聾 浩の教室 聾
−掠-mode版−

麗戀小楠

 アメリカと歩調を合わせて進む日本の姿勢を叱りつけた、こういう味わうべき崇高な発言がある。

 「日本に仁義の大道を起こさねばならない。強国になるのではない。強あれば必ず弱がある。この仁義の道をあきらかにして、世界の世話やきにならねばならない。一発で一万も二万も戦死するというようなことは必ず止めさせなければならない」、「日本は世界第一等の国にならなければならない」。

 この言葉を鏡として政府を映し出せば、純総理と石防衛庁長官が道を踏みはずそうとしている形相がみえる。

 第一に、日本は、アメリカとの武器開発協力だけでなく、その他国々との開発も実施しようと予定している。武器商人の末路は、自分の作った武器にやられるものである。第二に、イラク問題と関わって、自衛隊三軍幕僚長の定例インタヴューが廃止されるようである。これはアメリカの場合より酷い。民主主義的表皮を食い破って、体内にずっと巣くっていた大本営的精神がでてきたかのようである。

 およそ官僚の報告は蟹報告と形容していい。防衛庁制服組は言葉にならぬ言葉を、蟹の泡のように出して、プレスの質問に顔をゆがめていた。はやく満潮が来て体を隠せないか、横走りしたさが画面に充満していた。どう考えても理屈が立たないことを説明せよと、上層部に命令され、それを伝達しようというのであるから哀れである。宮仕えとはみじめである。みじめではあるが、可哀想ではない。いやなら役目を降りればいいだけであろう。

 こうしたスポークスマンが石のスケープゴートになるだけ、まだ事態はましなのかもしれない。役人から、上意下達で虎の威を借り、高圧的に「イラク軍事現場報告廃止」を謹告されてはたまったもんじゃない。国民に対する「軍事的な」アカウンタビリティーの欠如を許したのは、前回総選挙の争点に戦争と平和の問題がなかった、あるいはあっても関心が低かったところに、つまりワタクシたちの問題意識の低落に遠因があった。

 いま、ミリタリズムをシヴィリアンが抑え、コントロール化においているようにみえる。だが、戦前の軍国主義と違い、シビリアンが主導のもと両者は結託しているようにもみえる。政府のプレス対応無視に関連し、枝野氏が劇薬的表現を持って民主主義を守護しようとした姿勢は、たんに男義があるなあと鑑賞する対象ではない。なぜなら、ことはポピュラーコントロールの機能を簒奪されることにほかならないからである。

 冒頭の言葉は、今を去ること150年、幕末期に活躍した経世家の言葉である。なんと立派な先輩を、ワタクシたちは持っていることよ。眠らせてはならない言葉であろう


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