教育エッセイ・2

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人間の独自性

 人間の独自性とはどのようなところに認められるのでしょうか。教育という営為を考察するとき、人間の独自性を動物との対比から確認しておくことは大切なことです。そもそも教育が必要なのも、人間には他の動物と違う独自性があるからです。この独自性を確認するとき、生物学的な視点に立って、人間と動物を同じ土俵から、まずは考察してみるべきでしょう。つまり、「人間は他の動物と同じく生き物である」から、自然界という土俵から見るのです。

 動物の場合、その子どもが自分の力で食べものをとり、生きていけるまでの手助けや、その意味での補助はあるかもしれないですね。ライオンやトラでも自分の子どもに食事を与えます。しかし、親は子どもを数週間、あるいは数ヶ月という一定の期間をおいて突き放します。独り立ちの季節がやってきます。いわゆる「せんじんの谷に我が子を突き落とす」わけですね。だから親離れの時期がくれば、いやおうなく動物の子どもは生きてゆくため、狩りなど自己を保存する活動をせざるを得ません。甘えは許されません。その際、動物は、本能にしたがって生きていくすべを身につけていくほかありません。そこには理性はありませんね。理性が備わっているかいないか、これが動物か人間かを線引きするところだというのはいうまでもないことでしょう。

 動物に対し人間はどうでしょうか。スイスに生物学者アドルフ・ポルトマン(1897〜1982)という科学者がいました。彼は、哺乳類と人間のこどもの成長、発達を比較研究し、「人間は生後1歳になって、真の哺乳類が生まれた時に実現している発育状態に、やっとたどりつく」(『人間はどこまで動物か』)と主張して、人間の1年間の生理的な早産を結論付けています。ポルトマンにしたがえば、人間は早産であることが正常なのであって、生物学的にいって、人間が哺乳類出生時点と同じくらいの発達を得るためには、妊娠期間が約1年のばされ、21ヶ月ほど子宮内にいなければなりません。これは大変なことです。10ヶ月でも大変なのに・・・という母親のつぶやきが聞こえてきそうです。折りしも小学校の体験学習で、妊婦体験が行われている現在、そのつらさ(と喜び)が実感されることでしょう。

 21ヶ月−10ヶ月=11ヶ月、この期間はどうなっているんでしょうか。つまり、「おぎゃー」としか自分を表現できない期間です。この11ヶ月の期間を考えると、人間は、生まれたあと、母親の胎外で母親と密着しつつ、胎内にいるのと変わらない時間を過ごしていることになります。しかしこの期間は、決して無駄な期間なのではなく、実はこの準備期間があるからこそ、人間としての独自性をもつことができるのです。ワタクシたちは、母親に感謝しないといけませんね。人間にしかないこの準備期間は、動物にあってはまったく予想だにしない直立歩行や、言葉の習得という基本的能力が与えられる根拠として捉えられるのです。逆にこの期間における正しい養育を逸し、一定の学習期間を過ぎてしまうと、基本的な人間としての能力を獲得できない結果を招来するのです。

 普通、この期限を、臨界期と呼んでいます。カモのヒナの後追い現象は有名です。インプリンティングといいますね。ヒナは最初に動いた物体を自分の親であると認識します。2番目に見たのが本当の親であっても、そう考えません。それが本能によって動物が生きている所以ともいえそうです。臨界期を越えてしまうと、認識の変更ができないわけです。ヒナの最初に見た物体がネコだったら目も当てられません。食べられちゃいます。ちなみに、こうした後追い現象を逆手にとって、イギリスのBBCは壮大な計画を立てました。渡り鳥のヒナに、ある「物体」を親として認識させたのです。それは飛行機です。とすると、そのヒナは飛行機の動く後をついてまわる・・・。ヒナが成長して親と一緒に旅立つ・・・。ヒナは、飛行機とともに海を渡るわけですね。BBCのカメラマンは親と認識された飛行機に乗って、後をついてくる成長したヒナをなんなくビデオに収めることができるのです。動物ドキュメンタリーのできあがりですね。

 さらには、動物との対比でいえば人間はゆっくりと成長します。一般に動物は、性的に成熟すると主たる成長は終了してしまいます。あとは同じ生活の繰り返しです。ところが人間は、性的成熟を迎える前後、つまり思春期に精神的にいちじるしい成長を遂げる存在です。この緩やかな成長期間は15年間と想定されます。そうした長い成長期間からしても、人間にだけ教育が必要とされる事情が理解できますね。そしてこの15年間という期間は学校制度論に反映します。6・3・3制というのは生物学的な発達論の観点からもマッチするわけです。

 人間の生理的早産の解明はポルトマンの重要な仕事でしたが、それ以上に、「動物の行動は、環境に拘束され、本能によって保証されていると、われわれは簡単に特徴づけることができる。これに対して、人間の行為は、世界に開かれ、そして、決断の自由をもつ」(『同上』)との注目すべき発言があります。人間が動物と区別される点は、人間が世界に開かれ、みずからをとり巻くものに関して熟慮することができ、それらの考えをひとつの世界に集約して考えることができるところにあります。もちろん、そうしたことができるのは、人間が理性を備えているからです。その際、自己の中に「内界」を発見します。教える立場にあるものは、人間が内界を発見できるという独自性をこどもに自覚させるべきです。そうした契機を与えるためにも教育は不可欠の機能なのでしょう。「動物の本能的な行動を『環境に制約された』とよぶならば、人間の行動は『世界に開かれた』といわなければならない。この場合、このすばらしいことばが意味するのは、人間の創造的な行動という偉大な能力のことであり、これは、個々人が多かれ少なかれ、それ相応に使用することができる一つの宝であり、またそれを浪費したり、あるいは埋もれさせたりできる一つの財産でもある」(『同上』)。人間の独自性は、直立歩行、言語獲得、そして内界の構築と発展していきます。こうした「内界」という言葉を手がかりに、次回は「思想界の設計」ということを考えてみましょう。          

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