大阪府、市が公開している資料、「評価・育成システム」(以下、「システム」と略記する)の構造を確認し、検討、批判していくことにする。このシステムの下、教員に対する評価が、一体、どのような基準でなされているのか。そこに明確な、客観的な基準があるのか。それとも、主観的な判断に基づく評価なのか。府がインターネット上に公開しているこの資料が、実際に、教員に配布されているものと同一の形式、内容であることをワタクシは確認している。この点、府や市の情報公開姿勢を認めることができる。一般市民がその形式、内容をみることができるだけでも、進歩である。

| 「評価・育成システム」では、すべての教職員が学校の目標を共有し、その達成に向けた個人目標を主体的に設定して、校長等の支援を受けながら、意欲的に取り組みを進めることを基本としています。そして、子どもや保護者、同僚教職員等の意見を踏まえた自己評価と校長等による評価を通じ、教職員が自らの意欲・資質能力を一層高めることを促します。そうした教職員の取り組みを進めることによって、学校の教育活動をはじめとする様々な活動を充実させるとともに、学校や校内組織の活性化を図っていくことをめざしています。 |







上記において、教諭の評価システムについて簡単に紹介し、「Dをつけるようであれば、その管理職は新人の指導能力において無能といえよう」ということを結論として書いた。このワタクシの判断は、「システム」そのものを客観的に分析し、その「手引き@」に述べられていることに基づいて下した結果である。新人教員に対してはどういうような評価が待っているのだろうか。

「4月1日または10月1日現在において条件付採用期間中の教職員の業績・能力・総合評価は、『A』『B』『C』の3段階とします」とあるが、
5段階の「C」ならば、「業績評価と能力評価を総合すると、低い評価である」である。
「手引き@」は、「4月1日または10月1日現在において条件附採用期間中の教職員については、目標設定、評価等の扱いが一部異なります。それぞれの項を参照してください」と記し、また、「条件付採用期間中の教職員については、目標設定時の自己申告票提出の期日が、他の教職員とは別に定められます。具体的な日程については、それぞれの学校で説明があります」との注記もある。

そもそも、新採の教員に、3年、5年、あるいは10年選手と同じ仕事処理能力を要求をすること自体が間違っているのである。教育職員養成審議会答申にも、新採には「必要最小限度の資質能力」を持っていることと表記されているけれども、それは、現時点では、大学で教職に関する所要単位を修得できれば備わっているとみなされるものなのである。
もっといえば、新採など、たとえ即戦力としてがんばってほしいと思っていても、それは無理な相談なのである。いくらかは割り引いて管理職は新採を手厚く支援するのが本当なのである。そうした努力を管理職がなさず、がんばって勉強し、教採試験を合格した1年生を葬るような評価をしたということは、管理職が自分自身の人材育成能力がないということを露呈したにほかならぬ。「評価・育成システム」の名称が示すように、「評価者」は、同時に、「育成者」なのである。
教諭ほか、教職員が校長に対して意見がいえるシートを紹介しよう。それが、「様式3」として公表されている「校長への提言シート」という書類である。「手引きA」がいうように、このシートは、「学校運営をより良いものとしていくために、教職員が自らの意見を校長に伝えることを目的」とするものである。だから、これを提出する教諭等は、自由に、忌憚なく、校長の組織運営について、つまりマネジメント能力について、評価する意見や、批判的な意見を述べられるのである。
普通に考えて、学校運営(経営)をよりよくするために各先生方が、謙虚に反省して学校全体をみつめ直し綴るのであって、それを次年度の教育課程編成や学校環境整備に生かすことができれば、多少の批判的な意見がそこにあろうとも、当然ではないか。それを場合によっては、「くだらないこと書きやがって」と思う校長こそ、心を虚しくして運営の改良に取り組む姿勢に欠けているといえよう。
では、このシートの質問事項がどういうものであるのか、紹介する。
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1 次の各項目について、該当すると思う箇所に○をつけて下さい。 常に問題意識をもち、改革を進めていくために、リーダーシップを発揮して、自ら解決の道筋を示している 教職員に適時・適切な指導を行うとともに、個々の教職員の能力が最大限に発揮できるよう注意を払っている 困難な局面やトラブル発生時においても、最後まで責任を持って行動している 教職員の意見を積極的に聞き、コミュニケーションを円滑に図っている 働きやすい職場環境づくりや教職員の健康管理に努めている 体罰やセクシュアルハラスメント等のない、人権が尊重された学校環境づくりに努めている |
これらの6項目について、5段階(そう思う・どちらかといえばそう思う・どちらとも言えない・どちらかといえばそう思わない・そう思わない)に○を付けられて、校長が評価されることとなる。だから、かなり厳しい項目に○をつけようとすればつけられるが、そこは、学校運営にギスギス感を出さないためにも、ある程度いい按配に○をつけることが了解となっているだろう。このシートの写しが、教育委員会に提出されることが義務となっている。校長の評価者は教育委員会だからである。

大学の授業評価アンケートなど、無記名の匿名アンケートであったなら、いいたい放題なので、かなり厳しいことが書かれるときもある。しかし、それも真摯に受けとめて、次年度に講義する反省材料にすればいいだけの話である。(実は、ある大学で実施されていたアンケートが、無記名式から記名式に変ったとき、劇的な変化があった。提出者は激減、評価の内容は良好なものとなった。これは、教員の単位認定権を学生側が慮った結果といわずしてなんと「評価」できようか)
ところが、このシートは記名式であって、たとえば「そう思わない」に○をつけたり、下手なことを「自由意見」として書けば、校長の逆鱗に触れる。そうなれば、逆に自分に下される評価も悪くなるのではないか、と後ずさりする。実際、評価によってメリハリのある給与体系にすることが予定されているのであるから、各教諭が保身に走るのも当たり前である。
しかも、上の「1」につづいて「2」がある。それは、「校長の学校運営について提言があれば自由に書いて下さい」というものである。これに真っ向から物言える被評価者がいるだろうか。企業でいえば、社長に文句をいうことと同一である。居酒屋でつくねを喰い、麦酒を呑みながら「社長のばかやろう!」とクダを巻くのではない。実名で、堂々と、「社長、あなた間違ってますよ!」とシラフでいうのである。

ありえない。
だから、「評価・育成システム」は、いわゆる踏み絵的システムと位置付けてよく、これが正当に機能することはないといわなければならない。なんとも虚しい税金のムダ遣い的評価装置である。
なお、校長に下された評価に対する個別の教員による異議申し立ての構造について以下にまとめ、締めくくりとしよう。
ここでは、「苦情申し立て」の構造について、資料に基づき検討し、その問題点についてまとめていく。教員評価の客観的な基準が示されていないところに、この「評価・育成システム」そのものに対する教員一般の不満が集中しているといえる。おそらく、大阪府下の教員だけではなく、評価が給与に反映されている東京都はもちろん、全国の教員の心の中に、こうした不満が渦巻いている。
府では数年前に出発したばかりの「システム」であるから、手直しが期待されるが、それは現職あるいは条件附採用期間中の教員の異議申し立てにかかっているといえる。なにも問題的申告がなければ、制度は固着するからである。

そうした意味では、どしどし「異議申し立て」がなされることこそ、制度の改良に一石を投じる役割を果たすことになるし、「システム」を検証する可能性が高まる。問題は、そこまで教諭が踏み込んで、あとでたとえば評価者から嫌がらせを受けないかとか、4転(教諭は4年ごとに転勤するのが一般)のとき、片道3時間かかるような遠い勤務地へ飛ばされないかといった、教委や校長の裁量権を超えた措置に遭遇しないかどうかである。現実はどうであれ、「評価結果に対する苦情の申出及びその取扱いに関する要綱」(以下、『要綱』と略す)の第12条に、「職員は、審査会に対して苦情の申出を行ったこと、苦情対応に関し調査員が行う調査に協力したこと等により、不利益な取扱いを受けることはない」とステレオタイプではあるけれども付加条項があり、よもや、そんな「仕打ち」的措置はないと信じたい。「苦情申し立て」についての法的取り決めである「要綱」と「苦情対応要領」があるので、それを参照しよう。

評価される側の教諭は、当然その低評価に不満、つまり、評価結果について評価者(教諭の場合は校長)の見解と相違があれば、反論できる。それは「手引き@」の4に、「苦情の申出」としてまとめられている。だがすでに、それが「苦情」と表現されるところから変である。正当な評価を求める教諭の態度がなぜ「苦情」といわれなければならないのだろうか。「再評価手続」というべきであろう。
教諭は、後で述べるように「苦情」を「苦情審査会」に申告する前に、校長に主張できる。各学校で校長から評価を受けるとき、個別に直接面談する。校長は、あえて文書通告によって、たとえば「あなたはBですよ」などとは示さない。また、どのような評価であるかは、教諭自らが校長に聴きに行かないと教えてくれない。だから、驚くなかれ、ワタクシの知るかぎりだが、評価を聴きに行かない教諭もいるのが実情である。したがって、評価を聴きに行くだけでも「度胸」がいることがわかる。
そうした「度胸」を持つ教諭が、自分の立場を自覚しつつ、「苦情」を校長に述べる。これは、上司に文句をいうのと同断である。法的な争いによって人間感情が左右されるのは常であるから、文句をいえば上司の不興を買うだろう。
評価に異議申し立てる教諭は、校長に、諭されたり、場合によっては「圧力をかけられたり」し、教諭の教委への苦情申し立てが実行できないようにもっていく。なぜなら、苦情申し立てが自分の部下たる教諭から、頭を超えて教委に届けられれば、校長は教委からマイナス評価をつけられるからである。

上述のやりとりからして、「手引き@」がいうような、「苦情対応は、評価結果に対する教職員と評価者との共通認識の形成に寄与することにより、学校における信頼関係の醸成を図るとともに、評価の公正性・公平性に資することを目的としています」というのは、どうもウソ臭くなる。しかし、「教職員と評価者との共通認識の形成」は、学校運営において、きわめて重要な要因である。これは別の問題になってくるけれども、宴会などの陳腐な手段はさて置き、同僚および上司との関係形成を、もっとうまく紡ぐには、どうすればいいのだろうか。
校長とのやりとりが終了し、それでも「苦情」を教諭が申告した場合、「苦情審査会」が設置され、評価結果の信頼性が審査される。ここで問題なのは、評価が5段階であり、数値(アルファベット)のみの評価であるから、その根拠を後付けでなんとでもいえるということである。基準の曖昧性はここにある。「手引き@」では、SあるいはEの場合にのみ、その相当の理由を校長は記述式で教委に提出するようになっているのだが、中間の数値の場合は、それがない。これは、評価に不満のある教諭にとって、反撃できない構造上の不備といえる。ひとりの教員のどこがどうでBをつけた、Cをつけたと理由がないのだから、「苦情」があった場合だけ、あとで「難癖」的評価要因をつけることができるのである。

「苦情審査会」では、教諭が校長を交えて再度直接苦情をいうのではない。「苦情審査会」は、教育委員会事務局教職員室に設置されるので、教諭は直接、教委に連絡し、「苦情」申し立てするのである。この「苦情審査会」の「会長」は教育監である。ここに教諭が乗りこむわけである。
教育監とは聞きなれない肩書きだが、過去、その職にあったある大学教授は、上之宮学園の理事長に服の生地仕立券をもらったり、飲食接待を受けたりし、その見返りに、上之宮学園理事長の孫を府下の非常勤講師に採用するよう便宜を図った事件の際に有名になった役職である(府教委と上宮の贈収賄汚職事件)。教育監は教委事務局の「教職員室」の職員から調査員を任命する。「苦情」の内容を精査担当命ずるわけである。
ところで、「要綱」や、「苦情対応要領」をいくら読んでも、「苦情審査会」に校長が出頭する義務はないのである。その代わりに、「要綱」の第7条第3項に「調査員の求めに応じて、申出者又は評価者は申出事案についての内容又は評価理由を説明しなければならない」とされている。ただし、これは調査員の恣意的判断となるだろう。調査員に聞く気がなければ、校長から評価理由を引き出すことができない構造である。これは例外的だろう。裁判ではないけれども、攻撃防御法の精神からいって、「苦情審査会」に校長の同席を命じないのは、この「要領」の不備といえるのではないか。直接対面すれば、校長の評価理由が表情など言外にもあらわれ、そこから判断できることもあるからである。

最大の問題は、「苦情申し立て」の結末であろう。以下、「要綱」から引用しよう。
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(苦情対応の終了) 第9条 苦情対応は、審査結果の通知をもって終了する。 2 前項の規定にかかわらず、次の各号のいずれかに該当するときは、苦情対応を終了する。 (1)申出者が申出事案について、地方公務員法に基づく勤務条件に関する措置の要求その他の法令に基づく救済手続きに訴えたとき。 (2)申出者が苦情の申出を取り下げたとき。 (審査会の非公開) 第10条 審査会は、非公開とする。 (守秘義務) 第11条 委員及び調査員は、申出者の職及び氏名、苦情の内容その他の苦情対応に関し職務上知るに至った秘密を苦情対応に関係のない者に漏らしてはならない。 |
第9条が規定するように、通知がなされれば、それで終了である。通知で評価が覆らなければ、一体どうなるのだろうか。どうするのだろうか。第9条でわかりにくいのは、つぎの第2項である。規定をそのまま読めば、「通知をもって終了」する前に、「地方公務員法に基づく勤務条件に関する措置の要求その他の法令に基づく救済手続き」をしなければ、「審査委員会」の決定通知に納得しなければならない、のか。すなわち、通知が終了した後も、法に基づく異議申し立てができるのかどうかがわからない。通知が一方的なものであれば、救済手続きを実行するかどうするか判断する時間もない。まあ、これは深読みであろう。おそらくは、「苦情審査会」において、低評価の所以を申告した教諭に諄々と説き、(2)の「取り下げ」にまるめ込むのだろう。
あるいは、「苦情審査会」の開催期間中に、教諭に態度決定を迫り、さらなる救済を求めて措置要求するかどうか、申告した教諭に確認するのであろう。そう考えるのが普通である。
とすれば、この「苦情委員会」に「苦情」を申し立てても、それが覆らなければ、なんとかの遠吠えになってしまう。結局、「苦情」をガス抜きのようにいい放って、それで終了なのか。「評価・育成システム」は、教諭の「苦情」をまるめ込む処理を最終目標としているように思われる。そうした「システム」に血税をかけて許されるのか。

今後、この「システム」の改良すべき点は、なによりも第1に、評価基準の明確化である。学校世界に市場原理を植えつけるひとつの方策がこの「システム」の導入ならば、民間企業における厳しい客観的評価基準の規定に負けない整備をするべきである。第2に、校長の同席を確実にすることである。第3に、「要綱」の第10条を改訂し、「苦情審査会」の非公開を改めるべきである。だが、完全公開性にせよとはいえない。なぜなら、「苦情」申告した教諭が、どうしても不利益を被るからである。それゆえ、「苦情対応要領」の「第3 事案の調査等」の(3)に規定されている「苦情を申し出た職員から、第三者を同席させたい旨の意思表示があった場合は、調査員が苦情内容の聴取を行う場合に限り、職員団体役員その他府職員1名の同席を認めることとする」に改訂を加え、労使の団体交渉的に、「苦情」申し立て教諭は、ある程度(それが何名かは難しい)の人員支援を求めてよいとするべきである。