聾 浩の教室 聾
−掠-mode版−

驪黎道路標識

 まぎらわしい道路標識ほど、危ないものはない。どっちへ進めばいいのか、判断に迷うからである。しかも、その判断は瞬時に行なわなければならない。急に表示が出てくれば、曲がるタイミングを逸する。最悪、事故を起こす。だから、少なくとも300m前には表示があるはずである。

 急に論作文がなくなったといわれても、うれしいどころかやる気を削がれる。なんだ〜、という感想を持つ。まるで行き止まりの表示があらかじめない道をすすむようであろう。ついたてが立ててあって、小さな文字で「廃止しました」。そうならそうともっと早くいえよ、こっちは計画を立ててきているのだぞ、である。

 金がないから論作文の採点費用も出ませんというのが、そして、めんどくさいというのが廃止の本音ではなかろうか。それなら採点料1枚1000円でワタクシを雇えといいたい。よろこんで引きうけてやる。さらには、小学校と中学校と、どちらに出願しようか判断を迷わせて、いい教員が採用できると思っているのであろうか。最新式のナビゲーターでも購入するほかない。

 2002年度の大阪府の募集要項を一瞥した。小学校採用と中学校採用と小中一括採用と、それぞれ募集予定人数を示しながら選べと書いている。このあたりに府の「説明会」における質問が集中するはずである。心臓に毛が生えている受験生が会場に集まることを期待する。真意を質してきてほしい。果たしてどちらを選ぶべきか。政府や文部科学省の考え方は、「教員免許答申」に示唆されているように、複数教科や複数校種の免許状を取得するようワタクシたちに期待している。それはそれでいい。国民的な教育要求を満たす事案であろう。

 だが、採用における混乱を受験生に引き起こすのは、大阪府の失態である。この願書を手にして悩まないものはいない。なんという書き方か。府教委は、もうちょっと頭を使ってほしい。受験生はいくらかでも合格しやすいほうを選びたいと思っている。人間として当たり前の感覚である。そうした受験生心理を無視し、なんら考えもなく示せばいい、という印象である。

 来年の採用方法のための試験台のような印象すら受ける。繊細な感覚と大胆な実行、その絶妙なバランスが教員に求められている。そうした人材がほしいなら、府教委のほうでも「お役所仕事」として片付けず、きっちりとした採用方法を提示してほしい。総理じゃないが、ワタクシの主張、「誰にも自分を止められない」ようである。


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