日々旁午

2005


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第51回勉強会報告のつづきです。集団討論のテーマは、「学力テストの導入について議論せよ」でした。6名の参加者に25分間で討論していただきました。仮にA〜Fさんとして、その模様をお伝えいたします。

 まずBさんが問題提起してくださり、「学力テストの意義はどこにあるのでしょうか」と試験を課すことの意味や、テストが子どもたちの動向を知ることにあるだけなのかをみなさんに問われました。Aさんは、学力テストは統一テストであって、ある学年の児童生徒がどれほどの学力を身に付けているか点数化するものであるとされました。その上で、どのラインまで点数をとれば「到達」であるとするか設定し、学力の向上の発展につなげると述べられました。Dさんは、学力テストを実施することによって、児童生徒の弱点部分と長所がわかるとおっしゃいました。Eさんからは、学力テストの実施は、児童生徒に対する評価だけでなく、私たち教員の評価につながると述べられました。児童生徒がどれだけ点数をとるかは、私たちの教え方によるという認識からでしょう。いずれにせよ学力テストの評価は、児童生徒、教員の両者に対する評価が与えられるところに意義があるということでした。Cさんからは、しかし、点数ばかりにこだわるのは問題があるとご意見があり、Fさんからは、材料として学力テストを活用するのはよいとして、ある学年、たとえば小6、中3(中2は間違いでした)などでしか実施しないテストであることを、どのように私たちは考えるべきであるかと述べられました。

 ここでいわば討論参加者全員の第1声が終了したわけですが、学力テストの意義、学力テストとは何であるかということについて、見解の相違があったように思えました。常日頃、ワタクシたちが作っているテストと、学力テストとはどう違うのでしょうか。こうした観点から、学力テストの性格をそれなりに理解しておくことが求められるといえるでしょう。すなわちそれだけ、参加者が、学力テストとはどんなものか、知識として知っておかなければならないということです。学力テストとは、簡単にいえば、文科省が学力を定点観測し、児童生徒全体の学力レベルを把握することによって、それを将来の有効な教育政策に生かす資料とするための基本的な調査テストと捉えていいでしょう。とすると、私たちの日頃実施しているお手製のテストとは質も意味も当然違ってきますね。ここのところを押さえた議論であれば、第一段階はクリアしたということになります。

 Fさんは、先の発言に続けて、学力テストは数値で評価するものであって、児童生徒の価値が数字化されるという問題があるといわれ、学力テストの持つ問題性を指摘されました。Bさんが、学力テストの結果値を、しのごのするのではなく、その結果からわかった児童生徒の個別の問題つまり得手不得手を判別、どう伸ばすべきなのかを指導しないと意味がないというような内容のことをおっしゃいました。また、Eさんは、学力には競争的学力と全人的学力とがあると提起され、後者の学力であり、いわば「漢方薬的な学力」をどのようにして身に付けさせるかが検討されなければならないとされ、後者を測定できるような学力テストに変身させるといいと願望交じりにおっしゃいました。この問題とPISAの問題とを関わり合わせて発言されたところにEさんに対する評価ポイントが認められます。

 Fさんは、学力テストといえばどうしても数字のイメージがついてまわる、これを拭えない。なんとか数値化を超えたテストができないものかといわれ、具体的に副次教科でも学力テストを導入できないか、と述べられました。数値以外の測定・評価の構造をどう組み立てるか、ここに問題意識を集中されていたようです。Eさんも、英語志望の立場から、My English Power Plan を実施し弱点補強するテストに意味があるといわれました。Aさんは、ここで、学力テストを一回きりで終わらせるのはもったいないとご意見され、継続的にテストをすることによって児童生徒のがんばりをつなげられるのではないかといわれました。学力テストだけでなく、おおよそテストに苦痛を感じてきたワタクシとしましては、継続的に学力テストされた日にはやりきれんなぁとお聞きしていました。「サンプル捕集」のための学力テストという意味から逸脱しているなとも感じられた発言です。

 Fさんの発言を受け、Cさんは、フィードバックした後の評価票をオーダーメードできないか、なにか工夫した評価票を作成できないかと新しい視点を提供され、Bさんは、学力テストのフィードバックは教員、学校にももたらされると発言されました。ここから、学力テストによる学校評価という観点が生まれ、Bさんは、学力テストによって把捉された学校の学力育成構造を特性として理解し、これを売り物にできないかと述べられました。学力テストが各学校に応じた教育課程を形成する資料になるということですね。そうした役割が学力テストに期待されているのは事実でしょう。

 東京の教育特区が市場原理化の下、児童生徒=客集めに必死です。ある学校では新入生ゼロであったと報道されました。そうした状況を背景に、学校のウリを学力向上カリキュラムに求めるのも過ちではありません。ただし、それが学校の序列を生むことは確実で、こうした偏差値教育による学校序列の変奏を学力テストが担うようでは、1960年代の繰り返しということになりませんでしょうか。こうした意味では、この討論のテーマが、学力テストの導入に賛成か、反対かを最初に参加者が明示してもよかったかもしれません。おそらく賛成一色になるでしょう。なぜなら、上のやることに楯つくのは、損であると多くの教採受験生が認識しているからです。よもや反対すれば、ここに日教組学力テスト導入反対運動の思想継承者かと色眼鏡で見られる危険性があります。なんだかいやですね、こんな思想性が採用の場面であらわれるとすれば、変な気を使うことになってやってられませんね。ただ、ゆとり教育だとか、絶対評価だとか、個性尊重だとか、そうした観点からいえば、学力テストは葬り去るのが必然であるのは理論家として当然でしょう。この問題から、文部科学省の猫の目教育行政に翻弄される受験生の悲哀が確認されます。まさに歴史的踏絵です。

 Aさんが、学力テストが教員を評価する性格を持つものであってはいけないのではないかといわれたのは、上のような視角からかどうかわかりません。対保護者のテストであるかどうかもわかりません。ただ、テストに一喜一憂するのは世の常で、このお墨付きテストの本質を理解した上での発言でないと足をすくわれる可能性もあります。

 Cさんがテスト結果をみて教科書以外にサブテキストを作るとおっしゃったのは、知育重視、学力向上を考えれば当然でしょう。評価という行為そのものをどう捉え、具体的に学校の「次の手」をどう指すかという問題意識ですね。Dさんが個性を生かす教育に役立つよう学力テストを活用できないかというのも、個人の克服課題をあぶり出しにできないかというのも、この「次の一手」をどうするかというところを震源にした発言でしょう。Eさんは、こうした展開を受けて、学力テストは保護者も注目している、家庭学習の低下が学力の低下をもたらしていることも考えられるので、もっともっと学びたいと意欲する児童生徒を育成するため家庭との協力体制をどう築くか発言されました。

 ここで、Fさんから、学力テストと個性について発言がありました。これは、Dさんの発言を受けてではなかったかと思われます。Fさんは、たとえば理数系の数値を伸ばすのが本当にいいのかどうか疑問を持たれ、バランスよく資質を伸ばすテストはできないものかといわれました。Bさんから、学力テストは個人指導の評価資料にはなると答えられましたが、学力テスト結果の扱いをどう指導に生かすのか、真剣に考えておかねばなりませんね。これまでも類似の発言はありましたが、Aさんおっしゃるように、主要教科以外は学力テストがない事態をどう打開するかも必要な視点かもしれません。Eさんのいわゆる「豊かな観点」の導入と学力テストがどう関連するか、また個人内評価とどう組み合わせるか、Cさんの評価フィードバックの本格的な展開をどう実現するかも、学力テストを議論するときに避けては通れないポイントでしょう。

 このようにして討論の25分は終了しました。ワタクシの印象としましては、やはり、学力テストと通常のテストとの違いがはっきりしている方としていない方といらっしゃったところに、問題点があるようです。学力テストの性格をはっきりつかまないと、議論がギクシャクしますし、そうなっていました。このテーマが教採で出題されることはほとんどないでしょう。しかし、教員として是非とも知っておかねばならない問題です。途中書きましたように、テスト導入をめぐっての闘争はなぜ起こったのか、ここでは詳細に書きませんけれども、能力主義の教育政策を推進するためのテストであることは間違いありません。いま、こうしたテストが簡単に導入されようとしている現実をみなさんがどのように感じておられるのか、ちょっとお聞きしたかったというワタクシのこのテーマに込めた潜在的「質問」があったことも事実です。ワタクシは、「学力テストは特別活動」といいました。サンプル捕集、学力の定点観測の性格を持つ文部行政実施の学力テストは、そう位置付けるほか、みなさんが議論してくださったような齟齬が出てくるように思われるからです。特別活動の学校行事⇒学芸的行事に学力テストを位置付け導入するとすれば、「のぞましい集団活動」かどうかは別としても、一過性的性格のまま学力テストを実施できるし、昔のような無茶苦茶な学力テスト対応授業とテスト受験のむごさを再生しないのではないかと思っているからです。

 といいますのは、次のようなことがあったからです。昔は、学力テストの平均点が学校評価に直接し、点数が低いと学校の教育システムの不備となり、学校そのもの評判が悪いとされました。学校の序列が学力テストによって決定される。公立ではこんなことがあってはならないにもかかわらず、現実はシビアなものです。教員が、「成績の悪い子」、「頭の悪い子」に、「今日は学力テストをやるから学校に来るな」というわけです。彼らがテストに参加すると平均点が下がるからです。そんないわばズルをしてまで学校の評価を維持したかった学力テストにまつわる過去をワタクシたちは持っています。なんとも嘆かわしいことです。結局、学力テストが復活し、上のようなことが繰り返されるとすれば(現代ではありえないことですけど)、「欠席せよ」といわれた児童生徒はどんな心境になるでしょうか。また、そうしたズルがまかり通った定点観測に、どんな意味があるでしょうか。学力テストの復活が実現するとすれば、相当の吟味が求められています。

 この記事中山大臣の認識をリンクしておきます(Q.全国学力テストの件ですけれども、大臣が導入の意向を表明されて、文部科学省が検討をすすめてきましたが、概算要求を前にして大臣のご所見をお伺いします。

 ⇒Ans.全国的な学力調査につきましては、昨年11月に私が発表しました「甦れ、日本!」の中で、その実施について提案したところであります。本年6月21日に閣議決定されました「経済財政運営と構造改革に関する基本方針2005について」や、中央教育審議会義務教育特別部会の審議経過報告などにおいても、その実施の方向性が既に示されているところでございます。これらを受けまして、平成18年度概算要求に盛り込むべく準備を進めた結果、各学校段階の最終学年の小学校6年生と中学校3年生の国語、算数・数学について、全児童生徒が参加できる規模で平成19年度に調査を実施することとしたいと考えております。私といたしましては、全ての学校に対して、児童生徒の学習到達度・理解度を把握し検証する機会を提供することが重要であると考えておりまして、調査が円滑に実施されるように引き続き努力してまいりたいと考えております。

 Q.全国学力テストを復活するということになると、また競争原理が働くのではないかという批判が出るかと思いますが、それについてはいかがでしょうか。

 ⇒Ans.競争原理といいますか、競い合う心や切磋琢磨することは必要だと思います。要するに全国的な学力水準がどうなっているかということを検証していきながら、いろいろな方策を講じることが大事なことだと思っています。また、現に、平成16年度は39都道府県11政令指定都市において、独自に学力調査が実施されています。特段、混乱や問題も生じておりませんし、全国的な学力調査の実施にあたりましても、過度の競争、また負担にならないように配慮すれば実施にあたっての懸念はないものと考えております。

 Q.全国学力テストの関係ですが、昨日、会見で事務次官が、全国テストは地方自治体に強制することはできないというような主旨のご発言をされたようですけれども、大臣としてはどうお考えですか。

 ⇒Ans.強制することはできないけれども、協力していただけるものだと思いますし、ぜひ協力していただきたいと思います。

 Q.科目が2教科ということで、最近の学力の状況をみると理科なども入っていていいのではないかという気がするのですが、2教科で実施される意味というのはございますでしょうか。

 ⇒Ans.できるだけ広範囲にわたりまして、いろいろな学力を調査したいと思っていますけれども、まずは2教科から取り組みたいと思っています)。

 こういうふうにコメントされている方もいます。こちらもどうぞ。

 たとえばいま流行のポートフォリオ評価と学力テストはどう関連するのかしないのか、各学校の教育課程編成権と学力テスト導入の関連、そもそも学力とは何かという議論と導入の是非など、みなさんも、何かこの問題に刺激を与えるご意見を、持っておくように勉強しておきましょう。
(9/20)

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すいません、なにやらイロイロやっていて、更新の時間がなくなってしまいました。ご紹介がてら、こちらをリンクいたします。
(9/18)

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昨日は更新せず、失礼しました。ちょっとした単車の集いがあったからです。大阪5号湾岸線からうかがう天保山の夜景は綺麗でしたよ。

 さて、本日は、お忙しい中、当サイト主宰勉強会に多数ご参加いただき、ありがとうございました。2次を終了した方、これから2次に挑まれる方、来年をめざされる方と、多様な立場の方々にご参集いただきました。

 大阪淀屋橋で開催した本日の勉強会は、まず、今後に向けてのプレゼンテーションをいたしました。ささやかながらワタクシがまとめました「答申解説集」を簡単に回覧させていただきまして、「こうした資料でやっていこう」ということをお伝えしたつもりです。答申そのものの文章とその解説および関連問題篇と解答を付け加えたものでして、1テーマ(今回お見せしたものは特別支援教育についてのものです)あたり、現状25枚から長いものでは30枚くらいになっています(1枚あたり400字詰換算5枚くらいかな)。

 ところで悩みが2つ、3つ。これをもう少し編集しなおして、答申の重要項目を抜粋する形にするか、答申そのものの文章を尊重し全編そのままにするかどうか。本来は答申の文章を切り刻むと、答申の持っている格調や全体構造を無視することになりますし、抜粋したところから採用試験に出題されるかどうかなんてことは、ぜんぜんわからないわけですから、悩んでます。それと、1人5枚以内のレジュメの印刷なら、たいした作業ではないですが、こうした「答申解説集」を事前に印刷するとすれば、一人当たり100〜200枚になりますので、20人分用意するとすればちょっとした作業になります。昨年度継続的に参加した方にも、同じくらいの枚数がお手元に残っているはずです。この問題を解消するため、参加者に添付メールでお送りし、印刷していただこうかと考えております。ただ、プリンターを持っていらっしゃらなかったら、計画は崩れちゃいますね。

 勉強会の一日あたりの勉強量についてですけど、4時間です。この時間をどのようにして密度高く活用するか。今後の予定では、上記の答申の勉強と同時に、大学で教えるときに使用しているワタクシの教育学関係の講義ノートをコンパクト化し、議論のたたき台としてお話しようと思っています。さらに大阪府、京都府及び神戸市の1次試験の解答解説をしていきます。勉強会のご案内ページに掲載しているとおりですが、これは弾力的に進めてまいります。同時並行で、集団討論は必ず1題はいたします。みなさんの主体的な問題意識を表現していただきたいからです。これを4時間でやろうというわけです。そのほか、単発的に、自己PRの仕方とその文案についてアドバイスをいたします。

 上記の内容全体を有機的に関連させ、月に3、4回実施し、効果的に勉強していきます。最大のポイントは、「教わろうという精神」で参加いただくのではなく、「勉強会を私が作っていく」というスタンスでご参加いただくことです。そしてご自分が勉強する意味を発見してほしい。「生涯教育的に、ひろく教育的思考を高めていくこと。社会をみつめ教育現象について議論し、そこで生産された価値あるものを共有していくこと。教育に携わろうと志すものが、今後に生かせる思考を鍛えること」ははずせない観点です。ワタクシは、手取り足取り教えるなんてことはしませんし、それができると自惚れてはいません。下の写真が「円陣の図」です。


 本日の勉強会では、2次試験を終了された方から、少し報告いただきました。その内容は割愛します。いずれまた、サイトにアップいたします。

 この後、集団討論と個人面接をいたしました。集団討論のテーマは、「学力テストの導入について議論せよ」でした。アップトゥーデートなテーマでしたね。学力テストは数年先に復活しそうな勢いで文科省では検討されていますし。ポイントは、学力テストの性格を理解しているかどうか、評価の問題と関わり合わせて議論できているかどうかなどにあります。これにつきましては、あす、模様を具体的にお伝えすることにいたします。

(9/17)

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きょうは一日中、文科省報告書類を読んでおりまして、フラフラになりました。特別支援教育と人権とキャリア教育とです。このほかの調査研究協力者会議報告も片っ端から読んでまとめます。

 15期中教審答申は古いですね。また、臨教審は埃がかぶっているようです。両者とも大切な答申で、現在の教育行政の基底部分をセットした提言です。このあたりの「歴史的」理解をしておかないと、最近の答申がてんでんバラバラに出てきている不思議を理解できないのではないかと思っています。かといって、こうした古い答申がそのまま教採には出題されないのですけどね。こうしたところにツギハギの勉強が発生する原因がありそうです。全体を理解し個々を知る、こうした態度が求められていると思っています。

 教育にはいろんな分野があって、それぞれの学習領域をまんべんなくすると、立体的に教育そのものが見えてくるようです。ちょっと自惚れています。

 この連休、勉強会を挟んで、この作業を継続し、参加者にお渡しできるように整えます。一度サンプルを17日に持参しますので、ご意見お願いしますね。

 その17日、ルパンさんがお見えくださるそうです。ワタクシもワクワクしております。
(9/15)

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「京都のこくばん」のマスターを、QPさんにご担当していただくことになりました。よろしくお願いいたします。こちらのページに、自己紹介をいただいております。京都府・市の多様な情報が集まることを期待しております。

 神奈川のこくばんマスターを募集しております。どうか、お力お貸しください。

 今年度京都府の1次試験、神戸市1次試験の解答解説を勉強会でいたします。予定をご覧ください。
(9/14)

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第50回勉強会の風景です。

 こんな感じのきれいな教室をお借りして、みなさん和気藹々と勉強しています。みなさんが、いろんなものを出し合い、お互いに協力して、教員としての資質を磨いています。

 25日からは、来年度に向けて、本格的に出発しようと思っています。プログラムの中心は、答申の輪読になります。昨年度読まなかった「調査研究協力者会議」の諸報告も視野に入れ、解説を含め実践していきたいと思っています。

 講義はもう少し後からはじめますが、基本的な教職教養のポイントを、プリント類を用意して実施しようと考えています。何かテキストを使う予定です。
(9/13)

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昨日に引きつづき、集団討論の模様をお伝えします。ふたつめのテーマは、参加者から提案されたもので、今年度神戸市一次試験で実施された論題です。すなわち、「教員の連携はなぜ大切か。学習指導、生徒指導の両面を踏まえ、討論してください」です。討論参加者は、男性1名、女性5名の計6名で、時間は25分間です。女性陣に混じっておひとりの男性が奮闘してくださいました。仮にA〜Fさんとして、再現してみましょう。

 討論はCさんの発言からスタートしました。中高は学級担任制ではなく教科担任制なので、クラスの生徒とも短時間しか話せないのが悩みであると切り出されました。小学校はその点、常にクラスの児童と接することができ、教員の連携を考える上で、連携の仕方が異なってくるかもしれないとご意見されました。これに対しFさんが、小学校では、担当クラスの児童のことは把握できるけれども、他学年や他クラスの児童のことを担当クラス児童と同じように把握しているかといえば疑問であると反省点を交えながら、教員間連携をどうすべきか、校種を問わず議論したいというニュアンスを持って話されました。Eさんも、どの校種でも教員の連携は必要であり、複数の教員の視野から多様な教育的営為をみることによって、新しい何かがわかってくるとFさんに同意されました。

 また、Eさんは、複数の視野つまり複数の先生から認められた児童は、「いろんな先生から認められている」と自覚を持つことができ、自己肯定感の深まりを感ずることができるとおっしゃいました。

 Bさんは、このテーマから、習熟度別指導における教員連携、少人数指導における教員連携という非常に重要なトピックを提供されました。

 Cさんは、個別指導、補充・発展的な指導もあるが、教員間連携を推進するには総合学習が大きな役割を持つのではないかと述べられました。総合が単一教科ではなく、さまざまな教科の「総合」的な学習内容を用意しなければならず、また、児童生徒の個別的、教育的なニーズに応答しなければならず、教員の連携がぜひとも必要な時間となるということです。

 Dさんからは、小学校では総合は、学年単位で動くことがもっぱらで、具体的に地域めぐりにおいて、同じめあてに向かって取り組むには教員間連携が重要となってくると述べられました。

 さらにBさんは、特別支援教育においては連携はどうなるのかと述べられました。通級の児童と原学級とのかかわりを深くするには教員間における児童把握が共通化していないと指導がうまくいかないケースがあるということです。

 と、ここまでで、このテーマから、どのような小節を設けて議論を作っていくか提案的主張が発せられたようです。教員間連携の具体的場面をどこに想定し、議論の土俵にするべきか、参加者のほうで作ろうと意欲された場面でした。しかし、どうも共通理解化の消化不良といいますか、それぞれの参加者の問題意識が共有されることなく、議論の方向性が定まらなかったように思えます。たとえば習熟度別指導における教員間連携は重要なポイントであるにもかかわらず、これは今回の討論では深められませんでした。最後まで討論のトピックにならなかったのは不満でした。総体的に議論は雪崩のようになってしまった感があります。

 さて、Eさんは、Dさんの「めあて」発言を受け、教員は学習指導においてひとつのめあてを持って実践すべきで、指導のやり方がバラバラだと、児童の方も混乱する。そうした意味では教員間で統一見解を持ってすべての指導にあたるべきであると発言されました。Cさんもこれに同意、共通理解と実践がないと生徒指導においても混乱すると、「あるクラスではシャーペン使用可、別のクラスでは不可」との例をあげながら発言されました。Fさんも、指導の違いがあれば児童間に不公平感が発生し、協調がとれないと述べられました。

 Dさんは、教員間連携がとれていれば、新しい教育方法や評価が発見されるとおっしゃり、それぞれの先生の教科の見つめ方も違うので、それらを総合できる可能性について触れられました。読書教育にかかわり小学校と保育園との連携についても語られ、これがFさんにつながり、小中連携の話題となりました。中学校では小学校教育において足らないところが指摘されそれを小学校にフィードバックしてもらうといいとのことです。教科の見つめ方が違うという点では、Bさんも漢字の教え方でも千差万別で、教員間の意見交換ができるといわれました。校種間連携ということでは、Cさんが中高連携にも触れられ、オープンハイスクールの具体例、「科学の祭典」の報告から自由研究を通しての小高連携について語られました。さらにDさんから、いじめの継続を解消するため校種間連携し、情報の包み隠さず交換することによって解決に導くことができるのではないかと提案がありました。

 こういうふうに、いつの間にか教員の連携が校種連携の話題に転換し、議論はこの話題で進行していきます。教員の連携を同一校内の議論で進めるか、それとも校種間連携下の教員連携に踏み込んで議論を進めるか、議論進行を整理しながら進めないと、混乱と疑問を持ってしまいます。聞き手の側は、テーマに即した議論を期待しているので、ここのところを忘れると、聞いていて混乱ひいては「なんじゃな」と思ってしまいます。教員の連携といった場合に、当然それは異校種間でもあり得るのはいうまでもありません。しかしそこに展開するまでに、ワンクッションほしかったというのが、本音です。

 校種間連携の流れを踏襲しつつ、Eさんが、小中情報交換会を継続的にやっていることを述べられ、対保護者についてもどういうように取り組むか議論しているとの発言がありました。Cさんの、転校生の受け入れにかかわりご意見されたのをはさみ、Bさんから、ひとりの人間の人格を作り上げていく教育を私たちは実践しなければならない、ひとりの人間を見守っていくことが、校種間連携の基礎におかれているはずであるとのニュアンスでまとめられたようです。このあと、CさんがEさんの小中情報交換会に興味を持たれ、質疑がありました。

 議論はここで転換し、Dさんが教員間だけでなく生徒同士の交流はどうなんだろうと提案されました。これに応答したのがAさんでした。Aさんは、当勉強会に初参加なこともあり、遠慮されていたのか、発言が後半に集中しました。討論終了後、聞き手の側からコメントがあったのですけれども、できれば討論の節目節目におきまして、少しでも発言したほうが、「参加している」という感覚を面接官に持ってもらいやすいと思います。前半15分ほど発言がなかったので、聞き手の側は、評価の態度を通り越して心配になっておりました。

 内容的には、Dさんの生徒間交流の発言を受け、中学生から小学生への演奏プレゼントを実施した経験を語られたのが印象に残っています。展望を持って中学校に入学してくる小学生のことをイキイキと述べられていました。

 この展望もって中学入学ということに関連し、Cさんが小6から中1に進むにあたり、不登校数が跳ね上がるのをどう捉えるべきかと切り出されました。Aさんは生徒の生活に踏み込んだ指導は難しいが、生徒の個別な言葉を共有していくことが解消策ではないかの発言され、たとえば、「昨日、午前1時にプリン買いに行ってん」という児童をどう見つめるか、教員間の情報連携の力が試されると応答されました。

 だいたい議論の進行は以上のようでした。少しだけコメントを。

 このテーマは、教員間連携ですので、文中でも指摘しましたように、同一校内における連携と異校種間連携とを分けて議論すべきであったと思います。

 それから、学習指導と生徒指導の両面で議論する、というのをどのようにわかりやすく討論参加者が議論するかです。この議論の整理ができているグループとそうでないグループでは、評価がかなり違ってくるでしょう。学習指導面での連携はどういうものがあり、生徒指導の連携ではどうなのか、こうした横軸に、同一校内の想定、異校種間連携を縦軸として座標を確定しながら議論することが、最善の形でしょう。

 こうした軸の設定が、討論を良くも悪くもします。しかし、初めて会った者同士、これを形成するのはまず無理。討論はそうすると「運」ということになってしまうのでしょうか。それはそうではありません。討論参加者の個性が討論の出来を支配してしまわないようにしないと、総崩れもありますので、そこをどうするか、調整する意識を持って各参加者が挑んでいくかということになります。その力が集団討論には要求されます。「運」に支配されないように、この調整意識を磨きましょう。

 これはすなわち協調性です。ひとりの参加者がダッーと脇目もふらず話してしまうと、こんな調整意識を持っていたところで発揮する場面がありません。濁流に呑み込まれてハイ終了というケースは、そうした場合に多い。これを「運」といって合理付けても、ご自身の結果が悪ければ意味がありません。だからこそ、この「運」命を自力で変えるようワタクシたちは「戦法」を練らなければならないということでしょう。
(9/12)

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昨日は、手前味噌ながら、記念すべき第50回当サイト主催勉強会に多数(満席!)ご参加いただき、ありがとうございました。とうとう当勉強会も節目の50回を迎えることができ、感無量です。ご参加いただいたみなさま、応援に来てくださる先生方のおかげです。ありがとう。今後も楽しくためになる勉強会を求めて努力してまいりますのでよろしくお願いします。

 今回、男性6名、女性11名の方にご参集いただき、お受けになられた2次試験の模様の報告と、集団討論を2テーマ、実践していただきました。新しく参加された方も5名にのぼり、うれしく思っております。また、昨年この勉強会に継続的に参加され、大阪府に合格された中学校教諭U先生にも、また、現職小学校のY先生にもご参加いただけたことは、50回の記念を飾ることになりました。ありがとうございます。今後も、来年度をめざす受験生の方を励ましていただきたく、お願い申し上げます。そして、現職の先生方が、採用試験のための勉強で培った教職教養の豊富な知識を実践と結びつけるよう思考を鍛えるためにも、一緒に勉強していただければと願っております。新しい答申も出ていますし、そうした最新の教育行政に対する関心をも、先生に合格したからといって捨て去るのではなく、一層コミットしてほしく期待します。

 2次の報告は、大阪市の様子と兵庫県の様子でした。これについての詳細は、来月下旬に「全国教員採用人物重視試験情報」にピックアップいたします。

 さて、本日は、集団討論の一つ目のテーマを再現してみましょう。テーマは、「不登校の児童生徒に、担任としてどのように接触し指導するか議論せよ」というものです。6名(A〜Fさん)の方に25分間討論していただきました。さすがにほとんど2次試験に進まれた方ばかりの討論であって、まったく空白の時間なく進んでおりました。ただし、テーマに即した議論であったかどうかは別でありまして、討論終了後、コメント者から、これに対する疑問が指摘されることになりました。

 まず、Bさんから、不登校になった児童生徒はどのような原因でそうなったのかを調査し、どうしていくべきか考えなければならないんじゃないかと発言がありました。Fさんがこれにこたえ、不登校児童生徒の成育歴をも私たちは視野に入れ、小中連携してこの問題を考えていかなければならない、不登校問題は、そうした長期的な解決課題であるとされました。Dさんからも、不登校といっても、いきなりそうなったのではない、なにか原因がある。該当児童生徒がどのような生活をしていたのかを探る必要があるのではないかとご意見されました。

 こうした3人の方の意見を踏まえ、Cさんは、当該児童生徒のバックグラウンドを把握した上で、担任として不登校という事態をどのように捉えているのか、担当しているクラスの児童生徒の前で説明し、理解を得ることが教員としての責任ではないかと述べられました。Eさんからは、中学校だと友人関係が原因で不登校になるケースが多いことを報告され、現在の生徒観を披露されました。それによれば、現在の生徒は「もろい生徒」であり、対話やコミュニケーション能力が低下しているのが実際であろうということです。生徒同士があまり話さないと、お互いが理解できにくい、そうなれば、相互に尊重する態度も生まれにくい。結果、不登校に陥ってしまうケースがでてくる。Eさんはこれを生徒の「化学変化」と呼ばれていました。

 これを受け、Bさんは、私たちが児童生徒に心を通わせ、不登校防止の観点から、不登校になりそうな児童生徒を発見する、気づくことが大切であると述べられました。Fさんも、ちょっとしたきっかけが不登校においやる事実をあげられ、担任として集団を意識した学級経営をすべきであろうと抱負を語り、たとえば日直も2人で固定することはない、複数人で担当するグループ日直の制度を設けてもいいのではないかと提案されました。係活動一般が、個々の児童生徒の責任感育成をめざして設置される一方で、このような学級形成初期における児童生徒の親密度アップの方法は、採用して意義ある方法であると思われました。Bさんが、これに付け加え、席替えにせよ、給食にせよ、児童生徒が何を求めているのか、汲み取っていく力が私たちに求められているとまとめられました。

 ここでAさんが、今までの議論を受けつつ、テーマに立ち返り、高校を志望する立場から発言されました。高1のHRにおいて、生徒同士の人間関係を豊かにするよう指導したいとのことです。それが不登校を未然に防止する基本的な方法論でしょう。具体的に学校現場に話が及んだので、Dさんからは、保護者の中でも母親が不登校という事態をどのように思っているのかが鍵であるとし、「学校に行かせたい」と考えているのかどうか保護者の意識や態度が不登校対策を左右すると実践的に発言されました。Dさんの発言をきっかけに、Bさんは、「母が落ち着けば、子も落ち着く」とうまい標語のようにいわれ、Cさんは、「学校に行かなくていい」と保護者とりわけ母親が態度決定してしまうと、不登校が慢性的になる。初発の段階で対応するためには母親を「味方につける」必要があるのではないか、学校に登校しやすい環境を家庭が用意するのを支援する必要があるのではないか、とご意見されました。

 Eさんは、「味方につける」のではなく「味方になる」という立場から家庭訪問をしていけばいいと議論され、Fさんからは、電話よりも訪問ですねと語られました。表情から読み取れることもたくさんありますね。Fさんおっしゃるように保護者と顔見知りになれば、会話も多くなるし質的にも深くなる。そこから、不登校解消策も見えてくるのではないか、というご意見です。また、子どもにプリントを持っていかせ登校刺激を与えるのも、おっしゃるように、よい方法ですね。

 ここでAさんから、不登校児は安全なのかと違った角度からの斬り込みがありました。つまり、虐待による不登校もあるのではなか、ということです。虐待と不登校との関連を探ろうとする発言であり、評価できます。このトピックは、教員が児童相談所などとどう連携するかという議論の発祥となりました。しかし、議論そのものは時間の制約もあって、深められたとはいえません。しかし、しかし、それはそれでよいでしょう。

 つづいてEさんは、教師間連携にかかわって、教育実習当時の話題を報告されました。不登校問題解消を、学校としてどう取り組むかを考える発言でした。中学校では、学級担任制ではないので、教科担当の先生方が生徒の印象をメモし、それを職員室に設置された箱に投函する。これをもとに生徒理解を深めていたとのこと。先生方の努力が目に見えるようです。

 先生の連携という点では、Cさんがおもしろい提案をしてくださいました。不登校児童生徒の家庭に訪問するとき、担任が継続していくのはもちろんであるが、たとえば昔の担任の先生も一緒に行くなどして工夫を凝らし登校刺激を与えるべきではないかというものです。Bさんがいう、「いまその子にとって何が必要か」を確かめるよい方法でしょう。そしてまた、児童生徒を包み込む包容力を持った教員になることが、Fさんおっしゃるように教員の資質として欠かせませんね。

 Dさんは、こうした議論をお聞きの上で、学校として取り組んでいく課題が不登校問題であるとし、学校に教室とは別の部屋を設け登校させるなど、居場所作りをするのも大切と述べられました述べられました。Bさんは保健室登校にも触れられました。Eさんは、学校が人と人とがかかわりあう場であることを再確認し、自己肯定感を養うようすべきだろうといわれ、教科教育においても児童生徒を評価する、認めていく姿勢をとり、肯定感の増進をもとめる。そうすれば不登校防止につながるのではないかと述べられました。

 BさんやCさんがいわれるように、連絡帳や交換日記の活用つまり「間接的小道具」で児童生徒の理解を深めることも大切でしょう。先生が家庭訪問にいった「証拠を残す」ことも、あるいはよいのかもしれません。Fさんは、「学校としての取り組み」という観点から、スクールカウンセラーを通して「自己肯定感」を引き出せることもあるとの発言があり、不登校傾向の解消に一役買う活動になると述べられました。こうした発言の最後に、Dさんは中学校は学年持ち上がりで教員が担当していくので、3年間というスパンで生徒を見守っていく態度を持とうと述べられ、将来を生徒とともにみつめていくと決意されましたようです。

 ただ、1年ごとに担当教員群が変わる学校もあるとEさんは述べつつ、生徒同士の相互に相手を認め合う態度の育成、お互いを受容する態度の育成を忘れないよう指導したいといわれました。Bさんの、その子の自信を回復するような指導をしたいというのも同じ意味でしょう。

 Cさんいわれるように、不登校がリバウンドしてもいけませんので継続した生徒理解が求められますし、Fさんの校種関連携も当然ながら必要なファクターですね。

 こうして討論時間が終了しました。

 お読みになればおわかりのように、一見互いのご意見を尊重されつつも、かなり議論が錯綜していたように思えます。なぜなのでしょうか。語るに足る内容ではありますが、ジグザグ走行であったのは否めません。

 テーマの分析はどうでしょうか。「接触」、「指導」の中身は十分だったでしょうか。担任として具体的な解決に資する方法論を深めるのか、学校としての不登校対策を語るのか、校種間連携を考えるのか…。

 不登校の原因論がはっきりしていないので、筋が通りにくくなっていた印象です。大きく分けて、怠学による不登校なのか、本人に主原因がある不登校なのか、不登校児童生徒をどうみるかでも議論が変わってきます。

 討論の方向性が強い個性のぶつかりあいで綱引きになっていたようです。問題意識の強さが協調性を乱す結果もあります。今回の討論は、討論の筋道に一貫性がなかったように感じられました。それはなによりも、話の道筋を討論者同士で決定していなかったことに起因するのではないでしょうか。前半の議論が終了間際で再説されるのは、それが原因です。難しいことですけど、雑多な議論がとりとめもなくつづいていくのではなく、考察を深める態度で討論に挑みましょう。

 いや厳しい言葉でスイマセン。でもそれは、「よりよい討論を求めて」だからにほかなりません。よりいいものを作っていきましょうよ。あす、もうひとつのテーマを考えていきましょう。
(9/11)

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