日々旁午

2012



■Nuovo Cinema Paradiso - - Scena finale

 戦後・イタリア・シチリア。こう書けば、青い海もおのずと眼に入る。ローマから飛行機で1時間、ある村を舞台に繰り広げられた映画そのものをめぐる回想録。感動を与えてくれたフィルムがある。それは、アルフレードとトトの物語であり、トトとエレナの物語であって、さらには私たちと私たち自身の若き日との対話を促す三重奏でもある。
 物語はトトの回想録が主であるが、小さきトトが神父の仕事を手伝うところからはじまる。しかしトトが手伝ってはならない仕事があった。それは、映倫の選別作業であった。ポルノを批判する神父は、その仕事柄、あらゆる映画に登場するキスシーンやラブシーンをカットさせる。燃えやすい性質の当時のフィルムに、無造作に紙を差し込み、カット予定のシーンにチェックを入れる。チェックを入れるのは、映写技師アルフレードであった。
 トトはこの島唯一の娯楽である映画に夢中になり、映写技師のアルフレードと「親友」となる。アルフレードに導かれ、少年・青年期を送ったトトは、学校に通いつつ淡々と映画館で日々を送る。
 平凡な日常を打ち破るのは、いつの時代も、恋であろう。トトも学園内で、転校生のソヴァージュの美女に眼が釘付けになる。
 恋がはじまった。エレナ。エはエレナのエ、レはエレナのレ、ナはエレナのナ、であった。たしかにオーディエンスも魅了されるエレナの美貌である。雷空のもと、エレナにかけた言葉は、「きょうは、いい天気だね」。ぎこちない初恋が、これ以降のフィルムの主題となる。
 神父をだまして代わりに告解のボックスに入ったトトは、エレナに想いを伝えるが、あえなき結果となる。ボックスの中の人が告解する逆説である。つまり罪の告白は内に、恋の告白は外に、である。あえなき結果に若者はあきらめない。
 アルフレードは、フィルムから出た火で失明していた。トトは、そのアルフレードから聞いた「或る兵士の物語」の実践に移る。それは… 王女をものにするために王女のいいつけを守る物語。まるでかぐや姫の難題のようではあるが、仮定法過去で語られるものではなく、実現可能な物語であった。それがゆえに「或る兵士の物語」は、つらい試練をトトに課す。
 時刻は午前0時。エレナの家の窓からみえる表通りに、「告解の日」から年が変わるまで、毎日立つ。日々のエレナへの想いが、若きトトを駆り立てる。青春とは、かく素晴らしいものであり、かく馬鹿げたものでもある。
 まさに恋は盲目。アルフレードの失明と重ねられているところに、この映画のひとつのトピックが確認される。こうした愛情の表現を、男なら誰しも別の形で一度は経験し、大人になっていく。
 さすがは映画、トトとエレナの恋は成就する。だが、アルフレードがいうように、人生は過酷である。過酷はトトとエレナとの間に降り注ぐ… しかしそれはいわば仕組まれた「過酷」であった…
 このフィルムはもう20年は前であるがカンヌ受賞作でもあるし、若い人も含めてだいたいのかたが鑑賞している名作であろう。映画好き10人いれば、ベストテンに必ず10人ともが推す。N.C.P.これを超える名作は、ちょっとない。
 描写をこのままつづければ、まだご覧になっていないかたには申し訳が立たないので、あと少しだけにしよう。
 こころにクリプトを穿つサルヴァトーレ(トト)。後年に至っても独身を貫いたのは、エレナへの想いであった。
 この作品の監督は、愛を手に入れられなかった悲しい男であるとサルヴァトーレの別の捉え方を示している。
 たしかにそうかもしれない。どこにいるのか、誰と暮らしているのか、なにもわからない、なんの手がかりもない女性を、ひとは30年間近く想いつづけれられるのであろうか。その意味では、男の純情さと女性への恋と愛が、社会的成功に導いた一例を示しているし、個人的愛情が社会的愛情に昇華した稀有な想定をフィルムに刻んでいるといえよう。
 もう、流行しない髪型。でも、この髪型はいいなと思った。華がある。映画の最後に登場するエレナの娘は、女神そのものであった。サルヴァトーレにとっても、世界中の男にとっても。
 30年ぶりに家に帰るサルヴァトーレを迎え入れる母は、編みかけの編み物を放り出して、門まで迎えにでる。母親の身体のどこかに毛糸が引っかかり、せっかく編んだ編み物がほどけていく。フィルムの巻き戻しのようである。
 それはたしかに母の身体の一部にひっかかっていたが、心にも引っかかっていた。ほどけてトトとの心理的距離を縮め、プラットホームで若きトトと別れた瞬間にまで映像そのものを引き戻す効果すらある。その効果は、オーディエンスをも一緒に、過去へ導く。オーディエンスのそれぞれの過去に導く。個別の過去との対話がはじまる。
 ソヴァージュの女性、それは偶像である。
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■当サイト主宰、6月期の勉強会受付は、4月29日、22時00分より開始いたします。みなさまからのお申し込み、お待ちしています。
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■先週末21,22日は当サイト主宰勉強会に多数ご参加いただきありがとうございました。新しくご参加いただいたみなさま、いかがだったでしょうか。これからもよろしくお願いします。また、キャンセルを粘り強くまっていただいてご参加いただいたみなさま、ありがとうございました。
 土日ともに、模擬授業、神奈川のマークシート解答解説、集団面接の3本立てとなりました。
 模擬授業について、簡単にコメントを書いてみます。演示者すべてテーマが異なりますので、共通してポイントとするべきことを述べます。大阪と奈良ではでは演ずる時間が違いますのでそこは敷衍してご理解いただきたいのですけれども、5分間が与えられた大阪では、どのようにやればいいのでしょうか。
 まずは、テーマの分析です。与えられたテーマには、必ずクリアするべき課題があります。ポイントといっていいところです。このポイントをテーマから見出すことが受験生にまず要求されます。そしてこのポイントを演ずる時間帯は、3分を過ぎ4分までの間にするべきです。ここまでできれば8割は得点があると考えていいでしょう。実際、これができていない受験生が多いのです。
 たとえば、講師歴が長いから、何とかなるだろうと。なりません。「模擬授業」は、受験科目です。通常の授業ではないからです。通常の授業は、模擬授業の多少の練習にはなりますが、「模擬授業」とは別物と捉える必要があります。つまり、「模擬授業」用の練習を積む必要があるのです。だから、「模擬授業」試験のときには、児童生徒が聞いているとの想像以外は、普段の授業をさっぱり忘れる必要があります。意識転換ができなければ、演じることはできません。ポイントを演じることができれば、あとは細かいところです。臨場感があるかどうか。つまり、模擬授業を演じているときに児童生徒があたかもいるような感じであるかどうか。板書はどうか。色遣いはどうか、などです。「模擬授業」はこうした評価基準の総合点です。あと、途中で、空中分解しないようにすることです。
 次に大阪市や和歌山、今年初採用する堺市において実施される「場面指導」について、書いてみましょう。「場面指導」は、だいたいにおいて生徒指導の枠の中から切り取って出題されます。あるいは、保護者対応としてです。つまり、当たり前のことを書きますが、授業をするのではないということです。
 大阪市ヴァージョンは、受験生と面接官との間にやりとりがあります。和歌山ヴァージョンは、両者の間にやりとりがありません。堺は初採用なので、わかりません。
 大阪市は、面接官が子ども役、保護者役に徹します。いわゆるチャチャをいれてきます。受験生を困らせるようなことをいいます。それに受験生がひるむとかさにかかって攻めてきます。畳み込んできます。それをどう乗り切るかで、評価がわかれます。
 一方、和歌山は、テーマを演じるのみで、いわば、児童生徒やほごしゃに「お話をする」といった形をとります。子どもへの生活指導的な注意事項や保護者への周知事項などを、いわば「一方的に」時間全部話しに費やすわけです。
 堺はどうか。堺は、説明会で「人間性を見たい、だから模擬授業から場面指導に切り替えた」との趣旨を述べたということですので、ある程度やり取りがあるのではないかと思われます。和歌山のように、どちらかといえば牧歌的なところと違い、都市型の自治体ですから、大阪市と似た児童生徒像があるでしょう。そうしたところからすれば、大阪市ヴァージョンに近いところがあると推測されます。もちろん推測です。
 場面指導はまだ勉強会において3名の方しかチャレンジしておりませんが、今後、市や堺を受験する方が演じることでしょう。そうした方々のためになんらかの助言になっていれば幸いです。
 模擬授業、場面指導の後は、神奈川の解答解説でした。今回は教育心理学の学説史、児童虐待の問題、教育法規、日本国憲法などでした。いずれもきわめて簡単な、「知っていればできる」問題=「勉強していればできる」問題でした。解説といっても、ほとんどないものでした。この程度の問題ができれば、基本的な勉強ができていると考えていただいてOKです。しかし、奈良や和歌山、あるいは神戸市は、この程度では太刀打ちできません。とりわけ奈良は、まだ難しいです。気合入れて勉強してください。でも、ならは教職教養だけの出題ですので、勉強の範囲は一般教養のない分、「楽といえば楽」でしょう。しかも、やりがいがある。6月30日に実施する講座に是非来てくださいね。用意した問題の9割正答すれば、まずは大丈夫でしょう。
 最後に集団面接でした。集団面接は、みなさん、上手になってまいりました。ただ、個人個人によって差が大きくなっているような感じを受けています。あるいは昨年の自分の殻を破れていない方もいらっしゃいました。同じ轍を踏むな、です。がんばっていただきたい。
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