聾 浩の教室 聾
−掠-mode版−

黎驪地震と猫

 95年であったから、もう9年も前になるのか。忘却の彼方に消えいらんとする阪神大震災のことである。当時、神戸のとある学校で教えていたワタクシの後期は、忘れていた自然の恐怖が奪っていった。

 残ったのは、何処に怒りの矛先を向けていいのか戸惑い、肉親の死や負傷、また愛着と思い出つまった我が家の瓦礫化に、すべての生気を吸い取られ、乾ききってしまった人びとの顔であった。

 その次の年から毎年、講義の冒頭では、震災の悲惨に触れてからはじめるのを自分に課した。ワタクシの講義を受けてくれるものの中に、神戸出身の学生がいないとは限らないからである。

 震災で棲家をなくし、一家6人がほぼ1年間ワンルームマンションで暮らさなければならなくなった女子学生の悲話を思い出す。そこにプライベートはない。

 また、親友がベッドの下敷きになり、がっちり万力で挟まれたかのような抜けない腕を火事場の力で引っこ抜き、一命をとりとめたことを思い出す。燃え盛る火が、親友を呑み込もうかとしている距離にまで近づき、彼の父が彼の名を連呼する修羅である。親友の左の指の数本は、今でも不自由である。

 ワタクシはNHKに依頼して、親友の名をラジオ放送で流してもらうことしかできなかった。無力であった。彼の結婚記念日は、その後何度目かにめぐってきたこの17日である。曰く、震災も結婚も、絶対忘れられないから、である。

 神戸のユニークな教育活動に、トライやるウィークという全国的に知られた実践がある。震災の傷癒えぬ頃、小学生であったか、彼らの掲げたテーマは「なぜ町に猫がいないのか」であった。

 イヌは人間とともに行動し、各避難所の電柱にくくりつけられながらも、人間と生活を共にしていた。しかし放し飼いが常態であった猫は、子どもや大人の周囲から姿を消した。その猫を探そうとするのである。

 大人はこの先の生活をどうするか右往左往し、他人のことなど構ってられない精神状態に追いつめられていたにもかかわらず、子どもは、猫の行方を気遣っているのである。なんと優しい心をもっているではないか。大人が子どもに教えられた瞬間であった。

 それから復興は沈着冷静に進んでいったかにみえる。しかしその爪痕は想像以上に深い


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