教育エッセイ・12

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自然と体験と

 最近の小学校低学年の教育課程編成をうかがうと、昭和62(1987)年12月、教育課程審議会が「生活科」の創設をサジェスチョンし、これをうけ、平成元(1989)年、学習指導要領の第5次改訂が行なわれて科目として組み込まれました。さらに平成10年の第6次改訂学習指導要領に、小学校三年生以上の児童に「総合的な学習の時間」の新設が明記され、平成14(2002)年度よりスタートしています。

 「生活」では、高学年になってはじめて利用する理科室や社会科準備室のほか、校内の学習施設をツアーし、学習意欲を喚起する試みのように、学校生活に興味をもたせる具体的な活動を組み込み、学習の動機付けや技能習得の初歩に慣れ親しむ工夫を凝らしています。児童の興味関心を高める目的で行なう、いわゆる「調べ学習」も、その一環でしょう。こうした生活科にせよ、総合学習やその他の教科にせよ、そこでの学習内容は幼児期の遊びなど家庭における生活経験に関係しているといえます。それらが教科として編成、整理されるのですが、それは、本来、こどもたちが身近に経験すべきであったことを学校が提供しようとするようなものと思われます。

 家庭では、働くこととは何か考えるエレメンタリーな契機が存在し、こども同士の仲間社会は、集団生活のありようやそこでのなじみ方を自然に体得する絶好の機会でした。こうした生活経験が、抵抗なく学校における生活指導や学習指導をうけいれる下地を作っているのですね。学校教育は、こうした幼少期の体験のうえで成立可能なのでしょう。この体験が根源に働き、抽象的な思考を積みあげていく場所こそ学校といえます。したがって、幼少年期の生活体験が乏しいと、学習指導はおろか、人間形成的な側面の指導にさえ接続することが難しいのではないでしょうか。そうした環境に現在の子どもたちはおかれているといえます。子どもの生活経験と学校教育のマッチングが肝要なのです。それは、当然子どもたちの自然環境ともかかわってきます。今日、家庭のあり方は変容し、そこでの教育機能は失われつつあります。自然環境も「ウサギ追いしかの山」とうたわれるような郷土という言葉がぴったりするところは減少していますね。都会はいうまでもないでしょう。自然との触れあいを大切にというのは、たんなる標語ととることはできない、切実な警鐘です。山村留学がもてはやされるのは、こうしたところにその理由がありますね。

 上のように議論を突き詰めてきますと、われわれが、経験主義の教育理論家デューイに学ぶべき点は、まだまだ多いといわなければなりません。たとえ「はいまわる」と形容されようが、われわれは、learning by doing 、なすことによって学ばねばならないのです。デューイの理論は体験学習を考える際に、つねにたちかえる座標軸であるといえましょう。

 教育的生活環境と学校教育の接続不良という事態は、家庭や地域の教育力の低下に原因しているとまとめられると思いますが、それを補完する役割まで学校が担当することになるのでしょうか。それはそうではなかろうと思います。学校がしつけや集団へのなじみ方など家庭や地域の教育機能のすべてを背負い込むことはできません。学校の「スリム化」とは、学校のもつ機能をさまざまな関係機関に委譲するとともに、その機関との連携を深めるということでした。人間形成のために学校でこそ行なわれるべきこと、学校でしかできないことが精選されて、実践されなければならないのではないでしょうか。その手のくみ方をワタクシたちは考えるべきでしょう。 Oct.11,2002

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