聾 浩の教室 聾
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黎黎憲法と教基法

 お茶葉をいれてから湯を注ぐのが普通であり、急須に湯を注いでからお茶葉を入れるのは、日本流儀としては過った作法であろう。

 教育基本法の改正が先か、日本国憲法の改正が先か、どちらを政府は優先したかったのであろうか。こうした国家的秩序の大きな変革に体制が手を染め出したのは、ロンヤスが仲良しになり、日米関係の安定が約束された80年代中盤、中曽根首相のいわゆる「戦後政治の総決算」事業以降であろう。

 憲法改正論者中曽根のDNAは自民保守本流の瓦解=橋本派分裂に伴い、ねじれた形で「変人」純ちゃんに継承されているように映る。

 思うに、80年代中盤における国家整備の手はじめは、経済面における土光民活政策を筆頭としつつ、国家秩序再編成のための基本法の改正にあったのであり、体制は基本法改正をジャンピングボードに、本丸憲法の改正を構想していたといえる。教育基本法改正は、いずれかといえば改正し易いところから手を付ける発想の所産であって、教化領域を活用し、国民の内面的自由を鋳型に嵌め、透明な紐帯を国民意識に絡める。いわゆる体制に都合のよい世論や「公共」が紐帯によって形成されてから、憲法改正手続きを強引に敢行しようと体制は企んでいた。

 憲法と基本法、両者の順番違わぬ改正に踏み込める土壌を耕していた時期、それが90年代であろう。残念ながらバブルがはじけた世相のもと、お茶葉の煎じ方がくるい、現在では少なくとも同時平行、もっといえば憲法改正論議の方が先走り、与野党の論戦の焦点となっている。

 なぜくるったのか。それは当然のことながらイラクおよび北朝鮮の問題が発生したからである。軍事的世界情勢は、基本法改正から憲法改正へ接続させようとする青写真の現像に待ったをかけた。その意味では、国内的な秩序構想のはしごをとっぱらわれたようなものであろう。

 しかもこのような秩序構想のでんぐりがえしに純ちゃんは無頓着な風である。自民党結党のン年記念に改正憲法草案をぶちまけようとするのだから。

 こうした政治状況を是ととるか非ととるか、沸かしたヤカンに麦茶パックを放り込むがごとき改正の同時平行は、体制にとって手順前後である以上、つけこむ隙がある。その隙に鉄槌を撃つのが民主党のデモクラティクな役割であって、安易に純ちゃんと握手するのは過ちである。

 菅氏が袖を振ったのは、その限りで正しい。だが、建国義勇軍・刀剣友の会の顧問をかってでていた議員や、斬新な国連常備軍の創設とそこへの参加を主張する角栄の秘蔵っ子を、それでなくても寄り合い所帯の民主党が内包している限り、隙につけこむどころか隙を埋めてしまう可能性がある。

 現状では民主党左派系を凝集点に、反自民勢力の声を増幅しなければ、総理の政治的地位を「期限付きの独裁者」といってはばからない自民党参議院議員をのさばらせてしまい、この言葉に込められている権力の野望を達成させてしまうであろう。

 隙あらば攻める、この姿勢が肝要である


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