聾 浩の教室 聾
−掠-mode版−

驪曆諸君

 代々木ゼミナール横浜の講師のようにワタクシも学生に対し厳しく叱責することはある。しかしさすがに殴ったことはない。それから、彼のように元暴走族の講師でもない。「正常に」単車を楽しんでいる。集団共同危険行為なんぞ、いささかもしない。嫁さんと2人つるんで走るのが危険な行為というならば、そのありがたい御意見を深く検討したい。

 この際白状しよう。車だと遠乗りすれば密室ゆえに会話が必要となる。車内の会話を必要とするのは好青年諸君である。静まり返る必要はないが、講義をする必要のない個人的旅行において、少しは「言葉のない空間」を享受したい。会話に代えて狭い空間に音楽を充満させるのは一方法である。だが個人の嗜好はさまざまである。ワタクシは環境音楽を好む。古いカーオーディオを奮い立たせて、ウインダムヒルレーベルなど、おちおち伴奏させるわけにはいかない。眠りを誘う音楽CDを車内に持ち込むのはご法度である。

 だが単車だと個々独立している。その点、好都合なのである。無論オーディオも付属しない。単車で風を切っていても眠ってしまう御仁がいるそうだが、ワタクシはまだそうした仙人の境地には辿りついていない。辿りつけば会話もできない涅槃の人となってしまう。会話の代わりにすべてが目配せで済む。なにも息の合っているのを自慢するのではない。それが単車のコンタクトの仕方であることを諸君に報告するまでである。

 車に比べ、逆にサービスエリアごとの休息が、新鮮な会話ではずむのである。ぺらぺらしゃべることを本分とする職業は、サービスエリア間の金なる沈黙を渇望するわけである。付き合ってすぐのころは迷わず車を選択したであろう。そのような過去はもうマフラーから排出されている。これは嫁さんにはないしょだぞ、諸君。

 それはそれとして、授業中寝るものや、私語するものには、代々木ゼミナールの講師と同様、腹が立つ。時折はむちゃくちゃ叱りつける。ましてや教室でタバコを吸われた日には辞職覚悟の殴り合いである。朝日新聞の一面に、「ワタクシは、これで、学校をやめました」と小指を立てていう昔懐かしい写真付きキャッチコピーが確認されれば、当HPの閉鎖を予想して宜しい。

 しかしですな、怒る気力もなくなるときがある。フラフラに、のされるときがあった。それは「携帯電話の着メロ」でも「枝毛とり」でもない。そんなのは可愛い。着メロも、曲名をたずね、若者の聞く音楽とはそういう種類のものなのかと伝授されたと思えば、立てたものを横にすることができよう。なにも好んで二股になりたがっているわけではないのであるから、枝毛の手入れもくるしゅうない。むかし付き合っていた彼女の心理的反応を計るバロメーターが「枝毛とり」であった。長い髪に手をやる。最初のうちはそのしぐさが女らしいと勘違いしていた。会話の最中に「これみて」と枝毛の髪を目の前にぶら下げられて、なるほどと合点した。枝毛は若かりしワタクシの恋の将来を占った水晶玉である。

 枝毛に負ける会話内容などに存在意義はない。これを現在に翻訳すれば、枝毛の手入れをされる授業などに価値はない。講義内容充実に命をかけなければならないと自戒する昨今である。つまんなそうなときに、きまって髪に手をやる法則を確認するのが、女性心理学研究の初歩である。今ではそうした過去の腹いせに、鼻毛を抜きながら居間で会話をしている。長崎の仇を居間でうつのである。今日のような夏場なら、指についたその鼻毛を扇風機で飛ばしてみようと試みるが、しっかりと着地して主人から離れがたそうである。野に咲く可憐なタンポポとの違いはここら辺にある。植物学の基礎である。今度、単車の鼻先につけてみよう。飛んでいくかもしれない。バックミラーに流れ行くその姿を見たいものである。これは嫁さんにはないしょだぞ、諸君。

 こういうことがあった。収容人数300人ほどの大教室の真ん中より少し後ろぐらいで、携帯メールを打つのでもなく、枝毛探求にいそしむのでもなく、おもむろに観音開きの鏡を飾る。15a角ほどの鏡である。裏面にはキティちゃんがあしらわれている。おヒゲもいい按配のキャラクターである。ただ、遠目からは表情からしてスマシテいるのか笑っているのか判断しがたい顔である。

 キティちゃんもそうなら、その持ち主の女学生もそんな表情である。ピンク色に白いのが遠巻きからでも映える。鏡じゃなくて参考文献を観音開きしてほしいと心中穏やかでなかったが、まぁ、コンタクトレンズのズレを直す場合もあるのだから、むげに注意はできない。頬をぷっくりさせるなど、いやな顔をされても気まずい。しかし、だ。この「日々旁午」を読んでいる好青年がその名称も関知しない器具を取り出して、顔に手を加えるのを見たときには唖然とした。ヘロヘロという副詞修飾を使うシーンは、まさにこの場に如くはない。電車がわけなく止まると乗客がイライラするのと同様に、講義は中断、ぺらぺらしゃべっていたのが止まったのだから、前を陣取る学生が怪訝な顔をする。学生は車中アナウンスを待っているといえる。こっちはサービスエリアから出発した瞬間かと過去を回想せざるを得ない。

 学生たちはワタクシが視線を注ぐ方向にワタクシと同じく釘づけになる。ビューラー。なんという美しい響き。はじめて聞いた好青年諸君なら、トヨタの新車の名称かと調べ学習をするに違いない。「オレのビューラーに乗らないか」、21世紀の殺し文句であろう。往昔もクレオパトラが使用していたのではなかろうか。胸中如何。貸してみろ、ワタクシにもその使用感をレポートし、素晴らしさを主張する権利がある。なぜなら好奇心が授業を実り豊かにするものだからである。知らない好青年にとっては、はじめて遭遇する課題に立ち向かう絶好のチャンスではないか。

 以下は蛇足に過ぎないが・・・「おかしいな、入らないな」。鼻毛にあてるのではない、睫毛にあてるのである。これは嫁さんにはないしょだぞ、諸君。


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