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歷戀健康診断

 いやそれにしても、わからないことは本当にわからないまま過ぎ去るものである。45年の長期にわたって違反を自覚しつつ、北海道北見市は就学「時」健康診断を実施してこなかったのであるから、よくもまあ、問題が発生しなかったものである。

 医療診断の性格から考えて、「問題」とは子どもの生命にかかわる「問題」である。1958(昭和33)年施行の学校保健法は、その第2章4条において、市町村の教育委員会に、就学に先駆けて健康診断することを義務付けている。

 ワタクシは、この診断が実施される時期が、子どもの入学する4ヵ月前までに完了しなければならない義務であるので、就学「前」健康診断と理解し、あらゆる場面でこういってきた。「前」なんだよと。こうした思い込みは恥じねばならない。反省する次第である。

 しかし、そういったのには理由がある。

 健康診断が実施されるのは、まさに入学前年の11月30日までと規定されているからである。まさに4ヵ月も「前」に医者が子どもたちを診るからである。言葉の使い方には慎重を期さねばならないが、法規上、就学「時」なので、今後はこれで通すことにする。それが、過てば則ち改むるに憚ること勿れの論語精神を引き継ぐ姿勢である。

 こうしたワタクシの誤認識も、「わからないことは本当にわからないまま過ぎ去るものである」の一例というほかない。

 ところで、ことは障がい児教育にもかかわってくる。この辺りがよく問題化しなかったものである。実は、我が子が「他人と違う」ことを公的に突きつけられるのが、特殊教育諸学校への入学通知書である。公園デヴューした保護者は、入学以前に砂場で他の子どもたちと一緒に遊んでいる我が子の姿をみて、「普通」の子と変わらないと思いきかしているのである。それが一通の通知書の落手によって、その保護者の「思いきかし」が崩される。

 4ヵ月前に行われた健康診断問診票を基礎資料とし、医者と障がい児教育の専門家などによって組織される就学指導委員会が、1月31日までに就学先を決定するのである。2月初旬、家庭に通知書が配達される。その後、保護者は教育関係行政職員ともろもろの議論を繰り返し、我が子の進路が確定する。

 特殊教育諸学校へ通うことになれば、充実した自立活動を含む教育課程を享受することができる一方、砂場で遊んでいた他の子どもたちと決別することにもなる。砂場の思い出は交流教育で再発見されるのを待つほかない。

 では、北見市の特殊教育行政は一体どうなっていたのであろうか。上のように就学時の健康診断に基づいて、子どもたちが小学校に行くか、特殊教育諸学校に通うか判別される。とすると、北見には障がい児がいなかったということなのであろうか。それとも科学的な医療診断も下さず、保護者や子ども本人と健康相談もせず、道が指導権限を持つ特殊教育諸学校に入学させていたのであろうか。洒落ではないが、どうも腑に落ちない。たんに医者関与のない調査票で処理していたのであろう。

 検診不実施は地方財政逼迫が原因ではない。そうだとすれば45年間、財政が苦しかったということになるし、それは北見市民を納得させる理由にはならないであろう。医者不在問題が一定程度解消されたいま、北見市の行為は、たんなる手抜きであるといわなければならない。


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