日々旁午

2004


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ichiroでも連続試合安打が途切れることがあるわけですから、このサイトも途切れても不思議ではありません。でも、ちょっとだけでも書いておこうという気持ちが、どこかわからないところから湧きあがってきます。意識の底に毎日、このサイトのことがあります。自分のサイトが好きであることが、長くサイトを続けていける根拠なんですね。最近、といってももう1ヶ月経ちますが、ワタクシのとても好きなサイトが閉鎖されました。残念です。でも、「新たな出発」を求めてだそうです。閉鎖されたサイト運営者は、ご自身のサイトが嫌いになったわけではないようです。よかった、よかった。当サイトは「教員採用試験」にカテゴライズされています。しかしどうも違う方面からも参照多々あり、反応もあってうれしいかぎりです。いわゆる「テキストサイト」化してきたからでしょうね。いま流行りの「web log」とは自分では思っていないのですが、そういうふうに受け止められているふしもあります。さあ、さて、今後どのような運営をするべきか。このサイトをどんなふうに成長させていけばいいのか、苦しみながら考えてみることにします(6/10)

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指の先を針でつき刺し、プツッと血を浮かせる。それを頬に塗る。唇に塗る。健康体であることを親衛隊に示す知恵である。そうでもしないと適正な労働力とは認定されず銃殺される。強制労働に従事するユダヤ人女性の悲しい知恵である。ユダヤ人の集団に、ある盗みの嫌疑をかけ、親衛隊は見せしめのためにひとりのユダヤ人男性を射殺する。殺され地べたに突っ伏した死体を指差して、小さな子どもが「彼が盗んだのです」と犯人に仕立てて親衛隊に示す。それを誰もが咎めない。いや、よくいってくれたと思っているにちがいない。他の仲間が助かるからである。アウシュビッツの浴場に設置されたシャワーから、果たして湯が出るのか毒ガスが出るのか。慄く全裸のユダヤ女性たち。それまで貯めてきた全財産を擲って、自分の工場の労働力としてのユダヤ人1100人を、ナチの狂気と殺戮から救った。シンドラーのリストは命のリストであるといい、それ以外は死の淵にあるとタイピングしながら感激するアイザック。2人の乾杯は戦後もあったのであろうか。戦時の狂気と人間の愚かさ、そして人間愛がどういうものであるのかが全編に配合されている「シンドラーのリスト」をみて、深く考えさせられた。ラストでシンドラーが跪いて泣くシーン、その時のセリフは、涙を誘った。「この車を売り払っていれば、もう10人救えたのに」、「このバッチは金だから、2人は救えた」。ナチ党員でありつつユダヤ人1100人を救った「正義の人」、オスカー・シンドラー。その逃亡を静かに見守るところで、フィルムの大体は終了する。このフィルムは、ナチの酷い殺戮のシーンが随所にあるけれど、戦争の愚かさを余すところなくワタクシたちに伝えてくれる。スティーブン・スピルバーグの傑作である。これを学校の教材にすることは、ほぼ無理であろうけれも、合格した後、是非見てほしい(6/9)

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長崎の同級生殺人事件について、週刊誌も含め報道各社は多彩な見解を示している。週刊誌系は、かなりに不安をあおるような格好で記事化している。新聞は努めて冷静に書いてはいるが、加害女子児童のサイトについて詳細に報告しているものもある。果たしてこの事件は特殊な例ではなく、どこででも、誰にでも起こる事件なのであろうか。もしそうなら、情報教育や「心の教育」を何度も何度もやり直すほかないが、その手の対策をいくら学校が講じても、こう事件が頻発しては効果がないのかもしれないと恐れている。かなりの確率で家庭に責任があるのであろう。「教育や人格形成の最終責任は家庭にある」と文部科学省はいい切っている。学校はどこまで手を打てば、その責任を果たしたことになるのであろうか。先日、ワタクシもこの事件について、簡単に書いたけれども、報道が増えるにつれて、リカちゃんハウスを作るような、そんな生易しいものではないなあと思い返している。接見した弁護士の話を、新聞やテレビからつなぎ合わせて事件を知るほかできないワタクシであるが、加害女子児童の性行はワタクシの想像を絶するものであった。実際、鑑別捜査において付添人が一度取り下げられた精神鑑定を請求し直すなど、全貌解明までは程遠い。加害女子児童が運営していたサイトには、「紫魔術」のコーナーがあったり、自家版「バトル・ロワイヤル」があったり、かなりの「偏向」を感じさせるものがある。彼女のダークサイドが表現され切っているサイトなのであろう。そこまで彼女を追い込んだのはなんだったのか。1つは彼女を巡る社会的環境≒家庭環境であろう。保護者の、とりわけ母親との精神的な分離が事件の引き金になっているのは、各紙が指摘しているところである。そのトリガーに、痩身願望を切って捨てるような「悪口」が圧をかけたのであろうか。本当にそのことだけだったのであろうか。加害女子児童本人の口から何が語られるのか、耳を覆っていたい心境である。さて、心配なことが2つある。彼女の所属していた小6クラスの担任の先生、それに、御手洗さんの所属していた1年前の小5クラスの担任の先生である。休みをとっていることからわかるように、先生方にもかなりの動揺があることは容易に想像できよう。「教室に足が向かない」心情は理解できるが、すべてがすべて先生方の責任ではない。あまりにも、ご自身を追い込まれないようにしていただきたい。長崎県緊急対策会議は県内の校長を集めディスカッションしているようである。決して後手後手の対策ばかり長崎はやってきたわけではない。1年前の事件以来相当に苦心し、「心の教育」を実践されてきたはずである。さらなる効果ある手立てが生まれるよう期待する。もう1つは、『バトル・ロワイヤル』についてである。確かに今回の事件は、殺し合いの描写がふんだんにある小説が引き金であったかもしれない。しかし、だからといって、『バトル・ロワイヤル』の作者をつるし上げたり、出版禁止したり、同様の作品を書くことを規制したりしてはならない。そんなことをすれば、文芸の発達は止まる。いわゆるエログロナンセンスの世界であろうと、それを規制することから独裁がはじまるということが歴史の教訓であることを、ワタクシたちはよく知っている。要は受け手の問題といえる。小学生の発達段階に応じる情報規制策は制度上できたとしても、その制度的規制は必ずザル規制になる。情報社会の発展は、ウィニーの件をみても即日後継者があらわれているように、止まるところがない。小学生でも、大人顔負けの知識と技術と「裏」を発見している場合もよくあるからである。年齢的な規制はかけられないし、かけても抜け道を見出すのが「興味・関心」をもつものの本能である。だからこそ、そうした規制に関しても、家庭の教育力に頼るほかないと文科省はいっているのではなかろうか。情報の「影」の部分の克服は、すでに高度情報社会の坩堝にある児童生徒にとっては極めて難しい主体的な克服課題であるというほかない。高度情報社会以前の社会、たとえばケータイのない社会に生きてきた経験をもつワタクシたち大人の想像外の苦しみを、あるいは児童生徒はすでに背負っているのかもしれない(6/8)

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本日は、久しぶりにコンテンツらしいコンテンツを更新しました。中教審キーワードです。けれども、学習指導要領の一部改正版の問題をアップする前に、更新すべきでした。なぜなら、この答申は、指導要領改正の提言をしている答申だからです。すでに一部改正学習指導要領が昨年12月に出ておりますので、この答申そのものが問題化されることはほぼないと思われます。この答申よりも、次にアップしようと考えている「地域運営学校」答申、「食育」答申の方が出題率高いでしょう。また、アンケートも新設しました。こちらは、論作文の添削について、いろんな方からいろんなことをいわれまして、みなさまにお尋ねしようと思った次第です。よろしくご協力ください。いま、日曜の深夜(月曜早朝)なんですけど、このあいだ撮っておいた「シンドラーのリスト」をみています。何ともいえない気持ちになっています。ゲットーとは。ナチとは。暴力とは。人間とは。いろいろ考えさせるフィルムです(6/7)

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大阪は雨が降るとの予報でしたが、一日もったようでした。本日は更新お休みいたします。なお、第4回定期勉強会のオブザーブも枠が埋まりました。キャンセル待ちのご応募をお待ちしております(6/6)

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昨年12月、学習指導要領が一部改正され、小学校や中学校において学習内容の習熟の程度に応じた指導を導入してもよいと明記された。また、これは平成元年以来ではあるが、引き続いてティーム・ティーチングも指導方法の工夫の一環として盛り込まれている。このように指導方法や指導体制の改善工夫を各学校に求める政府文部科学省であるが、習熟度別については効果があることが確認されたようである。胸をなでおろした格好である。だが、ティーム・ティーチングには効果がないことが実証された。ここを確認されたい。指導要領では「教師の協力的な指導」と記されているティーム・ティーチングであり、そして、その指導効果に信頼を寄せられていただけにショックであろう。ティーム・ティーチングの活用には2つある。1つは、学習成果をあげるため、個々の児童生徒が躓いているところを「個に応ずる」形で活用する。もう1つは、いわば学級崩壊対策である。1人の先生では学級運営が難しい場合に、指導者複数制をもって対応するわけである。学習効果を求める体制としては導入効果がないが、まだまだティーム・ティーチングは捨て去ることはできなさそうである。複数の教員の指導思想を一致させるのが難しいから、「個に応ずる」形でのティーム・ティーチング活用は止めればいい。しかし集団教育における「しつけ」指導では効果を発揮するにちがいない。大阪市は、今春から、すべての小学校を習熟度別学級に再編制すべく奮闘している最中である。この試みは大阪市の大英断であった。そのことが証明された。今回の調査結果がそれを物語っている。市のパースペクティブ、適確な判断に敬意を払いたい(6/5)

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ウソにウソを塗り込めた年金制度改革関連法案が、参院の厚生労働委員会を通過してしまった。しかも強行採決であった。民主党新党首岡田氏もよくよく指摘するように、ごまかしや欠陥の多い法案である。2025年までに必ず何度も見直しがあり、年金給付水準は30lそこそこ、あるいはクォーター年金になるだろう。こんな国民を愚弄する年金に強制加入させられるとは不幸である。日本が民主主義の国ならば、年金に加入しない選択肢も用意してもいいのではなかろうか。中国特需で静かに株式市場を賑やかせている程度の景気である。生活実感として国民は豊かさを感じていないといえる。こんな低成長の時代に、行き先不安を感じつつ、同時に、国会議員の未納をテレビで視聴しつつ、国家的簒奪のマトとなっているブロイラーたる国民。役人の「小遣い」を無尽蔵に生み出す機構となる、こんな変な年金制度が存在するのは一体なぜか。その理由は、日本に民主主義などないということにある。21世紀になっても、ワタクシたちは自己決定権を持たないのである。持てないのである。きよし議員のように、国会で質問できる身分はまだましである。憤懣やる方ない国民は年金制度空洞化を肴に酒を呑むほかない。ところで、議員としての国会最終質問ができなかったことを悔やんでいるきよし氏であるが、ある報道によると、彼も未納議員の列に加えられているようである。小さなことからコツコツとやっていきたいといった初心は、政治行動としては貫徹したのかもしれない。だが、社会人としてはその責任を果たしていないといえる。おそらく国民年金制度は、厚生年金制度と統合され、サラリーマンのフトコロ頼みとなるであろう。そうなれば、ボーナスからも天引きされるようになっただけでは済まなくなる。厚生年金の議論に必ず躓きがあらわれる。合法的といい切るのに恥ずかしさを感じるような機構を使って、企業と国民からカネを巻き上げる国家は、ヤクザ組織と相似形をなしつつある。社会保険庁の高級幹部が何やらしょっぴかれる事件をワタクシたちは忘れていない(6/4)

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徐々にどのような動機から殺めてしまったのかがわかってきた長崎の女子児童同級生殺害事件である。容疑女子児童の運営するサイトの掲示板に、被害女子児童が悪口を書いたようである。その書き込み内容がどのようなものか、ワタクシはその掲示板にアクセスして確認したわけではない。しかし、TV報道などによると、容疑女子児童の「容姿」について被害女子児童が書き込んだことが伝えられており、この殺人事件の発端が「些細な」書き込みにあったことがわかってきている。世の女性なら、だれでもそうだけれども、自分のことをインターネット上で、たとえば「ブス」などと書かれれば憤慨するだろう。インターネットの掲示板は匿名性強く、剥き出しの本音が飛び交う。だが今回の事件には匿名性がない。匿名性がないこと、個人が特定されるのに「容姿」の「悪口」を書くことができたのはなぜなのであろうか。日常の学校生活における良好な人間関係形成の不成立が、掲示板にあらわれたのであろうか。サイトというのは、結構、自分の世界を晒すものであり、自分のサイトを愛せば愛するほど、完結した美しい自己の世界を作り、それを発信したいと思うものである。かわいらしいアイコンやらなんやらを切り張りして自分のお家を構築し発信するのは、11歳のオンナノコであるから魅力的な作業であろう。ホームページというように、そこは「ホーム」なのである。自分自身の分身であるリカちゃん人形を、自慢のお家に飾る。そういう感覚からすれば、自分のサイトという神聖な世界を「汚された」と容疑女子児童は思ったのではなかろうか。それが、「最初の悪口の書き込みから殺意を感じた」という言葉にあらわれているとワタクシは考える。人は、「最初」から殺意など他者に対して抱くものではないからである。バトルロワイヤルに触発されて「殺し合え」と校内放送がかかる教育的世相であるが、現実にこんな悲しい事件が起こるとは。被害女子児童の保護者御手洗さんの胸中を思うといたたまれない。同じ名字である文部科学省事務次官は、どのように感じておられるのであろうか(6/3)

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本日は更新お休みします。明日の出張に備えてイロイロ準備しています。すいません。ところで、ただただ、長崎の女子児童同級生殺害事件は悲しい限りです。何がどうなっているのか、捜査の行方を待つよりほかありませんね(6/2)

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早々に第4回勉強会への参加表明いただいた方々、ありがとうございました。回を追うごとに充実した内容になってきていると思います。29日に書いていただいたアンケートには、おおむね期待していた回答が寄せられていました。開催回数は月一が妥当であるということや、開催時間帯についてもちょうどよいということでした。しかし、「もっと厳しい批評を」との声があるのも事実でして、このあたり検討の余地がありそうです。さすがに、のぞんで勉強会に参加されているだけあって、学びへの意欲があり、弱点や欠点を鋭くえぐってほしいというマゾ(?)的なご意見もわかるところです。しかし、実際、レベル高いんですよ。本番の集団討論とは比べものにならないくらい内容の密度もあり、実りもある討論が行なわれているというのが、率直な感想です。本番ではめったにお目に掛かれない討論でしょう。それゆえに、評価を担当するワタクシやゲストも、なにが足りていないのかを示す程度にとどまらざるを得ないのです。個人に対するコメントも、あかんところはあかん、といっているのですけれど、それもあまりありません。でも、批評において参加者に対し言葉を緩めたことはないですよ。問題は「地雷対策」でしょうか。こう書けば、わかる人はわかると思いますが、えんえんと話まくる、学校批判をこれでもかと続けるなど、突拍子もない方と同じ集団になるケースも本番ではあるわけでして、お互い高めあうミックスアップの討論ばかりではなく、引っ掻き回されて沈没する集団もあるわけです。それは、集団面接を入社試験に採用しているとある企業の人事担当者もいっているところです。すなわち、ひとり「変な」受験者がいると、その集団に対する印象が低下し、全員×になることが往々にしてある、というのです。このあたり、人生がかかった勝負ですから、なんとか手立てを考えなければなりませんね。さて、第4回ですが、1次試験の集団面接対策を実施したいと考えています。なにしろ、1次試験直前ですから、集団討論はまた第5回で実施しましょう。今回は朝までに20人ほどの申し込み者があり、正規の募集は終了しました。しかし、見学(オブザーブ)は受け付けています。この会合がどのような雰囲気なのか味わってみてください。私は女性で一人で参加はちょっと恐いとか、会ったこともないのに電話番号書くのはちょっととか、参加したいけど自信がないとか、いろいろな理由から「足踏み」されている方もいらっしゃることでしょう。気軽に一度のぞかれてみませんか。真剣に教員を目指す方々が集まってきています。ご自分が「どのくらいの温度のお風呂に入っているか」わかりますよ。現役の先生からコメントいただけるのも、この会合の特色です。次回は大阪府小学校の先生に来ていただく予定です。昨年夏のこの会合には、受験者の立場で参加され、昨秋合格された先生です。なお、模擬授業が課されている自治体受験者の方で、8月の勉強会に参加したいと考えていらっしゃる方、メールいただけますでしょうか。お願いいたします。さあもう6月ですね、ラストスパートです(6/1)

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