聾 浩の教室 聾
−掠-mode版−

驪年FA宣言

 舞鶴はいいところである。もう何度もツーリングしているが、海の幸豊富で爽やかな潮風漂う港町である。

 東西を走る27号のある地点を起点とし、南北に1本太い幹線国道があり、この町を2つに分けつつインポートとエキスポートに貢献している。大江山の険しい道のりを峠越えする苦悩は遠く昔日の井戸端話となった。さらに赤信号で何度も停止を余儀なくさせるところの、ウンザリする輸送業務からも開放された。新しい高速が完備されたのである。

 だが見知らぬ間に連れ去られたひとたちのことは、昔日の噂話からなくなりそうもない。また、大漁告げる漁船からの笑い声と違い、囂々とした機械音を潮風が運んでくることに、心ある人びとは憂いを漂わせている。

 もう少し足を伸ばして丹後半島は舟屋を訪ねるといい。鄙びた風景とカモメが歓迎してくれる。都会の人間なら沈静作用を感ずること間違いない。ええにょぼ的人びとの営みが歴史を作っている。その暮しと人情には、古きよき共同体意識はあるであろうが、都会者だからといって侵入拒否するような掟を定めていないだろう。穏やかさと優しさとをたずさえた街並みである。

 例の教員FA制が動き出した。京都府下3000有余名の先生方のうち、約5lがFA名簿に記載されたそうである。京都のこうした大胆な改革は、真に改革の名に値する。文部科学省を1歩も2歩もリードする試みと評価できる。図体が大きく腰の重い中央官庁に対し、京都のフットワークは見事である。大原女の健脚と物腰の柔らかさが偲ばれる。地方教育行政と中央教育行政の併存の意味が立証されたといえよう。

 異動するバリバリ教員は、自己の指導能力を信じて新天地で力を存分に発揮してほしい。だが、その先生が去り行く跡をいかにして埋めるか、それが残された課題のひとつとなる。改革断行京都であるから善後策は整えているのであろう。しかしもうひとつの残された課題の方が気になっている。

 果たして、FA宣言した先生方は、京都府下のどのような地域に多いのであろうか。交通の利便、都市的活況をもとめる2次欲求ニュアンスが教員的情熱を上回ることがないよう祈る。老婆心ながらここに記す


i-topもくじ