教育エッセイ・18

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単位制高等学校の陥穽

 総合学科に対し、単位制高等学校は、すでに1980年代半ば、臨時教育審議会で提言されていました。その1次答申で設置を推奨し、最終答申のなかで、「学習者の希望、学習歴、生活環境などにおおじて高等学校の教育が容易に受けられるようにするため、個別的な教科・科目の単位取得の認定、単位の累積加算により卒業資格の認定を行なう新しいタイプの高等学校(単位制高等学校)を設置できるようにする」と表現されているのが、単位制高校設置推進の思想的根拠になっています。

 引用のように単位制高等学校は、学年の枠を取り払い、最終的に単位がそろえば卒業できるという制度です。臨教審の提言の骨子が学歴社会から生涯学習社会への移行にあることを考えても、この単位制高等学校は生涯学習の観点から、誰でもいつでも高等学校教育を受けられるよう準備された制度といえそうですね。国民生活の多様化や社会そのものの推移に対する教育制度的対応であると客観的にその位置付けについての評価があります。このように書けばいいことづくめに思えますが、単位制高等学校は、どのように評価すべきでしょうか。

 現実に単位制高等学校は、定時制や通信制課程では、1988年度から、そして、全日制課程においても1993年度から導入され、もう10年の歴史を持っています。2000年度では全国で332校あります。臨教審の提言を受け法整備化された「単位制高等学校教育課程」(文部省令)を具体的にみてみましょう。そこでは、@入学者選抜は設置者が決定できる。A教育上支障ない場合は、学期にしたがって入学・卒業できる。B編入学については、学力や年齢を勘案し、在学期間を定めることが可能。C転学や転籍は修得単位、在学期間を考慮し許可することができる。D多様な科目の開設、複数時間帯や特定時期の授業実施が可能。E単位制高校校長は、当該学生の過去に在籍した高校の単位を累積加算しうる。F聴講生として特定科目履修のみを目的とする生徒(=科目履修生)を受けいれ、教育機会の確保に配慮する、というように、幅広い教育要求を包み込んでいることが理解できるでしょう。

 学期毎の入学・卒業を可能としているのは、従来の高校の「学校は4月、桜の時期に入学するものである」という固定的な習慣を打破する契機になるでしょう。複数時間帯の開講、つまりフレックス制は国民の生活様式の多様化に対応し、その意味で義務教育を越えたところの学習権を保障します。しかしワタクシは、高校の教育課程における単位制の導入は現実にそぐわなくなってきていると感じています。もともと高等学校が単位制(74単位修得で卒業)であるといってしまえばミもフタもないのですが、単位制高等学校は、何らかの理由による単位未履修生徒の応急救済処置的側面が強いのではないでしょうか。「高校全入時代」のいま、あえて設置する意図も80年代半ば当時とちがって、はっきりしないのではないでしょうか。単位制高校が、安易に高校中退生徒の受け皿にはなって欲しくありません。

 またその設立意図とは別の運用を余儀なくされるかもしれません。というのは、現在では複線型学校体系の実現をめざして、従来型中学・高校制度と中高一貫制との並列を用意しようとしています。いわゆるエリートと非エリートのコース選別を設けようとしています。両者の補完を単位制高等学校に担わせる予感があるのです。うがった見方ですけれど、ゆくゆくは単位制高等学校が中等教育の充実の名のもとに中学を包摂し、単位制中高として再編され、中等教育そのものを2本立て化するような拡充整備をするように思えるのです。現在でも中身のよく分からない「個性」を育てるために、教育制度改革を推進しようとしていますが、単位制はそれを窮極にアチーブする「自由な制度」=「なんとでもできる使い安い制度」として、国民教育のあり方を考えるワタクシたちに突きつけられています。

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