聾 浩の教室 聾
−掠-mode版−

驪憐贈る言葉

 ひとは独り生れ来て、独り死に行く孤独な存在である。だからこそ生涯を誠実に生き、孤独な実存を営み、発見した実存的課題解決を達成しようとする。

 時計職人は時を刻むといういわば「労働」を時計に与え、時計をしてこの世に産出せしめ、存在せしめる。職人の設計思想は、時計を手にしただけで理解される。

 神は人間を作りたもうたが、何らかの確たる使命を与えて、この世にワタクシたちを創造したわけではない。神の設計思想は、ひとを外見からうかがっても確認されない。

 この世に作られ来たった人間は、神に賦与されなかったおのが存在理由を、個々独力のうちに求めざるを得ない。自己の生きる意味を見出さないと済まない。それゆえ若者は懊悩する。それが実存の艱難といえる。だから、自分の向かうべき道の探索に苦しみ、あるいは師にライトアップマイライフを求め、あるいは先輩に指南を頼むようになる。

 かような助力を得て、いったい自己の存在を社会的に証明するには何を以ってすればいいのか、そこに悩み、回答を求めるとき、千里の道のスタートラインが漁り火のように見えてくる。

 「自分探しの旅」と、カッコよく答申はワタクシたちの耳朶を打つようにいうが、この言葉の重みを計る測量計はない。さらには自分探しの旅が青春時代で完了するわけもない。ものさしもないのである。

 新成人の悪太郎ぶりをいささか笑えぬ大人のひとりであるワタクシは、迷いの森から這い出していない。古希を迎えても至難であろう。たとえば教員の端くれとして、果たして何らかの道標を若者たちに示してきたか。否、雪隠の裸電球より暗い。

 だが、ワタクシたち教員の一言一句は、たとえ裸電球程度のワット数であっても、それなりに児童生徒に淡い光を与えていることに、思い致すべきであろう。そうした裸電球や豆電球であったとしても、それらが集まって、校内の教室を隈なく照らすなら、そこは楽園となる。

 教育史で学んだペスタロッチのシュタンツやデューイのシカゴスクール、沢柳の成城学園は、そんなところではなかっただろうか。学ぶ喜びと笑いの絶えない児童生徒を育てる義務を背負った、若き教員たちに贈る言葉である。

 電源を必要とする裸電球から、決して消えることなき自立した雄々しい松明になっていただきたい。

 最近、ある祝いの会合に参加できなかったワタクシが、ワタクシなどを慕ってくれる若者のために用意していた挨拶の簡単なメモを、ここに綴る


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