日々旁午

2007



昨日は、当サイト主宰勉強会に多数ご参加いただきまして、ありがとうございました。来年をめざす方のご参加、いま、2次真っ只中のご参加、というように、混成の状況であり、新しくご参加いただいた方は、先輩方からイロイロとコメントをもらったり、勉強ノートをみせていただけたりしたようでしたし、真っ只中の方は、いつもどおり面接練習や討論練習に精を出され、コメントの交換をしあっていました。
 新しく参加された方には、おいおい資料等をお見せし、お渡しできるものはコピー代のみで配布することといたします。
 珈琲会におそくまでつきあっていただいた方々、勉強会の在り方についてイロイロとご意見賜り、ありがとうございました。今後も最善の状態をめざして、勉強会の在り方に手を入れてまいりますので、よろしくお願いします。
 さて、当日は、簡単に2次の受験報告をしていただいた後、4名の方の個人面接と、7名の方による集団討論を実施いたしました。
 個人面接は、主に個票から気になるところを掘り下げるような形で実施しました。その関係上、ここで質問事項はあげません。みなさん、完成形といっていいでしょう。あとは、ここで修練を積んだことを、試験本番に出し切れるかどうかというところにあります。がんばってください!
 討論のテーマは、「体罰をある場合には容認するべきだ、とする意見が少なくありません。体罰と懲戒の境目に注意しつつ、体罰について議論してください。賛成の立場でも、反対の立場でも、評価に直接しませんので、みなさんの本音をぶつけ合ってください」でした。このテーマに、20分近く、7名の方がチャレンジしてくださいました。仮にA〜Gさんとして、再現いたしまして、そのあとコメントしたいと思います。
 まず、Cさんが10秒程度の開始直後の沈黙を破り、手を挙げられました。Cさんはテーマを確認し、体罰反対の立場を表明、体罰は児童生徒にショックを与えるし、教育的効果が見込めないものであるとご意見されました。つづいて発言されたDさんも同様の立場であり、言葉で教え諭すのがわれわれのとるべき指導態度であるといわれます。Aさんも、力で児童生徒を押さえ込むのはいけないとし、教育対象に行為に関する良し悪しを理解させることが大切であるとされます。Fさんも力による指導は教育的ではないとされます。Bさんは、体罰反対の立場に立ちつつ、高校教諭志望であることもあって、保護者から厳しい指導を要求された場合にどのように対応するべきか考えなければならない点もあると付け加えられました。
 Eさんも、体罰反対の立場ですが、毅然とした対応は大切で、道徳教育の場面において、児童生徒のとった行為動機を深く調べるようです。Gさんは、単に手を振るう体罰だけでなく、言葉の暴力にも私たちは気をつけるべきであろうとご意見されました。
 こうして1巡しましたが、当然ながら体罰賛成の立場の方はいらっしゃいませんでした。これは当たり前なんですけど、では、どうしてこのようなテーマが出題されたのでしょうか。必然性のない議論のテーマはありえません。それを考えながら、以下の再現を読んでみてください。
 Fさんが、1巡したところで、現場経験を語られます。それは、教室にホウキを振り回すような、かなり暴力をふるう児童がおり、それを制止するときに手が出たが、これを体罰というべきかどうか、と問題提起されました。これを受け、Bさんは、このケースを一般化されようとし、ケンカをとめるときも同様の「体罰論議」が起こるが、教員ひとりで対処しようとすると体罰になる可能性があるので注意するべきであると述べられました。Cさんは、ケンカなどの児童生徒が興奮状態にあるときは、教員は落ち着いた態度で対処しなければならないと念を押されました。Dさんは小学校6年生にもなれば身体も大きくなり、たとえば女性の場合、殴りかかられたら制止するのも難しい、だから、教員間連携は必然であろうとご意見されました。こうしたご意見を受け、Fさんは、自分のケースの場合、ベテランの先生が間に入ってくれて事なきを得た、だからこうした場合はどなたか他の先生にはいってもらうことが事件の内容もわかるしいいのではないか、と発言されました。なお、事後処理として、保護者の方に来てもらったそうです。
 こうした保護者の方に学校へ来てもらうとの発言があって、Aさんは、家庭環境によっても子育て態度が違っているし、児童生徒がケンカをするにもどの程度で手を出してしまうのかなかなか一定の線引きはできないといわれます。気に入らなければすぐに手を出してしまう児童生徒もいる。これは保護者の子育てにおいて、すぐに叩いてしつけすることが児童生徒の行為行動に影響を与えているとご意見をまとめられました。
 Bさんは、ケンカのほか事後処理において、高校では懲戒としての停学や退学があるのが義務教育と大きく違うところであるとし、学校の懲戒方針がぶれないように注意するべきであると提言されました。
 さきほど話題提供されたFさんは、学校にきてもらった保護者に「周りの子にそそのかされたから手を出したのではないか」といわれ、ある意味困ったとし、事後の生徒指導や保護者対応においても、管理職の先生に入ってもらうのが事を複雑にしないためにもよいのではないかと振り返られます。
 Gさんがここで、体罰と懲戒の境目を具体的に学校全体で検討し、ルールを作成してはどうかと述べられました。テーマに即した発言で、これに対応し、Dさんはゼロトレランスについて触れられ、ダメなものはダメであるときっちり方針を固めるのが、学校のとるべき態度であろうとされました。これを具体例で話されたのはBさんでした。Bさんは、「授業中に携帯電話が鳴ったら没収」とのルールを学校全体で決め、この方針が崩れることのないように指導を継続すると力強いご意見です。
 Fさんは、体罰と懲戒に関し、懲戒処分された生徒について、心のケアが大切であり、児童における出席停止もそうであるが、その後の環境をどう整えるか、配慮が必要とされます。Eさんも、懲戒処分中でも学習ケアはせざるを得ず、学校に登校してきたときのスムーズな受け入れが必要と同意されます。Bさんもそのケアのために家庭訪問は必須であると述べられます。こうしたことを踏まえ、クラスの受け容れの雰囲気を形成しておくことが大切であるとは、Fさんのまとめでした。同様の趣旨から、Cさんは、たとえケンカなど誤った行為をしたとしても、懲戒処分の後にまで響くようなことをしてはならないと述べられました。すなわちすべてはEさんのいわれるように、学級作りをちゃんとすることですね
 ここでAさんが、Gさんがいわれた言葉の暴力について触れられ、「こわい先生」の認識を児童生徒に持たせたくないといい、児童生徒と信頼関係を形成するときの躓きになると述べられ、これを受け、Gさんは、「○○先生が怖いからやらない」では、善悪判断の自主的な形成にならないとの問題があるとし、ロールプレイングを取り入れるなどして「理解」を進めたいと述べられました。
 これで討論終了です。
 読まれていかがでしたか。教員の体罰・懲戒がテーマであるのに、いつの間にか生徒指導と生徒の暴力の問題にすりかわっています。これではあまりいい評価はのぞめません。
 討論終了後、開口一番、「テーマが悪い」との声がでました。それは、このテーマでは、全員体罰反対というのは目にみえていて、議論といっても、深まりが期待できない、との意味です。まあ、このような意見が出るのは予測のうちで、それではなぜそうであるのに、このテーマを出したのか、ということを受験生は分析しなければなりません。そうでないなら、あまり面白くない議論に終始するからです。では、テーマのどこに着眼するべきなのでしょうか。それは、「体罰と懲戒の境目に注意しつつ」のところにあるわけで、これをいかにして学校の現実に即しつつトピックを立てていくかに尽きます。そうした点では、これは討論しやすいようでしにくいテーマでしょう。
 単に児童生徒に手を挙げてはならない、というだけでは、考察は深まりません。なぜ、教員がこの問題で苦しんでいるのか、想像する必要があります。それは、ケンカ仲裁の際の「期せずして手が出た」とのやりとりのところに少しでています。
 児童生徒に対する懲戒はどういうものがあるのか、例のマークシートの問題でも、「宿題を忘れたので叱責のため、1日だけ放課後に掃除を命じた」という選択肢がありますね。これは正しい。しかし、「1ヶ月掃除を命じた」だと体罰になる。
 ケンカ仲裁上の「手が出た」は、現在、体罰になりません。「問題行動を起こす児童生徒に対する指導について(通知)」(18文科初第1019号 平成19年2月5日)では、「児童生徒に対する有形力(目に見える物理的な力)の行使により行われた懲戒は、その一切が体罰として許されないというものではなく、裁判例においても、『いやしくも有形力の行使と見られる外形をもった行為は学校教育法上の懲戒行為としては一切許容されないとすることは、本来学校教育法の予想するところではない』としたもの(昭和56年4月1日東京高裁判決)、『生徒の心身の発達に応じて慎重な教育上の配慮のもとに行うべきであり、このような配慮のもとに行われる限りにおいては、状況に応じ一定の限度内で懲戒のための有形力の行使が許容される』としたもの(昭和60年2月22日浦和地裁判決)などがある」と紹介されています。これをどのように議論に組み込めるか。ただ、これはかなり勉強していないと出てこない話題ではあります。
 ここから、「児童生徒から教員等に対する暴力行為に対して、教員等が防衛のためにやむを得ずした有形力の行使は、もとより教育上の措置たる懲戒行為として行われたものではなく、これにより身体への侵害又は肉体的苦痛を与えた場合は体罰には該当しない。また、他の児童生徒に被害を及ぼすような暴力行為に対して、これを制止したり、目前の危険を回避するためにやむを得ずした有形力の行使についても、同様に体罰に当たらない。これらの行為については、正当防衛、正当行為等として刑事上又は民事上の責めを免れうる」と、はっきり書かれています。
 さらに上の資料は、次のようにまとめています。すなわち、「体罰がどのような行為なのか、児童生徒への懲戒がどの程度まで認められるかについては、機械的に判定することが困難である。また、このことが、ややもすると教員等が自らの指導に自信を持てない状況を生み、実際の指導において過度の萎縮を招いているとの指摘もなされている。ただし、教員等は、児童生徒への指導に当たり、いかなる場合においても、身体に対する侵害(殴る、蹴る等)、肉体的苦痛を与える懲戒(正座・直立等特定の姿勢を長時間保持させる等)である体罰を行ってはならない。体罰による指導により正常な倫理観を養うことはできず、むしろ児童生徒に力による解決への志向を助長させ、いじめや暴力行為などの土壌を生む恐れがあるからである」との通知です。
 このあたりの最新の教育時事に気を配りつつ、現実に学校で起こりうる事象を体罰と懲戒をキーワードに議論していくという高度な問題意識がこのテーマには求められているといえるでしょう。
 ちょっと難しかったですね。では、来週〜
(9/9)

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この8月は、忙しいようで忙しくなかったし、この9月も、イロイロあるようで、忙しいというわけでもない。なんだか、気分的には中途半端である。
 8月までに、2次のための面接対策勉強会が峠を越え、あとは、リラックスして当日を迎えられればよいとの考えから、9月は3回の開催のみとした。9月頭の土日、開催しようかと考えたが、こうしたわけで取りやめたのである。それでも20日くらいまでは面接日程が組み込まれているから、まだの方は気を緩めることなくがんばってほしい。
 終了された方からは、チラホラ報告のメールをいただいている。ありがとう。いただいた情報は大いに活用させていただく。ただし、サイトには掲載しない。ありえることではないけれども、掲載したことによって個人が特定されるのを防ぐためである。そうしたわけだから、安心して報告いただけると助かる。来年をめざす方のために、愛の手を差し伸べてやってほしい。
 9月期の勉強会は、すでに満席、2次直前ゆえにキャンセルがありそうにない。10月の勉強会も埋まりつつある。こちらは完全に来年度をめざす方からの申し込みである。やる気のある新しいメンバーと、また、一緒に勉強できる。楽しみ。
 ところで参院選で自民党が歴史的敗北を喫し、政治情勢は野党に気を使わなければ直ちに政局になる、という体である。自公連立政権による強行採決が「政治的安定」であるとすれば、不安定こそウツクシイ。姜尚中がよくいうように、「白猫でも黒猫でも」云々は民主集中制のかの国で使われたいい方であるにもかかわらず、いまの日本の政治を形容する言葉としてピッタリなのは、おもしろい。民主主義とは、そもそも不安定を求めるものといえる。政治的空白を求め、議論がぐちゃぐちゃであってこそ、民主主義は機能しているのである。
 だが、政治的不安定が教育に影を落とすことは、招かれない事態であろう。
 とある会議の室長などは、サッサと扉を開けて出て行った。教育に対する無責任を政治の場でとろうとする愚である。なにが「教育新時代を告げるニワトリとなろう」なのか。道半ばにして放り出すクセは若いときから持っていた「資質」なのだろう。
 教育に不安定が許されないのは、教員にストライキ権がないのをみてもよくわかる話である。政治の不安定が教育に不安を与えてはならない。中教審が機能するかどうか、これがいまのところ教育行政のスタビライザーである。教育再生会議は官邸主導=政治主導だから、いいたいことはいえても、歴史的大敗を受けて尻すぼみの議論にしかならないからである。
 その中教審だが、昨年の未履修問題(ある人にいわせると、詐欺事件だそうである)の余波から、必修科目の決定ができない状態に追い込まれている。さらには、相撲や柔道を男女必修にするだとか、ダンスも男女必修にするだとか、変なところの「必修議論」になっている。
 『毎日新聞』によれば、「文部科学省は、中学校の主要5教科(国語、社会、数学、理科、外国語)と保健体育の授業時間数を現行よりも約1割増となる年間計約200時間程度増加させる方針を固めた。学習指導要領の改定内容を審議する中央教育審議会の専門部会に31日提示した。また、総合的な学習の時間は週1時間(年35時間)を削減。選択教科も削減し、各学年の年間総授業時間は週1時間(年35時間)程度増加することになる」(2007年8月31日)らしい。中学校の授業時間が増えるのは、1969年の改定以来38年ぶりらしく、学習指導要領は、この線で改訂され、上記の高校の必修問題と絡まって大幅変更となる。ここに徳育の「教科」化がどう盛り込まれるのだろうか。
 お金もないのに時間を増やして基礎基本の確実な定着をするという。総合学習の字数が少し減る点ホッとしている現職の中学校教諭もいるかもしれないが、それ以上に悲鳴が聞こえてくる。いいか悪いかは別として、学校支援ボランティアとか、スクールメイトとか、エサを蒔いて教育財政の欠を埋める方策は今後も続く。
 教育的不安定は、さらに続く。水面下では、「科学技術の振興」のための教育課程編成をどうするかが議論されているだろうからである。
(9/6)

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9月最初の更新がこれでは・・・
 フィー、
 キーボン!
 (なんか、SPOONというバンドのヴィデオクリップにも登場しているそうです)

(9/3)

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