日々旁午

2004


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21日は、大阪府では2次試験が実施されます。全力を尽くしてください。応援しています/昼頃から本日は一日中サイトの「お手入れ」をしておりました。すでにお気付きのことと思われますが、CGIを活用したメールフォームや掲示板を新たに、設置いたしました。CGIについては、自分でするのは、なにもかもはじめてでして、かなり手間取りました。なにかOGI本を買ってきて勉強するのが本道なのでしょうけれど、いろんなサイトを見て回って、なんとか設置に漕ぎ着けました。当サイトがお借りしているサーバー会社の担当の方にも大変協力していただきました。お名前はここに書けませんけれど、ホントにありがとうございました。いままで、無料の掲示板を利用していたので否応なくバナーがありましたが、それも今回の移行と今後の変更で問題解消するでしょう。しばらくの間は、掲示板「うしろのこくばん」は、新旧両方をリンクし、時をみて完全移行したいと思っております。すでに試験的に運用していますけれども、No.1「テスト中」のワタクシの書き込みに、「書き込みしていただければ、その書かれた内容のコピーがみなさまのメールソフトに届く手はずになっております」というのは、メールフォームや論作文フォーム、勉強会フォームにあてはまり、掲示板では、いまのところその「手はず」にできておりません。間違えてしまいました。すいません。そのほか、アクセス解析の必要性からi-modeには広告が出るのですけれど、それがいわゆる「18禁」のものでして、仕方なく使っていました。何が広告に配信されるのか選べないのです。これも近いうちに解決します。右のアンケートも自前のモノにできそうです。いままで指をくわえて見ていただけのCGIを、縦横無尽に使えるよう、おくればせながら勉強します/26日、および30日の勉強会ご案内メールを本日差し上げる予定です。参加申込みされたみなさま、ご返信よろしくお願いいたします。なお、9月以降も少し開催してほしいという要望をいただいています。もし多数希望ありましたら平日開催ですが、実施したいと検討しています。ご意見ありましたら、「新しく設置したメールフォーム」からお願いいたします(8/20)

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同じ飛行機会社を利用し、飛んだ距離数をICカードに記録する。その数字に応じ、なにかプレゼントがあったり、次回のフライトの割引に使用する。これをマイレージ制という。お客の囲い込みを図るうえで有効な方策であろう。料金単価は下げなくとも実質的に安くなり、利用者もウレシイ。カード導入をうまく使えば、会社は税金対策にもなるだろう。マイレージ制は利潤追求をめざす企業が導入した場合、メリットが大きい。だが、このマイレージ制は、大学にはそぐわないような気がする。大学が外発的動機づけをするとは悲しい。悲し過ぎる。成績をポイント制にして、学生の学習意欲を高める算段なのであるが、もともと学ぶ意志がないのなら、大学になど無理に通わなくていいのではなかろうか。朝日新聞によると、「点数は、学業成績の『基本ポイント』と、課外活動の『付加ポイント』の二本立て。基本ポイントは、科目ごとの5段階評価(0〜4ポイント)に単位数をかけて計算する。付加されるポイントは、英検2級5ポイント、学内行事ヘルパー5〜25ポイント、クラブ活動全国大会出場15〜40ポイント、学生会役員10〜20ポイントなど」だそうである。しかも、「特典には、米国への約2週間の自主研修旅行の航空券とホテル代(1000ポイント)、東京ディズニーランド研修の新幹線とホテル代(700ポイント)、定食券30枚つづり(200ポイント)など」らしい。そのうち「入学式をディズニーランドで」が大学案内パンフレットに記載されるのも、近い将来のことなんだろう。なんだか、小学生みたいである。そこまでしなくては、きょうびの学生が勉強しないのか、それとも、そこまでしないと大学の経営が危ういのか。これなら関西国際大学は、生涯学習大学または社会人大学の看板を掲げた方が合理的だろう。マイレージ制の導入と引き換えに、「自ら学び、自ら考える力」たる魂を、悪魔に売り渡す試みである。初等中等教育ですら、マイレージ制やポイント制を「まだ」導入していないのである。小学校で夏の自由研究の成果に「よくできました」の「おさるさんやパンダのラバーハンコ」を与えるのは、外発的動機づけをなんとか内発意欲に転換したいゆえである。最高学府である大学がマイレージ制にするのは、こうした小中の在り方の改悪版であって、大学の品格を低下させる仕儀というほかない。大学は、卒業生がポイントをくれる企業にしか就職しないという悪夢をみるやもしれない/本日より、CGIの導入を試験的に行っています。それゆえ、リンク先が表示されないページがありますが、気にされないでください。そのうち完全な状態にしてから公開いたします。現状ではサイト閲覧に全く問題ありません。よろしくお願いいたします(8/19)

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第9回、第10回勉強会は、ともに「満員御礼」となりました。現在、キャンセル待ちを受け付けております(8/18)

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さて難問である。義務教育費国庫補助の行方である。(参考にこのページをあげておくが、ワタクシは共産党員ではない。また、こちらのページもどうぞ)借金大国ニッポンが財政健全化をめざして、最近晴れて国会議員になったばかりの人のまとめた「骨太の方針」の実現に動いている。その中身を一言以って之を覆えば、「剥げるところは剥げ」である。政府は1.29を誤魔化し、社会保険庁のヤバイ取り引きと豪遊を黙認し、臭いモノにはフタをしつつ、金を本来かけなければならないところを節約する。政府は隠れ借金の存在も国民に告げず捨て置いている台所事情もあって、「政府もいろいろ」ということなのか。教育、年金、福祉、医療、土木など、公共領域のあらゆるディメンジョンで経費削減が必至の課題となっているのであるが、日本はエスタブリッシュメントがやりたいようにやりながらも、タテマエだけは福祉国家ではなかったのか。福祉領域の制度が崩される裏側には「自由」という名の「無責任」が張り付いている。これはどういうことなのか、ちょっと書いてみたい。現在の日本の精神的な気候は、「自己責任」を前線にしたがえた熱帯低気圧風である。自由あるいは権利は、自己責任を伴うものであるとよくいわれている。だがこれはある意味でマヤカシである。なんでもかんでも自己責任といってしまうと、法や規則、制度は意味をもたなくなる。セーフティネットがあってこその自己責任である。私有財産の保護は国家が国民から委託された責任であって、泥棒にはいられて「自己責任ですよ」といわれたら、夜警は必要なくなる道理である。交通法規も自己責任といってしまえば不必要だろう。教育制度においては、一昨日述べたように、市町村の好きにやってくれと自由を与えているように一見みえるが、そのかわり金は自前で用意せよと自己責任を要求しているに過ぎず、これは義務教育の国家責任放棄というほかない。義務教育「非」国庫補助ともなれば、地方間の格差は拡大するばかりであろう。ことは、退職金支給があるのかどうか教員がオロオロする次元ではなく、将来を支える児童生徒の問題である。「骨粗しょう症」に苦しむ方には誠に申し訳ないことではあるが、今の政府は「骨太」をめざしているようで、堅固な定礎なきビルを建設しているといえよう。まさに液状化である/勉強会を申し込まれた方の中に、この夏の1次に不合格であった方がいらっしゃいました。来年を見据えての始動、恐れ入るばかりです。「1次の失敗くらいで凹んでてどうする。命までとられへん。絶対先生になりたいんやろ、がんばらんかい」と、その苦しさを骨の髄まで知っているワタクシから、厳しさと愛情を込めて、ここに記します(8/17)

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26日(木)、30日(月)の勉強会の受付を開始しました。ふるってご参加ください。詳しくは、このページの下の要領をご参照ください。はじめての方もよろしくおねがいします。16日00:28現在、26日の第9回勉強会の申し込みは定員に達しましたので、募集を締めきらさせていただきました。また、30日の第10回勉強会の討論参加者は定員に達しましたので、現在オブザーブおよびキャンセル待ちを募集しています(8/16)

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義務教育の年限は、教育基本法が規定し、学校教育法がその目標を謳っている。その9年間の分割自由化が提言された。文科相案は、年限配分を市町村の自由裁量に任そうとしているのである。従来の6・3制を、あるところでは4・3・2制に、あるところでは5・4制にというように、勝手にやってよし、といっているのである。9年間の使い方に特色を持たせようと促すのであるから、そこに各学校の意向が反映され、様々なタイプの学校が乱れ咲くことになろう。非常に面白い。制度とは、いったん決定されれば未来永劫変わらないと、ワタクシたちは勘違いし、あきらめがちなものである。その制度がこんなにも簡単に変わろうとしている。文科相案にしたがえば、従来的な小学校と中学校の枠組みがなくなることさえも考えられよう。中教審の議論をスルーし、こうした制度改革が実現すれば、学習指導要領はどのような形になるのであろうか。要領の記述の中核たる教育課程編成方針は、児童生徒の年齢に応じて、無理やり区分けし、何を学ぶべきか強制しているものであるから、その存在意義すら消え失せる可能性がある。つまるところ制度の自由化は、教育課程の編成思想の時代錯誤を暴くことにもなるわけである。また、制度改革によって、校区の広域化も考えられよう。3つ、4つの小学校卒業生が1つの中学校に集まっていた従来方式がなくなるやもしれない。後期中等教育になれば、さらにそうした心配をしなければならなくなる。これを維持しようとすれば、市町村単位で年限分割を結束して設定し、いっぺんに従来の6・3制から新しい区分けの制度へと衣替えしなければ、制度にきしみがでてくるであろう。さらに別の角度からみると、、学校対抗のたとえば野球の試合などは、どのようになるのであろうか。6・3制の「3」の中学チームと、4・3・2制のうちの「3」のチームとの練習試合は、どのような結果になるのであろうか。思春期における1年のちがいは、身体の発達において、ことのほか大きいだろう。後者のチームは、従来の「5年生、6年生、中1生」で編成されるわけなのだから、コールドゲームを喫するばかりかもしれない。まあしかし、さすがにそうはならなくて、「4・3・2制選抜チーム」となるのであろう。このように市町村単位の年限弾力化は、いい意味でも悪い意味でも、理想の学校制度を求める上で、おおいなる可能性を秘めているといえる。後期中等教育との接続を考えた場合、数年後には、イギリスやドイツを模した「15歳試験」の導入もないとはいえない。前期中等教育までの多様性は、どこかでいちど総体的に濾過されなければ、無責任制度に陥ってしまうからである。すると、義務教育の卒業資格統一試験の登場もありうる。人間世界、どの分野でも関所はあるものである。あらゆる社会領域で、自由化は新たな関所を設けようとする。そしてその通行手形を発行する。高等教育選抜の共通1次試験もそうした意味で導入されていた。いままた15歳段階でそうした関所があらわれないとはかぎらない。してみると、自由は束縛をのぞみ、束縛は自由をのぞむという、SMを制度一般はもっているのであろう。学校教育制度もその例外ではなかった。ただ束縛からはじめて解放された学校制度が、どのような道を歩むのか。世界各国からモデルとされるほど、もう未成年状態ではない日本の学校制度は、大人としての道を歩めるのであろうか(8/15)

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ただいまCGIの本格的な導入を検討中です。掲示板やアンケートほか、論作文の申し込み、勉強会の申し込みも、かなり利便性が高まりそうです。来年度に向け、サイトの有用性がアップするよう再構築しようとがんばっています。ありがたいことにサイト訪問者が増えるにしたがい、たとえば掲示板を複数化し、大阪板、神奈川板などと専用スレッドを立てた方がいいと考えているからです。ただ、最近の「うしろのこくばん」を見てもらってもわかりますように、なかなかワタクシが返信することができず、申し訳なく感じていますが、掲示板を広げるとさらにそうした傾向が拡大してしまいかねません。諸刃の剣ですね(8/14)

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ひょっとすれば、当サイトをはじめてご覧になる方が、本日もいるかもしれません。場合によっては、失意の内にフラフラとこのサイトに寄っていただいた方かもしれません。教員への道は、ことのほか厳しいものです。フラフラとしながらもこのサイトに辿りつき、この文章を読まれている方々は、「挑戦」を忘れていない方でしょう。不合格がわかってすぐに来年を考えるのは酷なことかもしれません。でも、早いリスタートをするほかありません。なぜなら、「教員以外は考えていない」と、覚悟を決めている方だからこそ、このサイトに寄っていただいていると思われるからです。自分の敗因を分析するのは辛い仕事です。しかし、そこから次の一歩がはじまります。敗因がなかなかに見つけられない方もいるでしょう。だが、どこかにある。それを見出して解決すること、これが「自己指導能力」なのでしょう。さらにいえば、教採の面接でうまくいかなかったとしても、それは「人格否定」ではありません。「人格否定」を教育委員会の人々がするはずないでしょ。ただ、人間的な魅力をもっとしっかり表現できるようにしろということ、自分自身をもっともっと見つめ直してこいということを意味しているのではないでしょうか。総合点で1点に泣いた方も多いと思います。それを埋める努力を1年かけてしましょ。いつもいう言葉ですが、教職は人生を賭ける価値ある職業です。そこに就く覚悟と力量が身につけば、誰でも合格します。また、1次試験に合格されたみなさま、おめでとう。2次に向け、対策を練ってくださいね。1次試験は昨日書いたように波乱でした。その波乱含みの中、次に進めるのですから、是非、モノにしてください。ところでこの波乱によって、教員採用試験は総合評価であると改めて思い知らされた気分です。マークシート、集団面接、エントリーシートなど、すべてを「誠実に」府は判断しているのでしょう。ふぅ。しかし、論作文がないのは、客観的判定に欠かせない材料だけに問題を残しているといえるでしょう。面接のウエイトは高いと思われますが、その客観性はペーパー試験の60l程度ですからね。短時間の面接で、ホントにどこまで人物を見抜けるのか、疑心暗鬼です。とまあ、こうしたことを何度繰り返しても不毛ですので止めにします。2次の専門、人物重視の勉強、いろいろまだまだすることがあります。やってやりすぎることはないですよ。是非とも、チャンスを生かしてください(8/13)

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みなさま、ご無沙汰です。サイト開設以来、いちばん長い、「断りなき」不更新記録を樹立してしまいました。旁午読者の方から「更新されてませんけど、おからだ大丈夫ですか」と優しいメールをいただきました。ありがとうございます。大丈夫です。ここ1週間、いろんなことを考えさせられ、喜びあり、憤りありで、更新せなあかん、あかんと思いながら、ズルズル延びてしまっただけです。こうした不更新のケースから、サイトは運営終了になってしまうのかな、と、ふと心の中をよぎりました。本日は、いっぱい書くことがあります。まず、第8回勉強会の報告です。今回は、16名の参加者(男性6名、女性10名)を得ました。集団討論を3題いたしました。今回は、ちょっと特殊でして、討論を破壊する役回りをあえて担当していただく方を設け、議論をしたり、(結果的になのですけれど)問題発言となるようなことを思い切っていっていただいたりし、討論後の検討が非常に勉強になりました。第1のテーマは、「体罰は許されるという考え方の先生もいる一方、絶対だめであるとする先生もいる。みなさんはどう考えますか」でした。この討論では、受験生なら、基本的に「体罰は絶対に許されるものではない」との立場をとることが、本番での前提になるでしょうけれど、あえて討論参加者5人のうちのお2人の方に、体罰容認派を演じていただきました。結局、胸の奥に染み付いている「体罰はいけない」という非体罰思想が切り離せず、容認派もいつのまにか体罰否定派に押し切られて議論が終了したようです。無理を頼み演じていただいた方、ありがとうございました。結論がわかっている討論も、角度をかえてディベート方式にすると、違った「発見」を自分自身の中に見出すことができ、それなりに有意義であったと思われます。たとえば、いわゆる「恐い先生」の学校内における位置を考えることができたのも、こうした設定からでしょう。ピシッとして「恐い」先生、生活指導担当の先生は、「体罰」をふるうこともあるが、しかし、その先生が担当していた学年は他の学年よりザワツキがなく素晴らしかった、という意見もでました。「なめられる」教員が揃っている学校では生徒指導なんてできない、ということを裏から示した容認派役の方のご意見です。「愛情を込めた体罰」の意義も容認派からは当然出てきます。部活動指導でそうした経験を実際にされた方もいるでしょう。さらに、注意しても万引きを5回、6回と繰り返す生徒に対してビンタ一発あかんのか、といわれれば、討論において沈黙が生まれる可能性もありますね。万引きを止めない長男に熱湯をかけ死亡させてしまった昨日の虐待事件の発生は、こうした議論をしたワタクシたちに別の発想を抱かせているのではないかと思われます(この事件はちょっと他の要素があるような気がしてます。詳細は避けます)。そのほか、授業中にトイレに行かせないことは体罰なのか、そんなことでは指導なんてできんという指摘もありました。「授業中のトイレ」については、講師をされている方から実際のケースを多数報告していただきました。児童生徒に何かを「伝える」ということは、ほんとにほんとに難しいことです。そんな頭ではわかっていることを改めて議論できて有益でした。次に、「児童生徒に楽しいと思わせる学校生活を送らせるためには、どのような工夫をあなたがたはしますか。多様な方面から議論してください」というテーマでした。参加者が教科を同じくしていないので、それぞれの教科の指導法についての具体的な発表がつづきました。それは致し方のないところです。しかし、体験的な学習を取り入れようとする方法論の核心を、みなさんもっていらっしゃいました。議論の中で「生徒=お客さん」という発言を思い切っていってくださった方がいまして、そこから討論後の検討がいつになく深まりました。机の配置がいつもとちがったことも手伝って、議論は白熱しました。生徒を客と捉えれば、先生は迎合的にならざるをえません。また、「未熟」な生徒を指導する立場にある、あるいはサポートする立場にあるワタクシたちが、そんな弱腰でどうするのか、といった感覚も当然議論に提出されました。生徒を客とみなしていいのかどうか、本質的な議論に発展しました。この「生徒=お客さん」の議論だけで1時間近く話し合ったでしょうか。社会人経験を積まれた方からのご発言でしたので、「顧客満足度」の視点から語られたのです。先生をめざす若い方々が、あーでもない、こーでもないと議論されているのは、結論など度外視して、見守っているワタクシとしましてはことのほか嬉しかったですね。3番目のテーマは「新しい障害といわれるLD児やADHD児がクラスにいるとする。指導にあたって注意すべき点はどのようなことか、議論せよ」というものです。こうしたテーマは講師経験者、実際にLD児、ADHD児を担当された方が討論自体を引っ張っていくケースになりやすいです。予想通り討論の進行は、障害児担当経験者の発言量が多かったです。問題は、このような発言量の片よりが予想されるテーマに、未経験者がどこまで食い下がれるか、というところにあります。テーマの「LD児、ADHD児」のところに、他の言葉を代入すれば、そのことがわかります。たとえば「障害事件を起した生徒」であったり、「海の事故であるいは交通事故で両親をなくした児童」では、どのように討論ができるでしょうか。想像力たくましく、教員としての自覚を高めさせる話し合いがもたれました。また、討論の際に参加者どうし質問しあうことがあります。質問者はどうしてもテーマについて経験がなかったり、わからないところがおおかったりする参加者になります。討論で他の参加者の引き立て役になる可能性もありますので注意が必要です。ご自身がなにをいえるか、それを忘れないようにしてください。3つの討論とも、評価者であるワタクシが「身を乗り出しそうになる」討論でした。さて、大阪府の1次合格発表がありました。ホントに悲喜交々でした。昨日、「うしろのこくばん」にも投稿がありましたように、受かった方もいれば、落ちた方もいます。それは結果ですから、自分の心を自分の心でおさえなければなりません。受け入れざるを得ません。自分の心を新しい自分の心でおさえなければならないのですから、きしみがどうしても出ます。それが涙としてあらわれます。新しい自分の心を作るのに時間がかかるかもしれません。しかしそれは厳しい結果を受け入れるのに欠かせない作業です。ぐぅっ〜と耐えてください。しかし、しかしね、なんと試験とは理不尽なことなのか。ワタクシも憤りでいっぱいです。たしかに人物重視なのかもしれませんが、それはどこまで公平に、正確に合否判定しているのでしょうか。1次ペーパーで30〜35点の方が落ちるというのは、どういうことなのでしょうか。これならマークシートの1次試験など止めた方がいいです。大阪府教育委員会は、あんなしょーもない問題を作成し、あまつさえくだらない間違いを犯し過ぎ、それでいて30数点の受験生を落すとはどういうことなのでしょうか。教科によればこうしたケースがでるのはわかります。しかし、1次ペーパーの作成に、やっぱり大きな問題があります。難易度の点からいってペーパーの成績分布が高得点よりにあるのはまちがいないでしょう。これでは合否判定の資料になりえないです。たとえば高校各教科などは、すべての受験生が35点以上なのではないでしょうか。府教委が作成失敗した問題以外をすべて正答しなければ合格できないのではないでしょうか。あるいは満点の受験生でも不合格者はいるかもしれない理不尽さです。人物重視試験といっても、各教室毎の判断で合格が決まる理不尽。これでは採用試験なんて運ですね。「しっかり選ばせていただく」といっていた竹内氏の言葉が空しくなります。どこをどうとったら「しっかり」なのかわかりません。各教室の面接官が一手にその教室にいる受験生の評価をするのであれば、気分次第になりかねません。受験生の全体的、統一的な評価ができないなら、断じて人物重視なんて看板を掲げるべきではありません。面接官によって合否の基準が違ったり、質問事項も各面接官がひょっとして前日位に用意していたり、自治体採用試験の公平性なんて保障されていないのではないでしょうか。評価基準、評価方法を情報公開すべきです。「開かれた学校」をいうのなら、府教委はご自身の足元を見つめないとダメでしょう。下世話なことですが、他府県から大阪を受けにくるにも¥がいります。せめてなっとくいく試験を受けさせてやりたいですね。府教委は、なんのために全国的に説明会を開いたのか。そんなことに¥を使うくらいなら、もっと実施試験のあるべき在り方を追求すべきでしょう。なんともいえない気持ちです。これはワタクシの気持ちだけではなく、33点、35点とって落ちていった受験生の気持ちでもあります(8/12)

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