聾 浩の教室 聾
−掠-mode版−

歷とあるBarを惜しむ

 ハタチくらいの学生にとって、バイトに齷齪して貯めた2万円は大金である。いまから15年は前の2万円である。時給は600円が普通、700円もらえたら御の字の時代であった。野坂昭如氏のようにイヌ洗いはしなかったが、様々なバイトを経験した。家庭教師や塾の講師など教育に関することはいうまでもなく、バーテンやビリヤードの店員、工場労働、夏休み1ヶ月間駐在し、海の家の「にーちゃん」をしたこともある。

 2万円の「大金」をもって、大阪はミナミの街を冒険するのである。今も昔もワタクシがこよなく愛する街である。ひとに連れてってもらった店など面白くも何ともない。まったく知らない店にひとりではいる。ドキドキスル。自分の世界を作りたい、「自分のお店」、「いきつけの店」を作りたくての試みである。水瓶座の血が騒ぐ。長く親しんでその店に通えて、世の中のことを教えてもらうこと、多様な職業に就いている人たちの考え方を学ぶことが目的であった。

 笑ってくれ給え、つまり、ハタチの小僧が「大人の世界」を知りたがっていたということにすぎない。大学生が本をほっぽりだして外遊するのである。ミナミの夜空にバナーがひしめいている。気分は、ど・れ・に・し・よ・う・か・な、とは程遠い。しょうもない店にあたって大金をどぶに捨てるわけにはいかない。真剣である。こっちは万札2枚を握り締めて断崖にいるのである。

 意を決して10階立ての雑居ビルの一角に乗り込んで、追い出されたこともある。足元をみられていたのであろう。わざわざ夕方の混み合わない時間帯に様々な店を観察した。情報は足で稼ぐよりない。ポパイ(今でいうと『関西1週間』のようなカタログ雑誌)など糞食らえの意気込みであった。開拓精神と「大金」を懐に何軒もまわったが、何度「一見さんおことわり」といわれたことか。若僧は無視されるのが通常である。こちらはその鉄門をこじ開けるしかない。

 お店を開拓し、度々顔を出そうというのであるから、1回行く毎に2000円以上は苦しい。5000円もふんだくられるようじゃ、つづけて通えない。知らない店に突撃するときの鉄則はこうである。いくら飲み代を要求されるかわからないので、恥かしがらず最初に金額を聞くということ。それと、カウンターの内側に女性がいないということ、これである。若僧の知恵であろう。

 女性が苦手というわけではないので誤解しないでほしい。ボトルを一本キープするにしても、1万円はくだらない。それが、女性がいると倍になる。「いらっしゃいませ〜」、女性の声なら即撤退。ノルマンディ上陸計画は頓挫せざるをえない。「いらっしゃい(『なんじゃ、こいつは』、の意)」、店員さんはこちらをジロリとみて、値踏みする。貧乏学生も負けじと中を見渡す。煙草の煙を払うような仕草をされたらオサラバである。貧乏学生にも意地がある。そんなときはドアをばたんと閉めてやる。他をあたる。

 おそるおそる、「飲ましてもらえますか」。心の中では店内にバーテンと男性の1人客しかいないのでホッとする。震える手で当時流行ったウォレットの財布の中を再確認し、「2万円はもってるんですけど」。店側の最初の反応をみる。一瞬キョトンとしていたバーテンが、にこっと笑ってくれた。

 年の頃は60前か、年配の紳士に映った。肌色のチョッキに白っぽいネクタイがよく似合っていた。少し若いもう1人のバーテンは蝶ネクタイを決めている。こうして探し当てたミナミのバーは、営業40年を誇る老舗であった。店との付き合いは、今ではもう15年以上にもなる。「いらっしゃいませ」が、いつのまにか「まいど」に変わった。だがその伝統の灯も昨日消えた・・・カウンターを間においた人間模様を若干書きとめておきたい。お世話になった店に対するワタクシなりのレクイエムである。つづく、かも。
i-topもくじ