聾 浩の教室 聾
−掠-mode版−

麗曆宇治

 学校をめぐる暴力事件が頻発している不思議な歳末(2003)である。宇治や伊丹の小学校に不審者が侵入して子どもに手をかけた。命に別条がなくホッとした。だが許される行為とはほど遠い。

 池田小の教訓が活かされていないと批判が飛び交う中、冷静になりたいものである。なぜこうした事件が続発するのかは分析できても、どうすれば防止できるのかには、避難訓練的に不審者対応を地道にやるしか方策はまだなかろう。

 責任能力が認定された容疑者の場合であるならば、学校教育に対する怨恨であろうか。宅間の場合はここに少なからざる理由があった。

 自分勝手な社会への恨みと自己の将来への失望感を前提とし、学歴社会を憎悪するあまりその怨恨が具現した結果、「ぬくぬくとした学校で学ぶ上流階級の子弟」に刃が向けられた。彼は多くを語らず法廷を後にし、ワタクシたちの側では「動機はこうであろう」という推測を立てた。当らずも遠からず、であった。

 しかし、宇治や伊丹の犯罪は、詳しく未だ報道されていないこともあって、その理由がわからない。報道あるいは新聞解説が少ないことが、逆にこの種の事件の日常性を裏付けする。まして責任能力を問われないものの犯罪であったとすれば、そのまま有効な手だてや動機を論議することなく、「障害者犯罪法」とでもいうべきものを立法して万事終わりとしゃんしゃんし、障害児教育に理解のある国民代表が反対の論拠を述べるといういつもの決着になる。これはこれで問題である。

 ところで子どもは社会から保護対象だと守られ、社会あるいは「男たち」は、「弱いものをいじめるな」、「どうせ子どものやることだ」、「泣くのが子どもの仕事」という漁師のキップのよさを連想させる気概があって、両者がうまくリンクし、社会は平静を保ってきたといえよう。

 そうした規範意識ないし美意識が崩壊したところに、こうした事件が続発した遠因があるのではなかろうか。しかしただたんに共同体の再生によって、この種の事件が解消されるほど甘くはない。意識の再生ではないからである。

 しかも一度緩んだ規範の手綱はどの騎手も締めることはできない。新しく形成せんとする共同体という生活集団の内からは、人びとを融和的に連結し紐帯する力を産み出さない。

 1970年代などは、まだその美意識が残存していた時代であったといえる。たとえば、その変成意識を若者は共有していた。高校生のケンカにしても、男同士のにらみ合いはいざしらず、女の子とデートしている男には、そうそうケンカをフッカケルこともなかっただろう。暗黙のルールといっていいし、そういう一種の男らしさがあった。そうしたバンカラはバブル時代の中で喪失した。それが「女性の時代」の出発と交差しているのは皮肉である。

 また、子どもは自らを弱者だと自覚していないが、親や社会はそう扱ってきた。それが現在、言葉の真の意味で「社会的弱者」になった。塀を乗り越えてまで侵入し頭を引っぱたくなんてことは、子どもを弱者だと思いきっているからこそできる野蛮である。

 事件の犯人は物理的に負ける必然性のない子ども相手にしか暴力をふるえなかったのであろう。防止策はカメラを設置することでもなければ、門を締めたかどうかを議論することでもない。いわんや校庭に警官がウロウロする風景はイラクを髣髴させよう。門さえ締めて解決するのであれば苦労はしない。

 その点、女性校長のテレビインタヴューはそこに終始し、見ているものをして「あ〜あ」と観念させてしまった。塀に忍者返しの鉄条網でもはわせるか。それは学校と監獄の一致を感じさせる。

 社会規範が崩壊していることを秩序意識の再構成で保持しようとするのはきわめて困難である。だがこの難問をクリアしない限り根本的解決にはいたらない。刑法厳罰化で犯罪発生率を抑えようとするほうが簡単であるが、これは表面的に事件件数が減るに過ぎず、続発は止まらない。

 社会規範崩壊の遠因が現代史的に形成されているがゆえに、防止策もまた10年スパンでないと見出されないといえる。学校が共生の舞台であるという幻想をかなぐり捨て、旧ソ連ばりに学校廃止論でも主張するか、それとも即効薬としてゴリラガードをつけるか。根治の策はまだみえない


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