聾 浩の教室 聾
−掠-mode版−

力深夜のファミリーレストラン

 この夏(2002)、PCを携えて出かけるのが多くなった。深夜のファミリーレストランである。HP運営は、かなり「自分の時間なるもの」を消費するが、楽しみであることは間違いない。ワタクシの仕事や読書や諸々の時間と更新に要する時間との配分に、けじめをつけなければならない。それで思い立ったのである。

 もっと人が少ないであろうと予想していた。ところがどっこい、ざわめきが聞こえるほどの盛況である。平日でそうであるから、土日前夜は推して知るべしである。楽しそうに笑う若者の集団から、飲み屋のねーちゃんを連れた泥酔オヤジ、タバコに火がついているにもかかわらず眠りこける一人客、はては暴走族のミニ集会まで、そんな連中にかこまれてキーボードを打つ。小学生がいたときはびっくりした。夏休みだなあというほかない。生活リズムがくるうのではないかといらぬおせっかい的感想を持った。

 最初の仕事は、テーブルを片付けることである。デフォルトの設置は作業に不適当だからである。砂糖の壷を隅に追いやり、紙ナフキンの束が入ったアルミの入れ物を移動する。アルミにはぶっきらぼうにトランプのクラブのマークが鋳抜かれている。「もう一品いかがですか」の宣伝を遠くに置く。砂糖壷をぶちまけてPCに混入したとしても大したことはない。浜辺で砂を払うようにPCをふってやればそれでいい。大敵は、おひやといえる。あらかじめ敷いた紙ナフキンにうまく着地するようウエイターを誘導する。通路側にコップをおきつづけることはない。アクシデントは避けなければならない。おひやとPCとは、テーブルの対角線上、最大距離をとる。数学的にいうと第1象限と第3象限に両者を位置付ける。注文品はアナザーカップOKのホット、漱石以上は使わない。それを注意深く扱うことを誓い、第4象限に場所を定める。

 準備が整い次第、作業に取り掛かる。時間はバッテリーが保証する2時間しかない。ウルトラマンよりは生命力がある。ソフトを立ち上げ、この「旁午」の文章を「倉庫」のページにコピーする。つづいてオフライン作業のIEから、本日のめぼしい記事をとりあげ、コメントをひねりだす。みるのはおよそ20ページぐらいか。わかるよう、わからぬようコメントを書くのは、それはそれで苦心する。全部理解されては負け、読者に一つ理解できないコメントがあればこちらの勝ち、と勝手に基準を設けて、にやにやしながらまとめる。

 この作業が終了する頃合にウエイターと目があえばいいのだが、その確率は低い。テーブルに呼び出しボタンは設置されていないので、手招きするほかない。他客の注文に便乗して依頼できるのがベストである。2杯目を飲みながら「論作文道場」投稿論文を読んだり、「教育エッセイ」の文章を考えたりする。赤ペンでコメントをいれる論作文には気を使う。さすがに投稿論文を完全破壊するような言葉は書けない。普段より2割引の感覚である。実際、面と向かってなら、もっとコメントするだろうと思いながら切り上げることもある。不特定多数に向かって情報を発信する以上、「キミ、一からやり直しね」と自動車教習所の教官のようにばっさり斬ることは、投稿者の心情を慮れば躊躇するほかない。ワタクシのコメントを読んで、切腹されれば困るなと時代錯誤の習俗を空想するときもあった。

 今日もそろそろバッテリーが10lを切るアナウンスが聞こえた。この声が男性でなくてよかったと思いながら「電源を切れる状態にする」を選択する。あとは、最大の課題、帰宅して嫁はんを起こさないようにする義務をまっとうするだけである。


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