聾 浩の教室 聾
−掠-mode版−

黎憐地獄の館

 かなり不細工な過ごし方をしたけれど、ワタクシにも青春時代があった。懐かしいその1ページを披露すると、東京ディズニーランドに苦しんだこともある。誰と一緒にいったのかは、家庭の問題があるのでここではふせる。

 しかし自己の名誉のためにいっておけば、少なくとも野郎と2人で苦しみをともにしたのではない。

 TDLに入園して驚いたことは、園内はまばら、人がいないことであった。心斎橋の雑踏に慣れているワタクシには不自然極まりなかった。アイスクリーム売り場にも人だかりがない。閑散とした園内をゆるりと歩いていて了解した。みなアトラクションに辛抱強く並んでいるのである。

 ご丁寧にも数ヶ国語で遊戯機械を説明しているアテンションの掲示に、国際化あるいは日本社会の多民族化を実感しつつ、「順番待ち、ここまで1時間」と、ひとをおちょくる看板が、区画に物言わず従う行列の真ん中に立てられていた。

 世界で一番渋滞が嫌いで、一度、新御堂筋渋滞の原因を作っている先頭車両に意見しにいってやろうと計画しているワタクシは、TDLには二度といかんと固く決心した。

 それでも2、3は乗らないと、ワザワザ来た意味もないし、バイトの子が中に入り、汗だくで演じているミッキーと写真をとったところで、将来に恥を残す結果となる。オールインワンになったチケットがもったいないと貧乏根性丸出しで、暗闇の中をスゲー速度でコーストするアトラクションにも渋々並んだのであるが、とりわけ気にいったのは、ササッと入場できるオバケ屋敷系のアトラクションであった。

 客の回転が早いのがよい。蕎麦好き、回転寿司好きの人格は、ここでもその主張を変えないわけである。

 さて、「地獄の館」との形容を聞き、無理やり並ばせられる以上の苦しみがあるのを瞬時に理解した。ここにはササッと入れないらしい。

 例の中3生が骨と皮に化身した、我が地元大阪の虐待事件である。法医学の専門家をして、これ程ひどいのは稀、といわしめた凄惨さである。被虐待生徒が通学していた岸和田のある中学校校長が、TVで悔しさを滲ませながらインタヴューに応じている一方、したり顔でPTAが吠えていた。

 無理もない。

 学校は手を拱いているしかなかったのか。学校に厳しく責任追及するPTAのお歴々は、自分たちの無力を省みず、ただ学校に不信感をぶちかましていたように映った。何処に責任があるのかと問われれば、当然学校にその一端があるのはいうまでもない。

 が、しかし、地域の人びとに責任がないとはいえない。むしろ責任は地域にある。鬼のようなコワモテを相手に、なにかいえるのかといわれればたじろぎもしよう。だが同校保護者の誰かが率先して、警察であれ、児童相談所であれ、1人でも通報あるいは密告していたか。そう、密告でもいいじゃないか。もしそうなら、全く別の展開になっていたかもしれない。

 3者連携のトライアングルの中で、健やかな児童生徒の成長を願いましょうとの掛け声は、掛け声倒れといわざるをえない。保護者はどこかアトラクションに並んでいたのではないか。

 順番を抜かされてはたまらない、被虐待児童のことをウワサで知っていながら、自分は並ぶのに一生懸命だったのではないか。

 その気になればササッと入場できる「地獄の館」なんて、いつでもいいと考えたのではないか。

 通報する保護者の数がひとり、ふたり、百人となれば、行政機関だって本気になって動かざるをえない。そんなもんじゃないのか。人のいない閑散としたスクールゾーン、泥縄式の会合をもつ地域住民の世界、誰かがなにかしてくれるという他力本願な態度、そうした要因が幾重にも折り重なって、「あっこ、ちょっとおかしいんちゃうか」と微妙な表現をもってして現実を告発しようとした同校多数生徒を無視する最悪の顛末を迎えそうになった。

 地域の教育力は空しい。地域の復権もほど遠い。日本には、知られていない「地獄の館」がまだまだあるのではなかろうか。


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