教育エッセイ・1

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教育の課題

 教育とは、一体、なんなのでしょうか、そして、どのような機能なのでしょうか。あまりにも自明すぎる事柄に対し、改めて定義をすることは以外に困難です。この根本的な問いに対し、いにしえから現代にいたるまでの思想家、哲学者、教育者がさまざまな定義を下してきました。その定義の仕方は決して同一のものではありませんでした。なぜなら、それは各思想家それぞれのもつ人生観、世界観に依拠するからであり、ということはすなわち各思想家の生きた時代の歴史性に拘束されるからです。たとえば、江戸時代に生きた思想家は封建的な思想の枠組みを十字架に背負っていましたし、ワタクシたちなら、民主主義的かつ資本主義的な思想の構造を十字架として背負っています。なかなかその枠をこえてモノを見ることができませんね。

 だから、教育に関する認識も時代によって違わざるをえません。しかし、時代を越えて変らない本質的・核心的なところも教育にはあります。教育なるものが、若くバイタリティはあってもその使い道や方向が今ひとつわからないものに、知識や経験の豊富な年長者が何がしかの指針を与えるような機能であることは、古今東西、共通認識であったはずです。すなわち、「何かについてよくわかっていない人間を、何かについてよくわかった人間にする機能」であるという共通の仕事を教育者はもっていたはずです。こうしたわからないものを学び理解する過程が積み重ねられないと個人の成長はありませんし、ひいてはそうした個人が集合して作る社会の成長もありませんね。このように考えてきますと、ある人間を別の人間にかえるというブラックボックスの役割が、教育の機能なのでしょうか。ちなみに、ブラックボックスというように形容していますけれども、現在では外からなにをやっているのかわからない教育や学校は批判され、「開かれた学校」が理念になっています。

 もしそうだとすれば、ここから、児童・生徒・学生など教育対象に働きかけてその人間をかえるという教育の使命が引き出されますし、どのようにかえるのかが教育の目標におかれることになるでしょう。お国に奉仕する子にかえる、あかるくつよい子にかえる、エコノミックアニマルにかえる・・・。しかし、あるCMで、「かわらなきゃ」というキャッチがあったように、教育には、もうひとつ、自分自身がみずからかわるという自己変革、あるいは自己啓発の側面も認めなければなりません。「かえる」という行為に受動的な、「かわる」というところに能動的なニュアンスがみられますが、教育に自己変革を促す契機や要因がなければ、それは教育の名に値しないでしょう。とすれば、教育と学習の間をどのように考えるべきなのでしょうか。

 「かわらなきゃ」に関する議論は、日本国憲法第26条の「教育を受ける権利」とかかわって、重要な観点です。「かえる」という行為は、国民の教育権の所在を再確認させるという問題を提起します。ワタクシたちに、誰が「かえる」主体になるのかを考えさせずにはおれません。それは国なのか、それとも個人なのか。「かわる」という行為は、何かを学ぶもの、学びたいものが主体的に学問や教育の世界に分け入ることを意味します。この主体性は、どうすれば国民の学習権を保証することが可能かという視角を、ワタクシたちに提供することとなります。学習権という表現は、「教育を受ける権利」が受動的に捉えられる弱点を是正し、国民の主体的な教育姿勢をより鮮明にあらわしたものということができます。現在、尊重されるべき教育なるものの捉え方は、「自ら学び、自ら考える」のようですが、公教育が学習権をどのように制度的に用意できるかというところにあるといえるでしょう。社会教育の精神も、本来こうしたところにありますね。

 さて、「教育」と「人間」ということについて、ワタクシたちは、おおきくふたつの観点から考えることができます。ひとつは、こういうことです。「何かについてよくわかっていない人間を、何かについてよくわかった人間にする」というとき、「何かについてよくわかっていない人間」は、生まれたままの、自然的存在としての人間と想定して考えるということです。そしてその自然的存在が、人間形成のための指導をうけ、まさしく社会的な「人間」となっていきます。人間と動物の違いは、社会を作るにあたって、どのように参加していくかという点にありそうです。もうひとつはこういうことです。現代の資本主義体制にあっては、知識、技術など生産能力に結びつく技能を身につけさせることが、おおきな教育の目的のひとつであることは間違いないので、教育をうける前の人間とうけた後の人間の資質や能力が同一であっては、そのブラックボックス的機能を果たしたとはいえないということです。「何かについてよくわかっていない」人間に飽くことなく働きかけ、その教育的可能性を信頼し、本来人間に備わっている素質をエデュケイトする。そして、引き出された素質を基盤に、社会の一員として有意義に生きうる倫理観、正義感で形成された人格と、資本主義的な世の中に順応した生活能力と、このふたつともに所有した人間に育てるということが、現在の教育なるものの使命でしょう。このふたつの作業が、現在の教育に課せられた本質的課題でしょう。

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