周知のように、明治18年12月、太政官制から内閣制に政治制度が刷新され、伊藤博文内閣の下、森有礼文部大臣が登場し、いわゆる諸学校令を実施した。この明治19年における教育体制の制度的改革は、以降の基本的な近代公教育制度を確立させたものであり、それは森の国家主義に裏付けられていた。従来の日本教育史の教えるところによれば、森文政の本質は、明治初期の主知主義でもなく、それにつづく10年代の徳育主義でもない国家主義教育にあるとされる(たとえば、本山幸彦『明治国家の教育思想』思文閣、1998)。しかも彼の国家主義教育の実質的内容は実業教育であると実証的に分析されている。こうした枠組の中で、森の考える徳育論はどういう意味をもつものであろうか。小論は、森の徳育論がどのようなものであるのか、その実業教育、ひいては資本主義との関連を探ろうする試みである。



『倫理書』は、凡例、第一章・概論、第二章・目的、第三章・行為ノ起源、第四章・意志、第五章・行為ノ標準の各章からなり、『森全集』で36頁の分量である(以下の資料引用は新修『森有礼全集』第2巻、278~314頁に依拠する)。この教科書の目的は、凡例にあるように、倫理研究の立場から、人の人に対して起こる所の感情が行為となってあらわれるときの、その正邪善悪を判断するのにたる標準をあきらかにすることである。したがって、道徳的に善い行為を例にあげ具体的に解説するのではなく、極めて抽象的、学術的性格が強い。また、道徳と倫理との関係の密接さを指摘しながらも、「其間、自ラ原理ト法則トノ区別アリ。倫理ハ原理ニシテ、道徳ハ、法則ナリ」といい、この書自体が道徳の法則発見を主たる課題とするのではなく、たんに倫理の標準をあきらかにするものであるとだめを押している。

ただ、児童に道徳的情操を感得させるためには、何らかの具体例は必要であろうが、「広ク例ヲ挙ゲ、詳ニ証ヲ示スハ、教師ノ任トシテ、之ヲ略セリ」とし、その資料選択を教員の自由裁量にゆだねていた。それゆえ教員個々人の責任は重くなるのだが、それだけ三気質(順良・信愛・威重)を兼ね備えた「教育の僧侶」としての教員に期待していたのである。とすれば、ここには10年代中期に模索された、徳目を注入すれば万事落着する修身教育から脱し、社会生活上の様々な場面での“よき行為”を束ねる原理をこそ、教員は自覚すべきだという「修身教育」という枠では捉え切れない森の道徳教育観が示されているように思われる。報告の論題を「道徳教育の思想」とした所以である。

さて森は、人間の行為には、各人正しい目的があるという。それは社会のため、国家のため、一身のためと大小様々である。しかし小の目的から大の目的まで見渡すとき、必ず人間には究極の目的が存在し、日常一切の目的を概括する目的があると森はみる。人はその目的に沿い人生を送るべきであろう。すなわち、「人ハ、何ノ為ニ此世ニ生活スル者ナルカ、必ズ一定ノ正鵠アリテ、之ニ嚮ヒテ進行」しなければならない。この「正鵠」=「目的」にまっしぐらに進む行動は道徳的に善であり、その逆は悪となる。ではその「究竟ノ目的」とは何か。それは「道理ニ遵ヒ、完全ナル人ト為ル」ことである。

それでは人間のあらゆる行為は、どのような起源から生まれるのか。人がある行為をなす根拠として森は体欲、欲望、情緒、聯想、習慣の五種をあげる。親と子の関係は、儒教道徳では孝として最も尊重されるが、ここにも自他の関係を認め、また、「夫妻ノ間モ、其並立ヲ求ムルニ非ザレバ、其道ヲ全クス可ラズ」と説明される。このほか兄弟の情や君臣の情など私徳についても「情緒」中の「情款(=よしみ)」の項目において一括して検討されており、つづいて人間の道徳的な行為の起源について論をすすめている。

森は「情操」が「情緒」中もっとも複雑な心の動きであるとし、道徳上の情操について次のように分析していた。ある行為の善悪を判断する場合、判断する人物の人間性によってその結果が多少かわるときもあろうが、人は善悪をみきわめるという本分をつくす心情を備えている。その心情の下、自己の行為について正しい道徳的判断を下すのは義務といえよう。だがそう判断するのは、個人(私)のためではなく、社会一般(公)の幸福を追求することにこそ意味がある。なぜなら、社会の構成員はその善追求の自発的心情を個人のレベルにとどまらせるのではなく、善良なる社会の実現、その全体の幸福に向けて協調すべきだからである。これこそが倫理の理法である。しかも善追求の心情は、「自有ノ権威」、つまり人間理性の厳しい制御をうけなければならず、この心情形成は、遺伝による場合が多いといっても、教育がその養成にあずかって力があろう、ということである。

こうした理想的社会を築くという目的達成のために、『倫理書』では個人と社会の関係が問われなければならないのであった。社会という観点は森の場合どのような意図をもって導入されたのだろうか。森にあっては、対社会における個人の行為の善悪の基準が設定されなければならないと考えられ、「抑モ人ハ、其天性トシテ、 離孤居スルコト能ハズ、相聚リテ群ヲ為シ、遂ニ社会ヲ結成スル者」と、群居の欲望を本能的にもつ人間は必ず社会を形成し、その社会の下で「人事ハ、漸次ニ錯綜シテ、人々ノ行為ハ、互ニ反響ス。即チ一個人ノ行為ハ、必ズ他ノ諸人ニ影響シ、他ノ諸人ノ行為ハ、亦重子テ一個人ノ身ニ反響ス可シ。故ニ他人ノ目的ヲ助成スルハ、自ラ其目的ヲ達スルノ道ニシテ、人ノ目的ヲ妨害スルハ、自ラ其目的ヲ放棄スルニ均シ」いのである。つまり「人ノ幸福ヲ助成スルハ、自ラ幸福ヲ享クルノ道ニシテ、自ラ道理ニ遵フハ、人ヲシテ道理ニ遵ハシムルノ道ナリ」というように、自他の相互の助けあいが理想的社会の構築、善的進歩に不可欠であり、個々人がこうした他者尊重の精神を自覚してこそ、社会とのかかわりの中で「完全ナル人」になると森は認めたのであった。

自と他がよりよく「反響」しあい、相互にその目的達成に前進すれば、「一家、一村、一郡、一国、皆調和親睦シテ、人々、福祉ヲ享有シ、社会進歩シ、一国、無限ノ隆盛ヲ致スヲ得可シ。之ニ反シテ、人、皆自己ノミヲ主トシ、他ヲ顧ミザルトキハ、一家、一村、一郡、一国、相抵触シテ、調和セズ。協力分労ノ法、茲ニ止ムノミナラズ、人々、互ニ害意ヲ生ジ、終ニ自他、各其労ヲ空シクシテ、社会、必ズ衰頽スルニ至ル可シ」なのである。社会は分業、協動体制を生み出した人間そのものの集合体であって、それゆえ社会に所属する個々人は分業、協動における相互尊重の精神を保持し、複雑な人々の動きのうちに自己が他者に与える影響を認識しなければならない。かつ、「完全ナル人」となるという人生の目的を達する道が、自他相互の善的な調和の間に生まれ、その発展にしたがって進むものであるということを忘れてはならない。そして、個々人は、自己のためにすると同時に他人のために事をなそうと慮り、自他の並立をもって行為の基準とするとき、必ず道徳的に善良な社会が構築され、国家は繁栄し、公共の福祉を国民は享受することができると森は考えたのであった。
最後に、『倫理書』の歴史的位置について述べ、まとめとしたい。それは、森の道徳教育の思想的意味をうかがうことと同意味となる。森の国家主義教育の実際が、実業教育であると分析されていることは最初に紹介した。その教育が明治20年代以降の本格的な近代化=資本主義化を射程にいれた政策であったことはまちがいない。森は、資本主義社会に不可避の労資階級の成立と、その対立を予想していた。『倫理書』のなかで、「協力」や「分労」という言葉が多用されていること自体がその証左となるだろう。

こうした資本主義社会に必然の階級対立の予防、調和あるいは緩和策として、自他並立という道徳教育を森は自信をもって用意したのである。これは、実業教育を補完するものとしての道徳教育ということができ、「倫理」としか、表現されえないものであった。しかもそれは、初等中等を貫徹して計画されたものである。階級対立によって出来するさけめを、国体主義イデオロギーを活用してふさぐのではない。対立をふせぎ、社会秩序を維持する機能を、森は自他並立という児童生徒の主観的能力の養成たる道徳にたくしたといえる。たんに文政をあずかっているという意識をこえ、日本の近代化を総体的に指導する国家官僚の一員としての政治意識あるいは政治的義務が、以上のような道徳教育を明治20年代初頭に準備させたと客観的にいうことができよう。