聾 浩の教室 聾
−掠-mode版−

麗年読書

 遅々として進まないのである。読書のことである。露伴の『努力論』は余暇の読書であるので、いまのところ気休めに読んでいるのであるが、この度のは自分の研究のための文献なので、漢和辞典を左手にえっちらおっちらやっているものだからそれもしょうがないといえる。

 読んでいるのは四書五経のひとつ『書経』である。『書経』を読むために読んでいるのではなく、『書経』的知識を理解しないと目的とする文献を読めないのである。

 本人は、この難解な中国古典の原文及び解説文を精読しているつもり。だが傍から見れば粗読だろう。2時間もすれば粗読の毒が廻ってくる。酩酊調子でフラフラ読み進めると結局意味不明で辿りなおさなければならない。

 新字源にない漢字が登場すれば、広漢和に頼る。ここでわからなければ手元不如意で買いそびれた大辞典を求めて大学書庫にいかねばならない。2時間で3頁位の平均速度である。

 身に付いたかどうかは別として、我が師にこうした精読を厳しく教え込まれた。一字一句忽せにせず解読解釈するその姿勢は、飽くなき探究心と文献に対する極めて深い興味が伴わなければできない仕業である。年間30回×90分で、1冊読んだかどうか疑わしかった。

 いま、「粗毒」に堕してしまったもののそれなりに文献に食らいつく根気を保てるのは、こうした経験が与って力がある。若い時に苦しんで殴られて読んできた。読書経験は宝だなと、いまさらながらに思う。

 うちの弟の娘の名を「なっちゃん」という。モー娘。を目指しているかどうかは、右手にアイスクリームをかざしてこの2歳児を尋問しなければわからない。

 オヤジになった弟曰く、勉強でけへんでもええねん、算数できひんでもええねん、けどな、兄ちゃん、なっちゃんな、本好きにしたいねん、そういって大都会へ戻っていった。門松とれて長く怠けし頭を叩く、なるほど昔の文人は新春気分をうまく諌めている


i-topもくじ