくまれると、理想の学級ができますね。このことは逆に、Bさんが指摘されたように、ほめる回数が少ない児童生徒がいじめられているということに解釈していいかもしれません。実際、ほめる回数が多い子が少ない子に「アホちゃうか」とののしりの言葉をいっている場面にもBさんは出くわしたようです。教員としての「一視同仁」的指導の貫徹は教員の感性にゆだねられるのでしょう。繊細さがなければ勤まらない職業ですが、そればかりでもつぶれていくこともありますし、みなさんは、大変な職業を選ばれたものです。
 Fさんはさらに話題を転換し、「ほめるをひろげる」発言をされます。教員間で「この子のこういうところがよかった」というように情報共有し、ほめる指導の結果を保護者に対しても伝えるとのことです。「おたくのお子さんは成長しています」と。その場面は、Dさんが指摘されたように、学級懇談会、保護者懇談会でしょう。児童生徒にいい点があることを保護者にも伝えることが、家庭においても「ほめるしつけ」に転換しますね。このあたりの議論の流れは秀逸でした。最後にBさんが、心からほめる言葉をかけることが大切であるとCさんのご意見を踏まえつつ述べられ、「児童生徒の調子が悪そうだからほめてやろう」といった指導態度ではうまくいかないと指摘し、議論は終了しました。
 とてもよい集団討論でした。なかなかワタクシは80点をつけることはないのですけど、今回は脱帽ですね。しかしそれでも傍聴者から疑問点も挙がりました。以下、土曜日の議論で登場した話題と、日曜日、つまり上のの議論終了後に出たご意見も紹介することにしましょう。
 まず、「いい点と悪い点」だから、これを区分して議論すべきかどうか、ということがあります。これは議論の流れの設定に関わることですね。テーマの種類によっては、しっかり区分してすすめる方が議論しやすいケースがあります。今回のようなテーマの場合は、なりゆきに任せるのがいいのではないかとの感想を持ちました。実際、討論終了後、「悪い点の議論をもう少し聞きたかった」というご意見もありました。よい点を議論する時間と悪い点を議論する時間を半々にしてしまうと、おそらく議論は苦しい展開になっていたと思われます。上の再現では、7、8割は、よい点の議論でしょう。上の議論でも、公平にほめないといけない、ほめることはおだてることではないといったご意見がありましたものの、悪い点については少ししか言及がなかったのではないでしょうか。。土曜日の議論では、ほめるとそこが到達点であると児童生徒が認識してしまって伸びない場合もある、ほめる境界線を教員の側で設定しないと、あやふやな指導に陥る、甘やかしになる、などなどありました。実は土曜日の討論もとってもよく、こちらも80点差し上げたい内容だったのですよ。
 ワタクシの感覚では、よい点と悪い点の議論割合は、8:2でいいのではないかと思っています。というのは、大阪府だけでなく全国的にほめる指導全盛の現在、あんまり悪い点をあげつらうのは、好ましくないと考えるからです。大阪府は、いいと思って「ほめる指導でいきましょう!」としているわけで、ことさら問題点を抽出するのは損といえば損になるのです。
 土曜日の議論から、少し拾ってみましょう。どのようなご意見があったのか。ほめやすい子とほめにくい子が存在し、ほめにくい子のほめどころをどうみつけるか。自尊感情を高めるためのほめる指導、むつかしいことに取り組んでがんばっている姿勢もほめる、これまでほめていたことも技術の向上をみこしてほめない、児童生徒によって態度を変えない、結果だけをほめないで活動そのものをよくみる、次につながっていくほめ方を、毅然とした態度も必要、などなどです。
 なお、日曜の討論終了後、個人内評価という言葉を出して説明するといわれたKさん、いい指摘でした。
 みなさん、次回28日も、がんばりましょう。3月も去りますね、もう春です。

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打者一巡してから、議論はどのように進行していったのでしょうか。Fさんはこれまでの発言の論旨を簡単に枕として説明し、その上で、Fさんの原点的発言を受けて、遅刻をする児童生徒が早く出てきた「タイミング」を捉えほめる例を出されました。この児童生徒が時間を守るという約束を守る態度、しんどかったけどちゃんと登校してきた努力、こうしたがんばりを認めることが重要なのであり、約束、努力をほめることがひいては生きる力を養うことにつながると指摘されました。
 ちなみに、ほめる場面も学習指導、生徒指導の両面にありますね。そこを分けて議論する視点があってもいいのかもしれません。議論をすすめる上で、あまりに細分化しすぎると、適当な考えが思い浮かばないと意見が出にくくなります。しかし、テンデンバラバラだと、ごった煮になってしまいます。このあたりをどうするかも集団としての腕のみせどころでしょう。まあ、こうはいいましても、今回の討論参加者が小学校志望4名、高校志望1名、中学志望1名というように他校種入り乱れての討論だったので、あまり無理はいえません。本番では、校種は同一のケースが多いでしょうから(とくに小学校)、区分した上での議論が理路整然としているように面接官には感ぜられるのでいい印象をもたらします。
 次の発言者はCさんです。Cさんの発言の特徴は、その根底に確固とした教育観があるということです。何度もCさんの参加した討論をワタクシはお聞きしてますので理解できるのですけど、教育的な信念を持つことが、討論における一貫した発言態度を生みますし、力強さもあらわれるものです。どんな児童生徒を育てたいのか、これをしっかり見据えるだけでも変わってきます。実際、Cさんにはそれがあり、「心の優しい生徒」を育成することがCさんの「育てたい生徒像」であるわけです。そうした立場から、生活面においても注意をするのでしょう。
 制服をちゃんと着れないのは、注意されたいあらわれでもあるというCさんは、生徒の心を理解しようという指導態度に溢れています。ただ問題は、それがテーマのほめる指導とどうつながってくるのかということを熱意のあまりあるいは忘れてしまっているのかもしれませんね。
 ここで少し話題が変わり、Eさんがいきいき指導員として小学校6年生の児童を指導したときの内容を披露されました。その6年生には知的障がいがありました。Eさんはその児童とキャッチボールをして、一回一回ちゃんと受けとめたら手をたたいてほめたそうです。知的障がい児とどのようにコミュニケーションをとるかはワタクシたちにとってむつかしい課題ですが、障がいのある児童にはほめる指導が一層効果的であったことをEさんは力説されたわけです。
 Dさんからは、Eさんの1巡前の発言であるほめるタイミングの問題に触れられました。Eさんのいわれたタイミングが、ほめる対象となる行為行動を逃さないとのご意見だったのに対し、Dさんのほめる指導のタイミングは、ほめるべき行為行動があったとして、それをクラスの全員の前でほめるのか、1対1になったときにほめるのか、そうした意味でのタイミングを問題にされました。児童一人ひとりの個性に応じてほめるタイミングを図るとのご意見でしょうか。
 Bさんは、Eさんの提出された障がい児指導におけるほめる指導をどうするかとの課題について言及されます。Bさんは障がいのある児童は場合によっては登校を嫌がったり、座らないで歩き回ったり、奇声を発したりすることがあるのを経験されました。その結果、「よいところだけに眼を向けよう」と指導姿勢を決めて、そのほめ方も、大げさにほめるようにしたそうです。こうした指導が功を奏し、障がい児の笑顔を獲得したと述べられました。Aさんも障がい児のほめる指導についてご意見を披露されました。算数の補助教員として授業に参加したとき、知的に未発達な児童がいたそうです。図形を勉強していたのですが、空間把握がうまくいかず、どこをどう「ほめる」指導をしていいかわからなかったとAさんはいわれます。結果として、長方形を作図するパズルを導入したところ、該当の児童はやり遂げることができ、それを逃さずほめる指導をしたそうです。このことから、授業計画にほめる指導をいれるように構成してストーリー性を持たせる授業を計画するのがよいのではないかと指摘されました。特別な教育的ニーズが必要な児童生徒の場合には、あらかじめほめるべきポイントを挿入して計画案を作成しておくとのご意見は、とてもいい指摘でした。ほめる指導の良い点、悪い点を議論するのがテーマでしたが、それをいわば超越しつつも戻ってくると評価できるよいご意見でした。
 つづいてCさんは、高校志望の立場から、厳しい指摘もされます。こうした一面をみせて面接官にアピールするのはひとつの作戦でもあるといえるでしょう。「ほめることは、おだてることではない」と。なんのためにほめるのか、それはどのようなところであれ、向上してほしいからほめるんだと発言され、高校生は卒業して社会に巣立って育成とも多くて、社会に出てくじけてもらっては困るといわれます。社会に出れば、ほめてくれることはそうそうないのだよ、社会に出ればそれだけではないのだよ、と厳しいながらも愛情ある指摘をされたわけです。このご意見は、ほめる指導の悪い点を見事に表現しているとワタクシは感じました。この点、Dさんも、ほめることは認めることであり、叱ることは相手を認めているからこそ叱ることができるのであると述べられました。
(以下、次回更新)
(3/17)

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さて、集団討論の模様をお伝えします。土曜のものにするか、日曜のものにするか、大変迷ったのですけれども、日曜の討論を再現することにいたします。今回、討論のテーマは、「ほめる指導のいい点と悪い点について、議論してください」でした。討論参加者は6名とも女性で、仮にA〜Fさんとして再現してみましょう。時間は20分です。
 口火を切ったのは、Fさんでした。Fさんは、テーマを確認され、ほめるときに気をつけていることほめるときに踏まえていることはどういうことか、などについて話していきましょうと述べられました。Fさんの場合は、わかりやすい言葉でほめると踏まえている点を指摘されました。小学校を志望しているFさんがいわれるには、これは低学年の児童をほめるときの注意事項であり、わかりやすくはっきりほめることが低学年児童においては効果があるとされます。それに対し高学年では、「〜ができてすごいね」というように、具体的にほめる内容を決定して、正確に理由を説明してほめることが「踏まえる」べき点であろうと述べられます。
 ところで、第1発言があるまでに、誰が発言するか躊躇するときがありますね。いわゆる「お見合い」をしてしまうわけですが、これは、まあ、評価の対象外です。あまりにその「お見合い」時間が2分も3分もつづくようでは困りますが、そうでなければ大丈夫です。今回、はじまって早々、討論参加のみなさんが声を揃えて「よろしくお願いします」といわれたのは、よいことですね。本番でもそうした態度で挑みましょう。
 つづいてEさんは、発達段階に応じてほめるほめ方に工夫を凝らすFさんの主張にうなずき、さらに「踏まえるべきこと」として、タイミングを挙げられます。タイミングよくほめなければ、効果も半減というわけですね。ほめるタイミングがキマルる、顔つきも変わるようです。Aさんはボランティア活動の経験から、子どもたちはみんなほめてほしい、自分をみてほしいと思っていると痛感されました。そこから、子どもたちと接する中で、子どもがよい方向に変わった瞬間を捉える観察眼を養わなければならないと反省的に主張されました。Bさんの「踏まえるべきこと」は、一言でいえば公平性ということでした。塾で教えた経験のあるBさんは、一人ひとりを公平にほめないと、よからぬ事態も招いてしまうことがあるので注するべきであると具体的に述べられました。というのは、塾でほめる回数の多い児童と少ない児童とでは仲よくならなかったことがあったからだそうです。偏らないようにほめる指導をつづけることが大切であるとの主張です。
 Cさんは、ほめる指導をする際には、同一内容のことを肯定的な表現を用いて指導するといわれました。私語をやめない生徒がいる。そうした生徒には、にぎやかだね、にぎやかな生徒というイメージと言葉を持って伝えるというわけです。「あなたがお話しするとクラスが明るくなっていい。けれど、いまは聞くときだから静かにしようね」といったように注意するといわれました。おしゃべりを認めているわけではないという意図を含めながら「いいかえ=リフレイミング」を指導に生かすとのご意見です。まあ、この例は「ほめる指導」であるのかどうか、ちょっぴりズレも感じましたが、ほめることで場をおさめるということでは教員のひとつの工夫であると捉えておりました。また、Cさんは、自己一致ということも主張されます。これは後々のBさんのご意見と同調するところでした。自分の心と自分の発する言葉とを一致させなければ、いいたいことが誠実に伝わらないということでした。たしかに、心の中で思っていることと発する言葉とのちがいやズレに敏感なのが子どもたちであり、鋭く見抜いてきますからね。つづいてDさんは、なぜほめる指導なのかという原点に立ち戻った問題意識から発言されました。それはいうまでもなく児童生徒に自信をつけさせるためであると。そして「踏まえるべきこと」として、自尊心を傷つけないように言葉がけするということを述べられました。
 こうして6名全員の発言が一回りしました。やや長い発言もあったものの、内容豊富でそれぞれの方が独自の視点から異なる意見を出し合っており、今後の展開に期待が持てそうな予感を面接官に与えました。
 このことはかなり重要です。というのは、面接官も飽きあきしているものです。同じテーマで数グループの討論を聞けば、「またか」となるわけでして、これは人間なら普通の感覚でしょう。そうした状況で、引き込まれるような討論だなと感じさせるだけでも、グループとして「よい」との印象を与えるものです。結局、グループに対する好評価は、そのグループを構成している個々人の優秀性に基づくものです。
(以下、次回更新)
(3/16)

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本日と昨日、当サイト主宰勉強会に多数ご参加いただき、ありがとうございました。昨日には、今春から正教員として活躍が大いに期待できるO先生にご参加いただきました。勉強会では面接官役も買って出ていただきありがとうございます。的確な指摘に参加者も「どこをどうすればいいのか」考えるポイントを提供いただいたことでしょう。また、つづいて珈琲会にも参加いただいて、今度はフランクに今年受験のみなさんに経験談を語ってくださいました。珈琲を飲みながらの談笑は、勉強会の緊迫とはちがい、笑いありで楽しく過ごせました。
 夜からは、これまた今年春から神奈川や大阪で教壇に立つ卒業生に招かれまして、楽しいひと時を過ごすことができました。合格した卒業生に招かれることは大変ありがたいものです。横浜へ旅立たれるIさん、大阪市のFさん、大阪府のIさん、がんばってくださいね。Iさん、新天地横浜の事情をまたお教えくださいね。Fさんは風邪を早く治してください。Iさん、卒業式の写真ありがとう。そうそう、Iさんは現役でした。
 ガスパージン!新しくご参加いただいた方、よいにせよ、悪いにせよ、刺激をお受けになってお帰りになったと思います。新しいところにご自身から踏み込むのは勇気のいることだったと思います。よくご参加くださいました。みなさん、合格めざして一生懸命な方々ばかりです。また一緒に勉強しましょう!
 さて、土日ともに、まずワタクシの方から講義をいたしました。講義は学習指導要領のことを中心に進行しています。いまでも頭の中に曲芸をする5台の戦闘機がイメージされていますか??
 講義のレジュメも50枚になりました。とりわけ26ページからのところをよく読んでください。まあ、資料も挟んでの50枚ですから、それほど復習するのに時間はかからないと思います。次回は、20年版の新しい学習指導要領について触れて、これを討論や面接に生かせるようにポイントを掲げたいと思っています。
 次に、自己売り込みのツボを実施しました。こちらも回数を重ねるごとに、先例から学ぶところも多く、充実した報告となっているようです。土曜に報告のSさん、Iさん、日曜報告のGさん、Aさん、みなさんに共通していえるのは、「具体性に欠ける」です。もっとご自身をみつめ直して、自分のやってきたことから訴えるべきことを精選しましょう。そのためには、原稿をいまの5倍は書きましょう。書いて、書いて、もうこれ以上ないというくらいに指導経験や思い出を書きつくして、それから削っていって1000字程度に仕上げましょう。5月末には「1分間スピーチ大会」があります。ここに照準を合わせて仕上げましょう。売り込みのツボの文章は、エントリーシートに必ず役に立ちます。いま、がんばってその骨子を作るのです。これから報告される方々も、ウンウン考え抜いて仕上げてください。28日担当の方、がんばって。
 最後に集団討論でした。ひょっとすれば、大阪府では集団討論がなくなって、模擬授業だけになるかもしれませんね。そんな噂がある中であっても、議論をすることは必ず役に立ちます。基本的に教育に関する議論をみんなですることが、個々人の教育観を形成するのにつながるからです。いまはなんでも「ラクラク受かる!」とか、「これだけでOK!」とかを謳い文句に本を売ってますけど、あれは、ウソです。そんなんで受かるのなら、苦労はありません。野球の本を読んでプロにみんななれないのと同じです。苦しみの向こう側に栄冠はあるのではないでしょうか。
 次回の更新から、討論の再現をいたします。土曜も、本日の討論も捨てがたい。本日の討論は、勉強会史上、初の80点をやってしまいましたよ。いい討論でした。本番ではありえない、いい討論でした。土曜のも、いいなあ。では、お楽しみに。

(3/15)

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3月15日の日曜日、(JR大阪駅近辺開催、13時より)、キャンセルがありました。先着1名の募集です。右上のメールフォームより、みなさまからのご応募お待ちしています(すでに決定している場合もあります。その際はご容赦ください)。ドコモほか、携帯からのお申し込みはご遠慮ください。ブロックされて返信のメールが届かない可能性が高いからです。お申込者には、ご連絡差し上げます。確認のため、必ずご返信ください(再募集開始:3月14日08時52分⇒14日15時01分、募集終了しました)。

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3月15日の日曜日、(JR大阪駅近辺開催、13時より)、キャンセルがありました。先着2名の募集です。右上のメールフォームより、みなさまからのご応募お待ちしています(すでに決定している場合もあります。その際はご容赦ください)。ドコモほか、携帯からのお申し込みはご遠慮ください。ブロックされて返信のメールが届かない可能性が高いからです。お申込者には、ご連絡差し上げます。確認のため、必ずご返信ください(再募集開始:3月11日01時04分⇒11日10時33分1名確定です。12日08時41分2名確定し募集終了しまました)。

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3月14日の土曜日、(JR大阪駅近辺開催、13時より)、キャンセルがありました。先着1名の募集です。右上のメールフォームより、みなさまからのご応募お待ちしています(すでに決定している場合もあります。その際はご容赦ください)。ドコモほか、携帯からのお申し込みはご遠慮ください。ブロックされて返信のメールが届かない可能性が高いからです。お申込者には、ご連絡差し上げます。確認のため、必ずご返信ください(再募集開始:3月12日08時34分)。

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健康観察との関連で、小学校の体育に言及されたのがAさんでした。3年生では生活習慣について学ぶが、自分で起きる児童、起こしてもらう児童というように項目をチェックし、どこに問題点があるのかを客観的に探ろうと実践的です。起こしてもらう児童なら、夜遅く寝ていたり、朝ごはんを食べていなかったり、問題が生活のリズム全般にあらわれます。そこから改善策を児童とともに考えていこうとされるわけです。生活習慣ということでは、Eさんは、遅刻指導をとりあげられ、遅刻が生活習慣の乱れを意味することを指摘し、児童生徒の生活実態を把握するようつとめられています。朝の指導から生活面を立て直そうという工夫ですね。その際には、児童生徒に声かけをするわけですが、それは早朝時にかぎりません。Fさんいわれるように校内を歩いているときに一人ひとり声をかける。ファーストコンタクトがうまくいけば、さらにつっこんで声をかける。それが生徒理解を深めるとのご意見です。もちろん、信頼関係も育むことができますね。
 先ほど、服装のチェックについて話題がありましたが、Dさんは、小学校の場合、服をみても生徒理解できないこともあると述べられました。たしかに、小1生など服装を自分自身でコントロールするとはいえません。したがって、低学年では多様な観点(これがどのようなものなのか具体的に語るのが理想ですが)から生徒理解を深めていくほかないと主張されました。低学年の生徒理解はむつかしいといいますか、さっきまで幼稚園や保育園だったわけで、どちらかといえば、その子を理解するというよりもむしろ、ダメなところつまり自己中心であるとか、すぐ手を出すとか、そうしたところを反省的に指導するということが、低学年担当教員の中心的な指導となるのでしょうか。
 つづいてCさんは、クラブ活動について生徒理解をすすめる観点から述べられました。このご意見は、Cさんご自身が直前に述べられた内容を補強されるものであり、多様なクラブ活動の実践において、児童生徒同士のぶつかりあい、それがケンカの場合もありますが、これを契機に生徒理解をすすめるというものです。Fさんは、保健室に来室する頻度から児童生徒の精神状態をチェックするというように、養護教諭の立場から提案されます。月に1回来るのか、毎日来るのか、来室回数が多いとなにかあったのかと心配になりますね。
 こうして20分間が終了しました。文字にしますと討論参加者の発言のつながり具合をうまく表現できていないところがありますが、実際に傍聴していますとそうでもなく、ちゃんとつながりが確認できます。
 今回の討論の反省点は、授業をしている最中はどのように生徒理解をすすめるのだろうかということにある程度しか答えていないということでしょうか。日曜に実施した同じテーマの討論では、参加者が高校を志望される方が多かったことを反映し、授業における生徒理解について意見が多数出されたのと対照的でした。美術の先生からは、作品制作に児童生徒の精神が投影されていてそこから心理状態をつかんでいくというご意見や、英語の先生からは授業後アンケートをとって、そこから生徒の要望をすくいとるといったご意見がありました。こうした教科指導にもとづくご意見は、生徒指導というより学習指導の問題になりやすく、本来この2つが切っても切れない関係にあることを示唆しています。これを無理やり2つに分けて、生徒理解に即してのみ議論するのは実際的ではありませんが、あまりに教科指導よりになると、テーマはなんだったの、ということにもなりかねません。その点、ご注意を。
 ところで、今回の再現の表現におきまして、「生徒理解」の使い方にあるいは問題があるかもしれません。小学校を志望する場合、教育対象が児童であり、「児童理解」となるのではないのか、といった点や、生徒理解と生徒指導、生活指導をきっちり区分して使うべきではないのか、といった点です。
 ワタクシ自身のケースですけど、「児童理解」という言葉はあまり聞かないです。児童であっても児童の理解をすすめる、は、変な感じですが「児童の生徒理解をすすめる」と表現してもいいのではないかと思っています。気になる方は「児童理解」を使っていただいたらいいと思います。それから、生徒理解と生徒指導のちがいは前提と具体ということになりますから、区分けはできますが、生徒指導と生活指導は、ほぼ同意味に捉えてよいと思っています。厳密を期すなら、自分なりに意味の違いを解釈して使ったらよいと思いますが、そこまでこだわる必要はないでしょう。
 さて、3月14、15日における集団討論のテーマは、「ほめる指導のよい点と悪い点について、議論してください」といたしましょう。

(3/13)

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つづいて発言されたのは、Eさんでした。Eさんは、小学校でボランティアをされており、子どもたちのサッカーの相手をしている(つとめている)そうです。そこでの小学生の様子をみていると、学年を異にする上下関係の中で、多様な側面をみせており、たとえば、子どもたち同士のしゃべり方を観察するなどして、生徒理解をすすめるヒントを受け取っているようです。Dさんは、Eさんのいわれた「観察」とともに、じっくり話をする時間をとりたいと述べられ、「場面理解」ということをいわれました。また、特別な教育的ニーズの必要な児童生徒とのコミュニケーションのとり方をどうするかということについてご自身の実存的な課題と関わらせながら言及され、どこまでも障害のある人と一緒に行動するところにこそ、彼らを理解する本道であると強調されました。つづいて、障害のある児童生徒との関わりについてFさんの発言がありましたが、ここでも「目の前の子ども」を大切にするとの視点から離れることはありません。そうした一貫した立場から、傷害のある児童生徒に接するのは、なにも特殊な接し方を必要とするのではなく、障害のない子どもと接するのと変わらずに対応するのがよいと主張されました。Aさんは、はじめて「なかよし学級」を担当されたときの戸惑いについて率直に述べられました。つまり特別支援教室における軽度障害児指導についての苦心を発言されたわけです。このときAさんは、情報収集、研修、専門書というように、本当にかなりの苦心をされたようで、結論として、教員と特別な教育的ニーズの必要な子どもと、一緒に成長していくことが重要であるとまとめられたのです。
 特別支援教育に関する話題が一息ついたところで、Bさんが、ひとりの児童生徒に注がれる眼は多数あることを指摘されます。担任の眼、異学年の先生の眼、保護者の眼、などなどです。そうした複眼の分析によって、ひとりづつ「この子はどんな子なんだろう」とあぶりだしていくことが、生徒理解を深めることになると述べられました。
 つづいてDさんが、議論の前提として、なぜ生徒理解をすすめるのかという基本に立ち返り、方法論に傾きかけた流れを軌道転換されました。もちろん、生徒理解の方法論も大切ですが、なぜ、生徒理解をしなければならないのか、という前提の共通理解に議論の方向を向けられたわけです。そのためには、Cさんがいわれたように、子どもの好きなもの、好きなことをみつけるのがいいでしょうね。Cさんが指摘されたように、好きなことに夢中になっている児童生徒は、いい顔をみせてくれるものだからです。Cさんは、それを具体的にサッカーの話ですすめられたのですが、好きなことがサッカーであるとして、目標を定めよう、大会で優勝しよう、そのために一緒にがんばろう、というように児童生徒と一緒にがんばる姿勢が、児童生徒から信頼を得ることになると捉えられています。
 Bさんは、先ほどの複眼的観察について、ご自身が志望する養護教諭の立場から議論されます。つまり生徒理解の工夫を健康観察に求められたわけです。健康観察は生徒指導につながる要素が多く、実際に生徒指導上の問題解決につながった事例もあると述べられました。表情が変わった、服装が変わったなど、多様な変化が心の変化をあらわすのはいうまでもありませんね。こうしたことがすべて、児童生徒とのコミュニケーションを深めるものとなるわけです。
(以下、次回更新)

(3/12)

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第1発言者はDさんでした。Dさんは、テーマを確認され、生徒理解の工夫をエピソードを交えて語りましょうと方向を示されました。Dさんご自身は、小学校を死亡する立場から、6年間にわたる成長過程では、それぞれの学年において発する言葉が変わってくると指摘され、どの学年においても、一所懸命に話す大切さを訴えて生徒理解をすすめていきたいと述べられました。Aさんは、このご意見を受け継ぎ、いまの児童生徒はコミュニケーション能力が低下しており、なぜか外にいかずに教室にほとんどいるといわれます。それゆえに、話しやすい環境を提供することが生徒理解を進める方策だと発言されます。Cさんは、児童生徒と一緒に遊ぶ、話すことはいうまでもなく大切な生徒理解の手段である一方、じっくり家庭訪問して児童生徒の生活を知ることも大切であると指摘されました。児童生徒と教員との信頼関係を作っていくことが大事であるとも付け加えられました。
 Eさんは、高校での勤務経験から、他の教員と連携して生徒をめぐる情報交換をすることが、生徒理解をすすめるのに欠かせないといわれます。Bさんも高校勤務ですが、「その子を知ることが大切」との立場から、生育歴など情報、資料をEさんいわれるように共有し、それを土台に教員間でどのような生徒なのか話し合うことが求められていると述べられました。Fさんは、「目の前の児童生徒」にこだわった発言をされました。資料や情報も大切ではあるが、生徒理解は「目の前の児童生徒」をしっかりみつめることから出発すると強調されます。教室においてやクラブ活動において、ナマの児童生徒がどういうような行動をとっているのかしっかり観察することから、理解が促されると強く発現されました。
 Aさんは、EさんやBさんのいわれた情報の共有に言及し、ややもすると担任を持っていたり、自分の担当する学年の児童生徒しかしらなかったりするものであるが、学校全体の児童生徒を把握することができないものかと問われて、職員会議などで全員を知ることを目標に生徒理解をすすめると意欲的です。Dさんは、生徒理解をすすめるには、学校の教職員が協力して個々の児童生徒を理解するのも、「目の前の児童生徒をみつめる」であれ、「情報、資料に基づく」であれ、大切な一方で、とりわけ「情報、資料」であれば、中学校なら小学校の、高校なら中学校の情報を検討し、児童生徒理解をすすめることができると発言されます。
 ここまで、どちらかといえば、「情報、資料」に基づく生徒理解が話題の中心ですね。Fさんは、前の発言から一貫して「目の前の児童生徒」の理解だと主張されます。児童生徒の言葉を真剣に聞くこと、共感的理解、受容的態度を持って聞くこと、そこから生徒理解ははじまると、この立場を堅持されます。Bさんは、このご意見を受けて、では、どういうようにしてカウンセリングの力を私たちは向上させていけばいいだろうかと論点を深めようとされました。どのように児童生徒にアプローチしていけばいいのか、どういうようにしゃべればいいのか、専門の機関に依頼して教職員が研修するのもいいと発言されます。Cさんは、「目の前の児童生徒」の議論に関して、とにかく現状の40人学級においては、ひとり3分も接することができないと、これは批判というよりも現状を嘆かれるような表現で発言されました。圧倒的に時間が足りないとの認識です。そして、こうした時間のなさを補う生徒理解の方法として、作文を書かせたり、班ノートをまわしたり、任意のお題を出してなにか書かせたり、そうした創作物から生徒理解を深めていくとご意見されました。
 Aさんからは、保護者との連携で児童生徒の理解を深めていくご意見がありました。PTAの会合でバトミントンを一緒にされたそうで、そのときに保護者から児童生徒の様子を申告されたり、こちらからたずねたり、保護者を通して児童生徒を理解することができると話されました。と同時に、保護者と接する態度、心構えもできると発言されました。
 ところで、大阪府の2次試験で、模擬授業が課されるとの話ですが、どうなんでしょ?
(以下、次回更新)

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