聾 浩の教室 聾
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曆戀教育課程編成

 前期中等教育と後期中等教育の教育内容を自由に交換または配分し、生徒の希望に叶った教育課程を作っていい。こういわれれば、学校関係者、保護者を問わず誰しもが魅力的に感じ、2次関数と3次関数など教育内容を連続的に取り上げたり、英語の会話など似通った単元を組み合わせ、一時に高度な教育内容を系統的に学習できたりするのであろうと未来図を連想させる。

 教育課程の編成の幅に、このような柔軟性が生まれることによって、学校は独自路線を走ることができ、「特色ある学校づくり」を計画する上でも魅力的であろう。こうした編成の柔軟性が中高一貫教育校にだけ認められようとしている。

 もしこの柔軟性を最大限に生かし、大学入試対応のカリキュラムを組むとすれば、これは保護者にとって願ってもない学校の在り方になる。高校の古典を中学から学べますと宣伝されれば、これは大学受験に役に立つと保護者は勘違いし、その校目指して「受験」が白熱する。

 現代のぬるま湯のようなカリキュラムが多い中で、ここだけ学問中心カリキュラムでやってます、というようなものである。学校側も売り込み文句を考案しやすい。なによりも学校紹介パンフレットに、多様なカリキュラムを並列明記できるやもしれず、あとは保護者のチョイスに任せますと謳うこともできそうである。

 表面的には多様な進路を見据えた個性尊重の校風ですと紹介できる。学校の思惑ひとつで、受験重視校に改編できるのである。

 全国の公立中高一貫教育校118校のうち、このフレキシブルな教育課程編成に手を染めない学校は馬鹿であろう。もし手を付けないとすれば、チャンスをモノにできない学校という悪評判がついてまわるに違いない。なぜなら、普通の高校中学に認めていない、こうしたかなりの特権を無視して、なんのための中高一貫教育なのか、と必ずや批判を浴びるようになるからである。

 しかし、このチャンスの波に乗れない中高一貫教育校が出現する可能性は高い。なにしろ、これだけ編成の自由度をあげるわけだから、そこに勤める教員たちは、闇夜の中を手探りで進んで行く冒険家の心境を味わうのではなかろうか。

 いまのところ前期中等教育に入学する段階で学力試験が課されていないのであるから、教育対象の学力を把握せず夢のような教育課程を編成せよと世間から要求されたって、これはキリキリ胃が痛くなる作業であろう。なにかお茶を濁したような教育課程を用意するのが関の山である。そしてこうした前例のない、創意工夫を加える編成は、そえゆえにこそ中高一貫教育校間の連携を密にする。

 独自路線はどこ吹く風、中高一貫教育校連合教育課程研究会のようなものができ、そこでモデルカリキュラムがしあがり、それを各学校が持ってかえって簡単に塩胡椒するお手軽料理的教育課程となるのではなかろうか。

 前例のないものに、ことのほか日本人は恐れるが、それは進取の気溢れる教育界にも流通している廃棄すべき官僚的体質である。将来エリート教育を担当することになる中高一貫教育校のお手並み拝見といこう


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