聾 浩の教室 聾
−掠-mode版−

黎猫

「ああ、いい趣味ですね」などと人は評する。一種の誉め言葉である。この「趣味」なるいい回しは、コレクターの意味ではなく、センスがいいというときの感覚に近い。主義・主観と受け止めていい。ワタクシはワタクシなりの趣味を持っている。それに合わないものを受け入れるのは苦しい。漱石先生もそういっている。

 仕事の場で、厳しくモノをいうことが多々ある。他人になんと思われようとも、自分では愛情持って叱っているつもりである。叱ったことを批判されたら、立ち止まって考える余裕も持てるようになってきた。つまり、中年になったということであろう。他方、WEB上で、苦々しい気分にさせられることもある。感情でモノを書くのはいけないが、趣味が合わないのだから仕方がない。

 これが目に入ってきた。「狭い額でもOK『猫でもわかる〜』」との見出しである。げんなりした。まずいものを食ったあとのようである。こいつは許せない。この手のHP名をつけたサイトは数あると思うが、ワタクシの趣味とは合わない。だから、見ない。猫でも犬でもわかる、などという言葉に、愛情はない。断じてない。猫でも、ということは、猫を馬鹿にして、あるいは、馬鹿を猫で象徴させているということである。本来は、「馬鹿でもわかる〜」である。まして、「『猫でもわかる〜』は、前頭葉が発達していない猫でもわかるらしい易しい〜入門サイト」などと説明された日には、「くそやろう」の一言でも投げつけてやりたい。

 無視すればいいじゃないか、と人はいう。だが、そうしなかった。なぜか。なぜなら、もしかして、恐れながらワタクシのHPを見て、近い将来先生になって、子どもと一緒にHPを運営したいと夢を持っている方がいらっしゃるかもしれないからである。ワタクシの陳腐なHPにも、毎日100人ほどの方がきてくださっている。ありがたいことである。その方々が、HPを作成されるとすれば、このような心ない題をつけてほしくないからである。無論、そんな方はいないだろうが、ダメを押しているのである。さらにいうなら、ワタクシのこの「趣味」を、ここをご覧のみなさんにも持ってほしいからである。ほかでもない、これはワタクシの押し付けである。だから、賛同しない方は「趣味」がちがったのだとご理解いただきたい。

 憲法で動物愛護の条文を設けるか設けないかなどと、どこかの国では議論されているが、そんなことは法でなく人間性が決定することである。そして、こまやかなやさしい人間性を、人はもともと持っているものであるとワタクシは信頼している。


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