日々旁午

2004


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風薫る皐月、あたたかい陽射しを楽しもうと、下に書いているように、奈良へいってきた。阪奈道路を東へ、まほろばの国が待つ。途中、生駒山のインターチェンジで降り、北へ進路をとって木津を目指す。通い慣れた道だが、新しい発見もある。国道168号と163号の交差する地点は不思議な場所である。ここを起点に混雑が緩和する。スカッと晴れた空、通行量の少なさ。そして、薫風。自然とアクセルは開けがちになる。時速200kmは軽くでる単車だけに、自制心との闘いである。身体に風を感じながらのライディング。右手には木津川。笠置の山の淵、大河原の駅近くに、幅2m、木津川を渡るための沈下橋がある。沈下橋とは、文字どおり沈下する橋である。木津川が増水すると川の水面が上がる。そうなれば橋自体が川に沈むのである。すでに一人のライダーが単車を止めて、橋に腰かけ水面をのぞいている。骨をくわえてはいなかったので、落とすことはなかろう。木津をあとにしてダムへ向かう。高山ダムという。このあたりの地名は月ヶ瀬といって、近畿では有名な梅林を愛でる観光地である。時期が時期だけに梅はすでに終わっているので、梅林の山には登らない。ちなみに菖蒲園は水無月開園である。ダムを上からのぞく。高所恐怖症のワタクシは、オシリがこそばゆくなる。下の下まで梯子が設置してあるのだけれども、これをつたって降りていく保守担当者を尊敬する。ワタクシにはできない芸当である。ダムで一服したあと、柳生の地へ。柳生までの道は適当にコーナーがあり、楽しめる。まほろばの匂いをまたしても薫風が運ぶ。田舎の匂い、人を落着かせる匂いである。これはなんの匂いと形容すべきだろう。もちろん自然の匂いなのだが、懐かしい匂いでもある。カーブを慎重に曲がりつ曲がりつ、奈良公園に到着。この公園には、鹿が付きものであろう。また、藤も付きものであろう。花札である。奈良の鹿は、人によく慣れている。おもしろいのは、そのおねだりの仕方であろう。鹿煎餅がほしい、ほしいと彼らは首を上下に振るのである。いつから鹿はこんなマネをするようになったのであろうか。ほしい、ほしいと角を上下にこっくりこ。やらん、やらん、もっとお辞儀、しろよ、しろ。鹿とのやりとりを子どもづれの家族が満喫している。鹿遊びの後は、その子を東大寺へつれていって、大仏の膝元にある柱の穴をくぐらせるのであろう。陽が暮れないうちに、阪奈で帰路につく。「さあ、明日は答申の講義だ」、頭の中をこの言葉がよぎり、なんとか読み終えて、答申集を手にしたまま、眠りこんでしまったわけである(5/10)

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こんばんは。昨日は疲れて寝ちゃいました。更新楽しみにしていた方、申し訳ないです。日頃積もったストレスを解消しに、奈良へ走りにいきまして、そのまま、ベッドインと相成りました。沈下橋を渡って、ダムを見て、柳生の里を通り抜け、阪奈道路を降ってきました.。次回の更新をお楽しみに。こうちゅうさん、モンチッチさん、「うしろのこくばん」への書き込みありがとうございました。そのほか、メールいただいた方、ありがとうございました。いや、教育というのは難しいモノです。このあいだも、授業に関してご批判いただき、イロイロ反省するところ多く、考えさせられました。自分が完璧じゃないのはわかっていますが、一つひとつ直すべきところは直していく所存です。これからもよろしく(5/9)

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生徒がカネで教員を買収するとは。「せんせ、おかねあげるから、成績あげてよ」と頼まれ、2000円ばかりをフトコロに、女子生徒の評価を2ランクあげる。先生もホクホク、女子生徒もよしよし、両者の利害が一致する。先生は生活苦から逃れられる。なにしろ、ひとりあたり1000円としても20人、30人となれば、結構なカネである。女子生徒も定期試験の評価が大学入学に関わってくるんだから、よろこんでカネを出す。そのカネの出処は保護者以外にない。世も末の事態といえよう。この話は日本ではない、カンボジアである。プノンペンは不正天国、賄賂天国であるらしい。経済力が成績に直結するのであるから、地獄の沙汰もカネ次第を地でいっている。お国柄と一言で片付けるわけにはいかないが、その国の特質なのであるから、カンボジア国民が自浄しようと態度を一変しないかぎり、どうにもならない。教師と生徒のこうしたやりとりを防止するため見回りに来ている警察を、先生が買収するのだから。そしてそれが罷り通る。警察もおカネをもらってホクホクなのである。カネは天下の廻りモノなのである。カンボジアのGNPはアジアでも低い。国内経済の貧困がこうした不正の温床になっている。しかし理由はそれだけだろうか。社会の精神的構造、贈収賄の伝統が貧困と合流し、そうした国民意識を形成しているのである。一方、日本はどうだろうか。日本でも、これと同じような、たとえば内申書の偽造、書き換えなど、事件があるにはあったが、日常茶飯に横行するほどではない。裏口入学的買収もそうそうない。しかし、家庭の経済力が成績の善し悪しに大きな影響を与えている構造そのものは、カンボジアとかわりはない。日本において、塾にいける子といけない子との差は、歴然としている。「生きる力」の2側面など頭から無視してただ「確かな学力」の向上、それも「発展的内容」を求めて塾にいかせる。塾にいけない子どもは取り残される。ここに、「いや、遺伝も考えなければならないのではないか」という声もでてきそうであるが、そんなことはない。学問的優秀性を受け継いだ子どもであればあるほど、塾へいかせるからである。私立にどうしても入学させたい保護者はカネを積む。早稲田の初等部にも寄附金という名のカネを積んでいる。合法か非合法かの違いに過ぎない。とすると、教育はカネ次第である。カンボジアの教育実態を日本は非難することはできない(5/8)

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最近、「自己責任」について考えるところがある。それは教員としての立場からの「自己責任」であるが、「教採に受かる、受からないは、自己責任じゃないのか」、というものである。まさか、授業だけ受けていれば合格すると考えている方はいないと思われるが、なんでもくれくれと、あまりに教員に頼り過ぎるのもいかがなものかと思われる。基本的に勉強は一人でするものと考えているワタクシは、どうやら、コトを甘く考えている学生には「受け」が悪いらしい。教員が学生の意欲向上を願い一生懸命に教材を研究するとか、多くの知識を与えようと案を練るとか、それは当然のことであろう(決してエラソウにはいえないが)。そして、授業の反省は常に必要である。しかし、小学生や中学生ではなく、人生かかっている20代〜30ン歳の教採受験生に、意欲の喚起などといってガンガンとやかくいうのは、ひょっとすれば、学生にとって、はた迷惑なのではなかろうかと感じている。そこは学生を信頼するべきであろう。また、どれだけの知識を学生に定着させたかどうかなどは、教員に関係が無いのではなかろうか。憶えるのは学生の仕事である。そんなところまで面倒は見切れない。吸収するだけ吸収して、教員をカラカラに干すほど、知識や知恵を得てナンボであると考える。学生にあっては、それが主体的に学ぶということであろう。まして、大学に来てまで寝ていたり、教科書を忘れてきたり、遅刻してきたり、そんないわば基本的なことについて、叱ったり文句いったりするのは、もうしんどくなってきた。ちくっと叱るようないい方も止めよう。そんなふうに気持ちを新たにしている風薫る皐月である。ちょっとニヒルかもしれないけどね(5/7)

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文科省の調査によれば、長期欠席者の3割に相当する13900人余の児童生徒に、学校はタッチできていないらしい。この長期欠席者は、いうまでもなく不登校児童生徒を指す。文科省は、「何らかの心理的、情緒的、身体的あるいは社会的要因・背景により、登校しないあるいは登校したくともできない状況にあるため年間30日以上欠席した者のうち、病気や経済的な理由による者を除いたもの」と不登校児童生徒を定義しているからである。それにしても全く会わないというか、会えないというか、いずれにせよ尋常な事態ではない。朝日新聞の報告によれば、「(文科省の調査)結果によると、(2004年)3月1日現在で学校を30日以上連続して休んでいる子どもは1万3591校に4万9352人いた。このうち28.2%にあたる1万3902人に学級担任やスクールカウンセラーなど教職員が直接会えていなかった。このうち3890人については保護者にも会えず、9945人は児童相談所など学校以外の機関の職員も接触できていなかった」のである。不登校児童生徒を社会的自立に向けて支援することこそが教員の役割であるにもかかわらず、彼らに登校刺激を与えるどころか、保護者にも面談していない。この事態は、一方的に教員に非があるわけではない。だが、たとえば教員とカウンセラーと相談所職員がタッグを組み特別編成チームを組織してがんばってみる価値はある。どこまでそうした「教育」に携わる関係者たちが不登校問題を解決できるか心細いけれども、その前提に、保護者の協力は、是非とも必要である。しかしそれも3890という数字をみれば空しくなる。保護者も保護者で苦しんでいる。「教育」に携わる関係者たちと保護者のボタンの掛け違いが、児童生徒を苦しみの淵に追いやっているのであろう。高齢者を社会的に支援する組織があり、若者が高齢者に歩み寄ろうとしている。介護保健も充実すべく計画されている。その保険料は40歳以上からの徴収であるはずが、20歳以上のものに経済的負担を求めている。この際、学校不適応の「病理」に苦しむ児童生徒に対しても、社会的に支援する枠組みを作ってもいいのではないか。横浜戸塚の先生のように、精神的にも経済的にも学校不適応の被「病理」者にタイマンを張る存在がうかがえる一方、児童生徒を思いやる自主性を特別編成チームに求めても埒があかないとすれば、青少年支援基金を設立してそれを財源に学校病理現象一般の解決に充ててもよかろう。21世紀は義務教育が公共性を失う危機にある。政府がエリート教育に力を注ぐだけでなく、教育の公共性を保障しようとするなら、教育予算削減をやめ、逆にゆくゆくあがる消費税をその基金の原資としても、国民は許すのではないか。なぜなら、将来社会を担う若者の健やかな成長に反対する国民などいないからである(5/6)

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長い方だと11連休らしいですね。ワタクシも人並みにGW休暇をいただきます。本日1日から5日までです。6日の早朝が、次回の更新になります。サイトはお休みですが、ちょっとしなければならないこともあり、連休中は結局どこにもいけません。みなさまも学習に精を出して下さいね(5/1)

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