日々旁午

2004


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本日(4/30、00:30)より、第3回定期勉強会の申し込みを受け付けます。詳しくは、このページ下の詳細をご確認下さい。下の詳細に記載されているメールアドレスのところをクリックし、送信して下さい。メールソフトを起動しないと送信できないかもしれませんので、ご注意下さい。なお、携帯電話アドレス、hotmailほか、フリーアドレスからの申し込みは不受理ですのでよろしくお願いいたします。また、申し込み条件を満たしていないものは、残念ながら受理できません。申し込みに返信する必要上、本日の更新は、これにて短文で失礼いたします。すでに募集終了しましたありがとうございました。詳しくは下記詳細をご覧下さい(4/30)

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閣僚の国民年金未加入と民主党党首の未納が報道されている。法を執行する行政の責任者7名がこういうことでは、さすがに国民は納得できない。政局に大きく影響を与えるであろう。人間だから勘違いはあるだろうし、個人情報などといわず、それを即座に謝罪すればよかったと思う。福田官房長官は、自己の資産を公開しているのにもかかわらず、国民年金の加入、未加入についての公開をためらってしまった。あの官房インタヴューは、番記者の「勝ち」ではあったが、資産公開との矛盾点をついて切り込めば、さらに追及できたのではなかったか。まあまだ未納期間が短期であったのが救われる。しかし、中川氏はキツイ。20数年間の未加入は、どうも政治的責任を問われる問題に発展しそうである。法案が国会を通っても通らなくてもである。ところが、なんだかな。こうした払った払ってない、先に公開せよ、いやそっちが先だと言い合いがあったのに、年金改革関連法案が厚生労働委員会を通過するとはどういうことなのか。野党の審議拒否が功を奏さず、静まりかえった会場における起立者多数の宣告は、民主的価値を貶めているような気がする。さて、年金に関して複雑な手続きを解消することや、未納分を遡って払い込める制度を作ってはどうか。とくに後者については、いままで払い込めなくなっていた分を払えるようにもなり、国民にとって利益であろう。しかしそうした制度改正は、福田氏や菅氏ではなく、新しい方に、「粛々と」やっていただきたいものである(4/29)

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本日は、更新お休みいたします。申し訳ありません。いや、やっぱり、みなさんと同じように、この時期は忙しいです。GWも、そそくさと終わっちゃいそうです。ぶんちゃんさん、「子ども読書の日」に関し、書き込みありがとうございました(4/28)

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5年で80校、6年で107校の中高一貫教育校が開校されている。文科省は全国で500校を開校する目論見であるから、加速度的に増校するとしても、少なくとも15年から20年はかかるだろう。気の長い話である。ところが、手軽に連携型中高一貫校を作るとすれば、2、3年で可能な数値でもある。以前にもこのコーナーで書いたと思うが、中高一貫教育は選別的な教育制度である。学校制度を複線型にし、エリート育成を政府文部科学省は考えている。現在100校として、その卒業生の数はいくらになるであろうか。1学年5クラス40人で勘定すれば、100×5×40=20000、毎年20000人の卒業生が社会に、あるいは大学に羽ばたくことになる。ただ、この数値は、今年できた一貫校も含んだ計算なので、現状はもっと少ない数字になろう。しかし、この路線が予定どおり500校実現すれば、毎年10万人ということになる。現在、大学進学率が18歳年齢人口のの40数lでる。だから、1学年130万人で計算すれば、130万×0.4=48万人。おおよそ50万人が大学に進学する。ここには短期大学も含まれる。4年制大学に限れば、どのくらいの数字になるのか、性格にはわからないけれども、40万人として、中高一貫校卒業者が全員大学進学すると仮定すれば、その1/4が中高一貫校出身者になる可能性もある。ここに浪人率も勘案するなど微調整し推測すると、半分に達するだろうし、いわゆる旧帝大系は、ほぼ中高一貫教育校に独占されるのではなかろうか。いまでも私立中高一貫校の占有率は高いことを考えるとなおさらである。大学進学をもって、エリートかそうでないかを判断する指標におくのには、議論の余地はあろう。しかし、あえてそう捉えていうと、教育制度複線化は、エリート主義教育といわざるを得ないのである。教育課程編成の自由度がもともと高い中高一貫校において、「文科省は今年度から、中等教育学校や併設型の中高一貫校について、学習指導要領の特例を認め、中学で高校の内容を先取り学習したり、中学の内容を高校でまとめて教えたりすることを可能にした」(「讀賣新聞」)のであるから、体験的な総合学習の特色を隠れ蓑に、受験準備型のプログラムを整備していくことになるのはみえている。ということは、確実に小学校卒業時点の将来選択が、人生の行方を決定する。なるほど、ゆとりのなかで個性を伸張することを理念として中高一貫教育は出発した。だが、上の数値的分析が正しい推測であるとすれば、正しくなくともヨミをはずしていない推測であるとすれば、「ゆとりの中で個性を育む」はウソっぽい理念となる。結局は選別的教育体制の導入といわざるをえない。中教審は設置法に基づいて存在し、その答申は事実上、日本の教育行政を「掌握」している。その中教審が、臨教審の「形式的平等の打破」主張を増幅しつつ6年制の制度化を提言したのである。日本国家経営に傅く教育という教育の社会的機能は、戦前の在り方であったが、それを踏襲したように思われるのである(4/27)

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本日は、教育公務員特例法の条文改訂に伴う更新作業のため、当旁午はお休みしました。トップページの一番上にあるリンクをたどっていただき、教特法を参照していただければ幸いです。条文のミスや、リンク事故がないかどうか心配ですので、みなさまからの報告をお待ちしております。しかし、この条文の整除によって、「第○○条の○」がなくなり、かなり法律としてすっきりしました。ワタクシですら、このように条文改正に伴う更新をしているのですから、教採試験もこの新しい条文に基づいて設問されるのでしょう。変更に伴う出題ミスがないよう、いまから、教採試験実施各教育委員会問題作成部をお祈りいたします。この教育公務員特例法と同時に、学校教育法(学校教育法施行令についてもですが、この施行令はアップしておりません)、地方公務員法にも若干の変更点があります。これにつきましても、改訂するつもりです。今しばらくお待ち下さい。なお、先日ここで書きました「子ども読書の日」に関する行事について、メールいただきました。なるほど、と思っています。できれば、守秘義務を守りつつ、簡単に「うしろのこくばん」にて紹介して下されば幸いです。よろしくお願いいたします(4/26)

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昨日、定期勉強会に参加されたみなさま、お疲れさまでした。昨日も、充実した4時間となりました。旁午読者のみなさまには、その模様のダイジェストをお伝えいたします。昨日の勉強会は、17名の参加者(男性7名、女性10名)を迎え、3グループに分け、集団討論をいたしました。この3グループは、校種別に設定しました。しかし、昨日は、大阪府の教採説明会とバッティングした関係上、その夕方開催の部に参加される方の便宜を図るため、結局、校種別の区分けを厳密にはできず、高校希望と小学校希望の方々が同じテーブルについて討論する場面もありました。参加者には、了承いただきつつも、申し訳なく思っております。討論のテーマは、小、中、高の順にそれぞれ、@「児童の生活指導を充実させるためには、どのような保護者面談が有効か。その方法と意義について議論して下さい」、A「日頃あまり目立たず『普通の子』と呼ばれることの多い、問題行動が表面化しにくい生徒の理解をいかに進めるか、議論して下さい」、B「規範意識の形成のため、どのように生徒指導に取り組むべきか、議論して下さい」というものでした。今回の勉強会には、昨年合格された大阪府採用の先生にゲストとして来ていただくことができました。フランクな雰囲気と試験3ヶ月前という緊張感が同居する教室にて、勉強の方法や集団討論の実際についてお話していただきました。また同時に、3グループの討論に評価者としてコメントいただけました。上のような実践的な生徒指導の議論は、現役の先生も当然考えていらっしゃることであり、現場の動きを交えつつコメント下さいました。実は、来ていただいた先生は、昨年開いたこの会合の参加者でした。このように縦に輪が広がっていくことを、ワタクシは嬉しく思っています。こうしてゲストを迎え、ワタクシと2人で集団討論のコメントをすることは、本試験の面接官複数制を模擬したスタイルであり、その意味でも実践的であるといえます。さて、@は、保護者とのつきあい方が難しくなってきている昨今、新人の教員としてのバイタリティーと心構えをみるテーマでした。と同時に、学校の現実をどう把握されているか、試す問いでもありました。学校と家庭の教育方針について保護者とどのように相互確認できるか、保護者との交流を深める学級懇談の議論がでました。Aについては、問題行動対応として捉えられがちな生徒指導において、学校の大部分を占める「普通の子」を、どのように理解し、みえにくい生徒をどのようにみるか、を考えさせるテーマでした。授業の方法論に流れる嫌いもありましたが、おおむね良好な討論でした。単に生徒との信頼関係を作るという前提的議論にとどまらず掘り下げられていたところが評価できる点です。Bでは、規範意識の形成を、学校の内と外からどのように支援するかが議論されました。学校内部での道徳性の育成の取り組み、地域社会との連携を通しての規範意識の醸成、そうした組み立てをベースに話し合いが進行しました。非行の問題、校則、教員の共通のスタンスの確認がプロットでした。いずれのテーマにおきましても、「具体的な話をする、具体的に討論をする」ということが、ことのほか重要であると確認できました。これは言うに易く行なうに難しであります。是非、昨日の討論を生かし、本試験につなげていって下さい。第3回もよろしくお願いいたします(4/25)

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本日は、第2回定期勉強会を開催する運びとなりました。参加者にはすでにメールを送っておりますが、生徒指導に関する集団討論を行なう予定です。しかし今回は、前もってどのようなテーマを出題するか、テーマそのものは申し上げておりません。実践に即した状況で行ないたいと思っているからです。ところで、本日は、大阪府の教採試験説明会の日でもあります。期せずしてバッティングしてしまいました。勉強会を途中で抜けられ、そちらの方に参加なされることもあると思われます。もちろん、ご自身でご判断いただいて構いません。ところで、今回の勉強会のため、イロイロと準備がありまして、連日の短文で失礼します。まったく話題は変わりますが、昨日は「子ども読書の日」でした。各地で何か行事があったのでしょうか。何か学校で行なったという方がいらっしゃれば、「うしろのこくばん」に報告いただけたら幸いです。それから、教育公務員特例法が改正・施行されたのに伴い、今月末までに、i-mode版のポケットシリーズの改正を行なう予定です。今しばらくお待ち下さい。簡単に申し上げますと、「服務」が第3章として独立したこと、それによって順次、章がずれて構成されているということ。また、研修の内容がいままで、「第○○条の○」と表現されていたのが整理整頓されているということです。そのほか、大学の独立行政法人化に伴う変更点です(4/24)

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昨日は、病院にとある器具を返しに行ったり、ショップに「入院」させていた単車を迎えにいったりと、3月中に起こったことの後始末を一気にやってしまいました。屈伸すると、時折不自然にピキピキなっていた膝もよくなり、もう身体も完全復調です。いやー、長かった・・・同時期に入院していた方も、ようやく松葉杖なしで歩行可能、チャリンコにも乗り出しました。めでたし、めでたし。来月はその方と100m走でもしようと計画しています。ということで、本日は短文で失礼します(4/23)

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スペイン、ホンジュラス、ドミニカ・・・それにエルサルバドルも。続々とイラクから軍隊を撤退させている。もともと戦争を仕掛ける根拠が、でっち上げられた大量破壊兵器所持疑惑であったから、この離脱こそが正しい選択である。人間というものは間違った理由で結婚し、正当な根拠から離婚するというが、まさにそれと同じような事態が、中東を舞台に起こっているといえよう。アメリカがイラクで「がんばる」のを認める代わりに、スペインなどの主権国家の政治的決断は尊重しなければならない。それが民主主義の死守すべき価値である。その辺りを皮肉ってかどうかは知らないが、なるほど「米国は単細胞」であるとはうまくいったものである。ゴリゴリのナショナリスト中曽根氏のこの発言は正鵠をついている。だがアメリカはしたたかで、スペインに対し心中穏やかならぬ感情を抱いているにもかかわらず、顔色1つ変えずにいる。民主主義的価値を守るのにも忍耐が必要なのである。そう振舞えるのは、最大の理解国にして金主たる日本が存在するからである。オーストラリアも国際的なメッセージを出し、親アメリカの態度を堅持していることもアメリカにとっては力強いのであろう。もともと大義のない戦争遂行とその後始末、憎しみと悲しみをそこに住む民族の血に残して、何百年もこれからつづくであろう世界を二分する対立の火種をブッシュは嘯きながら作ってしまったのである。人間は高邁な倫理性を持ちながら、一方では残虐さを好むのか。アメリカの民主主義の価値は、その根底にボクシングの精神を横たえているから厄介なのである。現代アメリカの思想的状況は、後の歴史家によって必ず地獄行きの審判を受ける。そうなる前に、アメリカは天国行きの切符をなんとしても購入しなければならない。その販売は、次の大統領選の投票所で扱っていることを、遠く海外からアメリカ国民にお知らせしよう(4/22)

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ただならぬ改正案素案である。自民党は、こんなものを本気で出そうとしているのか。自衛権の行使、軍隊保持を規定するなど、戦前の天皇制国家の犯した道をまた歩もうとしているのか。「陸海空軍その他の組織」を持つことを宣言しようとしている馬鹿馬鹿しい考えである。2章9条は、平和を実現する世界的に稀有な条文である。物理的強制力を完全放棄する21世紀型国家の「実質的意味の憲法」として出発した、斬新で、ある種刺激的であり、世界に「どんなもんだい」、と胸を張れる条文であった。その条文を、国政レベルで投票率60lそこそこの半分をとったかとらないかの政権政党が、改正しようとしているのである。改正新憲法の出来を党結成ン周年の記念にしたいのか、自由民主党政務調査会憲法調査会憲法改正プロジェクトチームが、もう11回も会合を開いている。そこでは、憲法の「前文は、美しい日本語の真価が問われるもの。現行憲法前文は、侘び証文のようなもので、これでは困る」とよくわからないことをいっているが、前文のどこが美しくないのであろうか。こんなに美しくわかりやすい日本語はないぞ。「詫び証文」との認識も、それはこの発言者の思い込みだろう。感覚でものをいっている。「『平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して、』とあるのは、他力本願的である(中略)。日本人のアイデンティティーを出してほしい。前文を日本語の模範とするようなものに」などというお門違いな発言は、きわめて情緒的に国民に取り入ろうとする、論理性もなにもない言葉といえる。さらには安全保障に関連し、厚顔にも、「当たり前の議論を長々となぜやらなければならないというところが日本の問題で、個別的自衛権があれば集団的自衛権があるのは当たり前で、これは国連憲章に書いてあるだけではなくて、サンフランシスコ講和条約にも書いてある。それを今までこういう形であるけれども、ないと。これを区別すること自体、意味があまりない」との発言がまかり通っているし、「憲法というのは、社会とか、歴史とか、伝統とか、文化とか、そういったもののトータルが憲法。国家そのもの。それが憲法学者が有権解釈みたいなことを言って、自分が下した解釈に違うようなことがあれば、憲法違反だなどということを言ってきたから、今日までこのような状況が続いてしまった。憲法というのは憲法学者のものじゃない、国民のものである、国家のものである」などと「憲法は国家のもの」と呆れ果てることをいう衆議院議員もいる。さらには、合憲か違憲かを争う9条解釈をめぐって、「裁判所も法治国家として守ろうとしたけれども、解釈というのは統治行為なので、国の基本にかかわることは統治行為なので判断をしないと言ったという、これは見事な最高裁判所の身の処し方だった」と司法を賞賛するようないい方をする。まあ、これは自民党にとって都合のいい司法判断であるので、調査会メンバーがそういうのはわかる。だが、司法アマチュアの感覚からいって、この最高裁の弱腰あるいは無責任判決を支持するK氏は、物事の道理を理解できない、または無視する性格を持つ議員といわざるを得ない。見事でもなんでもない。日本司法の未熟さがいわしめたにすぎないものである。海上幕僚長が臆面もなく集団的自衛権の将来的認定を宣言する昨日今日、社民党は頼りに全くならないし、どのような憲法擁護の主張を、グラスルーツの立場から、組み立てていくべきだろうか(4/21)

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