日々旁午

2005


日々旁午・表紙へ 浩の教室・トップページへ

 本日は、勉強会にご参加いただき、ありがとうございました。あすから、『自分探しの旅』にまいります関係で、その準備をしなければならず、本日の勉強会の報告は、しばらくお待ち願います。
(8/7)

日々旁午・表紙へ 浩の教室・トップページへ

 気がつけば、もうあす第44回の勉強会開催日となりました。ご参加のみなさま、よろしくお願いいたします。

 1週間、とてつもなくはやく過ぎますね。前回勉強会の集団討論のまとめがまだできておりませんでした。

 さて、その討論のテーマですが、「言語環境をどのように考えるか、教員の立場から考えよ」でした。今回は、先日までに書いてきましたイロイロなことがあって、15分、5名のみなさんで討論していただきました。仮にA〜Eさんとして、コメントしていきましょう。

 Aさんは、子どもの思考力上昇を願う立場から、伝え合う力、表現力の育成を指導すべきだと主張されました。そこから、「ちゃんとした日本語」を使うよう指導したい、授業中でも子どもたちの言葉使いに注意したい、敬語の使い方も教えていきたいと述べられました。しかし、こうした学校における言葉の指導を充実させていくため、家庭における言葉の勉強も大切であるとされ、言葉そのものについての議論を展開していかれました。つまり、昔の日本語はどのようなものであったのかについてのご意見、方言についての言及がそれです。いいか悪いかは差し控えますが、言葉が郷土を愛する心を生み出すかどうか、ご主張をもう少しなされてもよかったと思われます。ただ、言葉を介在させた地域学習は卓見であったと思われます。

 Bさんは、言語に対する興味の持ち方についてご自身の体験を語ることからはじめられました。「英語に興味をもったことがきっかけで、言葉そのものに興味を持った」という感想がそれにあたります。こうした自分自身の経験と、児童生徒に言葉に興味をもたせることからはじめたいというご意見とが相まって、なんらかのストーリーを作る学習を実践したいとまとめられました。

 Cさんは、アナウンサーも間違う言語環境が、いま、社会にあるという現状認識から、時代とともにかわるのが言葉であるといわれ、ことばが生き物であるということを確認することから出発すべきではないかというニュアンスで語られました。テレビ言葉が氾濫し、活字離れが進む中、読書にたち返るべきであるという議論は、説得力のあるものでした。教育現場に閉じこもったご意見でなく、広い観点から議論されているところに、他の参加者と違った魅力がありました。

 Dさんは、とても評価者を引きつける意見のいい方で、「むかつく」という言葉の本来の意味と、現在児童生徒の間で使われる使われ方とのズレを述べられました。テーマの「言語環境」云々からすれば、的を射たご意見であったと思います。そこから、Cさんとは違い、教育現場における言葉の指導をポイントに、ご自身の意見を組み立てていられたのが、印象的でした。道徳指導案のお話も、現場に近いなあと思わせかつ指導を具体的にどうするかを踏まえたご意見であると思っていました。「教員の立場から考えよ」と限定されているので、かなり評価される主張ではなかったでしょうか。

 CさんとDさんでは、このように捉え方、立論の仕方が違っています。どちらがテーマに即したものかといえば、Dさんでしょう。ただし、それがそのまま評価とならないところに、教採集団討論の難しさがあると思われるのです。しっかり話ができていれば、多少の逸脱はよいんじゃないでしょうか。みなさんはどう考えられますでしょうか。

 最後にEさん。不意に出てきた言葉にドキッとした経験を持つEさんは、風紀を乱すような言葉を学校に蔓延させたくない決意を語ってくださいました。たしかに「先生、ウザイ」といわれれば、困ることでしょう。どちらかといえば、友達どうしではコミュニケイトもうまくしているのに、対先生ではコミュニケイトがうまくいかないのはなぜか。それは、「教員一般」は、児童生徒の「敵」だからでしょう。そこをどう鋳直していくのか、いけるのか、考えてみましょう。

 今回は、ご報告が大幅に遅れ、失礼いたしました。

 そしてあす、またお会いして、議論しましょう。

 ご参加のみなさまからいただいたメールをもとにプログラムを組み、みなさまの2次対策をささやかながら支援したいと思っております。
(8/6)

日々旁午・表紙へ 浩の教室・トップページへ

 7月31日の勉強会報告について、のびのびになってしまっており、失礼しております。先日の「ワタクシが勉強会を主宰しているのはなぜか」ということと、ハプニング@について、および集団討論のまとめを、以下、記します。

 勉強会に求めるのはなにか。それは、ご案内ページの「理念と目的」にある通りなんです。といってしまえば、終了してしまいますから、補足をします。

 第1は、ワタクシが勉強したいからです。自分自身をトップにもってきて、「何をいうかこの野郎」とのご批判は甘受します。でも、そうなんです。教育研究をする線上に、中教審答申や教育制度、法規があり、それをワタクシが勉強したい。そしてそこから得た位置付けや内容が果たして正しい意見・考え方かどうか、そういうことを参加者に判断していただきたいと強く思っています。

 つまりワタクシは勉強会の主宰者であり、同時に学生なのです。参加者のみなさんに、「これはこうちゃうか」と投げかけてみたい、そんな気持ちなんです。教える、という一方的な存在ではありません。それだけなら、おもしろくもなんともない。学びが共有されない。

 ワタクシも参加者から刺激を強く受けています。もっともっと受けたいと思っています。そして、そうしたことが実現されています。なにしろ、遊び半分で教採試験を受ける人は、休日の時間を割いてまでこんな勉強会に参加するわけがありません。つまり、真剣な方々が参加しているわけで、それだけに、恐い。真剣に取り組んでいる方々の前で、しょうもないことをいっているとどうなるか。みんな来ないでしょう。たとえ教育産業の1/100の参加費であっても来ないでしょう。どこまでワタクシがみなさんに受け容れられるか、すべてがワタクシ自身にかかっている。このオソロシイ状況。どこまでできるか試してみたい。あす潰れてもおかしくない、このささやかな勉強会ではありますが、とっても愛しています。いま一番大切にしているものはなにか、家族とか友人とかありますけれど、それと匹敵するくらい大切にしています。「去るもの追わず、来るもの拒まず」の精神で、現在、参加総数100名以上、大学3年生から、40歳の方まで、遠くは四国からこのサイトの情報だけで来てくださる。幸せです。東は千葉から来てくださる。ウレシイことです。

 第2に、一生懸命取り組んでいる学生の支援をし、おそれながらワタクシの目からみて素晴らしい素質をもった若者を、教育界に供給したい。ここで勉強したことが生涯の基礎になるような、そんなふうな力をつけさせてみたい。そう考えています。

 勉強会参加者は是が非でも教員になりたい方々が集まってくる。そうした方々が集ってくださるかぎり、その方々を合格させたいのは当たり前で、「参加者の合格」=「ワタクシの合格」なんです。だから、ワタクシの勝負なんです。しかして、合格した方々がまた帰ってきて、刺激を与え与えられる場を形成したいのです。教員の世界が狭いとするなら、それを広げるひとつの場でありたい。金ですべてが完結する場ではなく、生涯つきあっていける戦友を作る場でありたい。合格したらバイバイ、じゃなくて、その後のなにがしかを作っていける場です。これは夢でしょう。実現できません。そう書かざるを得ないのは、ワタクシに魅力が足りないからでしょう。

 しかしその一方で、現に、ここ数年で合格された方が、なにかと手伝ってくださっています。成績つけたり、試合に引率したり、自分の仕事で精一杯のはずなのに、無理してこの勉強会を手伝いに来てくださる。感謝です。そうした先輩をみていたら、今年突破する参加者が、また助けに来てくれるでしょう。しかもなんら見返りなく。世の中利害関係で胃に穴あけている奴ばかりでしょう?そんな中で、豊かな人間関係の在り方を実践してみたいのです。

 第3に、これは、大袈裟にいえば、草の根教育改革であると思っています。前々からの当サイトの閲覧者は、「無茶苦茶書く奴やなぁ」と感じられているでしょう。5つも6つも訂正が必要な試験問題を作った昨年の大阪府をボロクソいうのがそれにあたる。ほんとはみんなが感じているのに何にもいわない。それを「大人になった」というのでしょう。馬鹿馬鹿しい。だがしかし、バランス感覚も必要であるとは自覚し反省するところです。

 長いものに巻かれない在野精神で、どうすればこの現実社会を変えていけるか、そういうことを考えるために開催しています。しかしこうしたことは勉強会の場そのものでは浮かびません。もっとなんというか、深いところで表現しているつもりです。ルソーをあげるまでもなく、「教育」は社会を変革するために機能します。じゃあ、どんなふうに変革していくのか、そんなことを少しでも考えるきっかけを提供できるようにしています。

 そんなことはどうでもいい、という方は、それはそれでいいでしょう。考え方はイロイロなんですからね。

 さて、ハプニング@についてです。これだけインターネットで情報を探索できるようになって、重宝であると同時に、確実にデジタルディバイドは広がっています。ネット環境にない方はそれだけで遅れをとっています。面接で何を聞かれたかですら、すぐに掲示板に書き込まれて活用できる情報社会がすでにあります。知る知らないでは雲泥の差があるのかどうか。

 ある意味、アングラ的な、こうした情報を手にしたところで、そうそう差はつかないとワタクシは思っています。面接の質問事項を知ったからといって、それでウカルほど甘いもんではありません。実際、教採試験に合格した方を多数みているワタクシにいわせれば、自分自身をじっとみつめ、鍛え、苦労してきた方々ばかりです。しかし、前日の面接の質問内容を知ると知らぬとでは違いはたしかにある。

 それは、傾向、ということでしょう。しかし、それをいかせることができるかどうかは、別問題です。なんにも勉強してこなかった方が、事前に面接質問を知ったからといって、できるかどうか。ボロがでます。そんなもんです。

 いまだに自分自身のPCをもっていない学生を多々みてきたワタクシは、常々、「旅行よりも先にPC買え」といいまくってきました。ネット環境がないということは、きわめて損です。と、ここでこういうことをいっていても仕方ありません。なぜなら、このページをみているということは、環境を手に入れているからです。これをネットカフェなどでみている人は考え方を改めた方がいいでしょう。消費者金融以外のどこかで借りてでも、買いにいくべきです。

 Aに関しては、どうでしょうか。「なんでも教えて」と書き込む方が多いような気がするのは、みなさんもお感じになっていることであろうと思われます。それは、ワタクシのサイトの掲示板だけではなく、ありとあらゆる掲示板でそういうことがいえます。ちょっとしたことでもなんでも聞けばいいと甘える根性を、そこに見出される方もいらっしゃるでしょう。

 以下は一般論です。掲示板に書き込みを期待する場合、管理人一般としては、「教えて」的書き込みでもなんでも書いてほしいものです。ところがそれがだんだん「ウザッタク」なる。あまりレスをつけないと、たまに逆切れされて「なんで教えてくれないんだ」と書き込むケースもある。自分で調べもしないくせになに考えてんねん、ということにもなりかねない。書き込みは「無償の愛」によって成り立っているわけですから、こういう事態を引き起こす。

 ワタクシは、自信を持って返答できないときは、そういう断りを沿えて書き込んでいます。

 それにしても、一般論として、率直にいえば、ヤフーの教採関係掲示板などでは、「えっ、そこまで聞くの?」とほほえんでしまう書き込みがないではありません。しかしそれもまあ、いいんではないでしょうか。なぜなら、極めて細かな、ワタクシなどではどうでもいいんちゃうそんなこと、ということでも、その質問者本人にとっては、天地が引っくり返るくらい重大なことであるかもしれないからです。なにしろ、教採受験のいつもとは違う環境つまりストレスを感じる環境にあるからです。人間イロイロ悩みを持っているわけですからね。

 あらら、集団討論のまとめが書けなくなってしまいました。今日の晩、更新できたら更新します。
(8/4)

日々旁午・表紙へ 浩の教室・トップページへ

 のちのち当サイトでも勉強会・集団討論のコメントをアップしますが、参加者のひとりであるこちらの方のコメントをリンクいたします。他人のフンドシでごめんなさい。

 胸のカラータイマーが点滅している状況です。
(8/3)

日々旁午・表紙へ 浩の教室・トップページへ

 「うしろのこくばん」にハプニング@についてのコメントありがとうございました。よろしければ、さらなる忌憚のないご意見、お待ちしています。もちろん、一般論的展開および見解で結構でございます。

 本日、電撃的に仕事の締め切りいただきまして、てんてこ舞いで、こんな簡単な報告しか書くことができません。すいません。

 8月7日は日曜日です。勉強会の曜日、場所が間違っておりましたので、訂正いたします。8月7日(日)、JRなんば近辺ですので、よろしくお願いいたします。8月の勉強会の参加者を募っております。ご応募お待ちしております。
(8/2)

日々旁午・表紙へ 浩の教室・トップページへ

 昨日は、第43回勉強会にご参加いただきありがとうございました。予定していた1次試験検討会のほか、短い時間ではありましたが集団討論1題を実施いたしました。計画では討論を2題する予定であったところに、ハプニングがありまして(こうしか表現の仕方がありません)、ご参加のみなさまに、あるいはご迷惑かけてしまったかもしれません。主宰者としてお詫び申し上げます。

 そのハプニングとは、この勉強会やサイトの在り方についての批判的ご意見から、時間を使ったことでした。それをここにご紹介するのも、勉強会の透明性を高めることになりますし、この勉強会およびサイトを、さらによりよいものに脱皮させるために意義があるのではないかと判断し、コメントいたします。

 道路公団やカネボウ、はたまた大阪市と比ぶべくもありませんが、どんな団体でも、内情を隠すところに、腐敗が発生するからです。2、3の問題点があります。

 @「うしろのこくばん」に関わる情報露出の問題です。ご承知のように、教採の面接は複数日にわたって実施されます。当然、初日にお受けになる方と数日後にお受けになる方とでは、情報量に差がでます。初日の方の書き込みを知ることによって、次の日にお受けになる方が有利になるのではないか、ということです。これをどう考えたらよいでしょうか。初日の面接の応答を書き込まれた方は、まったくのご好意によるものでありまして、ありがたいことです。しかし、どんな質問がされるか、事前にある程度わかってしまうということは、フェアではない、というご意見もあるわけですね。この問題は、当サイトだけの問題ではなく、おおよそほとんどの掲示板で発生する問題であると思われます。

 ワタクシは、こうしたご好意による書き込みに対し、「自主規制」を設けようとは考えていません。なぜなら、そのご好意の書き込みは、書き込まれた方が、このサイトからお受けになったなにがしかのことや、このサイトに投稿していただいた過去の情報提供者に対する「愛ある返信」と理解しているからです。

 世の中イロイロな考え方をお持ちの方がいらっしゃいます。この問題に関し、「ギリギリの表現」で構いませんから、論争を「うしろのこくばん」にいただけると幸いです。デジタルディバイドを考えることにもなるからです。

 Aはっきり書きますと、「なんでも教えてくればかりで、情報を探す能力がないのではないか」、という問題です。もっといえば「与えられるばっかりで、与えようとしないのか」ということです。たとえば、「京都のこくばん」には、環境マーク類のリンクを貼っていますね。たとえば、時間の問題があったとしても、これすらも自分の力で探し出すことができないのか、という類の問題です。他人に依頼することばっかりでは困るというご批判と受けとめています。同じく、ワタクシは大阪府の1次試験解答例をこれまた「こくばん」に書きましたが、こんなのも不必要ではないかと。自分でナントカしようとしないで、頼ってばかりでどうなるのか、ということです。

 教採に関わる情報には価値があり、それを金にできるところに、教育産業一般が成立する根拠があります。たとえば、ワタクシの示した解答がどこよりも速く正しいとすれば、教育産業一般が金をとって解答例を示すことに意味はなくなります。そこまでする必要があるのか、と批判されました。それなら予備校とかわらないのではないかと。また、「予想キーワード」を掲載することも、どうか、というご意見もありました。判断がつきかねます。

 ただしこれは、当サイトの存在意義に関わってくる課題です。教育産業一般と当サイトとの違いは、大雑把にいえば、「情報を金にするかしないか」の点にあると思っています。もうひとつの大きな、そして、本質的な違いは、教育理念や学問との関連性、教育現象をたたき台にものごとを考えることをしているかどうか、にあると思っています。

 ワタクシが勉強会を主宰しているのはなぜか。そういうことに関わり、この項、あす、もう少し書きます。
(8/1)

日々旁午・表紙へ 浩の教室・トップページへ