教育エッセイ・8

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学校はどのようにしてできたのか

 学校はどのようにしてできたのでしょうか。この素朴な疑問から考えていきましょう。中学校の公民分野の情報量の多さには目を見張るものがありますね。ワタクシにその内容全部を知っているかと聞かれれば、もちろんそんなことはありません。それだけ「公民」文化の多様化が進んでいるといえるでしょう。まして、高校の地歴、物理、英語・・・。このように文化が徐々に高度化し発達すれば、文化の持つ価値が専門化(大学)され、それを平易に学習できるように初等中等教育段階では教科として整頓されます。その一つひとつを個人の力や家庭の力では子どもに教えることができなくなるからです。とすると、家庭の教育を分離し、その内容を独立させて学校ができたといえるのではないでしょうか。物理の公式、古典の動詞の活用など、数式や文字で理論や読解能力を養うわけですが、それを家庭は伝えきれませんね。文化の価値が多様になり、社会が複雑になると、家庭での暮らしを通じて学力といわれるもののすべてを身につけることは困難です。それゆえ専門化された教育機関としての学校が登場せざるをえないといえるでしょう。そこでは、道徳という規範意識も統制を受けるかもしれません。

 では、歴史的にいって、家庭がそのすべての力をもってしても子どもに知識や道徳規範を伝えきれなくなったのはいつ頃のことでしょうか。日本の近代社会と教育とを考えてみます。近代社会、それも明治維新後20年くらいは、農村が80lを占めるといっていいほどです。ようやく鹿鳴館でダンスパーティが行われるようになるものの、産業社会化しているわけではなく、依然として農業、手工業を中心とする第一次産業型社会ですね。そうした社会が産業革命を迎え、大家族制の下、資本主義的な生活様式がようやく浸透しようとしていた時代が日露戦後の社会状況といえるでしょう。親父の背中をみて育つといったように、近代の出発時点の「昔」は、こどもはそれなりに、親父の仕事ぶりをうかがっていました。「学び」が身近にあったわけです。

 たとえば農家の子どもならば、稲の植え方を観察し、一度やってみようと参加し、大人の百姓のやり方やコツを体得していったと推測できます。女子は弟や妹をあやし、台所仕事を手伝い、また母と縫いものを一緒にし、生活知を獲得してきました。職人の息子なら、親父の姿をみて、みようみまねでその技術を学びとっていきました。このように少年、少女は多くの場合、将来必要になるであろうことを大人たちから直接学んでいたのです。この状況は生活と子どもの将来の職業とが密着し、生活から学習が要請されています。さらには、家庭で生き様が語られ、仕事をもつことの大切さ、仕事をすることの尊さが話され、子どもたちは子どもたちなりに技術的なことだけでなく、なぜ仕事をするのか(理念、意義)をも、おぼろげながら理解してきたといえるでしょう。

 20世紀後半、高度経済成長期にはいります。ワタクシの経験からいっても、まだまだ町には野原があり、そこで野球をしたり、アパートの階段を駆け巡りながら鬼ごっこをしたりしていたものです。そこでの遊び仲間との交流から、独特の「子ども世界」を作って世間を理解し、その中で自分の位置や役割を無自覚であったにせよ学んでいました。場合によっては友達の母親から叱られることや「こわいおじさん」から大目玉を食うこともあったわけです。狭い範囲ながらも世間知を獲得していました。現代のように自室に閉じこもり、たとえ友達と一緒であるにせよ、ゲームにふけるような時間の使い方ではありませんでした。一方、高度に産業資本主義化していく現代社会の進行は、父親から子どもに語りかける時間を奪い、社会構造的にいってもナマの働きぶりをみせるような緩やかな学習を許しません。「こわいおじさん」も見かけません。よもやサラリーマンのお父さんの会社に、息子が見学にくることなどないでしょう。産業社会に生きる子どもは、働くということの実態を、親を通しては知りにくくなっていったのです。

 みようみまね、働きぶりをじかに見て、自然に多様な技術を身に付ける旧式の学びから、文字を媒介として生産能力の基礎の陶冶に転換します。ここに近現代における公教育制度下の学校が出現する根拠がありました。そこで学ばれた学校知という「近代の知」が、今後の子どもたちを規定し、やがて子どもたちは社会を作りかえていく主役に躍りでるでしょう。なお、昔ながらの家庭の教育力が学校に委譲され、その結果、学校はいわば学びを平準化していきます。学校で学んだことだけが学力として認定され尊重されるようになりますね。家庭は「宿題は終わったのか」と「学校」を鞭にして尻をたたくにとどまり、「しつけ」に専念することになります。そのしつけすら学校に押し付けているのが現代の実相ではないでしょうか。

 さらにいえば、学校が「見えざる手」によって支配されると、恐ろしい結果を引き起こしかねません。なぜなら、学校は、将来、社会を背負っていく子どもたちの知的、道徳的な側面に影響を与えるからです。市民団体や各種の学会が教育制度を監視するのは当然の権利であり仕事でしょう。家庭から教育的部分を吸い取りつつ成立した学校は、今では肥大化しきっている状態です。就業体験を推進しようと躍起になっているのは偶然ではないのですね。本来学校は、家庭、地域にまたがって機能すべきです。それゆえ、新しい学校のかたちを求めて、「開かれた学校」というスローガンの下で、今後はこれら三者の手の組み方が議論の中心となるのですね。

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