聾 浩の教室 聾
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黎力勝ち組負け組

 ワタクシは、「勝ち組、負け組」と、社会階層を連想させ得る言葉は好きではない。

 どのような状態に至れば「勝ち組」なのか、社会に蔓延しているこの言葉を実際に聞いた経験や、これを使う週刊誌の記事を分析すると、かなりストレートな意味に使用されているように思われる。そしてこの言葉を若者が好んで使うのに、ちょっぴり危惧している。

 どうやら経済的成功イコール「勝ち組」らしい。とすると、貧困な状態に陥ったならば「負け組」となる。当然こうした言葉を使う若者は「勝ち組」に入りたいと考えている。「勝ち組」の人びとは、「負け組」のことなど考えないのであろう。政治家ですら福祉政策を語り「社会的弱者」救済を標榜しているのにである。

 他人のことなど考えない自己中心性からこうした言葉が口をつくのではなかろうか。ワタクシのこうした了解が正しいとするならば、若者は余りにも短絡的な範疇分けをするものであると嘆かざるをえない。

 「勝ち組」という言葉をあえて使えば、ひとはひとに導かれて、「勝ち組」に入るのではないのだろうか。己を空しくし、こころをそこに到達させれば、他者に対する思いやりが生じるものであろう。また、表面的な「勝ち組」志望者には、あらゆる悩みは存在しない。カネを得るために一生懸命でありさえすればいいからである。24時間働きたまえ、カネ持ちになれること請け合いである。

 ところでカネには魔力が備わっている。カネにはひとを支配する力がある。そして、カネにひとの価値以上のものを見出してしまうケースもある。その特性として、カネはカネを産む。無生物で子を産むのはカネだけであろう。カネは寝ない。常に目を覚ましている。およそ人間的ではない。企業家であるなら、一日寝て、朝起きると、金利が増え借金がまた嵩んだことに悩ませられる。財産をもつものは通帳の印字をみて、かすかに増えたカネの嵩に一喜する。

 だがカネを胃袋にしまい込む者がいないように、カネは自分の肉体の一部分にはならない。英語がしゃべれるものを横にして、いいなあ、と羨む。金庫の奥深くしまっていても、カネは盗られる可能性をもっている。しかし、英語をしゃべる能力は盗られることがない。身に付いた技能、技量はほぼ死ぬまで失われることはない。

 さらには、親友はカネで買えないし、いわんや愛も買えない。そのほか、健康、勇気、若さ、感性、カネで買えないものばかりである。

 たしかに柳葉氏や矢田氏がいうように「よーく考えよー、お金は大事だよ〜」ではあるが、すべてを金に還元して捉えるところに人間の堕落がはじまるのかもしれない。

 教育の目的は「人格の完成」にあるのであって、経済的成功ではない。個人的な感想をいえば、たとえアフリカ大陸の4分の1か、3分の1か買える財産を手にしているとしても、歯があるのか、ないのかわからないビルゲイツになりたいとは思わない。

 だが、ビルゲイツのテクノロジーには脱帽である。尊敬の対象である。彼の恩恵を受けて、こうしてIEを利用しているからである。その意味では、カネの獲得ではなく、なにか価値を産み出す主体にまで自己を高めることこそが肝要であろう。

 「勝ち組」ならぬ価値を生み出す「価値組」にならなければならないのではなかろうか


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