日々旁午

2016


■あす、あさっては、当サイト主宰勉強会を開催します。ご参加のみなさま、よろしくお願いいたします。
 あす11日の土曜は、通常通りの勉強会内容です。個人面接練習を多様な方式から選んでいただいて実施するものです。
 あさって12日の日曜は、上にも紹介していますように、毎年恒例の教職教養1次マークシート対策講座を開催します。もう13年開催しているこの講座、今年も満席になってホッとしています。ただ、小さな部屋での満席ですので、往年に比べれば、規模縮小しました。それでも継続して良質な講座を開催することは、ワタシのライフワークでありまして、今期も懸命に問題作成いたしました。
 みなさまよろしくお願いします。
◆満席になりました。みなさま、お申し込みありがとうございました◆
◆全国共通教職教養1次予想対策演習
◆使用資料は問題数12問、A4版68頁

▼以降は、資料郵送のみ、承ります。(4000円)
▼過去の問題の一例です。
June 10,2016
■江戸時代の商人は、どれだけ防盗的努力をしても、鼠小僧にやられる始末である。戸締りが簡単な仕組みであるから、家屋敷に侵入することは、鼠小僧でなくとも朝飯前の盗賊が多かっただろう。なにしろアルソックはない。
 いってみれば、家屋敷の鍵は、「つっかえ棒」でしかない。その意味では、最大の鍵は「見張り番」ということになるかもしれない。当然そんな豪華な「寝ずの番」は、長屋暮らしの庶民には無理であって、「見張り番」を立てられるのは、大名家あるいは金満商人くらいだろう。また、そうしたところにしか大金はない。鼠小僧の狙う対象は相場が決まっている。
 ほぼあけっぴろげの屋敷に、あるいは簡単な鍵がついた蔵に、銭函が眠っている。銭函は千両箱ともいわれ、小判を保管する函(箱)である。銀行などない近世の人びとにあっては、これを使うことが、資産を暴力から守る唯一の方法であっただろう。盗賊対策が銭函の発達をもたらしたといえる。
 銭函に付けられる鍵も、おおよそ現代のロックに比較すれば、くらべものにならないくらい簡単な構造である。現代のものとでは、開閉の難易度に、100万倍以上の差があるだろう。ひょっとすれば、近世の人びとは、気休め的にこんな鍵を付けていたのかも知れない。百聞は一見に如かず、写真を見れば分かる。

 少し時代が下り、鍵も進化して、以下のようなものになる。これで、昭和初期だろうか。鍵穴のところに真鍮金具が嵌め込まれている。こうした技術は近世にはない。

 このように、銭函の鍵は全国共通なのではないかというぐらい簡単に作られている。とにかく合い鍵のギザギザの山が2つとか、3つとかであり、盗賊たちにすれば、よく似た合い鍵を何個か別に持っていれば、カチャカチャしているうちに開けてしまうにちがいない。もちろん銭函を人気のないところにまで運搬したあとのことである。
 近世の人びとは、ことほどかような鍵を付け、枕を低くして寝ていたわけである。ただ、盗むほうは盗むほうで超真剣である。「縛につけ」、みつかって捕らえられれば、死罪は免れない。火付盗賊改めのお仕置きは、究極極刑しか下さない。
 翻って現代人の銭函に対する感想は、単純に「飾りの付いた木箱」といったところだろうか。飾りもそそる要素ではあるが、銭函の魅力は、密閉しているというところにあると考える。文字通り銭函は、お金を入れる容器であり、現代でいう金庫にあたる。だがまさか、木箱たる銭函に、お金をいれて保管する現代人はいない。あって、通帳か印鑑を収めるくらいのものだろう。多くは部屋の飾りとしてその存在を愛するくらいであり、日々の生活用品とか、こまごました趣味のものとかを収納するくらいだろう。ワタシもその一人である。入れるお金はもちろんない。
 銭函とのはじめての出会いは、とある骨董店であった。そもそも袋物、カバンが好きなワタシは、「何かを入れられるもの」に興味をそそられるので、はじめて銭函を見た瞬間から虜になった。何十年も使われた銭函は、あるいは手垢がつき、あるいは四隅が削られていて、生活民具としての魅力を振り撒いていた。先に密閉と書いたけれども、当時の人びとの苦心が発見される細工がある。銭函の蓋である。蓋には2本のライン的な木が打ちつけられており、銭函本体に引っかかるように作製されている。本体内側にライン的な木を差し込むと表現すればいいであろうか。

 大きさはどうだろうか。おそらく防盗目的を果たすため、「大の男が抱えてギリギリ運べる大きさと重さ」が基準ではなかろうか。 イメージしていただくとすれば、たて30cm、よこ30cm、奥行40cmの立方体を描いてほしい。銭函を組む木の厚みは2cmほどであろうか。カラなら重ねて片手で何個か持てるけれども、小判がいっぱい詰まっていれば相当な重さになる。大きさは思案のしどころであったであろう。

 立方体のすべてを釘で打ってしまえば開けることができない。上蓋は「よこ」×「奥行」の面積になるが、これをまっぷたつにする。すると、上の数値からいえば、厚み2cmの、15cm×20cmの板2枚になる。その片方は銭函本体に釘付けする。残された1枚が大切なのである。残された板が上蓋になり、本体から分離する唯一の部品となる。これも、文章で説明するのは骨が折れる。「あ〜、そういうことか」と思っていただくために、こちらも写真を添付しよう。

 銭函の材料は、欅、桐、杉、栗などいろいろである。桐はあまりない。また、一枚板で組み立てられるケースが多く、突き板仕様のものをワタシは見たことがない。密閉化するための鉄金具は、装飾と防盗目的に誂えられている。なかには凝った鉄金具もある。木目に這わせた鉄金具同士を縛る形で鍵がかけられる。
 欅の銭函は、杢が美しく出ているのがあり、当時のまま毀損がほぼなく現存し、美的鑑賞に堪えうるものならば、かなりの値段がつく。「あら、これ、いいじゃない」と感想を持つ銭函ならば、5万円から10万円前後だろう。審美性と時代賃がとられるわけである。

 銭函は、ここで以前に紹介した船箪笥と違って、ほとんど「移動」がないと推測する。船箪笥ならば貴重品入れとして海上を行ったり来たりし、錆も浮く。だが、銭函は多少の「移動」はあってもその滞在の多くの時間は陸上である。錆がまわるのにかなりかかる。目的は長期保管にあり、一定の場所に安定的に眠らせるものなのである。
 なお、銭函は、船に1つか2つ積んで事の足りる船箪笥とちがい、かなりの数が用意されなければならない。山吹色の小判がザクザクある商家なら、50箱や100箱では済まないだろう。そうした意味では、大量生産品といえる。量産品の味気なさは現代にも通ずる魅力のなさである。そこで、量産品であったとしても、愛好家は多少の色気がある銭函を探すことになる。
 木目の豊かさ、鉄金具の造型、銭を入れる穴の細工、太鼓鋲の均等的配置、隠し箱の存在、時代なりの精巧かつ複雑な構造の鍵、などであろうか。「銭を入れる穴」とは、いまでいえば貯金箱の硬貨投入口であるけれども、銭函では直径3cmから5cmくらいある。鍵がかけられたまま、小判や銀貨、銅貨をチャリーンと入れるのは、いまと通ずる人間の行為であろう。

 ところで、ワタシは銭函を4つ持っている。どれも安価なものだが、愛着がある。10年くらい前に買った銭函は、いまもなお現役で、ワタシの小物類を守ってくれている。上で何枚も写真を紹介している銭函である。簡易な構造の錆び付いた鍵(上から2枚目の写真参照)を附属させている。おそらく本体と鍵は時代が異なり、鍵は後で間に合わせたものであろう。そんな一品だが、おそらくワタシの見立てだと、プチブルジョアジーの保有品であると思われる。近世ではなく、あって大正だろうと思う。骨董品の時代確定はとても難しく、墨書きがあれば別だが、なにもなければ「明治・大正の品」というようにしか表記できない。これでもおよそ60年の幅がある。
 銭函は、金融資本主義社会ないし産業資本主義社会の到来とともにその使命を果たし、徐々に消えていった。金貨の預け先が企業として登場すれば、もはや多くの銭函を個人が用意し、埋蔵する必要はなくなる道理である。
 なお、銭函は金庫ではない。金庫は1軒に1個あれば、おおよそ事足りる。だが銭函は数を揃えなければならない。そこが根本的に違う。数多くの木箱を用意する近世社会から、ひとつの鉄製あるいは合金製の金庫で用が済む現代社会へ。いまでは通帳という紙の上の数字が、お金の価値を示すようになった。
 消えゆくものに哀愁と愛着と美を感じるワタシにとって、銭函は、925の銀製品とともに、コレクトの対象である。ただ、問題が1つある。銭函は、先に大きさを示した通り、ちょいと大きい。たて30cm、よこ30cm、奥行40cmが標準形態だと思うけれども、規格外だと奥行50cmとか、よこ40cmのものもある。何個も何個も購入すれば、保管場所がなくなるのである。それでも銭函は、いわゆる美術品、骨董品だから、目に触れるところになければ意味がない。床の間に掛けない掛け軸くらいもったいないものはないが、それと同じで、愛でない銭函もかわいそうである。死蔵するくらいなら、愛でてくれる誰かにバトンタッチしたほうがいい。
 銭函コレクターには、買うこと、愛でること、そしてなによりも、その設計の思想からして、保管用具として、生活品として日常において活用することが期待されているといえよう。
 次に銭函のことを書くとすれば、自作の銭函についてにしようと思う。日曜大工ならぬ「火曜大工」が、束の間の楽しみである「浩の教室」主宰者である。

June 9,2016
■先週末は当サイト主宰勉強会にご参加くださいましてありがとうございました。土日ともに盛況のうちに終了いたしました。
 土曜日は、奈良、愛知、福岡、兵庫の方がお集まりになり、それゆえに集団面接を久しぶりに実施いたしました。久しぶりで大丈夫かなと面接官役の自分を心配していましたが、なんとかつとめることができました。また、それぞれの方に、コメントをつけることができました。4名の方で20分少し。コメントあわせれば1時間以上お話したでしょうか。集団面接は、比較対象が存在し、それゆえに他者比較がすぐにできます。傍聴している受講生も、応答の仕方についてや内容について、思うところがあったのではないでしょうか。今後も試験に集団面接が設定されている人たちが集まった場合は、開催を考えるべきでしょう。
 ワタシがみましたところ、集団面接で、教職教養の知識が生かされていないのが不満でした。
 土曜はこのほか、個人面接を実施しました。いつものように、単独型、単独掘下型、エントリーシート集中型、です。
 日曜は、個人面接ばかりとなりました。さすがにこの時期、みなさんの仕上がりも上々でした。
 新規にご参加いただいた方もいらっしゃいました。いかがだったでしょうか。なんといっても、教採の合格は、面接ができるかどうかです。マークシートもそれはそれで難しいものですけれども、懸命にやれば得点できます。でも、人物系の試験は、それなりに準備していなければできないものです。
 みなさま、がんばってくださいね。
June 6,2016
■あす、あさっては、当サイト主宰勉強会を開催いたします。お申し込みいただいたみなさまには、すでにご案内を差し上げています。ご確認ください。
 上記の1次予想対策演習の問題が仕上がりました。楽しみにしてください。また、今年の問題ではありませんが、過去の問題の一例をアップしました。参考までにどうぞご覧ください。
June 3,2016
■身体が悲鳴を挙げて、躊躇なく整骨院の予約をとったのは、皐月の晦日、昨日のことであった。首回り、肩、腰と、もう起き上がれないくらいに痛みを感じ、ケチなワタクシがマッサージにお金を払ってもいいから僧帽筋を砕いてほしいと思った。
 なにしろ起きている間中、PCとにらめっこしているか資料に目を落としているので、眼底の疲れが僧帽にまわり、PCに向かう姿勢から腰にプレッシャーがかかり、整骨院行きとなったわけである。
 オーバーワークといえば、オーバーワーク。出張の次の日が勉強会でその次の日から大学というのでは、こうもなろう。どこにもいかない休みの日は資料作成に汗水垂らしているのだから、睡眠も削られる。
 焦点距離を調節した緩い眼鏡も使っているが、気休めにしかならない。おかげでサングラスといつもの眼鏡というように、都合3つも持ち歩くことになっている。しかし、これくらい自分をいじめないと乗り切れない精神状態なので、がんばっている。金曜日に整骨院の予約がとれたのが一筋の光である。ちょっと、通うことになる水無月のはじまりである。
June 1,2016

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